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第3話 ③

 ルミィとヴィエラが裏庭の井戸で騒いでいる間、静かになったキッチンには莉子と陽菜の二人だけが残された。


 莉子は腕まくりをして、木製の作業台の上にドン、と白い生地の塊を置いた。

 小麦粉、酵母、水、それに少量の塩と砂糖。

 ざっくりと混ぜ合わせただけの状態では、まだ表面がザラザラとしていてひどく不格好だ。


「よっ、と……」


 莉子はぐっと体重を乗せ、手の付け根を使って生地を台に押し込むように力強く伸ばす。そして、伸ばした生地を半分に折りたたみ、また押し込む。

 最初はベタベタと手にくっついていた生地だが、何度も同じ動作を繰り返しているうちに、徐々にその手触りが変わってきた。


 手に吸い付くような弾力が生まれ、表面が艶を帯びて滑らかになっていく。


「ふうっ……けっこう、力仕事だね。にしても、よく作り方知ってたね」

「日本にいた頃、お母さんと作ったことあるんだよね。ほとんど忘れてるから調整は必要だと思うけど。それより莉子ちゃん、腕疲れてない? 代わろうか」

「ううん、もうちょっと。この手触りが気持ちよくなってきた」


 そうしてしばらく捏ねたのち、ふう、と一息ついたとき。

 不意に陽菜の顔が目の前に現れた。


「えっ」

「動かないで。粉、ついてるよ」


 陽菜が身を乗り出し、莉子の顔へとスッと手を伸ばす。

 ほんのわずかに、甘い吐息が莉子の前髪を揺らした。


 至近距離で見つめてくる深紅の瞳に、莉子の心臓が小さく跳ねる。

 陽菜の細い指先が、莉子の頬に飛んでいた白い粉を優しくなぞるように拭い取った。

 指先から伝わる柔らかな体温と、鼓動が聞こえてしまいそうなほどの静寂が、二人の間に落ちる。


「も、もう、急にびっくりするじゃない」

「ふふ、さっきのお返し。……なんちゃって。はい、取れたよ」

「あ、ありがと……」


 にっこりと微笑んで元の位置に戻る陽菜に、莉子はドギマギしながら視線を逸らし、慌てて残りの生地を捏ね上げた。


(何なのよ……っ)

 

 さっきまでクタクタだった腕もすっかり疲れを忘れて、むしろ先程よりも早いペースで目の前の生地を捏ねる。

 とてもじゃないが、陽菜の顔を見ることなんて出来そうになかった。

 

 そうして出来上がった生地は、まるで赤ちゃんの耳たぶのように柔らかく、ふっくらとしていた。


「よし、パンはしばらく寝かせて発酵させよう。その間に、中身の準備ね」

「了解。ソース作りは任せて」


 陽菜は大きめのボウルを用意すると、そこに卵黄と少量の酢、塩を入れた。

 今回作るのはたまごサンド。莉子が好きなサンドイッチの中でも一番思い入れのある具材だ。

 そして真のたまごサンドに欠かせない最強の調味料は、何と言ってもマヨネーズ作りである。


「莉子ちゃん、こっちに油を少しずつ垂らしてくれる?」

「うん。いくよー」


 莉子が油の入った瓶を傾け、糸を引くように細く少しずつボウルの中へ注いでいく。

 それに合わせて、陽菜がリズミカルに泡立て器をかき混ぜる。シャカシャカという小気味良い音がキッチンに響いた。


「ストップ。……よしよし、良い感じ」


 最初は黄色っぽくシャバシャバとしていた液体が、混ぜ続けるうちに、徐々に白っぽく、もったりとしたクリーム状になる。

 水と油が綺麗に混ざり合う乳化という現象だ。


「おおー、マヨネーズだ。完璧じゃない?」

「でしょ? あとはこれを、茹で卵と合わせれば……」


 陽菜は傍らに用意しておいた固茹での卵をフォークで粗く潰し、完成したマヨネーズをたっぷりと和えていく。

 そして、なぜか陽菜は途中でその黄金色のたまごサラダを二つのボウルに分けた。


 片方のボウルにだけ、香辛料の瓶から黄色いペーストを少し多めにすくって混ぜ込む。

 それは、マスタードによく似たちょっとだけ辛味のある調味料。最初の黒パンのサンドイッチにも入っていた陽菜お手製の一品だ。


「陽菜?」

「莉子ちゃんのは、マスタード多めね」


 陽菜はさも当然のようにそう言って、味見用のスプーンを莉子に差し出した。


「好きだったでしょ、この味」


 悪戯っぽくウインクする陽菜に、莉子はパチリと瞬きをした。

 自分の味の好みを、言わなくても完全に把握されている。

 ただそれだけのことなのに、まるで自分の一部をずっと大切に握りしめてくれていたような、そんな不思議なくすぐったさがあった。


「……何で覚えてるのよ」


 莉子が渡されたスプーンを口に含むと、卵のコクとマヨネーズの酸味の中に、ピリッとした心地よい辛味が広がった。

 それは間違いなく、かつて莉子が日本の大学に通っていた頃、コンビニで買ってはお気に入りだと言っていた、あのたまごサンドの味だった。

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