第8話 ④
店の準備を再開し、ようやく支度が整ったときにはすでに開店時刻を迎えていた。
慌てて立て看板を置きに入口の扉を開けると、冷え込んではいるが、澄み切った朝の空気が頬を撫でる。
吹き抜ける風が近隣の民家の洗濯物を揺らし、遠く港の方からは甲高い鳥の鳴き声が響く。
なんだか久々に、街の景色を見た気がする。
「今日はちょっと、気持ちがいいな」
二階の、莉子の部屋の窓に目を向けた。
あの少女——ミーシャにはそのまま莉子の部屋を貸して休んでもらっている。
本人は「えぇ、申し訳ないですよぅ」と遠慮していたが、金を持っていないことには変わりないのだから、またどこかで行き倒れるに違いない。
そんなことになっては寝覚めが悪いと、主にルミィが押し切る形で無理やり留めたのだった。
この世界に生活保護なんて高尚な制度はないが、どうしたものか。
とりあえず後で町役場まで連れて行ってみよう。仮にも勇者なんだし、丁重に元の街へ送るくらいのことはしてくれるのではないだろうか。
そうして店を開け、お昼時のラッシュを死にそうになりながら乗り切り、ようやく落ち着いた頃。
莉子は店番をルミィに任せ、ミーシャを連れて町役場までやってきた。
白を基調としたこじんまりとした建物。その入口の石段の前で、ミーシャは立ち止まった。
「えっと……どうしても行かないとダメです?」
ここに来るまで、終始ミーシャは気乗りしなさそうに俯いていた。
そんな彼女を莉子は不思議そうに見る。
「どうしたのよ。あぁ……まあ、お金がないって伝えるのが気まずいっていうのは分かるけど」
「いや、そうじゃなくてですね……はあ。まあ見てもらうのが早いですかねぇ」
そう言うと、ミーシャはスタスタと莉子の横を通り過ぎて、そのまま建物へと入っていった。
取り残された莉子は、その背中を目で追いながら、ますます首を傾げる。
「なんなのよ」
だが、その理由はすぐに分かることとなった。
受付を済ませ、しばらく呼び出しを待ち、ようやく順番が来たところで職員に事情を説明すると、その男性は何とも言えない表情を浮かべた。
「はぁ、勇者ねえ。来てもらって悪いけど、生活費の補助も、聖都への護送も無理だと思うよ」
「え!? 一体どうして」
にべもない回答に、莉子は思わず身を乗り出す。
職員との間の机に両手をつく音が大きく響き、周りにいた人々が一斉にこちらを見た。
生活費はもちろんだが、聖都――莉子のかつていた大陸における王都に相当する街だ――にすら送ってもらえないとは。
ミーシャの手が弱々しく莉子の服の裾を摘む。
首を振り、やめて、と目で訴えてくるが、こんなのは到底納得がいかない。
居心地の悪そうな態度を続ける職員を睨みつけると、彼は呆れたように息を吐いた。
「あんた、この辺の人じゃないのかい。……勇者さん、あんたウチに何回来てるか覚えてるかい」
「え、ええと……去年にも訪ねたような……一昨年もでしたっけ」
「五回だよ。全部、落とし物を届けにな」
莉子は思わずミーシャを二度見した。
当の本人は、褒められたとでも思ったのか、えへへ、と誇らしげに笑っている。
「去年の秋には、隣村の井戸さらいを手伝ってたそうじゃないか。その前は、街道の荷馬車が溝にはまったのを一日がかりで引き上げてたな。……で、あんた、自分の役割は分かってるのかい」
ミーシャの笑みが、すう、と引っ込んだ。
「人助けはもちろん真っ当な行いだとは思うがね。あんたにはそれ以上に大事な仕事があるだろう。それを言うに事欠いて路銀を失っただなんて。……というか勇者さん、あんた仲間がいたはずだろう。その人達はどうしたんだ」
痛いところを突かれたというように、ミーシャは「いやぁ」と作り笑いを浮かべる。
「その、置いていかれてしまいまして」
「……はあ? まったく話にならんね。どうぞお引き取りを」
「ちょっと、さっきから聞いてれば何なのその態度は? ミーシャの悪口ばっかりじゃない。彼女はこの大陸の勇者、人類の希望でしょ!? その彼女を相手に何も動けないっていうのはどういう了見なのよ!」
「——もう、そこまでにしてください」
感情をむき出しにする莉子を、ミーシャが静かに制した。
「でも……」と尚も食い下がる莉子に困ったような笑みを浮かべて、彼女は職員に一礼した。
町役場の建物を出ると、外はすでに茜が差していた。
眩しそうに手庇をつくるミーシャの表情は、あんなことを言われた後だというのに、穏やかなものだった。
「あなた、あんなこと言われて悔しくないの」
「うーん、まあ、事実ですからねぇ。勇者の身で足を引っ張ってるのは事実ですし」
でもね、と彼女はこちらを見た。
「困ってる人を放っておけないじゃないですか」
その目には、信念とも言うべき光が宿っているように見える。
「……でも、結局のところ、お金がないことには変わりないでしょうよ。どうするつもりなの?」
そう言うと、ミーシャは打って変わって分かりやすく狼狽した。
思い切り青ざめた顔で頭を抱える。
「あ、ああ、どどど、どうしましょう……」
「何やってるんだか。……そしたら、ウチに泊まる?」
「えっ……!」
莉子の救いの手に、今度は目を輝かせた。
ルミィも中々だが、この子はその比じゃないくらい表情豊かだな。
でも、と莉子は人差し指を立てて見せる。
「もちろんタダってわけにはいかないわよ。ちゃんと昼間は店を手伝うこと」
「え゛! お店をですかぁっ!? えーと、あ、私、勇者なんですけど!」
「何都合のいいこと言ってんのよ。困ってる人は放っておけないんでしょう? さっき自分で言ったばかりでしょうが」
「困ってるって、一体誰が……」
おずおずと迷うように宙を浮いた指先で、首を傾げながら莉子を指した。
「あなたが?」とでも言いたげな表情だ。
「そ、私たち。寝床もだし、働いてくれるならまかないも用意するわよ」
「うわっ、高待遇……。でも、私に店員さんなんて出来るかなぁ」
「まあ、あなたにとっては仮の宿みたいなもんだし、そんな肩肘張らなくてもいいよ」
そこまで言うと、ミーシャは自信なさげに頷いた。
「その、宿だけでなくお食事までいただけるなんて願ってもないお話ですし、私なんかで良かったら……」
「じゃあ決まりねっ! そうと決まればさっさと帰りましょ」
「あ、あのっ!」
ひときわ大きな声に、少し先を歩いていた莉子は思わず後ろを振り返った。
そこには夕日を受けて赤く染まったミーシャが、それまで俯いていた顔をぱっと上げて、莉子の目を真っ直ぐと見つめた。
「どうして、そこまでしてくれるんですか。私なんて、その辺に放り捨ててしまってもいいでしょうに」
「放り捨ててほしいの?」
「い、いや、その、言葉の綾ですけど!」
少女はブンブン、と否定するように両手を振る。
(どうして、か)
朝、はじめてミーシャと出会ったとき。
仲間に置いていかれたことを、何でもないことのように語ったときの表情。
理解が出来ない。なんで、そんなに簡単に繋がりを手放せるんだ。
彼女の行動が、莉子の胸をざわつかせる。
なんでこんなに苛立つのかは分からない。
それでも、この少女のことをもう少し知りたい。
そんな気持ちが、莉子の中に芽生えていた。
「まあ、勇者のよしみってことで。私の方は元、だけど」
ミーシャは納得いかないという風にぶつぶつ言っていたが、莉子が取り合わないでいると、何かに気付いたように「あっ」と呟いた。
「お名前、伺ってもいいですか。今更ですが、聞いていなかったなと思って」
「あぁ、そうだったっけ。……莉子、よ。もう一人いた小さいのがルミィ」
「莉子さんに、ルミィさん。ありがとうございます。私、頑張りますっ!」
ミーシャは、その言葉とともに弾けるような笑顔を見せ、元気よく駆け寄ってきた。
打算がなかったわけではない。
彼女が加われば、その分店を回す負担も小さくなる。
ヴィエラが復帰すれば、陽菜を追う算段が付けられるかもしれない。
しかし……。
『貴方なんかに、託すんじゃなかった』という昨夜の言葉が頭に響く。
彼女は、リリーに戻ってきてくれるだろうか。
……正直、まだ問題だらけだ。
だが、ここで止まるわけにはいかない。
決めたのだ。何があっても陽菜を連れ戻すと。
だから今は、一つ一つやるべきことをやっていこう。
きっとその先に、進むべき道が続いている。
莉子は先を歩くミーシャの背を追いかけ、喫茶リリーへの帰路につくのだった。




