第8話 ③
この世界には五つの大陸が広がっている。
それぞれの大陸は海で隔てられ、多少の交易や人の往来はあるものの、基本的には生まれ故郷の大陸で一生を過ごす者が大半だった。
そして各大陸では、土地柄によって規模の差はあれど、古より続く争いがある。
人類と魔族——相容れぬ種族同士の、血で血を洗う忌まわしき戦いである。
かつては両陣ともに万の兵を集め、その巨大な力をぶつけ合っていた。
戦火は次第に女子供、老人といった銃後の民へと伸びていく。
家族を焼かれ、友人を嬲られ、黒く淀んだ怨嗟は大陸中の土地を赤く染めてもなお余りあるほどに積もり続けていった。
そんな終わりのない闘争は、ただ人と魔の死体を重ね、資源を枯渇させ、大地を細らせていく。
無限に続く苦しみの果て、それぞれの勢力は、己が陣営の命運をある一人に委ねた。
世界に広がる五つの大陸。
いつしかどの大陸にも、こうして示し合わせたかのように人魔それぞれの極致とも呼ぶべき存在が現れる。
——それこそが、勇者と魔王である。
つまるところ、勇者や魔王という存在は、この世界で唯一のものではない。
大陸が違えば、別の勇者、魔王と会ったとしても不思議ではないのである。
そして今、莉子とルミィの前に立つ少女ミーシャは、自らを勇者と名乗っていた。
「つまりあなたは、このエルピス大陸の勇者ってこと?」
莉子が問うと、ミーシャはなぜか居心地悪そうに頬を掻いた。
「ま、まあ……」
「なんでそんな歯切れ悪そうなの?」
もしかして嘘を吐いている?
いや、さっき見せたあの緑色の光——あれは間違いなく、勇者にしか顕現させられないレガリアだった。
現実の武器とは違って魔力で編まれたそれは、他人がおいそれと盗めるようなものでもない。
様子を見守っていたルミィが「そういえば」と口を開いた。
「ミーシャ、さん。勇者だと仰るなら仲間はいらっしゃらないのですか? いくら力を得ているとはいえ、お一人で魔王に立ち向かっているわけではありませんよね」
「あ、あははは。痛いところを突いてきますね……」
冗談めかすように笑うミーシャ。
乾いた笑いが続いていたが、やがて「はあ」と深いため息をついたかと思うと、さらに衝撃的な事実を打ち明けてきた——。
「——仲間に置いていかれたぁっ!?」
莉子とルミィの声が見事にハモって店内に響き渡った。
二人の驚愕をよそに、ミーシャは情けない作り笑いを浮かべている。
「はい……。数日前ですけど、朝起きたらみんないなくなっていて。前日に色々あって『お前にはもうついていけない』って言われたので、嫌な予感はしていたんですけどね。私の荷物以外、路銀も何もかも持っていかれちゃいまして。手持ちのお金なんてたかが知れてますから、すぐ底を尽いて、こうして行き倒れることに……」
「な、なんて酷いことを……!」
ルミィが両手で口を覆い、本気で心配するような顔をした。
確かに、いくらなんでも非道すぎる。仲間同士の諍いなんてよくある話ではあるだろうが、よもや勇者のパーティーでそんなことが起きうるのか?
よほど決定的な亀裂や、凄惨な裏切りがあったに違いない。
「一体、何をされたの? 神殿の権力争い? それとも、報酬の分配で揉めたとか?」
「え? いえいえ、そんな大層なことじゃないんです!」
深刻な顔で問い詰める莉子に対し、ミーシャは両手をぶんぶんと振って否定した。
「私が悪いんですよ。道端で荷車が壊れて困っているお爺さんがいたり、木から降りられなくなった猫ちゃんがいたりすると、どうしても放っておけなくて……。そのたびに立ち止まっちゃうから、旅の予定が全然進まなかったんですよね」
「……は?」
「『俺たちは世界を救う大義のために旅をしてるんだ! 誰にでも解決できるような些事にかまけてる暇はない!』って、魔法使いの男の子にすっごく怒られちゃって。えへへ」
えへへ、ではない。
莉子はこめかみを押さえた。
要するにこの少女は、目の前の困っている人間を無視できずに寄り道を繰り返し、結果として愛想を尽かされたのだ。
一つ一つは素晴らしい行動かもしれない。しかし、何でもかんでも手を出していたら、自分の目的は果たせないまま停滞しているのと何ら変わりはない。
ましてや、それが勇者という重責を背負った者ならば尚更だ。
とはいえ、人情としては理解できる。
そうやって、何でもかんでも救おうとする意志こそが、きっと彼女が勇者たるに相応しい素質を持つ理由でもあるのだろう。
それに、勇者が勇者なら、仲間も仲間だ。
一体どれだけの不満を抱えていたのかは分からないが、勇者なくしてどう魔王を倒すというのか。
余程自分たちの力に自信があるのか、それとも……。
「……はあ。勇者だっていうのに仲間に置いていかれるなんて、相当よ」
「いやぁ、返す言葉もありません。……でも、彼らの言い分も正しいんです」
莉子の憤りの混じる語気を、ミーシャはふんわりとした、しかしどこか芯のある声で遮った。
「魔王討伐という大義のために、一日でも早く進まなければならない。彼らには彼らなりの正しさがあるんです。だから、足手まといの私を置いていくのは、とても合理的な判断なんですよ」
少女の顔には、自身を見捨てた仲間への恨み言も、置いていかれたことへの悲壮感も一切なかった。
自分を拒絶した相手の選択を、彼女は一切の執着を持たずに、いっそ清々しいほどあっさりと許容していた。
(——なんだ、こいつ)
そのミーシャの底抜けの執着のなさを目の当たりにした瞬間。
莉子の胸の奥を、細い針でチクリと突かれたような、名状しがたい不快感が走った。
なぜ怒らない。なぜ追いすがらない。
そんなに簡単に、他人の選択を受け入れて手放してしまえるのか。
——今度こそ、絶対に連れ戻す。
つい先ほど、羅針盤を前にそう誓ったばかりの己の黒い熱が、ミーシャのあっけらかんとした態度の前に引きずり出され、真っ向から否定されたような錯覚を覚える。
「……随分と、聞き分けがいいのね」
「ん? どうしました、急に怖い顔をして」
「……ううん。別に」
莉子はふい、と顔を背けた。
自分には絶対にできないことを息を吐くようにやってのけるこの少女に、莉子は無自覚な反発と苛立ちを覚え始めていた。




