第1話 ③ (陽菜視点)
莉子とルミィを見送った後の店内。
そこには、陽菜とヴィエラの二人がぽつんと残っていた。
彼女たちが出て行ったあともしばらく、扉のベルの余韻が耳に残っていた。
まるでさっきまで張り詰めていた空気だけが、店の中に置き去りにされたようだ。
陽菜は落ち着かない手つきでカウンターの縁を撫で、ヴィエラはそれを無言で見ていた。
「随分とあの勇者と仲が良いのですね」
その平坦な声音の奥には、隠しきれない冷ややかな棘があった。
「……ヴィエラは、私を怒らないの」
「怒る? なぜ私が」
様子を窺うように見つめていると、彼女は息を吐いた。
「私は陛下に忠誠を誓ってはいますが、家族でも何でもありません。それに魔王はもう死んだことになっている。今の貴方の生き方に口出しする権利は、私にはありません」
それなら、どうしてわざわざこんなところまで探しに来たのだ。
喉まで出掛かったその言葉は、しかし声にはならなかった。
「それを怒って、などと。人間などとつるむから、些か軟弱になったのではないですか」
決して怒りを向けるような響きではない。しかし、彼女の声には取り付く島もないほどの、拒絶の色があった。
かつての忠臣に突き放されたことの衝撃で思わず俯いてしまう。
陽菜が黙り込む間、その指先は所在なさげに動いていた。
「私は、人間だった頃の私を思い出してしまった。私はもう、魔族としての私だけじゃなくなっちゃったんだ」
その言葉に、ヴィエラは初めて表情をこわばらせ、忌々しそうに唇を噛んだ。
「ええ、ええ。そうでしょうとも。魔王城にいた頃の陛下は孤高で、だからこそ魔族の畏敬を集めるに相応しい王の器たり得た。それが、今の貴方には見る影もない」
彼女は拳を強く握りしめ、陽菜を睨みつける。
「今の貴方はただの半端者です。貴方を見る魔族は失望し、人間が貴方を受け入れることもありはしない。そんな貴方に誓う忠誠など、一片たりとも持ち合わせてはいません」
その言葉は、鋭い刃のように陽菜の急所を突いた。
喉の奥がひゅっと鳴り、瞬きをすると視界がぐにゃりと歪む。
「う、うぅ……。そこまで言わなくても……」
しばし、店内に沈黙が落ちた。
ヴィエラは何か言いかけて、結局飲み込み、ひとつ深く息を吐く。
「……言い方が悪かったですね」
そこでようやく、少しだけ声音が落ちる。
「『普通の』魔族なら、今の貴方にはついていかないでしょう。そう言いたかったのです」
ヴィエラは頭に手を当てて、やれやれと首を振った。
「ヴィエラー……」
震える声でそう言うと、彼女は少しだけ目を細めた。
その目には、まるで幼い妹でも見るような柔らかさが含まれている。
「でも、先程の二人の話を聞いて、少しだけ思ったことがあります。いえ、前々から違和感はあったんです」
ヴィエラは空気を変えるようにそう切り出した。
先程までと打って変わって、その顔は何かを思案するような、底しれない深みを帯びている。
「親友だった二人が、勇者と魔王として生まれ直す。何十年も記憶を失っていたのに、殺し合いの最後にだけ思い出す。そんなこと、本当に偶然起きるものなのでしょうか」
彼女は、天井の暗がりを睨む。
それは何か答えを求めようとしているわけではないのだろう。
しかしその発言は、陽菜の頭の中に、形にならない巨大な靄となってのしかかった。
(昔から、ヴィエラはこうだった)
陽菜は小さく息を吐く。
誰よりも容赦なく現実を突きつけ、それでも最後には、一番理にかなった道を見つけてくれる。
二人の時間は、そうして最初とは違う重さを残して、静かに流れていった。




