第1話 ④
からんからん、と今度は少しだけ弾んだベルの音とともに、莉子とルミィは店へと戻った。
中には神妙な面持ちの陽菜とヴィエラがテーブルを囲んでいる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
陽菜が入口まで迎えにきて、莉子と短いやり取りを挟む。
ルミィは店の外に立ったまま、顔を俯けていた。
「その、先程はろくに話も聞かず取り乱してすみません」
「……いいのよ。さ、外は寒いから二人とも早く入って」
二人も同じテーブルにつくと、陽菜は何か淹れるねと言って、キッチンへ向かった。
少ししてトレイに乗ったマグカップが運ばれてくる。
テーブルに置かれた四人分の器からは白い湯気がふんわりと上がり、思わず息の出るような甘い花の香りがした。
夜風で冷えた莉子たちには、これ以上ないほどの温もりである。
「美味しい……」
一口すすってそう呟いたルミィを、莉子と陽菜は微笑ましく見つめた。
「何見てるんですか。いいですか、魔王アリシア。まだ貴方を認めたわけではないですからね」
ルミィは半眼で陽菜を睨みつける。
「リゼ様と貴方が変なことをしでかさないか、監視役が必要なだけです」
「とか何とか言って、本当はその勇者の側にいたいだけでしょ」
彼女の反対側に座るヴィエラが、茶をすすりながらボソッと呟いた。
その言葉にルミィは勢いよく椅子から立ち上がる。
「下劣な魔族ごときが調子に乗るなよ。お前はここで片付けてもいいんだぞ」
「人間はそうやってすぐに野蛮な物言いをする。品性の欠片もないわね」
いがみ合う二人に、莉子と陽菜は顔を見合わせて息を吐いた。
「こら、ルミィ。ちゃんと話し合うって決めたばかりでしょう」
「ヴィエラも。まずは落ち着いて」
だが二人は、ぷい、とお互い外を向いてしまった。
先程のようにすぐに殺し合いになることはなさそうだが、まともに会話が出来るようになるには、まだ相当時間がかかりそうだった。
「はあ……まあ今はいいけど。莉子ちゃん、そっちはどうだった」
「今後次第って感じかな。ルミィに認めてもらえるまで、私と陽菜で精一杯やらなきゃなって」
「それは、大いに気にかけてほしいところですね」
そう横から挟んだのはヴィエラだった。
ついさっきのルミィといがみ合っていた様子はどこへやら、一転して真剣さの宿る瞳でこちらを睨んでいる。
「最後の戦いを終えたとはいえ、二人は勇者と魔王。遠く離れた大陸であっても、どこに目があるか分かりません。それにこんな人里では、陛下の素性が知れようものなら、どんな危害があるか分からないのですよ」
ヴィエラの意見に、莉子は陽菜の頭部を見やった。
今は魔法で角を隠しているとはいえ、ここは人間の街。
万が一魔族だと露見すれば、ただでは済まないだろう。
「悔しいですが、そいつの言うことは一理あります」
今度はルミィが苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「王都からリゼ様が消えた日、街は大変な騒動だったのですよ。私は一人で足取りを追っていましたけど、王都で捜索隊を組むことも当然あるでしょう。いずれはこの地にもやってくるかもしれません」
そうして、四人の間に沈黙が流れる。
いつ追手に見つかったり、陽菜の正体がバレるかも分からない。
そしてそれを知られたが最後、二人にもう安息が訪れることはないだろう。
決して容易い道ではない。
(でも、そんなこと、分かりきっていたじゃないか)
莉子は顔を上げた。
「それでも、私はここから始めたい。今度こそ、陽菜と一緒に」
陽菜も合わせるように莉子を見て、そして微笑んだ。
「うん、私も。どんな困難があっても、莉子ちゃんとなら乗り越えられると信じてる」
二人の決意の言葉。
それを、残る二人は複雑な表情で眺めていた。
「……その困難とやらに関わるかどうかは分かりませんが、少し気になっていることがあります」
ヴィエラが神妙な面持ちを浮かべる。
陽菜はその意図を受け取ったように、小さく頷いた。
「先程陛下と話していたのですが、お二人が最後の戦いの最中に記憶を取り戻された、というお話があまりにも不自然ではないかと」
「私たちのことを疑ってるの? でも嘘は言ってないよ」
莉子が訝しげに否定すると、ヴィエラは軽く咳払いした。
「いえ、すみません。言葉の綾です。私が言いたかったのは、『あまりにも出来すぎているのではないか』ということです」
抽象的な物言いに、莉子は言葉の真意を測りかねる。
彼女は指先でカップの縁をなぞりながら、静かに続けた。
「以前魔王城の書庫で人類と魔族の戦争史を調べていたことがあります。時代も場所も違うはずなのに、どの記録にも似た構図が繰り返し現れるのです。勇者が現れ、魔王が現れ、両者がぶつかり、その決着とともに時代がひとつ終わる」
ルミィが眉をひそめた。
「それの何がおかしいんですか。勇者と魔王が戦うのは当然でしょう」
「当然、ね」
ヴィエラは薄く笑った。
「ならば、なぜ勇者と魔王はいつも揃って現れるの。なぜ、その選定の過程だけがどの記録でも曖昧なの。誰が、何のために、その役を与えているのか――肝心なところだけが、綺麗に抜け落ちている」
そして彼女は、四人を順番に見渡す。
「まるで最初から、盤面に置かれた駒のように」
莉子は顎に手を当てた。
「私たちの戦いが、誰かに仕組まれたものだって言いたいの?」
「そういう見方も出来なくはない、という程度です。ただの偶然だったという可能性も当然あります」
ヴィエラは神妙な面持ちでそう言った。
人類と魔族の果てのない争いの末に勇者と魔王が誕生した。
それが莉子やルミィが小さい頃から言い聞かされてきた話だ。
だが、それが真実ではなかったとしたら。莉子たちは一体何のために数々のものを犠牲にし、戦ってきたというのか。
ルミィがテーブルを両手で打ち付けた。
「おかしいですよ! だって、教えでは、いつの時代も選ばれし勇者と魔王がそれぞれ大戦の中心に現れると」
「でも、どう『選ばれる』のか、それを明確に説明できる?」
「そ、それは……」
莉子は、ある日突然神官に呼び出され、勇者としての資質を見出された。
そしてそのまま神託を受けたのだが、ヴィエラの言葉通り、どのような経緯で莉子自身が選ばれたのかという説明はなされなかった。
まるでその部分だけがすっぽりと抜け落ちているような奇妙な感覚。
莉子の頬をひと筋の汗が流れた。
「でも、なんでそんな話を陽菜や私に?」
ヴィエラは再び莉子を見つめた。
その表情には忌々しそうな、それでいて少し羨ましそうな色が見て取れた。
「お二人は一緒にいたいのでしょう? もし真実がそこにあるなら、お二人の立場を覆す材料になるかもしれません」
言われて、莉子はハッとした。
もしそれが本当なら、莉子と陽菜の勇者と魔王という肩書きが、根底から覆るかもしれない。
正体を隠し、逃避行のように毎日他人の目を気にしながら暮らさなくても、堂々と二人で歩ける未来があるとしたら。
それは、とても素晴らしいことなんじゃないだろうか。
莉子は少し考えてから、顔を上げた。
「私は、陽菜と一緒にこの喫茶店を続けたい。その思いは変わらない。……少なくとも私は、ここから世界を相手取ろうとまでは思えないかな」
苦笑交じりにそう言うと、陽菜と顔を見合わせた。
彼女も眉を下げて、申し訳なさそうな顔をする。
ルミィが今にも泣き出しそうな顔を浮かべた。
「リゼ様……」
莉子はルミィの頭をそっと撫でた。
「でも、何か手がかりがあるなら、お店の傍らでちょこっと気にかける程度はいいかもしれない」
「そうね、まあ大抵の敵なんて私と莉子ちゃんで何とか出来るけど、平穏な日常を送れるに越したことはないよね」
陽菜が明るい声で同意した。
その二人の言葉に、今度はルミィとヴィエラが同じタイミングでため息をつく。
「お二人がそれでいいならいいですけど」
「リゼ様は本当に言い出したら聞かないんですから。でも……」
ルミィが半眼で莉子をじっと見た。
「その頭数に、私が入っていないのは納得いきませんね」
「ルミィ?」
「……私も、ここにいる、と言っているのです。あ、ほら! 私、ちゃんと監視しないといけないですし。駄目ですか?」
そう言って、ルミィは上目遣いをしている。
そんな風にお願いされたら、断れるはずもない。
「では、私もお供します」
ヴィエラが何でもないことのように言い、残っていた茶をすすった。
その言葉に、当然のごとくルミィが噛みついた。
「は? なんであんたが。さっさと巣に帰ってくださいよ」
「勘違いしないでくれる。私が仕えるのは陛下ただ一人。だから側にいるの。嫌なら貴方が帰ればいいじゃない」
がるるる、と唸り声が聞こえてきそうな雰囲気でいがみ合う二人。
その様子を莉子と陽菜は少し呆れた笑顔で見守っていた。
さっきまで張り詰めていた空気が、ようやく少しだけ緩んでいく。
面倒ごとは増えたはずなのに、不思議と店の中は、ほんの少しだけ温かくなったように感じられた。
「せっかく莉子ちゃんと二人きりだったのにね。まあ、仕方ないか」
二人きり、という言葉に莉子が反応する。
「それってどういう……」
「え、言葉通りの意味だよ。あれ、もしかして寂しいとか?」
「う、うるさい。そういうのじゃないし」
顔を背ける莉子の耳は少し赤くなっており、陽菜はそれをどこか楽しそうに眺めていた。
喫茶リリーはこれからも続いていく。
莉子と陽菜は、この店からやり直すのだ。今度こそ幸せな未来を目指して。
だが、今日少しだけ新しい風が吹き込んだ。
新たな二人を迎えたリリーは、もう二人だけの静かな隠れ家ではない。
勇者と魔王、そしてかつての仲間たち。
相容れないはずの四人が、この小さな店でこれからどんな時間を重ねていくのか、今はまだ分からない。
ただ、ほんの少しだけ騒がしくなった海辺の喫茶店から、彼女たちの新しい物語が静かに幕を開けた。




