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第2話 ①

 朝を告げる教会の鐘の音が、冷たいガラス窓を震わせて部屋へと滑り込んできた。

 その敬虔な響きに誘われるようにして、莉子はゆっくりと瞼を開く。


 眠っている間に寝床からはみ出していた足先が、思いがけない朝の冷気に驚いて、弾かれたように毛布の温もりへと逃げ帰った。

 繭のような心地良さはあまりにも甘美で、再び深い眠りへと引きずり込まれそうになる。

 

 莉子は小さく息を吐き、微睡みの誘惑を振り払うようにして、その華奢な身体を起こした。


 吹き込む隙間風は日に日に冷えていくというのに、この部屋ときたら、いやこの世界全体がそうだが、禄な暖房設備がない。

 記憶を取り戻す前はそれが当たり前だったので特に気にならなかったが、今では祖国日本の伝統が恋しい。


「こたつに入りたいなぁ」

 

 それだけで、莉子は初めてホームシックを発症しそうになった。


 けれども、そんな誘惑を断ち切るだけの理由が、今の彼女にはあった。

 名残惜しさを布団に残して床に立ち、莉子はひとつ背伸びをする。

 指先までいっぱいに伸ばされた身体に、朝の新鮮な空気がゆっくりと満ちていった。


 莉子と陽菜は今、喫茶リリーの二階の部屋を借りて、そこで暮らしている。

 年代の入った内装は、決して広くない間取りだが、女一人が暮らすには十分良い部屋だった。

 

 そして莉子のすぐ隣が陽菜の部屋。彼女はその扉を軽くノックした。

 しかし少し待っても返事はない。一応の礼儀として毎回確認はしているが、一度だって反応があったことはない。


 そのまま扉を開けると、部屋の真ん中の質素なベッドの上に、こんもりと膨らむ布団があった。


 足音を消してそっと近づく。

 ちょこんと首から上だけを出した陽菜が、窓の方を向いて、ゆっくりと寝息を吐きながら心地よさそうに眠っていた。


「ほら、陽菜ー。もう朝だよー」

「うぅ、ん……むにゃ……」


 声をかけても全く起きる気配がない。

 頬を指で突っつくと、もぞもぞと動いた。その反応が面白くてもう二、三回同じことをすると、布団をさらに深く被ってしまった。


 莉子はその場にしゃがんで、枕元に顔を近づけた。


「ひーなー……」


 吐息混じりに首筋に囁くと、くすぐったそうに寝返りをうって、莉子の方を向いた。

 一瞬起きたかと思ったが、すぐに規則正しい寝息に戻ってしまう。


 いつもこうだ。

 陽菜は朝にめっぽう弱い。

 彼女を起こすのは、いつも莉子の役割だった。


 陽菜の顔がすぐ近くに見える。

 

 寝息に合わせて、長い睫毛がわずかに震えていた。

 薄く開いた唇は柔らかそうに力が抜けていて、そこから零れる吐息が、朝の冷たい空気の中でほんのりと温かい。


 頬にかかる銀色の髪が一筋、枕に流れている。

 寝ているときの陽菜は、起きているときみたいに軽口も叩かなければ、ちょっといたずらな笑みを浮かべてからかってくることもない。

 ただ、無防備で、静かで――だからこそ、妙にどきりとさせられる。


(ずるいなあ)


 莉子は無意識のうちに息を詰めていた。

 視線が、睫毛の影から唇へ、唇からまた目元へと落ち着きなく彷徨う。


 そのとき、陽菜の睫毛がふるりと揺れた。


「あれぇ……りこ、ちゃん……?」


 まだ夢の中にいるような、とろりと甘い声。


「ひゃっ!」


 思いきり間の抜けた声を上げて、莉子はそのまま後ろへ尻もちをついた。

 驚きによるものか、はたまた別の原因か、心臓が早鐘を打っている。

 

「……何してるの」

「ほっとけ」


 陽菜はまだ半分眠ったまま、布団の中に頬を埋めた。


「ふふ……今日も莉子ちゃんだ」


 その呟きに、莉子の心臓は余計に落ち着かなくなるのだった。

 そんな顔で無邪気に笑わないでほしい、と莉子は思う。自分だけが馬鹿みたいに意識している気がしてしまうから。

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