第10話 ③ (陽菜視点)
月明かりだけが頼りの薄暗い廃屋の中で、陽菜は血の滲んだ羊皮紙をそっと床に広げた。
「『獣人、男性。年齢十代後半。特徴——右目に欠損あり。気性が荒いが筋力は極めて高い。取引額、銀貨八十枚。出荷先——聖都、地下闘技場に送致』」
「『エルフ、女性。年齢不詳。特徴——魔力枯渇による衰弱あり。鑑賞用に適する。取引額、金貨二十五枚。出荷先——東方の貴族邸に送致』」
「『人間、男性。年齢四十代。特徴——多額の負債による身売り。持病あり、長期の酷使には不向き。取引額、銀貨十五枚。出荷先——南部の開拓地に送致』」
文字の読めないアルトの代わりに、陽菜が上から順番に読み上げていく。
一行ごとに種族や年齢、そして「用途」が書かれたそれは、見紛うことなき奴隷のリストであった。
人を人として扱わないような気味の悪い文言が淡々と羅列されており、読むだけで吐き気すらもこみ上げてくる。
陽菜が震える指でさらに下へと視線を滑らせていくと、ふと、ある一行の記述でぴたりと声が止まった。
「お姉さん、どうしたの……?」
「……待って。これ」
ごくりと喉を鳴らし、陽菜はその一文をゆっくりと読み上げる。
「『人間、女性。年齢二十代半ば。特徴——半魔の子供を庇い、自ら身売りを志願。抵抗の意志なし』」
「……っ」
「『取引額、銀貨三十枚。出荷先——北方の魔族領との国境地帯、ゼノア鉱山に送致』」
そこまで読み上げると、アルトからふうっと短く、震えるような息が漏れた。
彼は血の滲んだ羊皮紙を食い入るように見つめ、文字の読めないはずのその目を、ただ一点——自身の母親の名前が記されているであろう箇所へと縫い付けていた。
「ゼノア鉱山……僕のお母さんが、無理やり連れて行かれるときに、その名前を聞いた気がする」
ぽつりとこぼれ落ちたその声は、ひどく掠れていた。
アルトの小さな手がゆっくりと伸び、羊皮紙の端を縋るように、しかし破れないよう大切に握りしめる。
「北方の国境地帯って、どんなところなの……?」
すがるような瞳で見上げられ、陽菜は言葉に詰まった。
ゼノア鉱山。この大陸に来て一年程度の陽菜は無論行ったことのない地域だが、魔族領との国境地帯とだけ聞けば、それがどれだけ過酷な環境かなど容易く推し量れようというものだ。
そんな場所で奴隷として酷使される人間の末路など、どう考えても碌なものではない。
何より、この記録が書かれたのがいつなのかも分からない。
今もそこで彼女が生きて、息をしているという保証はどこにもなかった。
「……きっと人間にとっては、すごく過酷な場所だと思う」
嘘をついても仕方がない。陽菜が静かに事実だけを告げると、アルトの顔からすっと血の気が引いた。
母親は生きているかもしれないという微かな希望と、とうの昔に冷たい土の下に埋もれているかもしれないという残酷な現実。
二つの可能性が、少年の心を激しく揺さぶっているのが伝わってくる。
アルトの瞳から大粒の涙が零れ落ちて羊皮紙の余白を濡らした。
「母さん……僕のせいで……っ」
彼は膝を抱え込み、小さく丸まった。
声を出して泣き叫ぶことすら、今の彼には許されないかのように、ただ静かに、肩を震わせて泣き続けている。
「アルトくん……」
陽菜は胸の奥を強く締め付けられるのを感じながら、問いかけずにはいられなかった。
「……ねえ。アルトくんのご両親に一体何があったの」
「……」
踏み込みすぎただろうか。
彼は赤く腫らした目で陽菜をじっと見つめた後、ぽつぽつと話し始めた。
「僕の母さんは人間で、父さんは魔族なんだ。……父さんには会ったことないけどね。きっとロクでもないやつだよ」




