第13話 ③
脳裏に浮かんだのは、この鮮やかな赤いマフラーを首に巻き、無邪気に笑う大切な女の子の顔。
寒いね、と言いながら自分の肩にぴたりとくっついてくる彼女の体温までが、鮮明に蘇ってくる。もしこれをプレゼントしたら、彼女はきっと目を丸くして喜び、すぐに首に巻いて見せてくれるだろう。
(莉子ちゃん……元気にしてるかな)
これを買って、あの喫茶店へ。
そんな考えが、ほんの一瞬だけ陽菜の頭をよぎった。
だが——陽菜はマフラーに触れていた自分の手を、じっと見つめた。
数日前の雪原で、魔獣からアルトを守り抜いた手。自分の力から目を逸らさず、誰かのために振るうのだと決めた手。
それでも、この手がかつて商館の地下で、何人もの人間の命を容赦なく奪い去った事実が消えるわけではない。
力そのものは受け入れることができた。
けれど、人間の心を持ったまま、魔族として犯してしまった恐ろしい業とどう向き合っていけばいいのか。人を殺めたという罪の重さを、今の陽菜はまだ自分の中で整理しきれていなかった。
理性を保っているとはいえ、自分の根底に流れる冷酷な魔族の血。
かつての王都の神官クラウスの言葉が蘇る。得体の知れない半端な自分では、いつか大切な人を必ず傷つける——。
そんな存在が、何の翳りもない純粋な温もりを人に与えることなんて出来るはずもない。
(いつか、ちゃんと答えを出せたら)
自分の中の人間と魔族の境界線に、自分なりの答えを出せたなら。
この手にこびりついた罪の重さから逃げず、真っ直ぐに背負う覚悟ができたなら。
その時になって初めて、彼女に会いにいく資格ができるのだ。
陽菜は小さく息を吸い込むと、マフラーを撫でていた手をゆっくりと離した。
「どうかしましたか?」
静かにうつむいた陽菜を見て、店主が不思議そうに首を傾げた。
「ううん、なんでもないです。……とても素敵なマフラーだけど、今の私には、少し立派すぎるみたい」
陽菜は店主に向けて寂しげに、けれど確かに前を向いた微笑みを返すと、マフラーの置かれた棚から背を向けた。
「それよりも、この子に合う一番分厚い上着を見立ててもらえませんか? これから、もっと寒いところへ行かなきゃいけないので」
「ええ、もちろん。坊や、こっちへおいで」
アルトが嬉しそうに店主の元へ駆けていく。
陽菜は少し離れた場所から、試着をしてはしゃぐ少年の姿を静かに見守っていた。
肩越しに、後ろの赤いマフラーをもう一度見つめる。
あの温もりは、置いていこう。今の自分は、この小さな手を引き、彼の母がいるかもしれない場所へと向かうと決めたのだから。
しばらくして、新しい上着に身を包んだアルトと共に店を出る。
木扉を開けると、鈍色の空は一層暗くなり、冷え込みも強まっていた。
「ありゃあ、これは今夜は雪だな。お嬢さんたち、無理せず今晩はこの街に泊まっていった方がいいよ」
店の入口まで扉を開けにきてくれた店主が、屋外との寒暖差に震えながら心配そうな目を陽菜たちに向けた。
その言葉に、陽菜は顎に手を当てる。すると彼女の服の裾を摘む、小さな手があった。
「お姉さん……」
アルトの目は使命に燃える光を湛えており、その言わんとしていることは言葉を交わさなくとも陽菜に伝わった。
危険な道中だ。いくら魔族二人とはいえ、保険はあったほうがいいだろう。
「お気遣いありがとうございます、店主さま。ただ、我々も急ぎの道中でして。ここより北上したところにどこか宿場町などはありますか?」
「それなら、半刻くらいの場所に小さい町があったはずだよ。だが、本当に良いのかい?」
店主はアルトに目を向けた。大人の陽菜はともかく、子どもには険しい道だということだろう。
半刻、ということは一時間くらいか。それくらいなら最悪おぶっていくことも出来る。
陽菜は世話になった店主に笑みを向けた。
「ええ、問題ありません……この子は私が守ります。教えてくださってありがとう」
アルトが新しい上着の袖から手を伸ばし、陽菜の手をぎゅっと握りしめる。
陽菜たちは店主に礼を済ませると、アルケスの街道へ繰り出した。
その手の冷たさと力強さが、今の陽菜にとって唯一の現実であった。この小さな少年を守り抜いた先に何かの答えがあるのか、それすらも分からない。
それでも陽菜は、灰色の空の下、舞い散る雪に足跡を消されながら再び北へ向かう白銀の道へと歩み出していくのだった。




