第12話 ①
翌朝。アルケスの空は分厚い鉛色の雲に覆われ、夜明けを迎えてもなお、街全体が薄暗い影の中に沈んでいた。
宿屋の一階にある古びた食堂では、暖炉の火だけが唯一の熱源としてパチパチと頼りない音を立てている。
木製の長テーブルを囲む六人の間に、言葉はなかった。
出された麦粥からは湯気が上がっていたが、誰もスプーンを進めようとしない。
昨夜の冷え切ったやり取りの余韻が、そのまま重苦しい空気となってテーブルを支配している。セリアは青白い顔で俯き、その向かいに座るトーマもまた、虚空を見つめたまま微動だにしない。
二人の間に横たわる息苦しいほどの沈黙にあてられ、ミーシャやルミィたちもすっかり押し黙ってしまっていた。
莉子は自分のカップに注がれた白湯を見つめながら、どうしたものかと内心でため息をつく。
互いを想うがゆえにすれ違う二人。このままではどうなってしまうのか。自分はどう立ち回るべきなのか。
答えの出ない問いが、莉子の胸の内で重く渦巻いていた。
その時——宿屋の入り口を報せるベルが無遠慮に鳴り響いた。
同時に入ってきた冷たい隙間風が、暖炉の炎を大きく揺らす。
「こんな朝早くに、何の用だ。うちはまだ——」
奥から顔を出した宿の主人が、言葉を途中で飲み込んだ。
入り口に立っていたのは、上質な外套と鎖帷子に身を包んだ私兵たちだった。昨日の大通りで莉子たちを取り囲んだ、あの精鋭たちだ。
その中心には、初老の騎士グレイが静かに佇んでいる。
ミーシャが瞬時に立ち上がり、ルミィとヴィエラも警戒を露わにして身構える。莉子も素早くセリアを庇うように立ち塞がろうとした。
しかし、誰よりも早く動いたのは、トーマだった。
彼は無言のまま席を立つと、莉子たちの制止を振り切るように歩き出し——あろうことか、グレイの隣へと並び立った。
「——トーマ?」
セリアの震える声が、静まり返った食堂に響いた。
捕縛されるでもなく、刃を突きつけられているわけでもなく、トーマは自らの意志で私兵の側に立っている。その事実が、莉子の脳内を激しく混乱させた。
「一体、どういうこと……? トーマ、あなた何を——」
「セリア」
トーマの声は、凍りついたように低く、そして平坦だった。
彼はグレイから小さな布袋を受け取ると、それを無造作にテーブルの上へと放り投げた。
鈍く重量感を伴った音が響き、緩んだ結び目から何かが零れ落ちる。
それはこの大陸で用いられる硬貨だった。それらが暖炉の光を受けてギラリと黄金色の輝きを放つ。
「金貨……?」
莉子が眉をひそめる。これまで旅路を共にしていて、懐事情を根掘り葉掘り聞くようなことはしないまでも、彼がそんな余裕のある風には見えなかった。
ということは、これは——。
「お前の父親から、手切れ金をもらうことになっているんだ。これはそのほんの前金さ」
トーマの口から紡がれたその言葉に、食堂の空気が完全に凍りついた。
セリアが、信じられないものを見るように目を大きく見開く。
「な、にを……言っているの?」
「言葉の通りだよ」
トーマは、口の端を歪めて薄く笑った。
「ずっと貧乏暮らしだった僕にとって、君という存在は最高に都合のいい金づるだった。親から引き離して駆け落ちの真似事をすれば、焦った実家が莫大な金を積んでくるんじゃないかってね。……最初から、これが目当てだったんだよ」
あえて下品な響きを持たせたトーマの声が、痛いほど食堂に響き渡る。
後ろに控えるグレイは、彼の様子をただ薄目を開けて静かに見つめていた。
「昨日、あの私兵たちに囲まれた時、さすがに命が惜しくなってね。夜のうちに交渉に行ったんだ。君を無傷で返す代わりに、この金をよこせって。幸い、お前の父親は娘を溺愛していたらしくてね、あっさりと話がついたよ」
トーマはそこで一度言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。
そして、愛する女性に向かって、決定的な一撃を放つ。
「世間知らずのお嬢様のお守りは、正直もううんざりしていたところなんだ。……これで、せいせいする」
突き放すような冷酷な宣告に、セリアは言葉もなく硬直する。
テーブルに転がる金貨が鈍く光を反射している。
そして、己の心に深々とナイフを突き立てながら、必死に悪党の仮面を被り続けるトーマ。
その光景を前に、莉子は己の内にふつふつと燃えるような熱を感じずにはいられなかった。




