④
そして、魔王城。
勇者リゼットが魔王アリシアを討ち取らんと、剣を振りかざしたその時点に、二人の意識が同時に戻ってきた。
「――っ」
「――!」
二人の視線が、わずかな静寂の中で交差する。
お互いの瞳の中に、先程の記憶が確かに残っていた。
「リゼ様! 何をしているのですかっ。早く、魔王の首を!」
離れたところからルミィの叫び声が届く。
ガランとサイラスも二人の行く末を見守っていた。
もう時間は残されていない。
莉子は、声を出さずに口だけで、
(合、わ、せ、て)
と伝えた。
陽菜は口を引き結び、目だけで頷く。
「もう逃げるなよ、魔王! 覚悟っ!」
そう叫んで、莉子はあえて隙を作るように、剣を一度下ろしてから、ゆっくりと振り上げる動作に入った。
それは、陽菜にとって十分すぎるほど長い時間。まして、彼女の得意とする闇魔法を使うには、絶好の空白だった。
陽菜はほとんど枯渇した魔力を振り絞り、自身の身体を魔力の霧に包み込む。
そしてその直後、剣が振り下ろされる。
陽菜が倒れていた場所を、高速の刃が横断した。
だが、その一撃は虚しく空を切り、振り抜いた後には、魔王の姿は影も形もなくなっていた。
◇
勇者一行は、ほどなくして魔王城を離れ、王都への帰路についた。
魔王がまだ近くに息をひそめているかもしれないと、しばらく四人で捜索していたが、途中で謁見の間が崩れ始めたのだ。
それどころか、魔王城全体がその構造を維持できず、まるで地震のように床や壁に亀裂が生じていた。
「魔王が死に、魔力が供給されなくなったのかもしれません。崩壊する前にここを脱出しましょう」
ルミィの一言に拒絶する者は、誰もいなかった。
そうして、三ヶ月が経った。
勇者一行は無事に出発地であったオルディス王都へと帰還し、盛大な歓待を受けることになる。
魔王城崩落という事実はあれど、直接魔王を討伐したわけではない。
どこかでまだ生きているのではないかという意見もあったが、魔族の動きが明らかに鈍ったことで、民衆は徐々に希望を抱くようになった。
そして、今日がその節目。
勇者たちは、王城の玉座の前に跪いていた。
周囲には文官や貴族が大勢見物に訪れ、そこかしこで歓びの声が上がっている。
定刻になり、王が玉座から立ち上がった。
その動作だけで、賑わっていた場の空気が水を打ったように静まり返る。
静寂の中、王の厳かな声が響いた。
「面を上げよ、勇者一行。あの決戦の日から三つの月が流れた。魔王城崩壊の報以来、魔族の侵攻は止み、各地には平穏が戻りつつある」
王は玉座の上から、莉子たちを真っ直ぐ見下ろした。
「――本日この日をもって、余は魔王の消滅を正式に宣言する」
謁見の間にどよめきが走る。だが王は構わず言葉を続けた。
「お前たちは死地を越え、世界を救った。その功績を称え、国を代表して褒賞を授ける。さらに、本日まで『勇者』の務めを果たしたこと、大義であった」
合図とともに側近たちが進み出て、褒章の載った包みを捧げ持った。
莉子が代表してそれを受け取り、深く頭を垂れる。
その瞬間、張り詰めていた空気が弾け、謁見の間は歓声と拍手に包まれた。
誰もが平和の到来を信じ、笑みを浮かべていた。
◇
王城の広大な敷地の中の一角。
莉子たちは、それぞれに客人用の部屋を割り当てられ、一晩を過ごすことになった。
謁見の間での式典が終わり、その後も何人もの見物客たちが個別に祝いに来るものだから、部屋につく頃には莉子は憔悴しきっていた。
仲間たちとも部屋の前で別れ、扉を開けると、香油の匂いとともに、豪華な内装が出迎えた。
大窓の外がバルコニーになっていて、街の灯がぽつぽつと光っているのが見える。
少し夜風に当たろうと、莉子はその窓を開け放った。
澄み渡った新鮮な空気が流れ込み、一日の疲労をほぐしてくれる。
バルコニーの手すりにもたれ掛かり、莉子は空を見上げた。
深い藍色の中に、無数の星が瞬いている。
「……今まで気にしたことなかったけど、この世界って星がこんなに見えるんだ」
記憶が戻る前はこれが当たり前だったが、眠らない大都会の空を思い出した後だと、かえって新鮮さがあった。
そしてその記憶の片隅には、いつも彼女の姿があった。
「陽菜……」
莉子は深くため息をつく。
あの決戦以来、莉子とは会っていない。
ルミィが「魔王が死んだから城が崩れた」と言ったときは、無表情を保つのが限界なくらい動揺した。
「まさか、本当に死んだなんてこと……」
夢の中でお互いに記憶を取り戻して、今度こそ、と誓いあった。
それなのに、ここで終わりだなんて、莉子は信じたくなかった。
もう一度手すりにつき、今度は腕の中に顔を埋める。
そのときだった。
夜風の音に混じって、ばさっ、と大きな翼が空気を動かしたような音が響く。
莉子は咄嗟に顔を上げた。
視線の先、バルコニーを超えた先の彼方から、蝙蝠のような翼を生やした人影が向かってくる。
最初は点のように小さかったそれが、急速に輪郭が掴めるくらいに大きくなる。
「ちょ、ちょっと、速すぎ――」
飛行機もかくや、という速度で飛来する影に、莉子は急いで体勢を整える。
そしてそれは真っ直ぐと、莉子の身体へ飛び込んできた。
莉子は反動で後ろによろめき、そのまま寝台へ仰向けに倒れ込む。
顔だけ横に向けると、そこには、同じようにブランケットの上に突っ伏す少女の姿があった。




