第11話 ③
食堂を出た一行は、さらに北上を続け、夕刻前には目的の街であるアルケスへと到着した。
国境が近づくにつれて、街を覆う空気は一段と鋭さを増している。石造りの建物が立ち並ぶ大通りには、厳しい冬の到来に備えるように、毛皮や分厚い外套を取り扱う露店が所狭しと軒を連ねていた。
「わぁ……! 見てください莉子さん、あの毛皮のコート、すっごく暖かそうです!」
「こら、ミーシャ。勝手に走っていかないの。迷子になってもしらないわよ」
次々と目移りするミーシャをたしなめながらも、沢山の店が並ぶ様子に莉子も少なからず心が惹かれていた。
歩いていくうちに、ひときわ大きく品揃えの良さそうな防寒具店が目に入った。
ここなら旅向けの外套も見つかるかもしれない。一行は店へと足を踏み入れた。
店内には、動物の毛皮や厚手のウールで仕立てられた衣服が壁一面に陳列されており、暖炉の火がパチパチと心地よい音を立てている。
「セリア、君はこの裏地がしっかりした外套にした方がいい。北の風は、君が今までいた街とは比べ物にならないくらい冷たいはずだから」
「トーマはどうするの? あなたが今着ている服こそ、とてもこの先を耐えられるものじゃないわ」
「僕は平気だよ。少し重ね着をすれば十分だ。それよりも、君が風邪を引いてしまったら……」
店の片隅で、トーマが自分の防寒具を妥協してでも、セリアに良質な衣服をあてがおうと必死に説得している。
セリアは申し訳なさそうに眉を下げながらも、彼の不器用な優しさを無下にできず、静かに頷いていた。
かたや入口の側には機能性とデザインを両取りしたようなお洒落な品が並んでおり、ルミィとヴィエラは思い思いの服を身体にあてがっているようだった。
「ふふっ、ルミィじゃ背が低すぎて服に着られてるみたい」
「喧嘩売ってますか? 表出ますか?」
セルリアを発つとき、ヴィエラの体調は本調子ではなさそうだったが、ここまでの旅の間にすっかり回復したようだ。
人間に比べると寒冷地への耐性もあるのか、今では彼女が誰よりも生き生きとしている。
ルミィとヴィエラの関係も一頃と比べると随分気安いものになった。
時折不穏なやり取りもしているが、これくらいなら可愛いものだ。
そんな光景を横目で見ながら、莉子もまた、自分たちの旅支度を整えるべく店内を見て回っていた。
ふと、壁際の棚に平積みされていた小物類に目が留まる。
手袋や帽子に混じって置かれていたのは、鮮やかな赤みを帯びた、上質なウールで編まれたマフラーだった。くすんだ色合いの商品が多い中、そのマフラーだけがひどく温かで、目を引く色彩を放っている。
無意識のうちに手を伸ばし、柔らかな生地に指先を這わせた、その時だった。
「お目が高い。それは南の羊の良質な毛だけを使って編み上げた、うちの自信作ですよ」
奥から顔を出した初老の店主が、莉子の手元を見て人懐っこい笑みを浮かべた。
「……とても、手触りがいいですね。それに、色も綺麗」
「ええ、特に若い女性には人気の品でしてね。そういえば数日前にも、お客さんと同じくらいの年頃のお嬢さんが、それを随分と長く見ていかれましたよ」
「数日前……」
他愛のない世間話。しかし、その何気ない言葉の響きに、莉子の胸の奥が微かにざわめいた。
「ええ。黒い外套をすっぽりと被って、お顔は窺えませんでしたけどね。綺麗な桃色の御髪が垂れていたので印象に残ったんですよ。結局買わずに店を出ていってしまいましたが」
その言葉に、莉子の心臓が大きく跳ねた。
黒い外套に桃色の髪の少女。
昼間の食堂で聞いた噂の記憶が、鮮烈に蘇る。
「……その子、どんな様子でしたか。何か、言っていましたか?」
すがるような声が出た。店主は少し驚いたように目を瞬かせたが、やがて顎に手を当てて記憶を探るように細めた。
「そうですね……。お金が足りなかったのか、それとも別の理由があったのかは分かりませんが。ただ、そのマフラーをとても愛おしそうに撫でながら『私の親友に、すごく似合いそう』と」
店主の紡ぐ言葉が、ひどくゆっくりと莉子の鼓膜を打つ。
「……きっと、その方のことを大切に想っておられるんでしょうな」
店主のその後の言葉は、もう莉子の耳には入っていなかった。
指先に触れているマフラーから、急速に熱が奪われていくような錯覚に陥る。
(陽菜……っ)
間違いない。それは、あの不器用で優しい親友の姿そのものだった。
こんな遠く離れた冷たい北の街で。
今もまだ、私のことを『親友』だと、そう呼んでくれていた。
——私のことを、想っていたの……?
嬉しいはずだった。彼女の心の中に、まだ自分がいるのだと分かったのだから。
けれど、莉子の胸を支配したのは安堵ではなく、どうしようもないほどの息苦しさと、引き裂かれるような矛盾だった。
(だったら……どうして?)
私を想ってくれているなら、どうして私の手を振り払って消えたの。
どうして、その同じ手で、私を突き放すような真似ができたの。
暖炉の火が燃える店内で、莉子だけがひどい寒気に襲われていた。
手元のマフラーを強く握りしめ、ギリッと唇を噛む。
ふと視線を上げると、少し離れた場所で、トーマが相変わらず薄着のまま、セリアに暖かな外套を着せているのが見えた。
自分が寒さに震えることを隠し、愛する者を守るためだけに身を削ろうとする、痛々しいほどの献身。
(……同じだわ)
莉子の目に、トーマの背中と、目に見えない陽菜の影が重なった。
相手を想うからこそ、自分が傷つく道を選ぶ。
その独りよがりな優しさが、残された側をどれほど追い詰めるのか、彼らは分かっていないのだ。
「……店主さん。これ、いただきます」
莉子は震える声を必死に押し殺し、赤いマフラーを店主へと差し出した。
陽菜が残した見えない温もりと、突き放された痛みを同時に抱え込みながら、莉子の瞳は弱々しく揺れていた。




