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第9話 ⑤ (陽菜視点)

「あ……」

「傑作だろう? お前は母親の手がかりだと騙されて、自分自身の首を絞めるための鎖を、わざわざ自分から首に掛けに来たというわけだ」


 商館の主の残酷な嘲笑が、地下倉庫に反響する。


「お前に母親なんていない。あの小悪党が、お前を都合よく飼い慣らすために与えただけの、ただの安っぽい幻だ」


 アルトの手から木箱がガタン、と滑り落ち、中から転がり出た鉄の首輪が冷たい石の床に重い音を立てた。


「嘘だ……」


 アルトの口から、掠れた声が漏れる。


「嘘だ……だって、僕には母さんが……母さんに会うために、僕はずっと……っ!」

「いい加減に現実を見ろ、薄汚い半端者が。誰がお前のような気味の悪い化け物を愛するというのだ。お前の価値は、見世物として高く売れることだけだ。さあ、大人しくその首輪を嵌めろ」


 用心棒の男たちが、下卑た笑いを浮かべながらじりじりと距離を詰めてくる。

 

 アルトは顔を覆い、その場に崩れ落ちた。

 生きるための唯一の希望だった。どんな暴力を受けても、泥水を啜ってでも耐え抜いてきたのは、愛してくれる母に会えるという一縷の光があったからだ。


 その全てが、大人の浅ましい欲望と悪意によって、最初から仕組まれた罠だった。


 絶望に打ちひしがれ、小さな肩を震わせる少年の姿。

 それを見下ろして、嘲笑い、踏みにじる人間たち。


 陽菜は、床に転がる鉄の首輪を見つめた。

 頭の中で、目の前の館の主の下卑た声が反響する。


(薄汚い半端者……気味の悪い化け物……)


 あの日、路地裏でアルトが自分を庇ってくれた理由を思い出す。

 彼は、自分たちのような存在が人間社会でいかに虐げられるかを知っていたからこそ、陽菜のささやかな幸せを守ろうとしてくれたのだ。


 それなのに、この人間たちはどうだ。

 弱い者から希望を奪い、騙し、絶望に突き落として、それを娯楽のように笑っている。


「……おい、そこの女。お前もだ。大人しく捕まれ。傷がなければお前も商品にしてやる」


 用心棒の一人が、剣の切先を陽菜に向けた。


 自分は魔族だ。化け物だ。

 この力がいつか大切な人を傷つけてしまう。ずっと、そう思って恐れてきた。


 けれど——今この瞬間だけは、化け物で構わない。


「……やれるものなら、やってみなさいよ」


 陽菜の口から紡がれたのは、氷のように冷たく、静かな怒りだった。

 直後、地下倉庫を照らしていた魔力灯の光が、ふっと薄暗く翳った。


「あン? なんだ、てめえ……」

「その子に、触るなと言っているの」


 陽菜がゆっくりと顔を上げる。

 フードの奥から覗く彼女の瞳は、底なしの闇のように昏く、そして禍々しい光を放っていた。


 ——ぞわり、と倉庫内の空気が一変した。

 気温が急激に下がり、吐く息が白く染まる。生物の生存本能を直接削り取るような、圧倒的な冷気が充満していた。


「な、なんだ……!? 影が……っ!」


 用心棒の一人が悲鳴を上げた。

 陽菜の足元に落ちていた影が、まるで生き物のように蠢き、不気味に肥大化しながら石の床を侵食していく。


「ひっ……!」


 剣を構えていた男たちの顔から、一瞬にして血の気が引く。

 逃げなければ殺される。本能がそう警鐘を鳴らしているのに、足が微塵も動かない。蛇に睨まれた蛙のように、彼らはただ陽菜から溢れ出す膨大な魔力に縛り付けられていた。

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