第8話 ②
「美味しい……美味しいですぅ……えぐっ、えぐっ」
流石に店の正面で行き倒れた少女を見捨てることも出来ず、二階の莉子の部屋まで連れていった。
莉子が塩で味を整えただけの質素な麦粥を用意すると、ベッドに腰掛けた少女は涙を流しながら必死に匙を動かしていた。
「そ、それはよかった……まだ余ってるけど、食べる?」
「いいんですかぁっ!? むぐっ、はぐはぐ……ゔっ、ごほ、ごほっ」
「ちょっともう、ゆっくり食べてくださいよ」
少女は勢いよく食べすぎてむせてしまう。
付き添ってくれたルミィは、そんな彼女の隣に座り、その背中をさすっている。
呆れ顔を浮かべてはいるが、その性格ゆえ弱っている人を放っておけないのだろう。
莉子は少女の介抱をルミィに任せ、残りの粥もよそうと、最後には一粒も残さずに綺麗に平らげてしまった。
ようやくひと心地ついたのか、先程まで青ざめていた少女の表情はいつの間にか血色を取り戻し、満足そうな笑みを浮かべていた。
莉子は改めて少女の姿を眺める。
柔らかさを感じる垂れた目。胸元で緩く三つ編みにした髪は、春の陽だまりで芽吹いた若草のような淡い緑を帯びていた。
汚れていた外套を脱がす前には気付かなかったが、その甘い外見からは莉子やルミィとほとんど同じくらいの年頃に見える。
丸襟のケープがゆったりと肩周りを柔らかく包んでおり、彼女のぽわぽわとした空気をそのまま形にしたように愛らしい。
だが、その下から覗くのは、飾り気のない簡素なチュニックと、足捌きを邪魔しない細身のズボンという実用的な服だった。
(旅人、なのかな)
莉子のまじまじと見つめる目線に気付いたのか、少女は少しだけ頬を染めていた。
「ごめんなさい、こんな押しかけるような真似をしたうえに、お食事までご馳走になってしまって」
「いえ、それは全然。でも何であんなところで倒れてたの?」
「あっ、その……路銀が底をついてしまってですね。いやあ、お恥ずかしい」
ルミィと同じ丁寧な口調だが、その見た目も相まってか、より一層柔らかい印象を与える。
その様子に莉子はすっかり毒気が抜かれてしまっていた。
少女は腹が満たされたことで余裕が出たようで、部屋の中を見回していた。
多少の汚れはあるものの、服はそこそこ上等なものを纏っているうえに、顔立ちも整っている。
金を持っていないような身なりには見えないが……。
だが、莉子が質問をするよりも早く、彼女の口が動いた。
「こちらは普通のお部屋みたいですけど、一階はもっと広々としていたような……。何かお店でもやられているんですか?」
「あ、あぁ、実は喫茶店なのよ、うち」
「はえー、喫茶店!」
あまり聞き馴染みのない単語だったらしく、簡単に店のことを説明すると「お洒落ですねぇ」と目を輝かせた。
好奇心に満ちたその表情は、控えめに言ってもとても魅力的だった。
見ている人の気分を自然と和やかにするような、そんな不思議な力がある。
だから、莉子は油断してしまっていた——彼女が衝撃的な一言を放つまでは。
「そんな喫茶店で、なんで勇者が働いてるんですかぁ?」
それはあまりにも唐突な問いだった。
少女の顔には、それまでと一切変わらない笑みが貼り付いている。
それ故に、彼女の言葉は一層な不気味さを帯びていた。
「——っ!!」
莉子とルミィは咄嗟に距離を取り、少女を睨みつける。
(まさか、神殿の差し金……? こんなに早く!?)
だが警戒心を露わにする二人に対して、少女の態度はあっけらかんとしたものだった。
「えっ、どうしてそんなに怖い顔をしてるんですか? だって……」
少女はきょとんとした顔で、首を傾げる。
「さっき持ってた青い剣……あれ、勇者の《誓約の器》ですよね?」
彼女の口から出た単語に、莉子とルミィの空気が凍りついた。
レガリア——神殿で勇者としての洗礼を受ける際、魔王を滅ぼすという絶対の誓いと共に授けられる専用武装の真名である。
それは神殿の中枢に近い者か、あるいは勇者本人しか口にしない秘匿事項だ。
一般の民間人には決して出回らないその言葉が、なぜこの得体の知れない少女の口から出てくるのか。
莉子の背中を、嫌な冷汗がすっと伝い落ちる。
「あなた、もしかして神殿の関係者なの?」
酷く迂闊だった、と莉子は内心舌打ちをした。
追手といえば、あのクラウスのように堅苦しい法衣を纏った神官や、重武装の騎士ばかりを想像していたのだ。
まさかこんな、あどけない顔で麦粥を頬張るような、無防備な旅装の少女が神殿側の人間かもしれないなどと、今の今まで微塵も疑っていなかった。
「そ、そんな目で睨まないでくださいよぅ……。ははぁ、もしかして隠していたんですか?」
「こっちの質問が先よ」
言い放つと同時、莉子の右手に再び青い光の粒子が収束する。
問答無用だ。相手の素性が知れない以上、まずは無力化して拘束するのが一番手っ取り早い。
何よりも、神殿の手の者であれば一瞬の油断が命取りになる。
クラウスのときのような遅れを取ることだけは何よりも避けたかった。
莉子は床を滑るように蹴り、瞬き一つの間に少女との距離を詰めた。
狙うのは細い首筋。刃を寝かせ、剣の腹で打ち据えて意識だけを刈り取る——そのはずだった。
「わわっ、危ないですってば!」
少女は慌てたような悲鳴を上げる。
しかし、その瞳には一切の焦りがなかった。
それどころか彼女は、後方へ逃げるのではなく、あろうことか莉子の踏み込みに合わせて、すり足で半歩前へと出たのだ。
(——っ!?)
完璧な足捌きだった。
懐に潜り込まれ、莉子が目を見開いたその瞬間。
少女の右手に、見覚えのある現象が起きた。
淡い緑色の光の粒子の収束。
莉子の青い剣が、鼓膜を揺らすような甲高い音を立てて弾き返された。
「くっ……!」
ビリビリと右腕を痺れさせる奇妙な反発力。
たまらず後方に跳び退いた莉子は、信じられないものを見る目で、少女の手元を凝視した。
少女の手には、見慣れた青とは違う、柔らかな緑色に発光する細剣が握られていた。
光の粒子から武器を顕現させる、その特異なプロセス。
そして何より、互いの武器が打ち合った瞬間にビリッと響いた、魔力が共鳴するような独特の感覚。
間違いない——。
「……嘘でしょ。あなたのそれ……レガリア!?」
莉子の絞り出すような声に、少女は「ほっ」と息を吐き、手にした緑の武装をクルリと弄んでみせた。
「別に私は隠すつもりなかったんですけどね」
へにゃり、と。
少女は先ほど麦粥を平らげたときと同じような、気の抜けた笑みを浮かべた。
「ミーシャ・ヴェールです。これでも一応、勇者やってます」




