第4話 ① (ルミィ視点)
港のそばにある喫茶リリーから、丘に向かって歩くこと一時間ほど。
町のはずれの小高い場所に、とあるアパルトメントが建っていた。
眼下に港町セルリアの街並みと青々とした海を見渡せる最高の立地なのだが、いかんせん建物がひどく古い。
裏手には鬱蒼とした森が迫っているため、虫はおろか時折魔獣まで迷い込んでくる。
おまけにこの辺りでは珍しい木造建築で、長年潮風と風雨に晒された外壁はすっかり痩せ細り、あちこちがひび割れていた。
そんな歴史的価値を感じさせる建物の一室に、ルミィ・アジュールは住んでいた。
「よしっ、今日もリゼ様のために頑張るぞ!」
少女の朝は早い。
何せこれだけの僻地だ。喫茶リリーへ行くには、日が昇る前から支度をしなければ間に合わない。
しかし、どんなに急ぐとは言っても、年頃の娘である。
馴染んだ店に向かうだけとはいえ、身だしなみを怠るわけにはいかない。
隙間風が吹き込み、防音設備などあるはずもない部屋の一角で、凍死を免れるために一晩中灯していた炎を指を鳴らして消し、ぶかぶかの外套を羽織る。
小さな鞄を肩に掛け、姿見で最終チェック。
今日のルミィは軽やかな水色のワンピースの上に、上品な白いショートケープという出で立ちだ。
普段は無造作にしている栗色の癖っ毛も、今日はダークネイビーのリボンでハーフアップにまとめ、足元は少し背伸びをしてヒールの高いブーツを合わせた。
胸元には、服の下に隠した大切な銀のロケットペンダントのチェーンが微かに覗いている。
リゼ様に「大人っぽくなったね」と褒めてもらうための、完璧な装いだった。
「うん、いい感じ」
ニコッと笑顔を浮かべ、いざ玄関へと向かう。
建付けの悪い扉をギギギ、と音を鳴らしながら開けると、ピリっと冷え込んだ清々しい空気が頬を撫でた。
新しい朝。今日もいい気分!
だがそのとき、隣の部屋の扉も同時に開いた。
「げ」
自室同様激しく軋む音を立てながら扉を出てきたのは、ルミィの宿敵――ヴィエラ・ルージュだった。
しばしお互いに無言で睨み合う。
向かいのヴィエラは、濃紺のブラウスとボルドーのロングスカートに身を包み、圧倒的な大人の気品を漂わせていた。
深紅の瞳がルミィを見下ろす。
「あんた、そのヒールどんだけ盛ってんのよ。サーカスでもするつもり?」
「ハッ、あなたこそなんですか、そのヒラヒラした格好は。仕事前に随分と浮かれた羽虫ですね」
そう、二人は今隣の部屋同士で暮らしていた。
だがもちろん、望んでそうなったわけではない。
半年ほど前、時を同じくして姿を消した勇者と魔王。
場所も立場も違えど、ルミィとヴィエラは失踪したそれぞれの主を探し出すため、ありとあらゆる地を駆け巡った。
それはひとえに敬愛する主のため。移動の手間など全く苦ではなかった。
しかし、いくら強固な意思を持とうとも、旅には先立つものが必要である。
捜索に当てた数ヶ月の後、二人の蓄えは底をついていた。
最後の望みを賭けてたどり着いたこのセルリアの街で、二人はついに探し人を見つけるわけだが、その先の暮らしのことは何一つ考えていなかったのである。
ほぼ一文無しの二人。最初はリゼ様たちが一緒に喫茶店の二階で住もうかと提案もしてくれたが、こんなところまで押しかけた上にさらに迷惑をかけるのは忍びない。
そうして最後に行き着いたのが、このアパルトメントであった。
だが、まさか宿敵であるヴィエラまでが、全く同じ境遇で隣の部屋に住むことになるとは予想していなかった。
一生の不覚ではあるが、今更移り住むことも出来ず、実に不服ながらも今の状況になっているというわけである。
二人は玄関前で一通り煽りあった後、ミシミシと不気味な音を立てる階段を下り、店に向かって歩き始めた。
もちろん話すことなど何一つない。
ルミィは心なしか歩く速度を早めた。無論、いけ好かない魔族女よりも早く店に着き、リゼ様に褒めてもらうためである。
しかし、即座に真横をヴィエラが追い抜いた。
彼女は自身の身長が高いことを誇示するかの如く、悠々とした足取りで進んでいく。
だが、ルミィはさらに速度を早め、それを追い抜いた。通り過ぎるときに鼻で笑うことを忘れずに。
追い抜き追い越されを繰り返しながら、気付けば、お互いほぼ全力疾走をしていた。二人の後方には砂塵が巻き上がっている。
道行く人々が時折二人の勢いに吹き飛ばされそうになるが、彼女たちが止まることはない。
いつも同じ時間に散歩をしているお婆さんが、「あらあら、今日も仲がいいわね」などとにこやかに言っていたが、何をどう見たらその感想になるのだろうか。
悠長な声に構うことなく、ルミィは港へと続く石畳の坂道を猛然と駆け下りる。
目覚め始めた街の景色が飛ぶように後ろへ流れていく。
丘の下にある小さな喫茶店、そこで待っている愛しい主の笑顔を思い浮かべながら、ルミィは力強く地面を蹴った。
潮の香りが混じる朝の空気を胸いっぱいに吸い込み。
こうして、ルミィの騒がしくも清々しい一日が幕を上げた。




