①
一年前――。
禍々しい彫像が並び、闇が支配する空間。
ユーレカ大陸の最北に位置する魔王城、その最奥にある謁見の間。
常人なら片時も保たないくらい濃密な魔の空気が場を支配する中で、激しい剣戟の音が響いていた。
勇者リゼット・ブランは、彼女の前に立つ魔王アリシア・ノワールを討ち取るため、ここまで旅を続けてきた。
その戦いも大詰め。
すでに多くの幹部を失った魔王は、地の利を生かした闇魔法を駆使しながら対抗しているが、勇者一行の切れ間のない連携に徐々に追い込まれていった。
「――っ!」
影で覆われた姿からはその全貌を掴めない。
だが、外套で隠された表情の奥に、魔王は確かに焦りの気配を見せた。
人外の象徴たる側頭の禍々しい角が、小さく揺れる。
「やああぁぁーーーっ!!」
リゼットは畳み掛けるように魔王へと急接近する。
大きく振りかぶった剣が、勇者の魔力に呼応して薄く光を帯びる。
そして、音すらも置き去りにするような目にも留まらぬ速さで振り下ろされる刃 ――それが、すんでのところで虚空を切った。
数瞬前までそこにいたはずの魔王の姿が、靄のように消えている。
魔力による認識阻害、魔王が得意とする闇魔法の一つだった。
深淵の闇を思わせる重圧すらも跡形なく消え、その空白がかえって不気味な予感を与える。
束の間の静寂。その間に、リゼットは自身の目と、魔力による気配察知の両方で瞬時に周囲を探った。
それは、時間にして一秒もない。しかし、その一瞬が命取りだった。
リゼットのすぐ後方。彼女の死角に現れた魔王が、その両手に構えた大剣に魔力を込め、背中へと切りかかった。
魔力によって加速された刃は、気付いたときにはすでに避けられない位置にまで達している――。
――ドゴォォォオオン!
リゼットの身体が軽々と吹き飛ばされ、その勢いのまま遥か上空の天井へと激しく打ち付けられた。
巨石同士が衝突したかのような破壊の音が鳴り、瓦礫とともにリゼットが重力のまま落下する。
「リゼ様ーーっ!」
杖を持った少女が悲鳴をあげ、リゼットのもとへと駆け寄った。
大剣に刻まれた深い傷からはとめどなく血が溢れ、壁や床の打撲痕が赤黒く肌を染めている。
攻撃を受ける直前に魔力のベールで自身を覆ったのか、幸い致命傷は避けているようだった。
「リゼ様! すぐに治療しますっ」
「ぐ、っはぁ……はぁ……。ありがとう、ルミィ」
ルミィ・アジュールはリゼットの手を握り、精神を研ぎ澄ます。
すると温かな光がルミィの身体から溢れ出した。
その光がリゼットを包み込み、彼女の負った傷がたちまち塞がっていく。
しかしその回復を妨げるように、今度は魔王が左手を高く掲げた。
その手に強大な闇の魔力が渦巻き、密度を増しながら高速に回転する。
その魔王とリゼットたちの間に屈強な騎士と弓使いが立ちふさがった。
「ガラン、サイラス……」
「無理に喋らなくていい、リゼット殿。今は回復に専念するのだ」
「そうそう、ここは任せて、二人とも!」
これまで何度も命を預けてきた仲間たちがリゼットの側につき、魔王の攻撃に備えた。
魔王の魔力が一点へと集中し、それが限界まで圧縮される。
しかし、それを放つ前に、魔王は膝をついた。
「くそっ、なんで――」
高密度な魔力の渦が、その形を維持できずに霧散する。
追撃するだけの力は、もう残っていないように見えた。
「……」
「……」
リゼットと魔王、二人の視線が交差する。
お互い、全力でぶつかることが出来るのは、せいぜいあと一回。
それは、次の一撃がこの戦いの最後になることを意味していた。
「っ、リゼ様、いけません。まだ立っては」
「大丈夫」
ほとんど動かせない身体を無理やり起こそうとするリゼットを、ルミィが必死に止める。
しかしリゼットはそれを制すと、その強靭な精神で立ち上がった。
内臓を傷つけたのか、その口からは血が漏れ、剣を握る腕は小刻みに震えている。
だが、その瞳には狂気にも似た決意の光が、煌々と灯っていた。
その様子にルミィも他の仲間たちも声を失い、前に出るリゼットをただ見送るしかできない。
リゼットはゆっくりと前進し、やがて魔王と対峙した。
「お前を倒し、世界に平和を」
「黙れ、人の世に未来などない――」
そして二人が剣を構える。
もう小細工をする余裕はない。ただ、剣と剣のぶつかり合い。
どちらからともなく地を蹴った。
――そして、一閃。
しばらく、時間が止まったように固まる二人。
先に崩れたのは、魔王だった。
大剣とともに床へ沈む鈍い音が、広大な空間に虚しく響く。
そして再び、静寂が戻ってきた。
「やった、のですか……?」
一番最初に出てきたのは、ルミィの遠慮がちな声。
それに続くように、ガランとサイラスの息を吐く音も聞こえてきた。
リゼットは今にも倒れそうな身体を何とか剣を杖代わりに支え、床に伏す魔王のもとへと近づいた。
その全身を覆っていた魔力の靄は消え、静かに横たわっている。
二本の角の片方は、最後の一撃で失われていた。
「私の負けだ。さあ、殺せ」
「言われなくても……っ」
リゼットが魔王のすぐそばに立つと、その目が弱々しく開かれた。
ゆっくりと剣を持ち上げると、謁見の間の燭台の灯が、剣先を明るく照らした。
魔王は床に手を付きながら、ふるふると上体を起こす。
その一連の動作の途中、頭を覆う布が滑り落ちた。
そのとき初めて、彼女の顔が暗がりに浮かび上がる。
薄紅の真珠のような艶をもつ淡い桃色の髪に、魔族特有の真紅の瞳。
数百年を生きると言われるにも関わらず、その顔はあどけなく、しかしその目は深い寂しさを含んでいた。
本来ならば知るはずのない彼女の顔。
それなのに――。
リゼットは頭の内に名状しがたい違和感を覚え、振り下ろしていた剣先を無理やり止める。
「え……」
先に声が出たのは魔王だった。
なぜ突然その手を止めたのか理解できないといった風に、目を丸くしている。
そしてその瞬間、二人を強烈な頭痛が襲った。
キィィン、という高い金属音が脈打つように鳴り響き、それは呆気なく二人の意識を刈り取っていった。




