第九話 迷い子たちの幕間 〜第三幕〜
ここは赤道直下の島、アンカーアイランド。軌道エレベーター「天梯」の建設と保守管理の為に造成された人工島である。
過日、過激派環境保護団体「原生圏」により引き起こされた、天梯破壊事件の際には混乱の中心地となったこの島も、事件後に着手された天悌再建計画の進捗に伴い、徐々に平穏な日常を、取り戻しつつあった。
事件の解決と共に二人の英雄が去ったこの島で、残された者達は、相変わらずの慌ただしい日々を過ごしている。津崎 湊と、榊 澪。この二人の青年も、その一員である。
1.
「ああ〜、ホントに人使い荒いよなぁ。」
退助と太一から譲り受けた、コンドミニアム高層階の一室で、湊は朝からそうボヤいていた。
「朝一番で愚痴らないの!」
半熟のベーコンエッグと生野菜に、ソーセージが盛り付けられたプレートをダイニングテーブルに置きながら、澪が湊を嗜める。
「研究の成果は出始めてるんだから、もう少しの辛抱だろ?」
「でもなぁ…。」
澪は湊の正面の席に座りながら言う。
「湊は、さ…やっぱり保安部に戻りたいの?」
「そうだなぁ…自分でもよく分からないや。」
椅子に座ったまま頭の後ろに腕を組み、宙を見上げながら湊はそう呟く。
ポットのコーヒーを湊のカップにそそぎ、自分のカップにもつぎながら澪が言う。
「まだ退助さんのコト、気にしてるんでしょ。」
澪のその一言に、コーヒーを気管に詰まらせ、湊はむせる。決して、ウドのコーヒーが苦かったから…というワケでは無い。
「バカ!そんな事…。」
「どうだか?まぁ、いいケドね。」
澪は食卓に頬杖をつきながら、少し意地悪な笑顔で、そう返す。
「そんな事よりさ。」
「なんだよ?」
澪は湊の前に、二人宛に届いた一通のエアメールを差し出す。湊はその封筒を受け取る。
「昨日届いてたみたいだけどね、ゆうべも遅かったから。」
「誰からだ?」
そう言って差出人を見ると、”Taichi Yagi”の文字が目に入る。
「太一さんからじゃないか!」
「読んでみてよ。」
湊は封筒の封を切ると、中の手紙を取り出し、カサカサと広げる。
『 湊に澪、元気で過ごしてるか?太一だ。天悌事件の際には本当に世話になった、感謝は言葉では言い表せない程だ。
先日は良い酒を贈ってくれて、ありがとう。退助も凄く喜んで、毎日少しづつ大事に呑んでいるみたいだ。
実はこっちに戻って来て、医師の勧めでリハビリにと始めた、種子島の伝統芸能「棒踊り」がこの秋、俺たちにとっての初めての奉納を迎える。とある事情も有って、退助も一緒にやり始める事になり、今に至る訳だが、どうだろう。たまには休みを取って、こっちに遊びに来てみないか?二人が来てくれれば、晴れの舞台に退助も喜ぶと思う。
付いては、二人分の航空券を同封する。もし良ければ、検討してみてくれ。
追伸:この手紙の事は、くれぐれも退助には内緒でな。じゃあ、会える事を楽しみに待っている。』
読み終えた湊が、もう一度封筒の中を見ると、そこには2枚の航空券が同封されていた。
「太一さん…。」
感慨深げに湊が呟くと、澪が言う。
「今から希望出せば、日程は都合付きそうだし。この際ちょっと行ってみよっか。」
2.
夏も盛りを過ぎ、徐々に高く澄み渡り始めた空の元、通い慣れた公民館の広場に、集まり始めた保存会の面々、その中には太一の他に、最近その輪の中に入り始めた、退助の姿も在った。
広場では既に、子供たちの稽古が行われており、そこには引率者として里奈が、子供達に稽古をつける役として、若手リーダーの陽介も共に、汗を流している。
「お、陽介君。やってるじゃないか。」
その様子を遠目に見ながら、太一が呟く。
「里奈ちゃんとも、お似合いじゃて。」
太一の背後から突然、声がする。
「うわっ!会長、脅かさないでくださいよ。」
「つれないのぉ、会長だなんて。勘ちゃんって呼んで。」
その勘吉の後ろを取りながら、話しかけてくる男の声。
「おう、そんじゃ勘ちゃんよぉ。」
気づけば退助が勘吉に、チキンウイングフェイスロックを掛けている。
「なんじゃ、退ちゃんか。」
「今日こそは、きっちり借りを返してやる。」
その体勢に在っても、落ち着き払った声で笑う勘吉。
「ホッホッホ、それはどうかのぉ。」
そう言うと勘吉が、退助の掛けた技からするりと抜け出す。
「あっ!テメェ、待ちやがれ!!」
勘吉は笑顔で退助の追撃を躱している。それも、のらりくらりと。
「ワシを捕まえようなどとは、十年早いわ。」
その様子を太一は、半ば呆れながら見つめている。
「ホントに何者なんだ、この人?」
そこへ掛かる、白石の冷静な声。
「会長!それに中島さんも。いつまでも遊んでないで、そろそろ始めますよ。」
「とほほ、いつもワシだけ怒られるんじゃ…。」
これが恐るべき(?)、保存会の日常なのであった。
男たちの唄声と、棒を打ち鳴らす音が軽快に響く。その中に、退助の六尺棒と太一の三尺棒が交叉する音も交じり合い、初秋の空気へと溶け込んでいく。
「うむ。」
全体の仕上がり具合に、勘吉が満足げに頷く。
「やはり今年最大の収穫は、あの二人でしたね。」
「恒一もそう思うか?」
勘吉の問いに、白石が答える。
「ええ、八木さんもそうでしたが、中島さんの飲み込みの速さはそれ以上です。」
「さすがは、木星圏の英雄…と言ったトコロじゃな。」
「ご存じだったんですか!?」
白石の細い目が、驚きに見開かれる。
「知らいでか。伝説の漁師を侮るでないわ。」
その言葉に、白石は語り始める。
「あの二人は、様々な傷を負ってここへ辿り着きました。出来ればこの土地でこのまま、こんな日常を過ごして行ってもらいたいものです…。」
3.
稽古が終わり保存会の一同は、場所を公民館のホールへと移していた。稽古後の直会が行われていたのである。直会と言えば聞こえは良いが要は、体の良い既婚者たちの飲み会の口実として使われている現実は、いつの時代も変わらぬ、この世の常と、言った所か。
同じ会場では、子供たちの食事会も行われており、地域のご婦人方も、手伝いを兼ねて自分たちも食事を楽しみ、ご近所の噂と世間話に、花を咲かせている。当然、その中には里奈の姿も在った。各々が様々に、同じ時間と場所を共有している。
「退ちゃんに太一っちゃんや、飲んどるかの?」
そう言いつつ、太一と退助のグラスに、ビールを注ぎ足す勘吉。
「あ、すみません。いただきます。」
太一は、グラスの中身に一口だけ口を付ける。
「お、会長様直々のお酌とは、恐れ入るねぇ。」
退助はそう言いつつ、注がれたビールを一気に飲み干すと、グラスを勘吉に差し出す。
「ほい、会長さん。ご返盃。」
勘吉は退助からの酌を受けながら言う。
「お、こりゃ済まんのう、木星圏の英雄様から注いでもらえるなんて、こりゃ良い冥土の土産になるて。」
そこへ会話を聞きつけた陽介が、里奈と共に入ってくる。
「えぇ!それ何の事なんです?」
「なんじゃ、お前達。知らんかったのか?」
里奈が不思議そうに尋ねる。
「え、何かあったんですか?」
「全く、若いモンは仕方が無いのう。うちの太一っちゃんと退ちゃんは、あの木星探査行からの奇跡の帰還を果たした、八木太一と中島退助。当の本人じゃ。」
この時の勘吉は、どうやら酔いのせいで口が軽くなっていた様で、つい余計な事を口走る。
『えええええっ‼︎』
若い二人の驚嘆の声に、周囲の視線が注がれる。
これには、さすがの退助も狼狽えながら。
「おい!勘吉‼︎」
太一は一瞬だけ固まった後に。
「退助…もう遅いぞ。」
勘吉の爆弾発言に、里奈は何やら両手の指を折って計算を始め、陽介は瞳を輝かせて二人の顔を見つめている。
「八木さん、中島さん、そうだったんですね!俺、小さい頃にお二人の映画観ました‼︎」
「すみません、私ったら当のご本人に、同姓同名の別人…だなんて失礼な事を。」
突然の、自分に対する見る目の変化に戸惑いながらも、太一が言う。
「いや、陽介君。それはもう昔の事だから。」
「そうだぞ、陽介。里奈ちゃん、そんな事、気がつかなくて当然だ。」
赤面する里奈を、退助がなだめる。
ふと我に帰った里奈が、二人に尋ねる。
「え、でもちょっと待ってください。木星探査行って、もう今から四十年以上昔の事ですよね。当時、お二人が二十代だったとして、今は六十代後半とか七十歳くらいには、なってるはずじゃ…?」
里奈の言う事は尤もで、太一と退助の見た目は、どう見ても四十代の前半と、いうのがせいぜいな印象だ。
「宇宙というのは、そういう場所なんだ。」
そこへ騒ぎを見ていた白石がやってくる。
「恒一さん、どう言う事ですか?」
陽介が素朴な疑問を投げかける。
「お二人は現役の宇宙飛行士時代、亜光速で太陽系中を飛び回っていた訳だから、時間の進み方が、ずっと地球に居た我々とは違うんだよ。」
「…所謂、特殊相対性理論の、時間の遅れ…って事ですか?」
恐る恐る、里奈が言葉を挟む。
「お、さすが学校の先生だな。いよっ!我らが里奈ちゃんっ‼︎」
退助が茶化して見せたのは、場の空気が重くならない様にとの、彼なりの気遣いだったのだろう。
「もう、中島さん。茶化さないでください。」
「でもそれじゃお二人は、宇宙から戻られる度に、寂しい思いをされたんじゃないですか?」
と、少し心配そうな面持ちで、陽介は尋ねる。
「まぁ、少しはね。でも木星の大赤斑や火星越しの赤い日の出…他の人には中々見れない光景を、俺たちは見てきた。それに…。」
太一はそう言いかけると、隣に佇む退助を見た。
「それに?」
陽介が太一に答えを促す。
「…隣には、ずっとコイツが居てくれたんだ。」
「ば…バカ、そんな事…。お互い様に決まってんじゃねぇか。」
退助の頬が赤かったのは、単に酒のせいだけでは…なかったのかもしれない。
「俺はお前が居なかったら、とっくに任務から逃げ出していたのかも…しれないな。」
太一のその言葉に、退助はグラスのビールをあおりながら、そっぽを向く。心なしか、彼の頬の赤さが増している様に、里奈には感じられた。
「あれあれ〜、中島さ〜ん。顔が赤いですよ〜?」
「な、何言ってんだ里奈ちゃん、大人を揶揄うモンじゃねぇよ。それに太一も!人前で何言ってんだ。酔ってんのか?」
その退助の顔を見て、里奈は少し意地悪そうに言う。
「ふふ。これまでのお返しで〜す。」
「お二人って、ホントに仲が良いんですね。」
陽介は、感心しきりの様子だ。
「まぁつまり、そういう事だったのじゃ。」
勘吉の言葉に白石の冷静な一言が投げ掛けられる。
「会長には後程、申し上げたい事があります。直会終了後、居残り。」
「また、ワシだけ怒られるんじゃ…。」
「余計な事ばかり、仰るからです。」
「とほほ。」
4.
直会を一本締めで締めた後、会場の後片付けを終わらせると、保存会の面々は其々に、その日の労を労いつつ、家路を辿り始める。中には二次会へと赴く者も居り、太一と退助も当然、声を掛けられるのだが、まだ酒量に制限のある太一の事を慮って、その誘いは退助が上手く躱している。
「じゃあ、中島さん、八木さん。お疲れ様でした。」
「おう、里奈ちゃんもお疲れさん。」
「次の稽古日も楽しんで、頑張りましょう。」
陽介も、そう二人に声をかける。
「うん。次も宜しく頼むよ。」
そう言葉を交わすと、太一と退助は皆と別れ、帰り道を歩き始める。若い二人はどうやら、二次会への流れに加わる様子だ。自宅へと向かって歩いていく二人の後ろ姿を見ながら、里奈が陽介に語りかける。
「ねぇ、陽介くん。私たちも…将来あんな風に、なれれば良いね。」
「ああ、そうだね。二人で暮らして、その先に彼らみたいになれたなら、素敵な事だね。」
その二人に、若手の面子から声が掛かる。
「お〜い、二人とも。次行くぞ〜!」
『は〜い!』
そう返事をすると、若手の列に加わる二人。それを眺めながら、勘吉が呟く。
「若いと言うのは良いモンじゃて。さてワシもそろそろ…。」
そう言いつつ、なんとか若手の列に紛れ込もうと画策する、彼の襟首を掴む手があった。
「会長はこちらに。今夜は逃しませんよ。」
振り向くとそこには白石の姿。表情は笑っているが、その細い目の奥は明らかに笑っていない。そんな彼に猫の様に摘まれて、勘吉は談話室へと連行される。
「いやぁぁぁぁぁ!」
それぞれの夜は、こうして更けていった。
日の暮れた路地を、家へと歩きながら退助がいう。
「まさか、勘ちゃんが気づいてるとは思わなかったな。大丈夫だったか?」
「ああ、思ったよりは平気だったよ。他の皆も、自然に受け入れてくれてたしな。」
退助は太一の穏やかな表情に安堵しながら、言葉を続ける。
「変な一日だったよな。」
「でも…悪くなかった。」
「そうか。太一が楽しかったなら、俺もそれが良い。」
そう言うと退助は太一の手を引き、歩き始める。
「おい、バカ。こんな所で。」
「嫌か?」
キョトンとした顔で、退助が尋ねる。そんな彼の表情に、太一は一瞬ドキりとして頬が赤くなる。これは決して、酒のせいだけでは無かった。
「別に…嫌とかじゃ…。」
退助は太一の身体を引き寄せ、耳元でそっと囁く。
「今日こそは…さ。一緒に風呂、入ろうぜ。」
「お前なぁ…。」
つれない太一の言葉に、退助は困った顔で。
「…だめ?」
と、尋ねると太一も困った様な笑顔で。
「…良いよ。」
退助の顔は、途端に明るくなり。
「よし、早く帰ろうぜ!」
「まったく、現金なヤツだなぁ。」
5.
家に帰り着くと、退助はすぐに台所のタッチパネルを操作し、湯を張り始めた。太一はタオルと着替えを用意しながら、ふと動きを止める。
首から下の、滑らか過ぎる肌。大人の男ならば、本来あるはずの性徴の一つが無くなっている。腕も、胸も、股間も、脚も…。その見た目はヒトの体が、生物から人形に変えられてしまったかの様な印象を、誰よりも太一本人に与え、彼の心は帰還後も、その屈辱に苛まれ続けている。
それは原生圏に囚われた太一に対して、御影が『調整』と称し、彼に施した永久脱毛の痕跡だった。これはただの手入れでは無かった。本来の八木太一としての、心と身体の自由を完全に奪い去った証として、彼の身体に死ぬまで刻み込まれた、呪いであった。
洗脳下で悦びを強要され、身体を弄ばれ続けた日々。その大人の男としての証を、全て失った皮膚は、より敏感に、より無防備に感じる様に、御影によって入念に作り変えられていた。だからこそ、明かりの届く場所で、退助の前にその姿を晒す事が太一には怖かった。
(こんなのは俺の身体じゃない…退助がどう思うか…見られたくない…)
そんな思いが、これまで幾度となく、二人での入浴の機会を妨げてきた。退助が「一緒に入ろう。」と誘う度、「先に済ませた。」などと躱してきた。そんな太一を、退助もそれ以上は深く追及しなかった。それは多分、彼なりの察しだったのだ。
「…太一?」
退助が脱衣所から顔を出し、少し心配そうな面持ちで尋ねる。
「…もし辛く感じるなら、無理はするな。」
「あ…違うんだ、ちょっと待ってくれ。」
太一は深く息を吸った。今日、皆の前で「隣には、ずっとコイツが居てくれたんだ。」と、口にした自分が、今さら身体の事を隠すのは、何か違う気がした。
(でも…見せないと…先に進めない)
脱衣所に入ると、退助は既に全てを脱ぎ去り、その逞しい裸体を太一に向けて、堂々と晒していた。脇腹の傷跡が、照明の下で薄く浮かんでいる。太一は視線を逸らしながら、自分の服を脱ぎ始めた。Tシャツを脱ぎ、ズボンを落とし、最後に下着を手放す。露出した肌は、湯気の気配すら感じ取るほどに敏感で、無防備だった。
退助は黙って、その姿を見ていた。その視線には、驚きも哀れみも無い。ただ静かに太一の、筋肉質で均整の取れた身体を、見つめている。
「…無様だろ?」
太一はそう低く呟くと、自分の声の震えを自覚した。
「何言ってんだ。」
退助はそう言うと、太一を強く抱き締める。その退助の素肌の熱が、秋の夜風に冷えていた太一の肌に、じわりと沁みた。
「太一だ。俺が好きな、太一の身体だ。」
「でもこんな…お前に見せられたモノじゃ…。」
「知ってる。お前が帰って来てから、ずっと…気にしてる事は、何となく分かってた。」
退助の声は、驚くほど穏やかだった。責めるでも、励ますでも無く。ただ、事実をありのままに受け止める声。
「どうなったってお前が、お前で無くなる訳じゃないだろ。」
太一は唇を噛んだ。胸の奥が熱くなる。
(こんな身体になっても…俺を…受け止めてくれるのか?)
そんな問いが、彼の胸の中で繰り返し浮かんでは、消えていく。
「…ごめんな。」
「バカ、謝るな。」
退助はそう言うと、太一と唇を重ねる。太一は彼の力強く優しい口付けに暫くの間、目を閉じ身を任せる。やがて、唇を離した退助が言う。
「さ、入ろうぜ。このままじゃ風邪ひきそうだ。」
二人は浴室に入り、湯船に身を沈める。心地良い湯の温度が、固くなっていた心と身体を、ゆっくりと解していく。退助は太一の後ろに回り彼を抱き寄せ、大きな身体で彼を包み込む。厚い胸板の肌触りと、体毛と、固くなった彼自身の感触が、太一の滑らかな背中に重なる。
(…違う)
御影に嬲られたときの感覚とは、雲泥の差が有った。強制される冷たさでは無く、ただここに居る。という安心を、伝えてくれる様な優しさだった。
「…重いだろ?」
「丁度いい。」
退助は濡れた手で太一の髪を、後ろから優しく撫でつけた。
「もう、隠さないで良い。一人で抱えんな。」
太一は湯の中で、静かに息を吐いた。身体は沈み、彼は退助の胸板に後頭部を預け、目を閉じる。滑らかな自分の肌と、退助の自然な体毛の感触が、湯の中で混じり合っている。
嫌なものでは無かった。むしろ久しぶりに、自分の身体で、誰かと直に触れ合っている。という実感が、胸の奥に沁みて来るに連れ、太一の身体もまた、自然な反応を示していた。
(…これで…良いのかもしれない。)
「…ありがとう。退助。」
「バカ、これは俺の役得だろ?」
退助はそう囁くと太一の首筋に口付け、二人は小さく笑った。
「ゆっくり入ってろ。俺が洗ってやるから。」
「…お前が…洗うのか?」
「当たり前だ。これも俺の…」
「分かった分かった。」
太一は苦笑いしながらも、もう抵抗しなかった。洗い場の椅子に腰掛けた彼の全身を、退助の大きな手が、優しく隈なく、洗い始める。過去の傷を否定するでも無く、気にするでも無く。ただただ、有るものとして扱ってくれる感覚が、長い間心の隅に固まっていたものを、少しずつ溶かしていく気がした。
湯気の中で、二人の時間がゆっくりと流れていった。
6.
高い空と澄んだ空気。猛暑を齎らした今年の夏の勢いも弱まり、日差しにも少しの優しさを感じられる様になった頃。種子島の空港に降り立つ、二人の青年の姿が在った。
「…ツイに来たねぇ。」
初めての土地の雰囲気に、榊澪のテンションは上がり気味の様子だ。
「ああ、そうだな。」
そう応じるのは、津崎湊。心なしか、落ち着かない印象で周囲を眺める。
「そう言えば湊はここ、初めてじゃないんだよね?」
「うん。でも前は仕事だったからね。」
以前は天梯事件の際に、退助と共に旧実験棟へと至る足掛かりを求め、ここを訪れていた湊だった。
「あの時は、周りを見てる余裕も無かったよ。」
「まぁ、今回も…半分は仕事になっちゃったけど、久しぶりにあの二人に会えるじゃない?」
当初、完全な休暇として、太一と退助の許を訪れる予定の二人だったのだが、出発前に、今は保安局長へと昇進した鷹宮から呼び出しを受け、とある「預かり物」を託され、此処へと赴く事になったのである。
それは二人の携わる研究の、一つの成果物であり宇宙開発機構技術部の、機密に属する事でもあった。
「ここから二人のいる神社までは、太一さんがレンタカーを手配してくれてたよね。」
空港から先の足を、湊に確認する澪。
「ああ、その筈だ。」
二人はその足で、空港に隣接するレンタカーショップへと赴き、車のキーを受け取る。その際に、湊は受付の女性から言葉を掛けられた。
「津崎様でいらっしゃいますね。鷹宮様より、ご伝言をお預かりしています。」
そう言って差し出された封筒と、小さめの包みを湊が受け取り、先ず封筒の中身を確認する。
『預かり物の配送先は副会長』
「了解です。」
二人は指定された車に、荷物を載せると湊が運転席、澪が助手席へと乗り込む。湊がイグニッションを押す前に、澪が携帯端末を充電端子へと接続し、車体の制御システムをチェックする。
その傍らで湊は、渡された包みを開けると、そのケースの中から保安部制式採用型の拳銃を取り出し、薬室に弾丸が装填されている事を確認すると安全装置を掛け、ホルスターへと収め、予備の弾倉と共に携帯する。
「大丈夫。妙な仕込みは無いみたいだ。」
澪のその言葉に頷くと、湊はイグニッションスイッチを押し込み、車体のシステムを起動させる。
「じゃ、行くか。」
その言葉と共に、車は駐車場を後にした。
二人の乗った車は、モーターの静かな回転音を伴いながら、海沿いの道を走る。窓を開け、外の空気を取り込みながら、澪が言う。
「こっちは、かなり涼しいねぇ。」
「まだ日本は、四季が残っている方だな。」
ステアリングを操りながら、湊が応じる。やはり、こっちに着いてからは、少し落ち着かない様子だ。
「湊、さっきから落ち着かないね。」
「そんな事無いって。」
慌てて否定する湊を、なぜか追撃する澪。
「ふぅん?」
「な…何だよ。」
「別に。良いけどね。」
澪はそう言うと、少し楽しそうに笑う。
「久しぶりに、退助さんに会えるもんね?」
「二人に。だろ。」
ちょっとムキになって言い返す湊。だが、そう答えながらも彼の表情には、抑えきれない期待が滲んでいた。
7.
いよいよ秋祭りの本番当日を迎えた保存会の一行は、いつもの公民館に集合した後、貸切バスに乗り合わせ、棒踊りを奉納する神社へと向かっていた。
「……んご。」
太一と隣り合った座席に着いた退助は、太一に寄り掛かり幸せそうな顔で、見事に居眠りをしている。
「…ホントに大物だな、コイツは。」
太一はそんな退助に半分(以上)呆れながら、ポケットから取り出したハンカチで、彼の口元の涎を拭っていた。その時。
「…太一…ぃ…そんなトコ…あ…らめぇ…」
一体どんな夢を見れば、そんな寝言が漏れるのだろうか?
(あとで絶対、シメてやる!)
太一はハンカチを握りしめながら、その手を振るわせている。
そこへ車内に、マイク越しの白石の声が響く。
「皆さん、間もなく到着します。日頃の稽古の成果を発揮して、真剣な中にも楽しく。今日の奉納を終えられれば最高だなと、思っております。」
そう言い終わると、白石はマイクを勘吉に渡す。
「おう、野郎ども!ここまでの成果を見せつけてやる時じゃ、やるぞぉぉ‼︎」
彼の一言に、若手を中心に鬨の声があがる。
「おぉーっ!」
意外にも、人望の有る勘吉だった。
「それでは、ここで一曲…」
そんな勘吉の手元から、するりとマイクを奪い取ると、白石が続ける。
「到着しましたら、参集殿で着替えます。荷物運びを若手メンバー中心で、手伝ってください。」
その横では…勘吉が拗ねている。
8.
一同を乗せたバスは、神社の駐車場へと到着する。
「ほら、退助。着いたぞ、起きろ!」
太一は眠り込んだ彼の身体を揺すって、起こそうとしている。
「…えへへぇ…太一…そんなすっごい…出ちゃう。」
これにはさすがの太一も、我慢の限界を越えたようで。
「起きろと言っている‼︎」
参集殿に荷物を運び込んだ保存会一行は、本番用の衣装一式を其々に受け取り、着替えを始める。まず白い股引に長袖の肌着を着け、黒足袋を履いて、ふくらはぎには脚半を巻き、わらじを履く。
次に赤い生地に金の糸で刺繍が施された前掛けを腰に巻いて、その上から白地に薄く縞模様の入った単衣の長着を羽織り帯を締め、帯に縄状の飾りを付ける。長着の裾を尻端折りにすると、赤い褌の前垂れが、着物の裾から見えているかの様な格好になる。
そこへ赤と黄色のネジネジで襷掛けをする。最後に幅の広い鉢巻を締め、頭の後ろに結び目を作れば、日本男児の晴れ姿、一丁上がりだ。
「うん、こんなモノですね。」
衣装を初めて身に着ける太一と退助の着付けは、白石が面倒をみていた。彼に対して、口々に礼を述べる太一と退助に、勘吉が話し掛ける。
「おお、太一っちゃんに退ちゃんや、初めてにしちゃあ、なかなか板に付いとるじゃないか。」
「おう。なんせ元が良いからな!」
そう言いつつ豪快に笑う退助の頬には、何故かうっすらと、手の平の跡が赤く残っている。
「?」
無言で首を傾げる勘吉の側で、太一は気まずい表情を浮かべながら、そっぽを向いている。
9.
「うぅ…太一が、ぶった…。」
着替えを終え、参集殿から拝殿前の広場へと向かう道すがら、退助は頬をさすりながら、涙目でそうボヤいた。太一はそんな退助に、横目でジトりと、冷ややかな視線を浴びせている。
「どんな夢見てたか、覚えてないのか?」
そう問い詰める太一の言葉に、にへら…と幸せそうに退助の鼻の下が伸びる
「…そ・う・い・う・ト・コ・だぞ!」
太一は隣を歩く退助の頬に手を伸ばし、抓りあげる。
「ひゃい、ごめんらはい…。」
そんな二人に遠くから駆け寄りながら、彼らの名前を呼ぶ、青年たちの姿があった。
「退助さーん!」
「太一さん‼︎」
その姿を視界におさめ、太一が嬉しそうに呟く。
「お、来たな。」
「え?」
まだ状況を飲み込めない退助が、声の方向に視線を移すと、そこには見覚えのある影が映る。
一人はどことなく優柔不断な印象があるが、実直な好青年と言った見た目の津崎湊。そしてもう一人は整った中性的な顔立ちに、どこか繊細な印象を見る物に与える青年、榊澪。あの日、アンカーアイランドの空港で、別れたきりの二人の姿が今、目の前に在る。
「へ…なんでお前らが、ここに居るんだ?」
呆気に取られながら、辛うじてそう呟いた退助に、太一が平然とした口調で言う。
「俺が呼んだ。」
「聞いてないぞ?」
「言ってないからな。」
「そりゃないだろ!」
澪が太一の前に歩み寄り、その手を握りながら言う。
「太一さん、今日はお招きありがとうございます。お言葉に甘えて、来ちゃいました。」
澪に握られた両手を、ぶんぶんと上下に揺すられながら、太一は言葉を返す。
「喜んでくれたみたいで何よりだ。楽しんでいってくれ。」
その傍らで湊は退助を見つめたまま、固まっている。
湊が久しぶりに見た退助は、種子島伝統の装束に身を包んでいた。黒足袋にわらじ履き。白地に淡い縞の柄の入った単衣の長着の袖に襷を掛けて、尻端折りにした裾からは、赤い前垂れに白い股引が見えている。頭に巻かれた幅広の鉢巻は日に焼けた退助の、男臭く精悍な顔立ちを引き立てている。
「お久し…ぶりです。」
「お、おう、よく来たな澪。久しぶりだな、湊。二人共元気そうで安心したぞ。」
その勇ましくもどこか愛嬌のある、退助の晴れ姿に見惚れている湊の横に、澪は立つと太一と退助からは見えない角度で、湊の尻を抓りあげる。
「い゛っ!」
「そ・う・い・う・ト・コ・だぞ。」
耳元でそう囁く澪の声に、申し訳なさそうに答える湊。
「はい、ごめんなさい。」
「?」
無言で首を傾げる退助の隣で太一は全てを察し、少し焦った様な笑みを浮かべている。
10.
久しぶりの再会を喜び合う四人の側へ、歩いてくる人影が有った。白石である。もちろん彼も、同じ踊り手の衣装を着けている
「おや?お二人共どうされました?」
そんな白石の問いに、太一が答える。
「あ、副会長。こちらは以前の同僚で、津崎湊と榊澪です。」
太一の紹介に、白石の細い目の奥がピクりと反応した事に、太一と退助は気づいていない。
「で、こっちが保存会の副会長。白石恒一さんだ。」
退助がそう紹介すると、三人はそれぞれ声を掛け合いながら、握手を交わす。
「八木さん、中島さん。もうそろそろ集合時間なので、先に行ってください。こちらのご友人は、私がご案内しますので。」
白石の唐突な申し出に、多少の違和感を感じながらも二人は、湊と澪を白石に託し、集合場所へと向かう事にする。
「それじゃあ副会長。二人をお願いします。」
「はい、分かりました。」
太一たちが歩き去った後、澪が本題を切り出す。
「太一さんの主治医。白石恒一さんでいらっしゃいますね?」
「はい。私が白石です。それでは、やはりあなた方が?」
澪と湊は、身分証を提示しながら言葉を続ける。
「はい。宇宙開発機構技術部所属、榊澪です。鷹宮局長からの預かり物を、お届けに参りました。」
「同じく、津崎湊です。元は保安部の所属なので、今回は榊澪護衛の任を、局長から仰せつかりました。」
「そうですか。鷹宮局長からご連絡はいただいてます。思ったよりお若い方だったので、少し驚きましたが。」
二人の過去についても把握する立場に有る白石は、彼らのこれまでの生い立ちに思いが至ると、胸が締め付けられる思いに駆られる。
「私たち世代の傲慢が、あなた方の様な存在を生み出してしまった事に、慚愧の念を禁じ得ません。」
そう言うと、白石は二人に頭を下げた。
「やめてください。僕たちはもう、気にしていませんから。」
澪の言葉に、湊も続ける。
「そうです。確かに辛かったと感じる事も有りますが、使い様によっては、大事な人を守るための力にもなると、先の一件では実感しました。」
その言葉を聞き、白石は二人をしばらく見つめていた。
「…そうですか。」
やがて彼は穏やかに頷く。
「そう言ってくださるなら、私も少し救われます。それにしても、よく来てくださいましたね。私個人としても、あなた方を歓迎します。預かり物の受領は後日、私の診察室と言う事にして。どうか今日は、祭りを楽しんでいってください。」
白石はそう言うと、拝殿前の広場へと若い二人を促し、歩き出した。
11.
拝殿前の広場では、保存会の踊り手たちが集合して、渡された六尺棒を担ぎ、隊列を組み始めている。太一と退助もその中に加わり、初めての本番…晴れの舞台を迎えようとしていた。
大人達の奉納の前には、子供の踊りが披露されている。子供達に取っても、夏休みを通して打ち込んだ、校外学習の成果を発表する大切な舞台だ。若手のリーダーで、子供達の稽古を担当してきた陽介の唄に合わせ、今日は礼服である黒いスーツに、白ネクタイ姿の勘吉が太鼓を叩く。
小さな身体を精一杯に広げ、懸命に舞う子供たちの姿を、その親達はカメラに収めつつ、我が子の成長を喜び、引率者である里奈もその様子を、にこやかに見守っている。
その見物人達の列に、白石に伴われた湊と澪が加わる。
「この辺で見物されるのが良いかと思います。奉納が終わったら、私がご招待しますので、直会にもおいでください。」
白石のその言葉に、二人は異口同音に頭を下げる。
「ありがとうございます。」
「何から何まですみません。」
そして白石は、踊り手達の列に向かいながら振り向き様に二人へと声を掛ける。
「それでは、また後ほど。」
踊り手の列に合流を果たした白石に、勘吉が話し掛ける。
「なんじゃ恒一。お前さんがギリギリとは、珍しいの?」
「ええ、ちょっと。お客さんを案内してましたから。」
白石の言葉に、勘吉の視線が湊と澪の居る方へと向く。
「ほう。それは、あの二人の兄ちゃんたちの事かの?」
「そうですが。それが何か?」
「いや何も。それなら良いんじゃ。」
その二人を見る勘吉の視線が、ほんの一瞬。惨く冷酷な光を孕んだ事に気付く者は、この時。まだ誰も居なかった。
12.
「ついに本番だな。」
何やら楽しげな退助のその言葉に、太一も笑いながら頷く。
「本当は、お前を驚かせたかったんだけどな。」
そんな太一の肩を抱きながら、嬉しそうに退助が言う。
「最近のお前には、ホントに驚かされっぱなしだよ。」
(あの状態から全部抱えて帰って来て、お前良くここまで…。)
そんな太一の横顔に目頭が熱くなる退助は、湧き上がる感情に突き動かされながら。照れた自分を隠すかの様に、彼の頭をガシガシと撫でる。
「うわ、お前何すんだ!」
「何でもねェよ、こんにゃろめ!」
その二人が戯れ合う光景を、見物人の列から四つの若い瞳が眺める。
(やっぱり、敵わないよな。)
心の中で、そう呟く湊に澪が若干、悪戯っぽく声を掛ける。
「どう、諦めついた?」
「ば、バカ!そんなの、とっくの昔に決まってるじゃないか‼︎」
「ふ〜ん。そっかそっか。」
そんな澪の一言に、少し膨れた様な表情で湊が返す。
「なんだよ?」
「ううん。別に。」
そう言いつつ、整列しつつある踊り手達に視線を戻した澪の手が、突然力強く握られる。
「!」
驚いた澪は、湊の横顔を見つめた。湊は、そっぽを向いたまま澪に語り掛ける。その頬は、若干の赤みを帯びていた。
「…大切な者はな、しっかり握ってないと、ある日突然消えてしまうんだ。と、それを俺に教えてくれたのは、あの二人だ。」
「湊…お前…。」
呆気に取られた様に呟く澪に、湊は彼の顔を見つめながら言った。
「そんなワケで、これからも離さないんで。ヨロシク。」
「ば〜か。」
そう言いながらも澪は、湊の手を強く握り返していた。
13.
子供達の踊りが終わり、いよいよ大人の出番がやって来た。澄み切った秋の空の元、伝統的な装束に身を包み、六尺棒を右肩に担いだ三十人程の男たちが、三列に並び整列を終えている。
白石は先頭の中央。太一は白石の右隣に立ち、退助はそのすぐ後ろだ。陽介は白石の後ろに陣取り、黙って始まりを待つ。
「いよいよだ。いくぞ、退助。」
太一は振り返ると明るい表情で、そう彼に言葉を掛けた。
「おう。任せろ、太一。」
退助は笑顔で、そう答える。
まず「囃し手」と呼ばれる、鬼の面を被りガニカゴを腰に付け、槍を持った二人が奇声を上げながら、列の前に躍り出て、踊り手に手招きをする。
♪オセロが山は 前は大河…
先頭の列、その中央に立つ白石の唄い初めに合わせ、勘吉が太鼓を叩く。唄と太鼓のリズムに乗って、踊り手の男達は皆で唄いながら、ゆっくりとした歩調で、拝殿前の広場へと入場してくる。太一と退助もその中に混ざり、堂々の行進を見せている
「アー、ソイソイソイ。」
その半分くらいの行程を終えた所で、踊り手達はそう掛け声を掛けると、その場で足踏みをして、残りを歩き始める。
「エイエイ、サーサ。」
定められた位置まで行進を終えた踊り手達は、その掛け声で足を止め、担いだ棒をくるりと回し右手に持ち地面に立て、一旦動きを止める。
「あ、湊。見なよ、太一さん達あそこに居るよ!」
澪の言葉に湊が答える。
「ああ。でもなんかあれ、一番目立つトコじゃないか?」
その二人の会話に、側に佇んでいた女性が話し掛ける。
「あら、八木さんと中島さんの、お知り合いでいらっしゃいますか?」
『?』
突然の言葉に湊と澪が一瞬、怪訝な表情を向ける。
「あ、私。東海林 里奈と言います。保存会のお手伝いを、させていただいてます。」
その自己紹介に合点のいった澪が、返事をする。
「あぁ、そうでしたか。僕は榊澪。で、こっちは津崎湊って言います。今日は太一さんのお招きで、見物に来ました。」
「あら、そうだったんですね。」
「で、コイツはさっき、退助さんに振られたトコロです。」
澪の無邪気(?)なヒトコトに、狼狽える湊。
「バカ!お前何言ってんだ‼︎」
「まぁ、ご傷心でいらしたのね。」
気の毒そうに呟く里奈に、湊は慌てて返す。
「違う!そんなんじゃ無くて…」
必死の言い訳を試みようとする湊を余所に、囃し手達が再び奇声を上げながら、踊り手達の間を走り抜けた。
「あ、棒振りが始まりますよ。」
里奈のその、あっさりとした一言に遮られ、湊の弁明は秋の空へと消え去った。
♪オセロが山は…
今度は勘吉が一人で唄いながら、太鼓を叩く。その声は朗々と境内へと響き渡り、踊り手達はその唄に応え、前後に軽やかなステップを踏みながら、棒を突き出し、振り上げ振り下ろしクルリと回し、掛け声と共に、その動きを繰り返す。
「サーサ、エイエイ。」
「イヤ、サッサーサ、エイエイ。」
入場の際にはまだ、若干の緊張を滲ませていた太一の表情も、次第に落ち着きを見せ、踊りを楽しんでいる様に見える。退助は既に、持ち前の大物っぷりを発揮して、堂々の立ち振る舞いを見せていた。
やがて唄が終わると、踊り手達は掛け声と共に棒を地面に立て、最初の姿勢に戻る。
「イヤ、サッサーサ、エイエイ、サーサ。」
棒振りが終わると踊り手達は、六人一組に隊列を組み直し、右手に持った棒を地面に立て、次の準備を整える。白石の隣に太一、その後列に退助と陽介の位置関係は、入場から棒振りの時と変わらない。そこへまた囃し手が現れ、踊りを始める合図を出す。
「へぇ、これが棒踊りかぁ。」
その澪の声に、里奈が答える。
「今のは棒振りと言って…まぁ準備運動みたいなモノですね。今、また囃し手が出て来たでしょ?あの合図で、次は本踊りが始まります。」
「なるほど、そんな段取りが有るんですね。」
里奈の説明に、湊が頷く。そこへ太鼓の音と共に、勘吉の唄声が再び響き始める。
♪焼け野のキジは おかの背にすむ…
「始まりますよ。ここでは八木さんが打ち手で、中島さんが受け手になって踊ります。」
里奈がそう話すと、踊り手達が唄に合わせ動き始める。
「サーサ、エイエイ、エイエイ。」
その掛け声と共に前列の太一は、振り向かず背中越しに、後列の退助を打つ。退助は棒を地面に立て、太一の打つ棒を受け止める。
「エイエイ、サーサ。」
次の瞬間、その掛け声と共に、太一はくるりと、身軽に翻り退助に向けて、棒を思い切り振り下ろす。
(うわ、危ない!)
湊がそう感じたときには、退助は片膝を付く姿勢を取り、横一文字に構えた棒の中心で、正確に太一の一撃を受け止めている。
「中々スリリングでしょ?二人の息が合ってないと、結構難しいんですよ。」
里奈の説明に、湊と澪は、思わず息を呑みながら頷く。
「イヤサ、エイエイ、エイエイ、サーサ。」
踊り手達は、自らの両手足を大の字に大きく広げたかと思うと、今度は大きく腰を落とすと、片膝を付く様に飛び跳ねながら、地面を棒で力強く打ち鳴らしつつ、そして互いに打ち合い、クルクルと位置を入れ変えていく。
その度に棒はリズミカルな響きを奏で、踊り手達の襷掛けした背中に結び付けられた、赤と黄色の生地が、長着の裾から見える赤い前掛けが、ヒラヒラと風に靡いて舞う。
唄と太鼓のリズムに乗りながら、軽快に舞う男達の姿はどこまでも勇壮で、それでいて、どこかしら長閑で愛嬌を感じさせる、不思議な魅力を放っていた。
(あ、退助さん。カワイイ。)
そう見惚れていた湊の足の甲に、ずんっ!っと衝撃が加わり、彼は思わず我に帰る。そして視線を移した足先は、思い切り澪に踏みつけられていた。
「あ゛い゛っ‼︎」
「どうかされました?」
不思議そうな顔で、里奈が湊に尋ねる。
「い…いえ何もっ!」
「?」
その横で、澪は何食わぬ顔で太一と退助を応援している。
「イーヤサ、エイエイ、エイエイ、サーサ…。」
同じ振り付けを二度繰り返した踊り手達は、その掛け声で踊りを締め、始めの姿勢に戻ると、一旦隊列を解いて、今度は二列で整列を始める。その頃には太一と退助のこめかみにも、一筋の汗が光り、上がった呼吸に肩は上下しているが、二人の表情は明るく、どこか誇らしげに見えた。
「へぇ、太一さんって、あんな顔するんだ。」
澪が意外そうな表情で呟く。
「ああ、そうだな。」
湊はそう返しつつ思う。
(そう言えばコイツは、太一さんの一番辛いときの顔しか、知らなかったんだな。)
整列を終えた踊り手の片方の列は、先ほどよりも短い棒に持ち替えている。太一もその内の一人だ。
「本踊りの後半は、三尺棒と六尺棒で打ち合って踊ります。八木さんは三尺棒で、中島さんは引き続き六尺棒を持たれます。」
里奈がそう言うと、また囃し手が奇声を上げながら、踊り手達の列の間を駆け抜けた。頃合いを計った勘吉が太鼓を叩き、唄い始める。
♪オセロが山は 前は大河
「サーサーサーサ。」
その掛け声と共に踊り手達は又、軽やかな足取りで三歩ほど前進する。三尺棒を持つ太一は、棒を右手で器用にクルクルと振り回し、そして上段に構え退助に向き合う。退助は六尺棒を右手に、その大きな身体を大の字に広げ、次の瞬間。飛び跳ねながら激しく三合、互いに打ち合う。
「イヤサ、エイエイ、エイエイ、エイエイ、サーサ。」
その楽しそうで無邪気な表情は、チャンバラごっこに興じる少年の様にも見える。
一旦最初の姿勢に戻った踊り手達は、掛け声を掛け合いながら、六尺棒同士、三尺棒同士でまた三合打ち合った後、再び太一と退助が向き合い、打ち合いを続ける。
「イヤサ、エイエイ、エイエイ。」
やがて二人は互いに棒を下段に持ち替え、前方へ突き出し一合。次の瞬間には太一は棒をクルリと回し中段に、退助も六尺棒を大きく振りかぶって中段に構えると、向き合った二人はまるで歌舞伎役者の様な見得を切り、互いを真っ直ぐに見つめ合い、上段に一合打ち合う。
その武者絵から飛び出した様な、真剣な眼差しと横顔は真に凛々しく、周囲の観客の目を、一手に惹きつけずにはいられなかった。勿論、この男も例外ではない。
(…ああ、退助さん。尊すぎてもう苦しい…)
そうして悶える湊の頬に澪の爪が迫り、彼は性懲りも無く抓り上げられる。
「いででででででっ‼︎」
その様子は湊の隣に並び、見物に夢中な里奈からは死角になり、見えない。榊澪、中々の策士である。
「?。津崎さん、お加減でも悪いですか?」
そう不思議そうに尋ねる里奈に、片頬を手で押さえながら、慌てて取り繕う湊。
「いえっ!なんでも有りませんっ!大丈夫ですっ‼︎」
「あ、一番良いトコロ、来ますよ‼︎」
その里奈の声に、湊と澪は、視線を踊り手に戻す。
「イーヤサ、エイエイ、ホウッ、ホウッ!」
その掛け声と共にふたりは、互いに棒を上段に構えたかと思うと、次の瞬間には退助が、太一の足を薙ぎにいく動きを見せる。すると太一は退助の棒を払いつつ、その上を風の様に、身軽に飛び越えた。
二人はその様に切り結び、お互いの位置を入れ替える。
「わぁ、スゴい!」
澪はその動きに、感嘆しながら魅入っている。
「アリャ、ソイソイソイ。」
その掛け声と共に、再び三歩ほど前進した踊り手達は、数合の打ち合いを経て、互いの位置を元に戻す。
「イヤサ、エイエイ、エイエイ、エイエイ、サーサ。」
後半の振り付けも二度ほど繰り返すと、やがて勘吉の唄が終わり、彼は太鼓を激しく打ち鳴らし始める。その太鼓を合図に、踊り手達は棒を担ぎ駆け足で、拝殿前に集合する。
「一同!拝礼‼︎」
勘吉のその号令に、踊り手達は拝殿に向かい深々と一礼をし、太一と退助も、それに倣う。
やがて顔を上げた一同に、再び勘吉の号令が掛かる。
「右向け!右‼︎観客に対して、礼!」
「ありがとうございました!」
他の踊り手達に混ざり太一と退助も、見物客達に対して一礼をする。
「観客の皆さん。踊り手達に、どうか盛大な拍手を!」
宮司からの呼びかけに会場は、割れんばかりの拍手に包まれた。湊と澪は、やがて顔を上げた太一と退助の表情を見た。見つめ合いながら、互いに微笑み合う二人の間には、やり遂げた充実感と深まる信頼が、満ちている様に感じられた。
はい、これまたご無沙汰しております。中の人です。
第三幕、無事にお届け出来て、ホッとしております。って言ってもおじさんが二人、棒持って踊ってるだけの話なんですけどね。と、なるべくならない様に、甘いシーン…と言ってもおじさん二人の絡みなんですが…。とか、SFってコトもちょっと忘れそうになって来てたので、少しそんな感じも入れてみました。当初、幕間は今回で締めるつもりだったんですが、例によってw想定より長くなってしまったので、もう一幕、二人の休暇を締める話をやってから、本編に戻っていこうかと、考えております。二人の冒険に、もうちょっとお付き合いくださると、嬉しいです。
ありがとうございました。




