第13話 ①
莉子たちがアルケスの街で、身分違いの恋に翻弄される二人の結末を見届ける、ほんの数日前。
宿場町を後にした陽菜とアルトは、北へと続く白銀の街道を歩き続けていた。
北方の冬は、陽菜の想像を遥かに超えて苛烈だった。空はどこまでも重たい鉛色に沈み、容赦なく吹き付ける吹雪が、刃のようにむき出しの肌を切り裂いていく。
街道とは名ばかりの、雪と氷に覆われた道なき道。一歩足を踏み出すたびに膝まで新雪に埋まり、ただ前へ進むだけでも途方もない体力を奪われていく。
「……っ、ふうっ、ふうっ」
陽菜の隣を歩くアルトの小さな口から、白く凍りつきそうな息が漏れていた。
道中の街で防寒用の外套を買い与えたとはいえ、元々は痩せ細った子供の身体である。
長く伸びた睫毛には白い霜が降り、外套の裾を握りしめる手は赤紫色に変色して小刻みに震えていた。
それでも、アルトは一度も「寒い」とも「休みたい」とも言わなかった。
足が雪に取られて転びそうになっても、陽菜が手を差し伸べるより早く自力で立ち上がり、再び前を向いて歩き出す。彼の年齢に見合わぬ我慢強さは、きっと彼が母親から受け継いだものなのだろう。
(……でもこのままじゃ、鉱山に着く前にアルトくんが倒れちゃう)
陽菜は周囲を見渡し、街道の脇にそびえ立つ、風よけになりそうな巨大な岩陰を見つけた。
「アルトくん、あそこで少し休もう」
「ううん……だいじょうぶ、僕、まだ歩け……」
「駄目。私が疲れちゃったの。少しだけ付き合って。ね?」
強がる少年の言葉を遮り、陽菜は半ば強引に彼の手を引いて岩陰へと滑り込んだ。
吹き荒れる風の音が一段階くぐもり、ほんの少しだけ息がしやすくなる。陽菜は雪を払ってアルトを座らせると、そのかじかんだ両手を自分の手で包み込んだ。
氷のように冷え切った指先。これでは凍傷になってしまう。
「少しだけ温かくするね」
陽菜はそう言って、そっと目を閉じた。
アルトを温めるための、小さな、本当に小さな火おこしの魔法。かまどの火くらいの、じんわりと空間を温める熱をイメージして、指先に魔力を集中させる。
しかし——陽菜は己の裡に眠る力を、根本的に見誤っていた。
彼女の内に満ちているのは、人間が扱うような汲み置きの水程度の魔力ではない。底なしの海脈のごとく渦巻く、魔族の頂点に君臨する者の絶大な力。
城の城壁を丸ごと融解させ、軍勢を灰塵に帰すような殲滅に特化した極大魔法の使い手にとって、指先に小さな火を灯すという極小の出力調整は、針の穴に太いロープを通すような絶望的な難易度だったのだ。
陽菜がほんの一滴のつもりで魔力を解放した、その瞬間。
——ゴォォォォォォォォォォッ!!
「わっ!?」
「えっ!?」
鼓膜を劈く轟音と共に、二人の目の前の空間が爆発した。
「小さな火」などという可愛らしいものではない。天を衝くような巨大な真紅の火柱が雪原に吹き上がり、猛烈な熱波が周囲の空気を一瞬にして焼き尽くした。
凄まじい閃光と熱風に、アルトが悲鳴を上げて雪の上に尻餅をつく。
火柱は数秒間荒れ狂った後、陽菜が慌てて魔力を遮断したことで唐突に消失した。
後に残されたのは、煌々と立ち昇る大量の白煙と、岩陰の周囲半径十メートルにわたって雪が完全に蒸発し、黒く焦げて剥き出しになった地面だった。
先ほどまでの極寒が嘘のように、まるで真夏の真昼のような熱気が岩陰に充満している。
「……あ、あはは……、前のサンドイッチ作りのときはもうちょっとマシだったんだけどなぁ……」
陽菜は引き攣った笑いを浮かべながら、まだ煙を上げている自分の指先をそっと隠した。
以前、喫茶リリーで莉子とサンドイッチ用の食パンを作る時にも風魔法を使ったことがあったが、あのときはもう少し被害は小さかったはずだ。
ルミィとヴィエラが暴走して、そのことに腹を立てていたからだろうか。当時のことをほとんど覚えていない自分の記憶力が恨めしい。
それにしても、これはいくらなんでもやりすぎた。目玉焼きを作ろうとして厨房ごと吹き飛ばしてしまったような気分だ。
「ご、ごめんね、アルトくん。こういう繊細な魔法、あんまり慣れてなくて……」
気まずさのあまり顔を赤くして俯く陽菜。
アルトは目を丸くして黒焦げの地面と陽菜を交互に見比べていたが、やがてぷっ、と吹き出し、無邪気な声で笑い声を上げた。
「あははっ! お姉さん、すっごい力持ってるのに変なの!」
「うう……笑わないでよぅ」
陽菜もつられて頬を緩める。
失敗はしたものの、結果として岩陰の周囲は岩盤浴のようにポカポカと温かくなっていた。アルトの顔色にも少しずつ赤みが戻り始め、陽菜はほっと胸を撫で下ろす。
——だが、二人はまだ気づいていなかった。
白銀の世界において、これほど巨大な熱と魔力の奔流を撒き散らすことが、何を意味するのかを。
熱波によって生じた濃密な白煙の向こう側。
分厚い雪の壁のさらに奥から、低い、地を這うような唸り声が複数響き始めたのは、その直後のことだった。




