第5話 ①
今年もあと五日で終わる。
年の瀬の一日は、普段よりも豪奢な鐘の音とともに始まった。
今日は浄夜祭。年に一度の大がかりな祝日である。
特別な日というのは、特に何かするわけでもないのに、どこか浮足立つような気分になる。
街は数日前から祭りに向けた準備を進めていて、実際のところ莉子は買い出しの度にその光景を見ていたから、年甲斐もなくワクワクしていたのかもしれない。
そんな中、喫茶リリーの店内には一人も客がいなかった。
暖炉の火がパチパチと跳ねる音だけが響いている。
「え、今日はもう閉めるんですか?」
「うん。お客さんもほとんど来ないしね。みんなお祭りを楽しんでるんじゃないかな」
莉子はルミィにそう伝えると、エプロンを外した。
少し離れたところでテーブルを拭いていた陽菜が「いいなぁ、お祭り」とぼやいている。
「お祭り……そうか、浄夜祭ですね。王都にもありましたけど、こんな遠くの大陸でも同じ文化があるんですね」
「店の常連も何度か口にしていましたが、浄夜祭とは何なのですか」
事務用の部屋から戻ったヴィエラが、間に割って入った。
直前まで帳簿の整理でもしていたのだろう。彼女は眼鏡をかけていた。
普段裏で作業をしてもらっているときはあまり様子を見ることがなかったので、その姿は新鮮だった。
ルミィがぴくりと動くのが視界の端に映った。
「じょ、浄夜祭は、要するに慰霊祭ですよ。人魔の争いで亡くなった方々を悼みながら、今年一年を生きて過ごしたことを盛大に祝うのです。街中を飾り付けて、たくさんお店が並ぶんですよ」
「結局、飲んで大騒ぎしたいだけじゃない」
「まあ、そう言えないこともないですけど……」
ヴィエラの遠慮のない意見に、ルミィは口ごもる。
反論が出来ないというより、強く言い返せないといった様子だ。
今までは何かと突っかかっていたルミィだが、ここ数日、特にヴィエラと話すときはそんな風にぎこちなくなることが多かった。
決して険悪な雰囲気というわけではなく、むしろ——照れている?
数日前に陽菜が何やら彼女と話していたようだが、何かあったのだろうか。
沈黙に耐えかねるように、ルミィはガバッと莉子の方を見た。
「リッ、リゼ様はお祭りに行かれるんですか?」
「え? ああ、うん、さっき陽菜と行くかどうか話してたところだけど……。ねえー、どうするのー?」
先ほどまで、寒そうだからという理由で外出を悩んでいた陽菜に声をかける。
「うーん、じゃあ行くー」
気のない声が返ってきた。
「行くって」
「みたいですね」
それまで退屈そうに視線を外していたヴィエラが、ぱっと顔を上げた。
「陛下、私もお供してもよろしいでしょうか……!?」
熱のこもった瞳で、うやうやしく陽菜へと擦り寄ろうとする——が。
その首根っこは、背後から伸びてきたルミィの手によって容赦なく捕獲されていた。
「いえ! せっかくのお祭りですし、是非お二人で楽しんできてください!」
すると、意外にもそんなことを言った。
ルミィこそこういう場面では絶対に付いてきたがるはずなのに、本当にどうしてしまったのだろうか。
ヴィエラの口はガッチリと抑えられ、もがもがと声にならない叫びを上げている。
ルミィは、私が抑えているうちに早く、とでも言うような強張った笑顔を浮かべていた。
理由のわからない状況に首を傾げていると、外行きのコートに身を包んだ陽菜が笑った。
「ふふっ、それじゃあお言葉に甘えて行こっか、莉子ちゃん」
「う、うん」
ありがとね、と陽菜がルミィに耳打ちするのが聞こえた。
ルミィは赤面するような、睨みつけるような、なんとも言えない顔を浮かべてそっぽを向いた。
残していく二人が気がかりではあったが、視線を戻せば、陽菜はすでに店の入口まで早々に向かっていた。
莉子は慌ててその背中を追い、街へと繰り出すのだった。
◇
リゼ様と陽菜さんの背中が扉の向こうへ消え、カラン、というベルの音とともに店内が静寂に包まれる。
口を抑えていた手を緩めると、ヴィエラは「ぷはっ」と大きく息を吐き出して、恨めしそうに睨んできた。
「何すんのよ! アリシア様、行っちゃったじゃない」
「我慢してください。こんな日くらい、二人にしてあげましょう」
「……良かったの?」
文句を言い募るかと思いきや、彼女はふと声音を落とし、思いのほか静かで深い眼差しをルミィに向けてきた。
「……そりゃ良くないですけど。でも——」
『さっき陽菜と行くかどうか話してた』というリゼ様の声が蘇る。
あの人が最初に声をかけたのは、陽菜さんだったんだ。
少しだけ、胸の奥が痛む。
「うう、リゼ様と陽菜さんが二人きりか……」
口に出したら、余計に取り返しのつかないことをしてしまったような気分になってしまう。
そんな風に悶々としていると、ヴィエラが半眼で睨んできた。
「自分で送り出した癖に、何言ってるのよ。……あんたって、結構損な性格してるわよね」
「うるさいですよ。ねえ……私たちも、お祭り行きます?」
言ってから、自分の言葉が信じられず、思わずルミィは口をつぐんだ。
送り出した二人の表情があまりにも楽しそうだったから。
こんなことを訊いてしまったのは、きっとそのせい。
「は、はあ……!?」
ヴィエラは全く予期していなかったかのように後退り、顔を赤くした。
「あ、ああ、いや、違くて! これはその、何か美味しいものでも売ってないかなぁ、みたいな。そ、そう、喫茶店の新しいメニューのための市場調査ですっ」
ルミィは直前の言葉を誤魔化すように、とんでもない早口でまくし立てた。
よくもまあ、でっち上げでこんな理由を思いつくものである。
「……嫌よ」
しかし、ヴィエラはにべもなくそう言って顔を背けた。
「ですよね。……はあ、私ったら何言ってるんだ」
顔をぱたぱたと手で扇ぐ。さっきからなんでこんなに頬が熱いんだろう。
ヴィエラはしばらく何も言わなかったが、やがて眼鏡を指でくいっと持ち上げた。
「ひ、人混みが苦手だから。だから、その、呑みに行くとかなら」
「ふえっ!?」
不意打ちみたいな提案に、思わず変な声が出た。
ルミィを見つめる瞳は、頼りなく揺れている。
「い、嫌ならいいけど。あ、もしかしてお酒呑めないとか……」
「ばばば、バカにしないでください! お酒くらい呑めます。呑めますとも。仕方ないですね、行ってやりますよっ」
「なんで上から目線なの」
そんなの、まともに顔を見れないからに決まってるでしょうが。
ルミィは逃げるようにバックヤードへ行き、支度をした。
元々荷物をまとめていたらしいヴィエラはすでに入口の扉のそばで待っている。
「ほら、早く行くわよ」
「せっかちな魔族ですね! ちょっと待ってくださいっ」
小走りでその背中を追う。
ルミィの心は、なぜかリゼ様たちと話していたときよりも、弾んでいた。




