第七話 迷い子たちの幕間 〜第一幕〜
太一が退助と共に、種子島へと帰る道を選び、穏やかな暮らしを営み始めて一月程の時間が経過した頃、島の季節は夏を迎えようとしていた。
この頃遂に、リハビリ期間を終え念願の、主治医からのお墨付きを得た退助は、それ以前の活発さを発揮し始め、趣味の庭いじりや、漁港への買い出し…を名目にした外出を、楽しむ日々に馴染み始めていた。
一方の太一も、日々の家事をこなしながら、自分の中の罪の意識や心の傷と、向き合う事を怠らなかった。そんな彼の日々の救いになっているのは、やはり持ち前の活発さを取り戻し、悪戯っ子の様な無邪気さを、その目に宿した退助の存在だった。
宇宙開発機構の公職に在った日々には仲々、一つの所に腰を落ち着ける生活とは無縁の彼らだったが、終の住処と決めたこの土地で、二人の周囲は何やら賑やかさを増して行く様で…。
1.
種子島は、その日も静かな夜を迎えていた。窓の外には遠くに波の音が、近くに虫の鳴き声が、豊かな自然の音色を奏でている。
退助は布団の中で、隣に眠って居る筈の太一の気配に気が付いて、目を開ける。
「…太一?」
隣のベッドでは、太一が荒い呼吸を繰り返していた。全身に汗が滲み、身体が微かに震えて居る。
『こんなに大きくして、可愛いね。』
『もっと壊れて、悶えてみせてよ。』
『ほら、こんなに悦んで。感じちゃってるじゃないか。』
夢の中でそんな声に、心を苛まれているのだろう。
退助は何も言わず、そっと太一に添い寝をして、彼の身体を抱き締めた。びくり、と一瞬、太一の身体が震え、その強張りが少しだけ解けた。
「……ん…退助?」
「ああ、ここに居る。」
退助は優しく答えながら、太一の頭を胸に抱き抱え、彼の頭を静かに撫でる。暫くして、太一は退助の厚い胸板に、額を預けながら呟いた。
「すまん…また起こしてしまったな。」
退助は太一と唇を重ね、そして互いに額を合わせながら、まるで当たり前の事の様に言う。
「何言ってんだ、これは俺の役得ってモンだろ。」
太一は、一瞬だけ目を見開いた後、堪えきれず、小さく笑った。その声はまだ、弱々しいものではあったが、退助には確かに、彼が生きて居る証の様に感じられた。
太一はその後暫く、退助の体温を全身に感じながら、徐々に平常の呼吸を取り戻していく。退助は優しく彼の身体を抱きながら、その様子を見守っていた。やがて呼吸が落ち着くと、太一はその腕の中で小さく呟く。
「…悪い、俺なんかの為に。」
「だから謝るなって。」
その言葉の後、退助は急に思い出したかの様に言葉を続けた。
「そう言えば、明日…ってもう今日か。確かカウンセリングの日だったよな?」
「ああ、そうだが…。」
「じゃ、俺も一緒に行く。帰りに外で飯でも食おうぜ。」
2.
翌朝、朝食を摂り終えた二人は身支度を済ませ、宇宙開発機構の付属病院へと来ていた。 心療内科の待合室の窓からは、二人のかつての学舎越しに、海が見える。
『中島です。』
宇宙服を脱いだ後の、少し汗ばんだ空気を纏った男が、名刺を差し出した。年齢と体格は、太一と同じくらいに見える。
『八木……』
そう言いながら、太一も名刺を差し出し、受け取った名刺に視線を落とす。「中島退助」と書かれている。
そのほんの一瞬、太一の中のもう一人の心が、不自然に揺れる。理由はない。記憶もない。でも、胸の奥が懐かしくなる。
『……太一です。』
初対面のはずなのに、言葉が柔らかい。退助が、ふっと笑う。
『どっかで会ったこと、ありましたっけ?』
太一は古巣を眺めながら、退助と現世での再会を果たした頃へと思いを馳せる。しかし同時に、現在の自らの境遇に考えが至ると、どうしても心の深い場所から、苦いものがこみ上げる様な感覚に囚われ、その自覚に思わず苦笑が漏れる。
「情けない事だ…。」
そんな独り言を漏らしている太一の頬に突然、ぴとっ!と冷たい感触が当たる。
「…っ!」
「こらぁ、何考えてる?」
退助が自販機で買って来た缶コーヒーを、太一の頬に当てながら怪訝な顔で尋ねる。
「我ながら未練がましい事だと、分かってはいるんだが…な。」
太一に冷えた缶コーヒーを手渡し、その隣へと腰をおろしながら、やれやれ…と言った表情で、退助は彼に語りかける。
「なぁ、太一。俺はお前がこうして隣に居てくれる…それだけで十分幸せな事だと思っとるよ。」
「宇宙だの天梯だのは、もういい。」
その無骨だが、込められた優しさが痛いほどに伝わる退助の物言いに、太一は何度救われる思いになったか、知れない程だ。しかし、その感謝を伝える彼の言葉には最近、ある「癖」が付いていた。
「済まないな、退助…俺なんかの為に」
その言葉に、退助の眉がぴくりと動く。
「おい、次、俺なんか…なんて言ったら、助走をつけてグーで殴るからな。」
「怖い事言うなよ。」
「俺は麻酔なしで縫われるんだそうだから、これで、おあいこだ。」
二人の間に、小さな笑いが起こる。それから暫くして。
「八木太一さん…診察室へお入りください…」
その呼び出しに二人は揃って、ベンチから腰を上げた。
3.
診察室へと迎え入れられた二人を待っていたのは、五十を少し過ぎた頃の、がっしりとした体型の医師だった。名を白石恒一という。強面の中にもどこか優しさを感じさせる顔立ちと、時折浮かべる、穏やかな中に人懐っこさが混ざった笑顔で、不思議と人の警戒心を緩ませる雰囲気を持っている。現在の太一の主治医で、カウンセリングも担当する人物だ。
「おはようございます。おや、今日は中島さんもご一緒ですね。」
白石は挨拶を返す二人に、椅子を勧めながら、そう話しかけた。
「おう、先生。ヒマだからくっ付いてきたぞ。」
「どうぞどうぞ。丁度、中島さんからも、お話を訊きたいと思って居たので。」
退助の言葉に、そう応じながら、目の前に座る太一に言葉をかける。
「八木さん。最近は、お加減いかがですか?」
若干の戸惑いを滲ませつつも、太一は答える。
「洗脳状態から戻った当時と比べたら…だいぶ楽になった自覚は有ります。」
「今でも、少し夢を見てしまう事は有りますが…。」
白石は、タブレットの画面にペンを走らせながらも、太一の表情の変化には注意を怠らずに、言葉を続ける。
「そうですか…まだ夢は見てしまわれるんですね。睡眠自体は…眠れていますか?」
太一は一瞬、隣に座る退助の方に視線を移しつつ、穏やかな笑顔で、質問に応じる。
「ええ。何かと気を遣ってくれるのが、隣にいますので。」
「食欲は有りますか?」
その問いにも、淀み無く彼は答える。
「そうですね。作ったり食べたりも、楽しくやってます。」
太一の受け答えに、白石は安堵の表情を浮かべながら、次に退助に視線を移す。
「中島さんからご覧になられた、八木さんはどんな様子ですか?」
「作ってくれるおかずは、どれも美味いぞ。特に煮付けが絶品だ。」
笑いを堪えながら、白石は続ける。
「…それは…ごちそうさまです。で、夜の様子は…?」
「それ訊くか?先生も好きだねぇ。」
「いや、そう言う事では無くてですね。」
タブレットの本体で顔を隠した、白石の肩が小刻みに震えている。どうやら笑いのツボに入ってしまった様子だ。太一は隣で、呆気に取られている。
「分かってる、冗談だ。」
退助は真顔になって言葉を繋ぐ。
「魘される頻度は下がってきたな。昼間に、不意に強張ったりする事は、まだ有るみたいだ。」
「ありがとうございます。客観的に見て下さっている方が居ると、私も助かります。」
辛うじて笑いを堪える事に成功した白石が応じる、その斜向かいで、退助は心なしか残念そうな表情を、何故か浮かべている。
その退助の揺さぶり(?)に、屈する事なく、彼への質問を終えた白石は、再び太一に向き合い、話を続ける。
「ご自宅での様子は分かりました。前回よりも安定されているご様子なので、今回は少し、お薬を減らして、様子を見る事にしましょう。」
そう話した後で白石は一つの提案を、太一に投げかける。
「ところで八木さん。外出に関しては如何です?最近、生活のために必要なご用以外で出かける事はありましたか?」
その問いかけに至ると、太一は少し表情を曇らせる。
「いや…そこはまでは…まだ、なかなか…。」
「そうですよね。でも私は、そろそろ少しづつ外の世界に戻る練習を、初めてみても良い頃だと思っています。」
その言葉に、太一は少しだけ、目を伏せた。
「働くとか、社会復帰とか、まだそういう話ではありません。」
「まずは少しづつ、ご近所のお散歩からでも、初めてみて下さい。」
そこに退助が口を開く。
「お、良いね。太一がその気になったら、俺はいつでも付き合うぞ。」
「はい、中島さんにお会い出来たら、そういう事もお願いしようと考えていました。今日は一緒に来て下さって、良かったです。」
そう語った後に白石は、また太一へと向き合い。
「これはまぁ、一つのご提案なので、気楽に考えてみて下さい。焦る事も、急ぐ必要もない。八木さんのペースで大丈夫です。外の世界も、そう捨てたもんじゃありませんよ。」
そう言いながら笑う白石の笑顔と共に、その後暫くの雑談を経て、今日のカウンセリングは和やかな雰囲気の中、終了した。
4.
それから数日後、太一は買い物の為自宅を出て、近所の道をスーパーに向かい、歩いていた。普段は退助と共に車で出掛け、数日分の買い出しをするのだが、そのときは買い忘れが有る事に気がつき、心の隅に有った白石の提案を容れてみる事も、ふと思い立ち、独りでの外出を決心したのだった。
ちなみに、この頃の退助はと言うと、どうやら湊の予言(?)通りに漁港での揉め事に首をつっこんだらしく、その事がキッカケとなりご縁が出来た様で、毎日漁港へと手伝いに出る様になっていた。太一はそんな彼に毎朝弁当を作って、送り出している。
「今日の弁当の唐揚げは、よく味が染みてたなぁ。また作ってくれ。」
「実は今日、こんな事があってな…。」
その日の些細な出来事も、楽しそうに話す退助との夕食の時間は、太一に取っても密かな楽しみとなっていた。
(明日の弁当は、何持たせてやろうかな…。)
そんな事をボンヤリと考えながら、目当ての買い出しを終わらせ、家路を辿る途中。町内の公民館の前を通り掛かろうとしたとき…。
♪オセロが山は 前は大河
太鼓を打ち鳴らす音と共に、古風で素朴な中にも力強い、男たちの歌声が聞こえて来た。
「?」
太一は何故かその歌声に惹かれ、思わず足を止める。その敷地内では、二十人程の男たちが、掛け声と共に息を合わせ、一心不乱に棒を振りながら踊っている。
「サーサ、エイ、エイ!」
「イヤ、サッサーサ、エイ、エイ!」
♪焼け野のキジは おかの背にすむ
「イヤサ、エイ、エイ」
男たちは隊列を組み変え、息を合わせながら今度は互いに持つ棒を打ち鳴らし合い、踊り始める。その所作を四回ほど繰り返すと、一つの流れが終わる様で、踊りを終えた男たちの額には、汗の粒が光っていた。
(これが棒踊りってヤツか…。郷土芸能ってのも良いモンだな。)
太一がそんな事を考えながら、踊り終えた男たちを眺めていたとき、その中の一人が彼の存在に気が付き、歩み寄って来る。それは、どこかで見覚えの有る、がっしりとした身体付きの男性の姿…。
「おや?八木さんじゃないですか。」
先日のカウンセリングで顔を合わせたばかりの、強面の中にもどこか優しさを感じさせる顔が、そこに在った。
「白石先生?」
大柄な身体が汗も拭かずに、小走りで近づいて来た。
「もしかして、お散歩の途中でしたか?」
相変わらずの、穏やかな中に人懐っこさが混ざった笑顔で、太一にそう話し掛ける。彼は突然の出来事に戸惑いながらも、その笑顔に警戒心を緩め、応じる。
「はい。買い忘れた物に気付いて、買い物がてら。」
「そうでしたか。私も休日は、家に居られない性分でしてね。」
その後ろから、若い女性の声が被さってくる。
「先生の場合は亭主元気で留守が良いって、パターンなんじゃなかったんですか?」
「お、里奈ちゃんか?これはまた、いきなり手厳しい挨拶だな。」
白石の後ろにはタオルを持った、二十代の半ばを過ぎたくらいの女性が立っていた。彼女は白石にタオルを手渡しながら言う。
「だって休みの日でも奥さんが、朝から弁当作って置いてあるって、おっしゃってたじゃないですか。」
「ウチも共働きだからねぇ。多分、自分のついでなんだよ。」
「あ、八木さん、こちらは東海林 里奈さん。地元の小学校で先生をしてる方で、保存会を手伝ってくれてます。」
白石は太一に向かってそう言った後、里奈に向き直して、話す。
「里奈ちゃん、こちらは八木太一さん。私の友人だ。」
「あ、どうも初めまして、東海林と申します。里奈って呼んでください。」
整った顔立ちだが、その容姿よりも活発さが前にでた印象の笑顔で、彼女は太一に話しかけた。
「こちらこそ初めまして。八木と言います。」
初対面の二人に紹介を終えたところで、白石は太一に話しかける。
「そう言えば、八木さんは棒踊りをご存知でしたか?」
「いえ、名前くらいしか。今初めて実際に見ました。」
そう答える太一に、白石は言葉を続ける。
「そうでしたか。実は私、保存会の副会長をやらせてもらってまして。秋の奉納に向けて、今年の稽古も始まったばかりなんですよ。」
思いもよらない白石の一面に、内心驚きつつ、太一は答える。
「そうだったんですね、ちょっと意外でした。」
「ハハハ、よく言われます。」
そう言いながら笑った後、白石は太一に誘いの言葉を掛ける。
「今日はもう終わりなんですが、週に何度かはここで稽古してますから。よかったら今度、ゆっくり見物にでも来てください。お散歩がてらにでも。」
その言葉に、太一は微笑みながら応じた。
「はい、今度ぜひ。」
こうして何気ない一日の、ささやかな邂逅は静かに、その幕を降ろしたのだった。
5.
ある日の昼時、退助は漁港の一角で、太一が持たせてくれた弁当を広げ、箸を付けようとしていた。今日のメニューは卵焼きにタコさんウインナー、唐揚げと小芋の煮っ転がしに、ホウレン草のおひたし。スープジャーには、豆腐の味噌汁が湯気を立てている。
「お、今日も美味そうじゃねぇか。さて、何から食おうかな…。」
などと幸せな迷いに、頭を悩ませていたとき。
「こんにちは、中島さん。今お昼ですか?」
背後からの、活発そうな響きを帯びた若い女性の声に、退助は振り向く。その口には、タコの形をしたウインナーが咥えられていた。彼は、もぐもぐ。と口を動かし、嚥下を終えてからその呼び掛けに応える。
「お、里奈ちゃんじゃねぇか。どうした?今自分に。学校は昼休みか?」
里奈は笑顔で退助の質問に答える。
「ええ。父が忘れ物をしてたので、ちょっと届けに。」
「ああ、東海林さんなら、事務所に居るぞ。」
「あ、そうなんですね。ありがとうございます…。」
そう言って立ち去ろうとした里奈の視界に、退助が抱えている弁当の中身が飛び込んできた。
「わぁ、美味しそうなお弁当ですね。」
「やらんぞ。」
意外な返しに、里奈は一瞬姿勢を崩しそうになりながらも、応じる。
「誰も欲しいなんて言ってません。ただ、綺麗なお弁当だなって思っただけです。」
その感想に、退助はちょっと嬉しそうに笑う。
「相方が毎朝作って持たせてくれる。」
これもまた、里奈にとっては退助の意外な一面に感じられ、彼女は言葉を返す。
「中島さんって、ご結婚されてたんですか?」
「まぁ、そんな感じだ。」
「優しい奥さんですねぇ。」
太一の顔を思い浮かべた退助の表情には、自然と優しさが笑顔の形を取り、滲み出る。
「そうだな。」
呟く様にそう言った後、彼は少し遠くを見つめる様に、目を細めた。
「朝、俺が起きる前には台所に立っててな。今日は港の手伝いだろ?って、弁当持たせてくれるんだ。」
「俺には勿体無いくらい、出来た相方だ。」
そんな退助の様子を目の当たりにした里奈も、優しく笑う。
「私、中島さんって、もっと豪快な人かと思ってました。港で作業してる時の顔と、全然違いますね。」
なんで俺は、こう誤解を受けやすいのだろう。などと、おおよそ客観性を欠いた自覚の元に、退助の口からは、どこかで聞いた様な言葉が出てくる。
「何を失礼な。こう見えて、俺は穏やかな男だ。」
「うふふ。じゃあ、そう言う事にしておきます。」
里奈はそう笑った後、本心で呟いた。
「でも、お弁当作ってくれる人が居るって、幸せな事ですよね。私は朝食作るだけで精一杯ですよ。お昼は、学校の給食が有るけど。」
退助が卵焼きを頬張りながら答える。
「その辺は、人それぞれだから良いんじゃないか?誰か作ってくれる旦那でも探す…とかな。」
里奈はなぜか急に、慌てた様に否定する。
「そんな簡単に、言わないでくださいよぉ。」
「お、あながち心当たりが無いワケでもなさそうだな…まぁ年頃だもんな。」
そして彼女は、ちょっとふくれた様に、言い返す。
「もぉ、中島さんったら、やっぱりデリカシー無いんだから!」
そんなやりとりをした二人が笑っている所に、事務所の方から声が飛ぶ。
「お〜い、里奈ー!」
「あ!は〜い!!」
退助もその声に、事務所の方へと視線を移すと、その窓から彼女の父親が、顔を出していた。
「じゃ、中島さん。またね。」
「おう。」
里奈は事務所へと走り去る。こうしてその日の、退助の昼休みは過ぎて行った。
6.
夕食の支度と、ひと足先の入浴を終わらせた太一は、退助の帰りを待ちつつ、首にかけたタオルで頭を拭きながら、広縁のダイニングテーブルに端末を広げ、ある動画を観ていた。画面の中では、三十人程の男が伝統的な衣装に身を包み、唄に合わせて勇ましく、リズミカルに棒を振りそして、それを互いに打ち鳴らしながら踊っている。その中には、見慣れた白石医師の姿も在った。
大柄な身体に似合わぬ軽快な動きで、周囲の観客の視線を浴びながら、誇らしげに堂々と、そしてどこか楽しそうに舞う、彼の姿を太一は観ていた。
「白石先生って、こんな顔するんだな…。」
そんな独り言を、太一が漏らしていたとき。
「ただいま〜。太一ぃ〜、帰ったぞ〜。」
玄関からのその声に、ぱたり。と、ラップトップ型の端末を閉じながら、太一は返事をする。
「おう、退助。おかえり!お疲れさん。」
出迎えた太一にハグをしつつ、空になった弁当箱を手渡しながら、退助は屈託のない笑顔で言う。
「今日もありがとな。やっぱり甘い卵焼きは正義だ。また作ってくれ。」
「そうか、そりゃ良かった。また作るな。風呂、沸いてるぞ。」
「今日は汗だくになったからな、そりゃ助かる。」
太一のその言葉に促され、風呂場へと向かう退助の目に、テーブルに置かれた端末が映る。
「何か調べ物だったか?」
「あぁ、ちょっとな。」
その言葉に太一が退助の方を振り向くと、彼は既にシャツとズボンを脱ぎ去り、下着一枚の姿となって、意味不明のポーズを取り、何やら謎のアピールをしている。種子島に帰ってきてからの退助は、何故か白の六尺褌を好んでその身体に、着ける様になっていた。
「…脱衣所で脱げ。」
その姿に呆れながら、太一が言う。
「たまには一緒に入ろうぜ。」
退助の、年甲斐もないアプローチに困った様に、苦笑いをしながら、太一は答える。
「俺は先に済ませたから、また今度な。メシの用意しとくから、ゆっくり入ってこい。」
「ちぇ。」
そう言って、退助は風呂場へと歩き出す。褌一丁の大きな背中を見送りつつ、太一は言う。
「服は表向けて、洗濯カゴに入れとけよ〜。」
カラカラと音を立てて、脱衣所の引き戸を閉めた退助は、慣れた手つきで汗の染み込んだ六尺を解き、生まれたままの姿になると、解いた褌を洗濯ネットの中に収めて、先に脱いでいた作業ズボンとTシャツを、表返しして洗濯カゴへと放り込む。こうしておかないと、後で太一に怒られてしまう。
そして、赤裸の姿を鏡に写してみる。そのがっしりとした、筋肉質の上に年相応に適度な貫禄の乗った身体には、先の戦闘で受けた脇腹の傷跡が、まだ生々しく残っている。
「うん、大分キレイに塞がったな…ま、勲章ってやつか。でも、アイツはまだ気にしてやがるんだろなぁ。」
そんな独り言を漏らしながら、浴室へと入った退助は、掛かり湯をしてその身を浴槽に張られたお湯の中へと沈める。ざっと音を立てて湯船から溢れる、心地よい温度に調節されたお湯と共に、一日の疲れが身体の外へと抜けていく。ふぅ。と、息を吐きながらお湯の中に身体を横たえた退助は、天井を見上げ呟く。
「調べ物…か…。なんか興味の有る事でも出来たかな?」
後で訊いてみる事にしよう…などと、この時点では考えていた退助だったが、これをつい失念してしまった事が、実はこの後のちょっとした出来事へと、繋がるきっかけとなるのだが、このときの彼はまだ、それに気付く筈もなく。
「今夜のおかずは何だろなぁ。」
などと、退助の心は相変わらず幸せな悩みで満たされていた。
7.
その翌日、太一はいつも通りに退助に弁当を持たせ、港へと送り出した後、掃除と洗濯という、いつもの家事をこなしていた。
最近になって、退助が好んで着け始めた白の六尺褌が、夏の潮風に吹かれ、揺れている。
「まるで源氏の白旗だな。それにしても、なんで急に褌なんだ?」
太一にしても前世では、好んで褌を着用していた記憶も有り、別に抵抗感は無いのだが、どうしても、少しは気になってしまう。
「…まぁ、いいか。と、それよりも。」
今日は先だって白石に見学を勧められていた、棒踊りの稽古日に当たる日だったのである。
「昼を摂ってから出掛ければ、丁度良いくらいかな。」
そう呟いた太一は、洗濯カゴを抱え、家の中に戻っていった。
退助に持たせた弁当と、同じ内容で昼食を済ませた太一は、昼下がりの公民館へと足を運んだ。今日は平日という事が関係しているのか、この前の稽古日より、人の集まりは良くない様だ。
太一が公民館の敷地を覗くと、一人の青年が予め録音された唄に合わせ、大人の背丈ほどの長さの棒を降りながら、振り付けの確認をしている所だった。その様子をすぐ側で、椅子に腰掛けた年配の男性が見守っている。
一通り踊り終えた青年が、太一の存在に気付き、棒を担いだまま歩み寄って来る。
「あの…何かご用でしょうか?」
多少の戸惑いを見せながらも、太一は応じる。
「あ…私、白石さんからお誘いを受けました…。」
青年の顔がパッと明るくなる。
「ああ!八木太一さんですね。恒一さんからお話は伺ってます。」
そこへ椅子に座ったままの男性から、声が掛かる。
「お〜い、陽介!」
「は〜い、今行くよ。」
陽介と呼ばれた青年は、太一を敷地の奥へと促す。歳の頃は30代手前くらいで、男っぽく整った顔立ちに快活さと、どこか育ちの良さ…の様な物が滲み出ている。
「会長、こちら恒一さんから話の有った、見学の八木さん。」
「あぁ、あんたが八木さんか。恒一から話は聞いとるよ。」
男性がそう言った後、陽介は太一の方に向き直り、言葉を続ける。
「この老が…ゴホン、じっちゃんが…。」
「保存会の会長で、榊原 勘吉です。」
「おい、なんかお前、今ワシに対して酷い事を言おうとしたろ?」
そう言いながら榊原は立ち上がり、太一に右手を差し出しながら、言葉を続ける。
「榊原だ。勘ちゃんって呼んで。」
「ホントに呼んだら怒るクセに。」
「うるさいわ!りっぷさーびすってモンが分からんか?」
榊原と握手を交わしながらも、目前で繰り広げられる舌戦に、太一は呆気に取られている。そこへ陽介が言葉を掛ける。
「あ、申し遅れました、俺は桐野 陽介と言います。若手のリーダーやらせてもらってますが、まだ若手なので…陽介って呼んでください。」
「…で、早速だが太一っちゃんよ。」
榊原と握手をしていた筈の太一の右手には、いつの間にか一本の棒が握らされていた。それは陽介が振っていた棒よりも少し短く、1m弱の長さの物だった。
「……え?」
と、戸惑う太一。榊原のその行いは当然、陽介に見咎められる。
「おい、じじい。」
「じじいとは何だ、じじいとは!ちょっと持ってもらうくらい、良いじゃろうが。」
「あんたがそうやって焦るから、この前も見学しに来た人に逃げられてんだろうが!」
「だって…人手も足りんだろうが。」
子供の様にふくれる勘吉に、陽介の説教が始まる。
「それだから人手が……」
その説教の傍で、太一は自分に渡された棒を見ている。
(竹刀よりは少し短かくて、重いかな?)
太一は宇宙飛行士の訓練生時代に、必修として教えられた剣道を思い出していた。
(懐かしいな…。)
あの頃は訓練施設の武道場で、退助と竹刀を振い、共に汗を流していた。太一はその頃の癖で、棒を両手首で器用に振り回した。稽古前の、ウォーミングアップとして行っていた運動だ。
そして棒を得意の中段に構え、正面を見据える。ふと我に帰ると…その所作を二人が驚きの目で見ていた。
「八木さん!」
「太一っちゃん!」
『是非入会してもらえませんか!!』
二人の圧に押され、当然の事ながら太一は怯む…怯むが、この時深く沈んでいた自分が、何か心の底を蹴った様な感覚が、太一の中に生まれていた。
「はい、俺で良ければ。」
こうして太一は外の世界へと、再びの第一歩を踏み出す事になった。
はい、ご無沙汰しております。中の人です。
今回からは、AIに支援してもらう範囲を、極力抑えていこうという趣旨で書いておりますので、執筆の速度が落ちております。待っていてくださる方が、居るのか居ないのかは、定かではありませんが、取り敢えず、書けた分を第一幕として、投稿させていただきます。
ホント、今回は何も起こらない話ですよw。




