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第5話 ②

 街の中心へと続く大通りは、すでに見渡す限りの人で溢れかえっていた。

 

 浄夜(じょうや)祭の飾り付けが施された石造りの建物の間を、隙間もないほど無数の出店が埋め尽くしている。

 肉を焼く香ばしい匂いや、甘く煮詰めた果実の香りが冷たい冬の空気に溶け込み、行き交う人々の熱気と笑い声が街全体を包み込んでいた。


「おおう、すっごい人だかりだね。うぅ、さっむ……」


 陽菜は少し身を縮こまらせて、かじかんだ両手に向かって「はあーっ」と白い息を吹きかけた。

 

 それから、どこか眩しそうに一瞬だけ目を細める。

 だがそれも、次の瞬間にはいつもの明るいものに戻っていた。


「もう、薄着してくるからでしょ」


 莉子は呆れてみせるが、確かに寒いことに変わりはない。

 一歩前を歩く陽菜の、白磁器に似た繊細な手が目に映る。

 

 その指先に吸い込まれるがまま、自然と手が伸びた。


「えっ?」

「……これなら、温かいでしょ」


 自分のものより少し冷たいその手を包み込むように優しく指を絡める。

 陽菜は一瞬目を丸くして、それから口元を綻ばせた。


「うん。……温かい」


 きゅっ、と指先が握り返される感覚があった。

 

 互いの指が交差して深く嵌まり、自然と掌と掌が触れ合う。

 まるで二人の境界線が溶けるみたいに、じんわりと陽菜の体温が伝わってきた。


 いつもよりも陽菜がすごく近い。

 いつの日だったか、彼女の部屋で寝顔を見た時のことを思い出す。


(やっぱり、睫毛長いなぁ)


 横顔に覗く、透き通った真紅の瞳に、祭りの灯がきらきらと反射している。

 宝石みたいだ――。

 

 華やかに彩られた街のどんな灯だって敵わない。

 莉子の目は、とっくに縫い付けられてしまった。


 胸の奥の心音が乱れて、甘い痛みの波が広がっていくみたいだった。


(ああ、私、きっともう——)


 目を背けようとしても、心の中で確かな輪郭を持って疼く感情。


 それは、どうしようもないほど甘くて、息が詰まるほど切実な祈りにも似ていた。

 ただ、この手を、この柔らかな灯りを、二度と手放したくない。


 そんな莉子の胸の惑いをよそに、陽菜は繋いだ手を小さく揺らした。


「こうしてるとさ、なんだか大学の頃のこと、思い出すね」


 ふと、彼女が懐かしむように目を細める。


「どうしたの、急に」

「覚えてない? クリスマスにさ、一緒に出かけたの」


 クリスマス。その懐かしい響きに、莉子の脳裏にもかつての記憶がふわりと蘇る。


 あの日も今日みたいに、凍えるような寒さだった。

 華やかなイルミネーションで彩られた街を二人で並んで歩いて、寒さに震えながらコンビニに駆け込んだのだ。


 そして、半分こにしたほかほかの肉まん。

 湯気越しに見た陽菜の無邪気な笑顔と、分け合った温かさは、今も莉子の胸の奥に鮮明に残っている。


「……覚えてるよ。あのとき、陽菜が半分よりずっと大きく割っちゃって、ずるいって文句言ったんだから」

「えへへ、そうだっけ。でも、すっごく美味しかったよね」


 過去の世界の、何気なくて、平和で、ただひたすらに幸せだった冬の日の記憶。

 この世界で二人だけ。たった二人だけに通じる秘密の思い出に、莉子は自然と頬を緩ませた。


 ——だが。


「……あの頃に、戻れたらいいのに」


 ぽつりと。

 陽菜から零れ落ちたその呟きは、周囲の華やいだ熱から切り離されたように冷たく、冬の夜気へと静かに沈んでいって。


 先程までの祭りの熱に浮かされたような明るさは嘘のように消え去り、そこには、途方もない寂しさが滲んでいた。


「陽菜……?」


 莉子が名前を呼んだ瞬間、繋いだままの右手に、きゅっとわずかな力がこもったのを感じた。


「ううん、何でもない! あ、莉子ちゃん、あっちに美味しそうなのがあるよ。行こ行こ!」

「わわっ、走ったら危ないってば!」


 打って変わっていつものいたずらっぽい笑みを浮かべた陽菜が、ぐいっと手を引いてくる。

 突然のことに体勢を崩しそうになりながら、莉子は慌ててその後を追う。


 そこからは、いつもの陽菜だった。

 二人であちこちの屋台を巡り、珍しい食べ物を見つけては足を止める。


「莉子ちゃん、これすっごく美味しい! はい、あーん」

「ちょっ、陽菜!? 人前で恥ずかしいってば!」

「いいからいいから。ほら、あーん」


 口元に甘い焼き菓子を突きつけられ、莉子は周囲の視線を激しく気にしながらも、ぱくりとそれに食いついた。


 美味しい。けれど、それ以上に顔が熱い。

 道行く人が微笑ましくこちらを見ている気がして、莉子の心臓はさっきから早鐘を打ったままだ。


 こっちは手をつなぐだけで精一杯だというのに、陽菜は「美味しいねえ」と無邪気に笑っている。


 ふと視線を向けると、通りの端で純白の法衣に身を包んだ神官たちが数人、祭りの典礼を行っていた。

 道行く人々に祈りを捧げ、後に灯すための小さな慰霊灯を配っている。


(今日は慰霊祭、なんだよね……)


 魔族との戦いで命を落とした人々を悼むための日。この祭りの華やかな熱気の足元には、神殿の教義と、人々の悲痛な祈りが確かに根付いているのだ。


 そんな厳粛な光景の中にあって、神官たちの姿は祭りの一部として完全に街に溶け込んでいた。


「あ、莉子ちゃん、あれ見て!」


 陽菜が不意に指差したのは、細工物を並べた屋台だった。

 色とりどりのリボンや、ガラス玉をあしらった装飾品が並んでいる。


「この髪飾り、二人でお揃いにしない?」

「えっ、お、お揃い!? いや、私にはそういう可愛らしいのはちょっと似合わないんじゃ……」

「絶対似合うよ! ね、お願い!」


 照れて渋る莉子だったが、陽菜の上目遣いに抗えるはずもなかった。


 結局、淡い色のリボンが編み込まれた素朴な髪飾りを二人で買うことになった。

 陽菜が嬉しそうに莉子の髪に着けてくれ、莉子もまた、陽菜の淡い桃色の髪に同じものを結びつける。


「うん、すっごく可愛い!」

「……ありがと」


 満面の笑みを浮かべる陽菜に、莉子は熱くなった頬を隠すように俯いた。


 そのすぐ隣の屋台から、ふわりと温かい湯気が立ち上ってきた。


「そこの可愛らしいお嬢さん方。焼き立てのパンと温かいスープはどうだい?」


 屋台の奥から声をかけてきたのは、人の良さそうな笑顔を浮かべた中年の男性だった。


「あ、じゃあ二つお願いします」


 莉子が代金を渡すと、その店員は、お揃いの髪飾りを着けた二人を見て優しく目を細めた。


「はは、仲がいいんだねぇ。姉妹かい?」

「いえ、友達です」

「そうかいそうかい。いやね、俺の娘も昔はそれくらい仲のいい友達がいてね」


 彼は出来上がったスープを手渡しながら、ふと遠くを見るような、どこか寂しげな声で呟いた。


「……今夜は、あの子のために綺麗な慰霊灯を灯してやらなきゃな」


 それ以上、深くは語られなかった。

 だが、その一拍の沈黙に込められた重さを感じて、莉子は静かに会釈をして屋台を離れた。


 浄夜祭は、決して明るいばかりの祭事ではない。

 家族を亡くし、友人を亡くし、恋人を亡くし。

 何かを失い、それでも今を生きる人々が、前を向くための一日なのだ。

 

 温かいスープの入った木器を両手で包み込みながら、莉子は隣を歩く陽菜の横顔を見つめた。


(陽菜は今もずっと、魔法を使い続けているんだよね……)


 この見渡す限りの人混みの中、そして人間と魔族の争いを象徴するこの浄夜祭の真っ只中で、陽菜は自身の角を隠すための隠蔽魔法を絶え間なく維持し続けている。

 気を抜けば正体が露見し、全てが終わってしまう。その見えない危険を常に抱えながら、彼女はここに立っているのだ。


 ふいに、陽菜が莉子の方を振り返った。


「莉子ちゃん、このスープ飲んだ? 温かくて美味しいよ」


 それは、今日いちばんの無防備な笑顔だった。

 かつての魔王でもなく、前世の大学生でもなく。重荷を隠し持ちながらも、今この瞬間を心から楽しんでいる一人の少女の姿がそこにある。


 その笑顔の眩しさと危うさに、莉子は胸が締め付けられるような愛おしさを覚えた。


(……この笑顔を、守りたい)


 莉子は歩みを緩め、目の前で笑う陽菜の姿を、決して忘れないように自分の瞳の奥へ深く焼き付けた。

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