第4話 ③ (ルミィ視点)
港町セルリアの市場は、喫茶リリーから海へ向かう途中の大通りに沿って広がっている。
地元の食材はもちろん、港町だけあって交易で流れてくる異国の品々を取り扱う店も多く、日中はいつだって賑わっている。
元々ルミィのいた王都の華やかな店並びとは毛色が違うが、どこか温もりを感じるのどかな雰囲気が、彼女はそこそこ気に入っていた。
(とはいえ、こいつがいなければの話だけど)
ルミィはちらりと横を見る。
そこには澄ました顔で先へ進むヴィエラの姿があった。
気に入らない。なんで、自分ばかりがこんなイライラしなければいけないのだ。
そんなことを考えていると、彼女が突然こちらを見た。
「さっきから何睨んでるの。鬱陶しいんだけど」
「うるさい。あなたが変なことをしでかさないか見張ってるんですよ。……あっ、お肉屋さん」
慌てて逸らした視線の先に、目的の精肉店を見つける。
ルミィはぱたぱたと駆けていき、ケースに並ぶ品を見回した。
「すみません、このお肉――」
そうして注文しようとした矢先。横から「待ちなさい」と制止する声が聞こえた。
「それはもう鮮度が落ちてる。奥にあるあの赤みの強い方がいい。それから香辛料も頼んで。この質のカルダモンなら、銀貨二枚が妥当よ」
ヴィエラは捲し立てるように、ルミィに耳打ちした。
「わ、分かってますよ。っていうか、それだけ詳しいなら自分で注文すればいいじゃないですか」
「それは……」
ただの憎まれ口のつもりだった。
いつものヴィエラだったら平気で無視するような。
それなのに今回はどうも様子が違う。
まるで嫌なところを突かれたとでも言うように、返事に窮している。
よく見ると、彼女は鍔広の帽子を目深に被り、店員と視線を合わせないようにしていた。
いや、それだけではない。店員どころか、周りの誰とも――。
「……はあ。すみません、店員さん。そちらのお肉と、カルダモンもいただけますか」
「はいよ」
その後もヴィエラの様子は変わらなかった。
いつも通り感情の読めない顔で、スタスタと歩きながらも、道行く人々とは決して目を合わせようとしない。
もちろん気のせいかもしれない。ルミィだって彼女のことを深く知っているわけではないし、知りたいとも思わない。
口を開けばお互い喧嘩ばかりなのだから、きっと相性も最悪だ。
それでも、目が合わないなんて印象はなかった。
人間嫌いというのはもちろんあるのだろうが、今日の彼女は、それとはなんだか違う雰囲気を感じる。
大勢の人溜まりの中で、その背中はどこか危ういような、か細いものに思えた。
ふと、ルミィは彼女の持つ紙袋に手を伸ばしていた。
「あ、ちょっ……」
「私が持ちますから。ほら、ボサッとしてないで次行きますよ」
そう言うと、ヴィエラは特に抵抗することもなく今度はルミィの背中を追う形になった。
はあ、とルミィは小さく息をつく。
気に入らない。なんでこんなやつのことを心配してるんだ。
そうして順繰りに頼まれた品々を買いに店に立ち寄っていく。
「よし」
そして、残りあと一品というところまで来た。
この先の店へ行けば終わりだ。そう思って足を踏み出した時。
「危ねえっ!」
ルミィのすぐ背後で、男の焦ったような声が響いた。
振り返ると、山積みの木箱を載せた大型の荷車が、石畳の窪みに車輪を取られて大きく傾いていた。
バランスを崩した木箱の山が、ルミィの頭上へと崩れ落ちてくる。
(えっ――)
避ける暇などなかった。
ルミィが思わず目を瞑り、衝撃に備えた瞬間。
「ッ――」
ぐいっ、と強い力で腕を引かれた。
自分の身体がふわりと浮き、そのままヴィエラの細い腕の中に強く引き寄せられる。
ガシャアアンッ!
直後、先程まで立っていた場所に、重たい木箱が凄まじい音を立てて崩れ落ちた。
土埃が舞い上がり、周囲の客たちが悲鳴を上げる。
「……気をつけなさいよ」
頭上から降ってきた冷静な声に、ルミィはハッと息を呑んだ。
細い腕が、まだ自分の背を支えている。庇われたのだと理解するまで、数秒かかった。
「あ、ありが……」
お礼を言おうとしたルミィの言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
ルミィの身体を支えていたヴィエラの指先が、衝撃で服の下から飛び出していた銀のロケットペンダントに、ぴたっと触れたのだ。
刹那――。
その光景が、ルミィの脳裏に眠っていた記憶の蓋を強制的にこじ開けた。
真っ赤に燃え盛る故郷。
両親の命を無慈悲に奪い去っていった、魔族の黒い影。
「――っ!!」
ドンッ、と。
気付けば、ルミィはヴィエラの胸を力任せに突き飛ばしていた。
「触るなっ!」
それが自分から出た声だと、一瞬分からなかった。
甲高い悲鳴のような鋭い響き。顔はまるで焼け付くかのように猛烈な熱を帯びている。
市場の喧騒が一瞬、水を打ったように静まり返った。
「その穢れた手で、お父さんとお母さんの形見に……触らないでっ!」
ただただ、息苦しい。
自然とペンダントを握る手の力が強くなる。
突起が指の腹に食い込み、それでも息苦しさは収まらなかった。
自分でも相当ひどい形相だったと思う。
それでも、ルミィはこの目の前の魔族を睨まずにはいられなかった。
周りの音が遠くなるくらい、何も考えられなくなる。
こいつが、こいつらが、お父さんを、お母さんを――!
突き飛ばされたヴィエラは、数歩後ずさったまま、無言のまま凪いだ瞳を向けてきた。
弾みでわずかに傾いだ帽子から角が覗いていたが、彼女は何も言わず、片手でそれを目深に直す。
怒鳴り返すことも、呆れることもなく、ただ氷のように冷たく、感情の抜け落ちた表情のまま、
「……余計なことをしたわね」
静かにそれだけを告げると、ヴィエラはすっと視線を外し、身を翻して歩き出してしまった。
その瞬間、まるで水を被ったかのように、頭の中が冷えていくのを感じた。
「あ……」
伸ばしかけた手は空を切り、その背中は人混みの中へと遠ざかっていく。
(私、なんてことを……)
いくら相手が魔族とはいえ、彼女は今、怪我からルミィを救ってくれたのに。
それを、あろうことか子供みたいに喚き散らして。
謝らなければ。そう思うのに、激しく波打つ心臓と、一度口から出てしまった拒絶の言葉が、ルミィをその場に縫い付けて離さない。
引っ込みがつかず、ただペンダントを握る手を震わせることしかできなかった。
帰りの道中、二人の間に交わされる言葉はひとつもなかった。
リリーを出たときとはまるで違う重苦しい沈黙の中を、ルミィは鉛のような重い足取りで歩いていた。




