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第3話 ②

 扉に『定休日』の札が掛けられた喫茶リリー。

 本来なら静かであるはずの店内に、今日は朝から奇妙な熱気が渦巻いていた。

 

 キッチンの前に並び立つ莉子と陽菜の背中からは、かつてないほどのただならぬ闘志が立ち昇っている。

 そして二人の背後には、味見役――という名の未知の料理の実験台として召喚されたルミィとヴィエラが、少し離れて待機していた。


 半ば餌付けのような真似をして呼び出したにも関わらず、文句を言いつつ店まで足を運んでくれた二人が、なんとも愛おしい。


(絶対に、最高に美味しいサンドイッチを作ってみせるからね)

 

 莉子は気合を入れ直すように、エプロンの紐をきゅっと引き結んだ。

 

「やっぱりサンドイッチといったら食パンよね」

「でも問題は材料かぁ」


 陽菜はそう言いながら、足元に置かれた大きな麻袋へ粉スコップを突っ込み、ひと掬い分の小麦粉を取り出した。

 パン作りに欠かせない基本の材料。だが、スコップの上の粉を覗き込んだ莉子は、小さくため息をつく。


 粉の中には無数の茶色い粒、いわゆる()()()がたっぷりと混ざっていた。


 この世界では、ふすまを綺麗に取り除いた純白の小麦粉はひどく貴重で手に入りにくい。

 この粗い粉のまま生地を練ったところで、昨日食べたような、あの岩石のように硬くて重い黒パンが誕生してしまうだけだ。

 

 そこで莉子は、用意しておいた目の細かい布を取り出した。


「これを使ってふるってみましょう。常連のお客さんから頂いたものよ」


 布の中央に少量の粉を乗せ、端を握って思いっきり左右に振ってみる。

 だが布の目が細かすぎるのか、中の粉は一向に減る気配を見せない。


 腕が痺れるほど何度も何度も振り続け、ようやく一回分の粉が下に落ちきった頃には、莉子はすっかり肩で息をしていた。


「はあ……はあ……、こんなの続けてたら筋肉痛になっちゃう」

「意外と粉が落ちないんだね」


 しかもボウルを覗き込むと、あんなに苦労したのに、そこにはほんの指先でつまめる程度の小麦粉しか落ちていない。

 このペースでパンひとつ分の粉を集めようとすれば、日が暮れるどころか腕がちぎれてしまう。


 すると、後ろで見ていたルミィが、パタパタと近づいてきた。


「リゼ様、お疲れのようですし、ここは私にお任せください。魔法の力ならこんなもの一瞬ですよ!」


 ルミィはえっへんと胸を張り、腰から短い杖を抜き放った。

 

 普段はどこかそそっかしいところのある彼女だが、これでも魔法の腕前は王都で右に出る者がいないと言われるほどの実力者だ。

 優れた回復魔法のみならず、その膨大な魔力で多種多様な属性魔法を操る生粋のエリートでもある。

 

 いつものぽわんとした雰囲気からは想像もつかないほど凛とした顔つきに、莉子は思わず息を呑んだ。


「で、でもどうやって殻をふるいにかけるの」

「風の魔法で重さの違う殻だけを飛ばすのが良さそうですね」


 なるほど、確かにふすまの方が小麦粉よりも軽い分、上手く風量を調整すれば片方だけを残して分離できるかもしれない。

 だが、そんな加減の難しそうなことが実際に出来るのだろうか。


 すると、彼女の横に座っていたヴィエラが鼻で笑った。


「人間の拙い魔力制御で、繊細な粉の分離など出来るわけがありません。風を巻き起こすだけなら赤子でも出来ます。ここはより高度な魔力操作の知識を持つ私がお見せしましょう」

「な、なんですって……やってみなきゃ分からないじゃないですか!」


 ルミィが目を閉じ、詠唱とともに杖の先端に風の魔力を集中させ始める。

 対するヴィエラも、負けじと指先に禍々しい赤黒い魔力を浮かび上がらせた。


「待って二人とも、ここはキッチンだから落ち着い――」


 莉子が制止する間もなかった。


「風よ、疾く舞いあがれ!」

「渦巻く魔力よ、荒れ狂い、全てを扇ぎ給え!」


 二人の放った魔法が、麻袋の上で激突する。

 次の瞬間、鈍い破裂音とともに、凄まじい勢いで小麦粉の柱が天井へ向かって吹き上がった。


「きゃあっ!?」「うっ!」


 彼女たちの悲鳴ごと呑み込むように、キッチンに猛烈な白い嵐が吹き荒れた。

 一切の猶予なく視界が真っ白に染め上げられる。やがて数秒遅れて風が収まると、不気味なほどの静寂の中、粉雪のように細かくなった小麦粉だけがサラサラと静かに降り積もっていった。


「けほっ! こほっ……。もう、何してくれてんの……」

「ごほっ。げほっ、げほっ!」


 莉子と陽菜は咄嗟にカウンターの影にしゃがみ込んでいたため直撃は免れたが、爆心地にいた二人は悲惨だった。

 粉が晴れた後、そこに立っていたのは、頭からつま先まで見事に真っ白になった二体の雪だるまだった。


「けほっ……。す、少し魔力を込めすぎました……」

「あ、あんたが変な邪魔をするからでしょうが、げほっ!」


 ルミィの栗色の癖っ毛も、ヴィエラの立派な角も、まるで砂糖菓子のように真っ白にコーティングされている。

 いがみ合いながらむせる二人を見て、莉子は怒るよりも先に肩の力が抜けてしまった。


「はぁ……。ほら、二人とも。外の井戸で顔と服を洗ってきなさい」


 莉子がタオルを渡すと、二人は「すみません……」「何なのよ、もう」としおれながら、裏口から外へと出ていった。


 残されたキッチンは、見渡す限りの銀世界ならぬ粉世界だ。

 麻袋の中にあった小麦粉は、そのほとんどが空中に散華してしまっている。


「あーあ、片付けどうしよっか」


 真っ白な惨状に莉子が額を押さえて天を仰いだ、そのとき。

 ずっと黙り込んでいた陽菜が、ふらりと、亡霊のような足取りで前に出た。


「……どいて」


 振り返った彼女の瞳を見て、莉子は息を呑む。

 いつもはふんわりと弧を描いているはずの双眸が、かつて魔王城の最奥で勇者たちを見下ろしていた、あの氷のような絶対者のそれにすり替わっていたからだ。

 

 背中を嫌な汗が伝う。まずい。どう控えめに評価しても、彼女は静かに怒り狂っている。


「ひ、陽菜さん?」


 陽菜はスッと右手を前にかざした。

 途端に、キッチンの空気がピリッと張り詰める。

 まるで空間そのものが凍りついたような、圧倒的な重圧だった。


「万象の理よ、私の望むままに分かたれなさい」


 静かに、だが絶対的な支配力を持った声が響いた。


 その瞬間、キッチン中に散らばっていた真っ白な小麦粉と、麻袋に残っていた茶色い殻が、まるで意志を持ったように空中に浮かび上がった。

 重力を無視したままそれはやがて渦を成し、みるみるうちに二つに分かれていく。


 片方の渦には茶色い殻だけが。

 そしてもう片方の渦には、不純物を一切含まない、純白の小麦粉だけが寄り集まっていく。


 渦は生き物のように収束し、それぞれ空っぽになった麻袋と、莉子が用意していた大きなボウルの上へと、音もなく静かに落ちた。


 数秒前まで雪景色だったキッチンは、塵一つ残さず元通りの姿を取り戻している。

 そして莉子の目の前には、見惚れるほど真っ白で、きめの細かい最高の小麦粉が山のように積まれていた。


「……」


 莉子は手元のボウルと陽菜の顔を、無言のまま幾度となく見比べた。

 当の彼女はしばらくの間、不満げに頬を膨らませたまま固まっていたが、やがて憑き物が落ちたように、ふうっと深いため息をついた。

 

「……陽菜」

「なによ」

「魔王の力、こんなことに無駄遣いしていいの?」

「……美味しいサンドイッチのためだもん。でも食材の無駄遣いは絶対だめ。後であの二人にはきっちりお説教する」


 ルミィとヴィエラがまた面倒な手間を増やしたことに怒っているのかと思ったが、それだけではなかったようだ。

 とてつもなく凶悪な空気を醸したかと思えば、やることが小麦粉のふるい分けとは。莉子はあまりの落差に思わず吹き出してしまった。


「ふふっ……あっはは! なにそれ」

「えー、なんで笑うのさ」

「そりゃ笑うよ。……ああ、可笑しい」


 ひとしきり笑うと、莉子はボウルの中の白い粉を指でひとすくいし、陽菜の頬にピッとつけた。


「あっ、莉子ちゃん何するの!」

「さっきの雪だるまの真似。ふふっ、似合ってるよ」


 頬を白くした陽菜が、むぅ、と唇を尖らせる。

 最初は半眼で睨んでいたその目も、楽しそうな莉子の様子にふっと細められた。


 外からは、冷たい水を掛け合って悲鳴を上げるルミィとヴィエラの声が聞こえてくる。


「さあ、粉も用意できたし。あの二人が戻ってくる前に、続きをやろっか」

「おー! 最強のサンドイッチ、作ってやろう!」


 掛け声とともに、二人は袖を捲り上げて輝くような純白の粉へと向き直る。

 

 目指すは、前世の記憶にある至高のふんわり食パンの完全再現。

 波乱に満ちた休日は、ここからが本当の勝負だった。

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