第9話 ④ (陽菜視点)
地下への階段は、下りれば下りるほど空気が冷たく、重くなっていった。
カビと土の匂いが立ち込める暗闇の中を、二人は慎重に足を進める。
やがて辿り着いたのは、石造りの広大な地下倉庫だった。
窓一つない密閉された空間には、木箱や麻袋が所狭しと積み上げられている。どれも裏社会で取引されるであろう、出処の知れない品々だ。
「……あそこだ。あの棚の奥にある小さな木箱だって、あの男が言ってた」
アルトが薄暗い倉庫の奥を指差す。
彼の声は微かに震えていた。それは恐怖というよりはむしろ、どこか期待の入り混じった緊張を帯びた響きだった。
陽菜は周囲に気を配りながら、アルトの背中を守るように歩を進める。
見張りはいない。物音ひとつしない。
あまりにも順調すぎる潜入に、陽菜の胸の奥で得体の知れない不安が粟立っていたが、アルトはすでに目的の棚へと駆け寄っていた。
「あった……これだ……っ!」
アルトが埃を被った棚の奥から、両手に収まるほどの黒い木箱を引っぱり出す。
その箱の表面には、素人目にも分かるほど複雑な紋様が彫り込まれていた。
「お姉さん、やったよ! これで僕……母さんに……!」
アルトが満面の笑みで振り返った、その瞬間だった。
——パチッ。
弾けるような音と共に、地下倉庫の四隅に設置されていた魔力灯が一斉に眩い光を放った。
「えっ……?」
突然の閃光に、アルトが目を細めて木箱を抱きかかえる。
陽菜は咄嗟にその前に立ち塞がり、影を纏わせて警戒した。
「いやはや、本当にノコノコとやって来るとはな」
倉庫の入り口付近、高く積み上げられた木箱の陰から、くぐもった男の声が響いた。
現れたのは、上等な外套を羽織った恰幅の良い初老の男だ。その背後からは、抜身の剣や棍棒を構えた用心棒らしき男たちが次々と姿を現し、退路を完全に塞いでいく。
「あいつの言う通り、本当にガキ一人に盗みに入らせるとは。……いや、護衛が一人ついているようだが」
初老の男——この商館の主であろう人物は、陽菜の姿を一瞥すると、すぐに興味を失ったように視線をアルトへと向けた。
「な、なんで……どうして見つかったの……っ?」
アルトが怯えたように後ずさる。
陽菜の影の魔法は完璧だったはずだ。どこかで音を立てたわけでもない。
「見つかるも何も、最初から待っていたんだよ。……その箱の中身を、自分から取りに来る間抜けなネズミをな」
「取りに、来る……?」
商館の主は、下劣なものを見るような目で薄く笑った。
「あの借金まみれの小悪党め。自分が負った借金を帳消しにするため、珍しい半魔のガキをうちの商館に売り渡すと言ってきたまでは良かったがな。いかんせん、魔族を従わせるための道具を買う金すらないと泣きついてきおった」
男の言葉の意味が理解できず、アルトはただ呆然と立ち尽くしている。
しかし、人間の悪意というものを嫌というほど見てきた陽菜には、その先の言葉が嫌でも予想できてしまった。
「それをガキ自身に持ってこさせるとは、くくっ、見下げた畜生ぶりよな。……開けてみるがいい、小僧。お前が命懸けで盗みに来た、その箱の中身を」
アルトは震える手で、抱えていた木箱の留め金を外した。
パカッ、と乾いた音を立てて蓋が開く。
そこに収められていたのは、宝石でも、何らかの金銀財宝の類でもなかった。
鈍い光を放つ、分厚く冷たい鉄の輪。内側に禍々しい呪縛の文様が刻み込まれた、奴隷用の首輪だった。




