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第6話 ①

 港町セルリアを一望する丘の上。

 

 心もとなく光を揺らす街灯が、莉子と陽菜の二人と今しがた現れた男、それぞれの姿を照らし出している。

 勢いの衰えない雪はとうに地面を覆い、身体の芯から熱を奪っていく。

 雪が周囲の音を丸ごと包み隠し、世界から他のすべてが消えてしまったようにさえ錯覚してしまう。


 人間と魔族の間で自分の居場所を見失う陽菜と、正義の名のもとに親友を傷つけた莉子。

 しかし、その二人のすれ違いすらも飲み込むほど、男の存在は大きく、不気味な威容を放っていた。


 白い法衣に、首元の聖印。

 浄夜祭の露店主と話していた神官と同じ(しるし)だった。

 それは同時に、莉子やルミィの旅立ちの地である王都オルディスの神官の証でもある。


 そして——。

 今度は遮るものもなく、街灯がその男の顔を浮かび上がらせる。

 それは、莉子のよく知る人物であった。


「ク、クラウス先生——っ!」


 上擦った声を出す莉子とは対照的に、男は固く口を引き結び、その表情は岩のように全く動かない。

 

 クラウス・ベルンハルト。神官でありながら武術や魔術にも秀で、それ故に莉子やルミィに戦いの技術を仕込んだ、かつての師匠である。

 痩せぎすの長身に垂れた瞳は、ともすれば事情を知らぬ者に優男(やさおとこ)のような錯覚を抱かせるが、その穏やかな風貌とは裏腹に、中身は厳格が服を着て歩いているような堅物だ。


 まさか、露店で見かけた神官がクラウス先生だったとは……。

 あのときはもしかしたら単なる外交目的なのではという淡い期待もあったが、こうして目の前に立ちふさがってきた以上、彼の目的は確定してしまった。


 莉子にとって一番望ましくない形——すなわち、勇者リゼットの捜索。


 しかも、それをあろうことか陽菜と一緒にいるときに遭遇するとは。

 いや、先ほどクラウスは『魔王アリシア』とはっきり呼んでいた。


 つまり、全部分かっていた?

 だとしたら、なぜ今まで動かなかった。いつでも踏み込めたはずなのに、何を待っていたというのか。


 目の前の状況を呑み込めないまま、莉子は思わず後ずさりした。

 踏み込んだ足が雪に沈み、ざくっ、と音を立てる。


 それに反応するように、目の前の男はゆっくりと鋭い眼光で莉子を睨んだ。


「答えろ、リゼット。なぜ王都を抜け、こんなところにいる。それも、討つべき魔王とともに」


 莉子の横目に、陽菜の頭の角が映る。

 外気に冷えた汗が頬を流れるのを感じながら、莉子は彼女を背に庇うように立った。


「……なぜ、彼女が魔王だと」

「忘れたのか。私の目は魔力の流れを視る。これほど強大な魔力を巻き散らしていれば、その素性も居場所も間違えようがあるまい。……さあ、私の質問に答えてもらおうか」


 異能(ギフテッド)、という言葉が脳裏をよぎる。

 彼の前では魔力の隠蔽も、それを利用した攻撃だって意味をなさない。


 いや、そもそも今の陽菜に、己の気配を隠匿するような正常な精神などあろうはずがなかった。


 迂闊だった。

 これほど呆気なく、追手に辿り着かれるとは。


「そ、それは」


 肌が粟立つ嫌な感触と、足元が崩れるかのような眩暈が同時に莉子を襲う。

 

 朧げな街灯の下で、クラウスの双眸が爛々と光って見える。

 誤魔化しは効かない。下手を打てば、何をされるか分からない。そんな強烈な殺気がにじみ出ていた。


 凍えてほとんど感覚を失った拳を握りしめる。

 止むを得ない——。


 そうして、口を開きかけたとき。


「何をっ、しているっ!」


 丘の広場の入り口。

 クラウスを挟んでちょうど莉子たちと反対側から声が響いた。


 そこには、息を切らしながらこちらを見る、ヴィエラの姿があった。

 鬼気迫る表情で目の前の白法衣を睨む彼女の後ろには、同じように肩で息をするルミィが立っている。

 

 男が背後を取られたことに気づき振り返るときには、ヴィエラは虚空から大鎌を取り出し、地面を蹴り出していた。


「——っ、ヴィエラ、待って!」


 神官の正体に気づいたルミィがとっさに呼び止めようとする。

 しかし勢いは止まらず、ヴィエラは瞬く間にクラウスに肉薄した。


 常人であれば、目で追うことすらやっとの攻撃。

 魔力を帯びてその威力を何倍にも増した刃が、死神のごとく無防備な喉元へ迫る。


 だが——。

 ガキィィン、という硬質な音がした。

 降り下ろされた鎌の衝撃で、雪とともに、その下の地面までもがめくれ上がる。

 

 すさまじい突風が雪煙となって、莉子の顔を打ち付けた。

 思わず背を向けて、陽菜に覆いかぶさるような形になる。


 やがて、耳鳴りのような甲高い音が収まり、視界が晴れた。


 ヴィエラの身長ほどもある大鎌は、クラウスの首のわずか指一本という位置で、完全に静止していた。

 それはまるで、見えない壁に阻まれているかのような奇妙な光景だった。

 

「……ぐっ」

 

 彼は振り返った姿勢のまま、手足一つ動かしていない。

 自分の攻撃がまるで歯が立っていないことに、ヴィエラが苦々しい顔を浮かべる。

 

 そしてそんな彼女を鼻で笑い、クラウスはルミィを見た。


「久しいな、ルミィ。貴様も魔族と仲良しごっこか?」

「……っ」


 暗がりでも分かるくらい、ルミィの狼狽が伝わった。


「神官風情が、私を愚弄するか!」


 ヴィエラの咆哮が響く。

 渾身の一撃を易々と止められた屈辱。莉子の肌にも、彼女の激情が痛いほど伝わってくる。

 

 だが、その叫びに対し、クラウスはただ鬱陶しそうに一瞥をくれただけだった。

 右の人差し指が、虫でも払うかのように無造作に振られる。

 

 直後、ドンッ、と空気が爆ぜた。

 見えない巨大な槌で殴られたかのように、ヴィエラの身体が真後ろへと弾き飛ばされる。


「ヴィエラ!!」


 ルミィの悲鳴。それと同時に、彼女の唇から高速の詠唱が紡がれた。

 砲弾のような速度で吹き飛んでいくヴィエラの背後には、無骨な岩壁が迫っている。あのまま激突すれば無事では済まない——!


 激突の刹那。ヴィエラの背中を受け止めるように、空中に幾重にも重なる分厚い水の壁が弾け出た。

 大量の水飛沫がクッションとなって、凄まじい勢いを削り取っていく。


 しかし、それでも彼の放った一撃の威力は殺しきれず、ゴッ、と鈍い音を立ててヴィエラの身体が岩肌に打ち付けられた。


 破壊の衝撃に煙が上がり、直後、崖を背に力なくへたり込むヴィエラの姿が見える。

 ゴボッ、という湿り気を帯びた音とともに吐き出された血は、泥濘のように重く暗く地面に広がっていく。

 

 ルミィが雪を蹴立てて駆け寄っていく。

 苦しげに顔を歪めるヴィエラに手をかざすと、暖かな回復魔法の光が彼女を包み込んだ。


「ルミィ。お前はかつて神官を目指すと言ったな。その道を捨て、魔族に与するというのか」

「ちがっ……私は、ただ!」

「ただ、何だ。魔族は滅ぼすべき存在。誰よりもお前が、それを願っていただろう」


 ルミィの肩がびくりと跳ねた。反論しようと開かれた唇が、悔しげにわなわなと震える。

 かつての己の信念と現在の徹底的な矛盾。

 その事実を正面から突きつけられ、彼女の瞳が揺らぐ。


 その沈黙を肯定と受け取ったのか、クラウスは無造作にルミィへと掌を向けた。

 キィィィ、という甲高い音とともに、彼の周りだけ空気の密度が変わったかのような強烈な威圧感が生じる。

 

 それは先ほどヴィエラを吹き飛ばしたのと同じ、不可視の暴力的な魔力が放たれる予兆。


(まずいっ!)


 そう思った時には、莉子はすでに駆け出していた。

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