⑤
淡い桃色の髪に、一本の角。
それは紛れもなく、莉子が待ち望んだ親友との再会だった。
二人は寝台の上で、横になったまま向かい合った。
「えへへ、ナイスキャッチ」
「死ぬかと思ったわ!」
突然の大声に、部屋の外で警護していた衛兵が「どうかしましたか」と声を掛けてきたので、莉子がとっさに、
「だ、大丈夫です! すみません」
と言うと、二人で人差し指を唇に当てて、静かに笑い合った。
「……はぁ、もう。登場がダイナミックすぎるでしょ、陽菜」
「わざとじゃないよ。思ったより街の警備が厳しくて、のろのろしてるとバレそうだったんだって」
全力で飛んできたのだろう、陽菜は少し肩で息をしていた。
「それにしても、よくこの場所が分かったね。真っ直ぐ飛んできてたじゃん」
「城壁の外の森から見えたからね」
「え、森からここまで? 何キロ離れてると思ってるのよ。視力化け物すぎない?」
「魔王だよ」
陽菜が不敵に笑うと、その真紅の目が妖しく光る。
この世で最も凶悪な切り返しに、莉子は思わず声を失った。
「でも、良かった。生きててくれて。城が崩れたから、魔王も死んだんじゃないか、ってルミィが」
その言葉に、陽菜がため息をついた。
「いやもう、ほんとギリギリだったよ。セーフハウスに籠って休んでたら、いつの間にか三か月経ってたの」
「セーフハウスなんてあるんだ」
思わぬ魔王の危機管理体制が明かされ、莉子は目を丸くした。
「ふっふっふ、乙女の嗜みってやつだね。……にしても、すごい豪華なお城だね。何かあったの?」
「今日が区切りだったのよ。魔王が消えて三か月。これにて平和宣言、ってね」
「え、私、もう死んだ扱いってこと?」
「公式にはね」
陽菜は拍子抜けしたような顔をした。
「……これからは、自由に動けるようになった、と考えればいいのかな?」
いくら前世の記憶が戻ったとはいえ、魔王としての自分が勝手に殺されたことに少しは怒るかと思っていた莉子は、陽菜のポジティブな解釈に苦笑した。
「まぁ、そうとも捉えられるかもしれないけど。でも陽菜、あんたのその角」
莉子は陽菜の頭に生える角を指さして言った。
瞳の色は百歩譲って誤魔化せるかもしれないが、角はどう見ても魔族の特徴である。
そんなものを振りかざしながら歩いていたら、とてもじゃないが悪目立ちしてしまう。
「たしかに、これは……。うーん、隠せなくはないけど」
「え、隠せるの? じゃあそれでいいじゃん」
でもさ、と陽菜が続けた。
「やっぱこれがあると、威厳が出るんだよね」
「またそれかっ。陽菜が捕まったら私にも被害が及ぶんだけど!」
莉子が、駄々をこねる子の母の如く叱ると、陽菜は目を潤ませる。
「でも、守ってくれるって言ってたよね……?」
きゅるん、という効果音が聞こえそうな上目遣いで、そんなことを言った。
「他人の振りするぞ。……それに、見えなくたっていいじゃない」
「……?」
少し後半の声がしぼんだ莉子の様子に、陽菜が疑問を浮かべる。
「その、私はちゃんと見てるから。陽菜のこと」
言った本人である莉子の顔が赤くなり、陽菜が咄嗟にからかうように肘で小突く。
その彼女の耳まで少し赤いように見えて、莉子は余計に視線の置き場に困った。
そうしてひとしきり再会の盛り上がりが落ち着いた頃、莉子の声のトーンが下がった。
「とはいえ、王都は魔王討伐の声がすごく大きかった街だし、いくら偽装しても陽菜がずっといるのは危ないかも……」
万が一、何かのきっかけで正体がバレたりしたら、文字通り何が起きるか分からない。
しかし陽菜はいたずらっぽく笑って、予想外の提案をしてきた。
「じゃあさ、王都を出ちゃおうよ」
「えっ」
陽菜はいたずらっぽく笑っている。
「あれからずっと考えてたの。莉子ちゃんと一緒にいるにはどうしたらいいのかな、って。何せ世間では宿敵同士だからね。――だったら、その『世間』から離れればいい」
「世間って、でもこのユーレカ大陸じゃ私たちのことを知らない国なんてないんじゃ……。え、まさか、外の大陸に行くつもり?」
恐る恐る聞いた莉子に、我が意を得たり、と陽菜は頷いた。
「ご明察! ちょっと目をつけてるところがあるんだよね」
「でも、他の大陸ってことは、そこには」
「そう。別の魔王がいる」
王がそれぞれの国にいるように、この世界では大陸ごとに異なる魔王がいる。
そして、どの大陸でも、人間と魔族の争いが繰り広げられていた。
ユーレカ大陸では、先の莉子と陽菜の決戦で幕を閉じたが、他の大陸では人魔それぞれの勢力は拮抗しているはずだ。
外へ出るということは、今の平和を捨てて、また危険な世界へと自ら入っていくことに他ならない。
でもね、と陽菜は続けた。
「人間と魔族の争いの激しさには、大陸ごとに差があるの。それでね、エルピス大陸なんてどうかなって」
「エルピスって、ユーレカのほぼ真裏にあるっていう?」
「うん。あそこはそもそも大陸が広いこともあって、お互い資源もあるから争う理由があまりないんだって。もちろん、ゼロではないみたいだけどね」
この世界は広大だ。
正確な地図があるわけではないが、これまで色々な人から聞いた話では、大雑把に見積もっても地球より遥かに大きい。
しかし主な交通手段が馬車移動の世の中だ。飛行機なんて上等な移動手段があるはずもない。
この世界の住人は、生まれた大陸で一生を過ごすのが大半だった。
莉子は黙り込む。
物理的には、移動は可能だろう。空路はないが、海路で大陸外に行く手段があるという話は聞いたことがある。
だが、本当の懸念はそこではない。
莉子の中には、まだ一歩踏み出せないだけの理由があった。
「私、この大陸の勇者なんだよ。それなのに、外へ行くなんて、許されるはずがない」
ぽつりと呟く莉子の言葉をしっかりと受け止めるように、陽菜は真剣な目を向けていたが、やがて小さく首を振った。
「……それは違うよ、莉子ちゃん。だって、あなたはもう、勇者じゃない」
はっきりと告げられた否定の言葉に、莉子の喉から驚きともつかない小さな声が漏れた。
冗談やからかいで言っているわけではない。陽菜の声は真摯だった。
「あの日、勇者に斃されて魔王は死んだ。今の私は、ただのアリシア・ノワール。そしてそれは莉子ちゃんも同じだよ。今は、ただのリゼット・ブランなの」
莉子の脳内に、祝典での王の言葉が蘇る。
『本日まで『勇者』の務めを果たしたこと、大義であった』
そうか、と莉子は気付いた。
(私はもう、『勇者』じゃないんだ)
これまで『魔王を倒すことが使命』と教えられ、そのために生きてきた。
それ以外のことなんて考えもせず、ましてや、その先の未来のことなど。
「……これからは、自由になってもいいのかな」
莉子の口をついて出たのは、それまでずっと胸の内に秘めながら、それでも言えなかった思いだった。
今まで言うまいと張り詰めていた心の糸が、自然と切れていくような感覚。
そして、一度溢れ出た感情はもう抑えることが出来ない。莉子の頬を涙が伝った。
俯く莉子の身体を、陽菜がそっと包み込む。
すべてを受け止めるような、優しい温もりだった。
言葉はない。
ただ静かな嗚咽だけが、部屋を満たしていた。




