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第1話 ①

 ある日の営業時間後の喫茶リリー。

 元勇者のリゼット・ブランこと柊莉子と、元魔王のアリシア・ノワールこと有栖陽菜は、二人で正体を隠しながら隠居生活を送っていた。

 

 絶対にこの秘密を守らなければならない。

 だがそう誓った矢先に、まるで二人を嘲笑うかのように運命が動き出し始めたのである。

 

 普段であれば、街の喧騒も遠ざかり、ひっそりと静かに落ち着く店内。

 それなのに、今この場所には、大きな火種が舞い込んでいた。


「ああっ、本当にリゼ様なのですね! 私、ずっと探しておりました」

「ルミィ……」


 莉子や陽菜よりもひと回り小さな身体をぱたぱたと動かし、少女は莉子のもとへと駆けてきた。

 ルミィ・アジュール。小動物のようなくりっとした目と、栗色の癖っ毛が特徴的な、元勇者パーティーの回復術師である。


 莉子がカウンターを出ると、かつてそうしていたように、ルミィは勢いよく莉子に抱きついた。

 かつてのように勢いよく飛びついてきたものの、いつも弾けるような笑顔を浮かべていた彼女の顔には、どこか陰りがあった。


 そしてもう一人の来訪者は、陽菜の前に恭しく跪き、頭を垂れた。


「ご機嫌麗しゅう存じます、陛下。ヴィエラ・ルージュ、ただいま御前に参上いたしました」


 少女めいたルミィとは対照的に、長身で滑らかな曲線を描く身体が妖艶な空気を醸し出している。

 だが、何より目を引くのはその頭部だ。艶やかな髪から突き出た禍々しい二本の角――間違いなく、魔族だった。


「ヴィエラっ、あなた、死んだんじゃ……」

「身を潜め、再会の機を伺っておりました。そこの、憎き勇者どもに復讐するための作戦を練りながら」


 その言葉の直後、彼女の纏う空気が突如重くなった。

 莉子とルミィに向けられた紅い目には、激しい怒りの火が燻っている。


 その視線を受けたルミィは静かに莉子の身体から離れ、懐の杖を構えた。


「……覚えていますよ、その顔。魔王城で散々痛めつけてやったというのに、まだ足りなかったんですか」

「減らず口を……。回復しか能のない小娘に何が出来るっていうの」

「試してみますか。今度こそ惨めったらしく殺してあげますよ」


 二人の視線が空中で激突し、肌が粟立つような殺気が店内に満ちた。

 

 肺が痛くなるほどの重い静寂が降りた、次の瞬間。

 虚空から大鎌を取り出したヴィエラが、地面を蹴り上げ、一気にルミィへと迫ったのである。


 対するルミィも、杖を掲げ、魔法の詠唱を始めた。

 それと同時に、杖の先端に光が収束していく。


 そして二つの攻撃がぶつかろうという瞬間。

 二人の速度を遥かに凌ぐ動きで、莉子と陽菜が割って入った。


 それぞれの攻撃を彼女たちは軽々と受け止めていた。

 

「リ、リゼ様っ、どうして」

「どうしてじゃないよ、何勝手に戦おうとしてるの」

「ヴィエラもだよ。いきなり押しかけてきたうえに、お店を破壊するつもり?」

「いえ……そんな」


 莉子と陽菜の言葉に、二人は一旦矛を収めた。

 しかし、お互いの目には、まだ明確な敵意が揺らめいている。


「リゼ様。納得のいく説明をしてください。なぜ、勇者である貴方が、宿敵であるはずの魔王と一緒にこんなところにいるのですか」


 莉子を真っ直ぐに見据えたルミィの声は、微かに震えていた。


「これには、その、事情があって」

「一体どんな」


 すかさず、彼女は身を乗り出す。


「貴方は勇者。人類の英雄ですよ。魔族は討ち滅ぼすべき絶対悪のはずです」


 その言い回しは、莉子が神殿で何度も聞かされてきたものと、一字一句違わなかった。

 まるで誰かが最初から、勇者と魔王をそう呼ばせるための台本でも配っていたかのように。


 そして再度杖を構えた。今度は莉子に向かって。


「答えてください。理由によっては、リゼ様を拘束しなければいけません」


 相手を鋭く睨みつけながらも、その瞳の奥には行き場を失った感情が所在なげに揺れていた。

 故郷を出発する前から共に旅をしてきた、誰よりも付き合いの長い彼女だ。

 この状況に取り乱すのは無理もなかった。


 その震える杖の前に、陽菜が立ちふさがった。


「気持ちは分かるけど、落ち着いて。私たちの話を聞いて」

「魔族風情が知ったような口を聞くなっ」


 ルミィはパーティーの中では最年少だったが、誰よりも聡明だった。

 下手なごまかしは一切通用しないだろう。


(隠し通したまま切り抜けられるような雰囲気じゃない、か)


 莉子は陽菜と並ぶように前へ出て、ルミィの目を真っ直ぐと見た。


「私と魔王アリシアは、この世界とは違う場所から来たの」

「え……」


 何を言ってるんだ、という目でルミィが莉子を見た。

 当然だ。失踪した勇者が宿敵とともに喫茶店にいたうえに、気でも狂ったのかとでも思っているのだろう。

 

 それでも、もう誤魔化せなかった。


「正確には、前世、かな。私たちは別の世界で生きてた。そこで私は柊莉子、彼女は有栖陽菜っていう、ただの大学生だった」

「別の世界……?」

「信じられないよね。でも本当なの。私は決戦の最後、陽菜の顔を見た瞬間に全部思い出した」


 どうしてあの瞬間だったのか、莉子自身にも分からなかった。

 何年も何十年も何も思い出さなかったのに、まるで誰かが合図を出したみたいに、あの日、あのときだけ唐突にすべてが戻ったのだ。


 ルミィの眉がきつく寄る。

 その隣で、ヴィエラも黙ったまま莉子を見ていた。


「前の世界で、私たちは親友だった。いつも一緒に笑って、ときには喧嘩したりもして。……でも、ある日突然、二人とも死んだ」


 そして、と莉子は続ける。

 

「気づいたら、この世界で別々に生まれ変わってた。私は勇者として、陽菜は魔王として」


 親友だった二人が、よりにもよって勇者と魔王として生まれ直す。


「……今でも分からないの。どうして私たちが、お互いそんな立場になったのか」


 ルミィの唇が、わななく。


「じゃあ、魔王を討たなかったのは……」

「討てなかったんだよ」


 答えたのは、莉子の隣に立つ陽菜だった。


「全部思い出したあとで、昔みたいに莉子ちゃんに名前を呼ばれてさ。それで、ようやく分かったの。私は魔王アリシアである前に、有栖陽菜だったんだって」

「……そんな話」


 ルミィの声は掠れていた。

 莉子は息を呑み、それでも続ける。


「何も言わずに消えたことは、本当にごめん。でも、あのまま王都にはいられなかった。陽菜を見捨てることなんて、私にはできなかったから」


 そこでようやく、ルミィは絞り出すように言った。


「そんな話、到底信じられません」


 ルミィから出たのは、明確な拒絶の言葉だった。

 それに、と彼女は続ける。


「仮にそれが真実だとして、はいそうですか、と今までのことをすべて水に流せと? 仲間や家族が殺されたことも忘れて? 冗談じゃありませんっ!」

 

 握りしめた杖が震え、その瞳からは大粒の涙が溢れ落ちていた。

 これまで抱え込んできたやり場のない感情をすべてぶつけるように、ルミィは声を荒らげた。

 その強い感情に、莉子も陽菜も二の句を継げなくなる。

 

「――っ!」


 そしてルミィは、飛び出すように店を出ていった。

 莉子はとっさに「待って!」と呼びかけたが、扉はそのまま閉まり、からん、というベルの音が虚しく響いた。


(どうすればルミィに話を聞いてもらえるか分からない。それでも、このまま放っておくわけにはいかない――)


 莉子と陽菜の視線が交わる。


「ごめん、ちょっと行ってくる」

「うん、こっちは任せて」


 察しのいい親友に感謝しながら、莉子も追いかけるように店を後にした。

 

 店を出ると、夜風がいつもよりひんやりと頬を湿らせる。

 遥か向こう、丘を下った海の方向に、小さな影が走っていくのが見えた。

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