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第11話 ①

 北へ向かう街道は、進めば進むほどに風の冷たさを増していった。

 肌を刺すような冷気が、外套の隙間から容赦なく体温を奪っていく。吐く息は真っ白に染まり、道端の草木にはうっすらと霜が降り始めていた。


「莉子さん、あそこの屋台! 湯気が立ってますよ。少しだけ、ほんの少しだけ寄り道していきませんか?」


 六人での長旅。先頭を歩いていたミーシャが、街道沿いに見えてきた宿場町の入り口で、目を輝かせながら振り返った。

 その視線の先には、こじんまりとした食堂がある。規模の割に利用客が多いのか、屋内はおろか軒先に設えられたテーブルまで人が埋め尽くしていた。

 賑やかな声とともに香ばしい匂いが漂っている。


「もう、さっきも休憩したばっかりでしょ。私たちは先を急いでるの」

「うぅ……でも、この辺りずっと寒くて辛いんですよね」

「だから厚着してきなって言ったのに。これから北に向かうんだから、もっと冷えるわよ」

「だってお金ないですもん……」


 子どものように唇を尖らせると、その言葉を追いかけるようにミーシャの腹からクゥーン、と犬の鳴き声のような音が鳴った。

 結局のところ空腹なだけにも思えるが、ほんの少し唇の色が紫になっていることを見ると、本当に身体は冷えているのだろう。

 

 莉子は思わず天を仰ぎ見る。そうだった——この勇者は仲間に見捨てられ、なけなしの路銀も底をついて、その果てに喫茶リリーに流れ着いたんだった。

 呆れたようにため息をつくと、後ろを歩いていたルミィがくすくすと笑い声を漏らした。


「まあまあ、アルケスに着いたらもっと厚手の外套を買いましょ。ね、リゼ様。風邪引いちゃったら元も子もないですし」

「……はあ、仕方ないわね。ミーシャ、それまで我慢できる?」

「クゥーン」


 ミーシャはいよいよ腹の音を口で再現しながら、名残惜しそうに食堂を見遣った。

 

 緊迫した目的を抱えた旅でありながら、こうして歩みを共にしていると、時折和やかな空気が流れる。

 この賑やかなやり取りに、莉子は少なからず救われていた。もし一人だったとしたら、この先心を保ち続けられるかどうか自信がない。


 とはいえ、そんな莉子の視線はすぐに手元の羅針盤へと落ちる。

 ガラスの奥で微かに揺れる針は、真っ直ぐに北を指し示し続けていた。


(早く、追いつかないと)


 束の間の穏やかさに綻んでいた顔に、再び緊張が走る。

 

 表には出さないものの、莉子の精神は着実にすり減っていた。

 莉子の胸の奥には、常にじりじりとした焦りが燻っている。


「……っ」


 不意に、後ろから小さな足音がよろける音がした。

 振り返ると、旅の装いでありながらもどこか品を漂わせる少女が、石畳の段差に足をとられて膝をつきそうになっていた。


 動きやすさを重視した地味な外套やブーツを身につけてはいるものの、その生地の滑らかさや、随所に施された細やかな刺繍は、明らかに平民のそれではない。隠しきれない家柄の良さが、彼女の所作や佇まいから自然と滲み出ている。


「危ないっ」


 すぐ隣を歩いていた青年が、慌てて彼女の細い腕を支えた。


 数日前、営業中の喫茶リリーに、彼らは血相を変えて飛び込んできた。

 青年の名前はトーマ。そして彼に支えられている令嬢がセリア。

 

 彼らは身分違いの恋ゆえに親から引き裂かれそうになり、家から送られてきた私兵を逃れるために偶然店へ駆け込んできたという。

 ミーシャと莉子の手で一旦追手を退けたものの、セルリアに留まっていたらまた兵たちが差し向けられ今度こそ捕まってしまうことは必至だった。

 店が直るまではどのみち出来ることもなく、領主違いの街であるアルケスへ向かえばいいのではという提案と、偶然莉子の羅針盤が示す方角も同じだったこともあり、護衛する形でここまで連れてきたのだった。


「ごめんなさい、トーマ。少し足がもつれてしまって……」

「怪我はない? 痛むところは?」

「ご心配させて申し訳ありません。ただの不注意です。さあ、歩きましょう」


 莉子はすぐさま駆け寄ったが、その言葉にセリアは気丈に微笑むと、自ら立ち上がって乱れた衣服の裾を払った。

 彼女は家格という安全なレールを捨てて、自らの意志でこの過酷な逃避行を選んだ。

 慣れない長旅で疲労も限界に近いはずだが、決して弱音を吐こうとはしない。その横顔には、自分の選択に対する誇りと強さが確かに宿っていた。


 だが、そんな彼女を見つめるトーマの顔には、ひどく濃い影が落ちていた。


「……僕が無理やり連れ出さなければ、君にこんな苦労をさせることはなかったのに」


 青年の呟きは、ひゅるりと吹き抜けた風の音に紛れるほど小さかった。

 セリアの耳には届いていなかったようだが、すぐ側にいた莉子の耳には、その言葉がはっきりと届いていた。

 愛する女性を自らの手で幸せにしたいと願いながらも、どうしても拭いきれない身分差と己の無力さへの劣等感。トーマが時折見せるその暗い瞳は、莉子の心に微かなざわめきを落としていた。

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