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第2話 ②

 喫茶リリーの朝は早い。

 食材の仕入れや仕込みももちろんだが、そもそも店自体を早めに開けているからだ。


 莉子のアイデアで朝一番に軽食を用意するようにしたところ、昼働きの労働者や懇意にしてくれる客たちが買いに来てくれるようになった。

 順番が逆だが、どうやら周りに持ち帰りの朝食を用意する店がないようで、結果的に市場の穴をついた取り組みになったらしい。


「私たち商才があるのかな」


 すっかり目を覚ました陽菜が目を輝かせた。

 開店直後の混雑も一旦落ち着き、今は店内に二人だけである。

 

 莉子は陽菜の言葉に「ただの偶然よ」と流したが、よくよく考えたらこの世界の文化水準はどう考えても現代日本より以前のものだ。

 もしかしたら莉子たちの思う普通の喫茶店メニューをリリーでやれば、それだけで物凄く繁盛したりするのではなかろうか。


「これ、異世界チートってやつでは……!」

「で、でも莉子ちゃん。私たち何の知識もないけど」

「……たしかに」


 二人の無双億万長者の夢は儚く潰えた。

 むむむ、とそれでも莉子は粘る。


「でもさ、コーヒーもこの世界では珍しくてウケたわけじゃん? 現代の食事とか作ったら流行らないかな」

「ああ、サンドイッチとか、オムライスとか」

「うんうん」

「素材さえ集まればいけるかぁ……?」


 小麦粉貴重だしなぁ、などと陽菜がぶつぶつ呟いている。

 まだ日本で暮らしていたころは、どちらかといえば陽菜の方が料理は得意だった。

 莉子が思いつきを口にすると、彼女はいつも少し楽しそうになる。

 無茶だと分かっていても、どうにか形にできないか本気で考えてくれるのだ。


 頼りになる友人に感謝しながら店のテーブルを拭いていると、少ししてからドアベルの鳴る音がした。


「いらっしゃ……あ、ルミィ。それにヴィエラも」

「おはようございます、リゼ様」

 

 珍しく二人並んでいるのをしげしげと眺めていたら、「私が先なんですけど」「うるさい、どきなさいよ」などと店に入る前からいがみ合っている。

 どうやら偶然店の前で鉢合わせただけらしい。相変わらず二人の相性は芳しくないみたいだ。


 ルミィとヴィエラがやってきて一週間。

 二人はこうして日中になると喫茶店にやってくる。

 表向きは監視のためと言い張る二人だが、なんだかんだで店の手伝いもしてくれていた。


「リゼ様、これどうですかね。おかしくないでしょうか」


 そんなルミィたちに店員用のエプロンを渡したのが昨日のこと。

 二人とも体裁を気にして「まあもらってあげますけど?」みたいな態度を取っていたが、こうして律儀に着てくれるのだから可愛いものである。

 

「似合ってる、似合ってる」


 そう言うと、ルミィは照れ臭そうに笑った。

 

 ふと隣を見ると、ヴィエラもちょうど陽菜にエプロン姿を見せているところだった。褒めてもらえたのか、彼女の表情もほころんでいる。

 まるで盗み見してしまったような気分になったが、その笑顔はとても自然で、思ったより年相応に見えた。いや、実際の年齢は分からないので、見た目相応か。


 客の来ない時間が緩やかに流れていき、正午を回る頃になるとぽつぽつと店内が賑わい始めた。

 客層は様々で、いつもカウンターの定位置に座り新聞を読む男性、友人同士と思しき女性たち、親子連れといった面々が並んでいる。

 

 喫茶リリーは半年ほど前に開店したばかりだが、ありがたいことに客の数は順調に増えていた。

 それ自体は喜ぶべきことなのだが、その分接客時間も注文量も増えるわけで、今まで莉子と陽菜の二人でホールを回していたものが、最近になって手が回らなくなってきているのも事実だった。

 その点、ルミィとヴィエラが店員として手伝ってくれるのは、単純に頭数が二倍になるという理由で、非常に心強いことなのである。

 

 しかし――。

 残念ながら、仕事の効率が改善されたという感覚はない。

 むしろ、以前よりトラブルが増えているというのが率直な評価であった。

 

 そしてその原因は、ルミィとヴィエラの二人に依るところが大きい。


「あ、甘ぁっ!」


 突然、奥のテーブルから悲鳴が聞こえた。いつもこの時間に来てくれる男性客だ。

 普段は上品で物静かな印象の彼だが、何かあったのだろうか。


 ちょうどホールを担当していた莉子が慌てて彼の元へ寄ると、テーブルには麦粥が置いてあった。

 ブイヨンでドロドロになるまで煮た料理で、どちらかといえば塩っぱい味付けの料理。それが甘いはずはないのだが……。


 莉子は男性に断って麦粥の入った皿に近づくと、なぜかシナモンの香りがする。

 それだけではない。明らかにベースは肉の出汁なのに、そこに砂糖やジンジャーが混ざり、お菓子のような甘ったるい匂いもした。


「す、すみません!」


 突然横から上がった大声に、思わず莉子は「わぁっ!」と飛び上がる。

 いつの間にか傍まで来ていたルミィが、頭を下げていたのだ。


「これを作ったの私です。多分調味料を間違えてしまって……。本当にごめんなさい」


 彼女は震える声でそう言った。

 これだけの匂いがすれば作った段階で気づきそうなものだが……。

 そんなことを思っていたら、ふと、ある思い出が莉子の脳裏に蘇った。


 あれは、かつて勇者パーティーで旅をしていた頃。


 野営続きのある日、珍しくルミィが「今日は私が作ります!」と張り切って夕食当番を買って出たことがあった。

 普段ならガランかサイラスのどちらかが担当するのだが、その日は二人とも怪我の手当てや見張りで手が離せず、莉子も止める暇がなかった。


 しばらくして運ばれてきたのは、肉と野菜を煮込んだだけの、見た目だけならごく普通のスープだった。


「どうですかっ。自信作です!」


 きらきらした目で見上げてくるルミィが、とても愛らしかったのを覚えている。

 莉子は喜んで最初のひと口を頂いた。


 しかし口に入れた瞬間、彼女は固まった。


 甘くて、辛くて、塩っぱい。

 しかも最後になぜか酸味まで追いかけてくる。


 一体どうすれば一杯のスープにこれほどの混沌を作り出せるのか。

 どんな食通も、この一品の評価は謹んで辞退するだろう。


「……リゼット殿? どうした」


 訝しむガランに無言で椀を渡すと、彼もまたひと口で沈黙した。

 サイラスに至っては吹き出しかけ、慌てて口を押さえている。


「えっ、えっ、そんなに美味しいですか?」

「いや、その、個性的っていうか……」


 サイラスの必死なフォローで、その場は事なきを得た。

 しかし、あの夜莉子たちは確信したのだ。


 この子はとんでもない味音痴であると――。


 なぜそんな大事なことを忘れていたのか。

 いや、思えばあの事件以来、莉子たちは徹底的にルミィ以外で食事当番を維持していたのだ。

 時には怪我をしていようとも、無理やり身体に鞭を打って。


(あの頃から変わってないなぁ)


 莉子はそんなルミィの様子に内心苦笑しつつも、改めてその男性に丁寧に謝罪をし、味付けを整え直した粥を提供したのだった。


 そうして一安心かと思った矢先。

 今度は別のところから怒鳴り声が飛んできた。


「お前、ちゃんと接客する気があるのか!」


 そこには、青筋を立てた客に叱られるヴィエラの姿があった。

 すぐさま陽菜が駆け寄り、男性に頭を下げる。


「申し訳ありません。何かお気に障ることがありましたか」

「どうもこうもないよ! その娘の態度があまりにも悪いんだ」


 男性はテーブルをバンと叩いてヴィエラを指差した。

 しかし当のヴィエラは、悪びれる様子もなく涼しい顔をしている。むしろ、足元の羽虫でも見るような冷ややかな目を客に向けていた。

 

「私はただ、事実を述べたまでですが」

「事実だあ? 客に向かって『その貧相な味覚では理解できない』とは何事だ!」

「……ですから」

 

 ヴィエラは呆れたように小さくため息をついた。

 

「貴方のような下等……いえ、一般的な人間の舌には、料理の味など分かるまいと親切心でお教えしたのです。現に先程から、陛……アリシア様の淹れたコーヒーに砂糖とミルクを際限なく入れているではありませんか。アリシア様への冒涜です」

「な、なんだと!?」

「それに、その出っ張ったお腹。これ以上の糖分摂取は貴方の短い寿命をさらに縮める結果になるかと」


「ヴィエラ、ストップ、ストップ!」

 

 これ以上言わせまいと、陽菜は慌ててヴィエラの口を塞いだ。

 激昂する客に「本当にすみません! ちょっとこの子下げますので!」と断ると、そのままずるずるとカウンターまで引きずっていった。


 その間、ヴィエラは抵抗するかと思いきや、自分の顔を覆う陽菜の手になぜかうっとりとしていた。

 陽菜は目にも止まらぬ速度でカウンターから戻ると、先ほどの男性客に何度も頭を下げる羽目になるのだった。

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