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迷い子たちの冒険  作者: やす。


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第二話 迷い子たちの旅立ち

人は、ときどき、

「取り戻せる」と信じたまま、手を伸ばす。

それがもう、届かない場所にあるとも、知らないまま。

ここにあるのは、救出でも、勝利でもない。

ただ、選ばされる瞬間と、

その結果を抱えて歩き出す人間たちの姿だけだ。

崩れゆくものの中で、

彼らは何を見て、何を失い、

それでもなお、どこへ向かおうとするのか。


1.


 水槽に沈められた太一に、洗脳の処置が開始された頃、退助たちはまだ、孤島の位置すら確定できていない。湊は焦りを隠せない。

「このままだと……時間が。」

航も端末を操作し続けているが、結果は変わらない。

「全部、途中で切れてる……意図的に。」

退助はその言葉を聞きながら、わずかに目を細める。

「誰かが、隠してるな。」

湊が顔を上げる。

「誰が……?」

 退助は即答しない。だが、その視線はすでに「内部」を見ていた。外ではなく、組織の中。そしてその沈黙の中で、見えない糸が少しずつ形を持ち始めていく。

 太一は、暗い水の中に閉じ込められている。そしてその存在は、日ごとに「別の何か」へと書き換えられていく。

 誰にも気づかれないまま、静かに。


2.


 半月程の停滞のあと、状況はある一点から急に動き出した。それまで完全に“空白”だった海上輸送ログに、一つだけ明確な転送記録が浮かび上がったのだ。

 孤島の座標。地下施設接続ルート。そして、定期補給便の航路。湊が息を呑む。

「……出ました。」

航も画面を覗き込む。

「今まで全部消されてたのに、急に?」

退助はそのデータを見つめたまま、しばらく動かなかった。

「わざとだな。」

短い言葉だった。

湊が顔を上げる。

「わざと、って……。」

退助は続ける。

「今まで隠してたものを、“今”出した。」

その意味を理解した瞬間、室内の空気が変わる。

 情報源は保安部内部ログだった。権限レベルは高い。通常ではアクセスできない階層。

だが痕跡は極めて自然で、むしろ“正式手続きの延長”に見えるほど整っている。

 湊はすぐに気づく。

「これ……高槻部長の認証経由です。」

航が息を呑む。

「本人が?」

だが退助は首を横に振る。

「違う。」

視線は冷たい。

「IDが不正に使われてる…?」

 孤島の座標は明確だった。今までの隠蔽とは違う。あまりにも分かりやすい。湊が言う。

「これ、罠じゃ……?」

退助は即答する。

「だろうな。」

間を置かず続ける。

「だが行く。」

航が驚く。

「でも、これ完全に誘導ですよ!」

退助は端末を閉じる。

「分かってる。」

そして一言。

「それでも、太一はそこにいる。」


3。


 海上は、すでに静かではなかった。孤島へ近づくにつれ、通信障害は濃くなり、航行データは細切れに途切れていく。だが退助は速度を落とさなかった。

「招かれざる客ってワケだ!」

航が苦笑混じりに言うが、その声は緊張で硬い。

「笑えないぞ、それ。」

湊は端末を握りしめたまま、周囲のデータを追っていた。

「妨害、連続してます。…でも、逆に言えば。」

「ここに“何かある”ってことだろ?」

退助が短く言う。

その言葉に、誰も反論しない。

 島は想像よりも静かだった。しかしそれは“無人”の静けさではない。むしろ、制御された静寂だった。森のように見える地形の下に、人工的な構造の気配が潜んでいる。

 湊が低く呟く。

「地下施設……確実にありますね。」

航が周囲を見回す。

「監視が入ってますね、見られてる。」

退助は一歩踏み出す。

「見られてるなら、見せてやればいい。」

 施設への入口は、驚くほどあっさり見つかった。だがそれは“簡単に入れる”という意味ではない。

 扉が開いた瞬間、警戒システムが一斉に作動する。照明が切り替わり、空間構造が変わる。通路が閉じる。隔壁が降りる。音が消える。

「来るぞ!」

 退助の声と同時に、無人防衛ドローンが出現した。戦闘は短い、だが密度が高かった。

退助と航が前に立ち銃を構える。

 動きには無駄がない。退助と航は正確な射撃で機能を潰していく。湊は通信系を抑えながら突破口を作り、制御端末をハッキングする。

「これ、普通の警備じゃない……!」

湊が叫ぶ。

「反応速度が異常です!」

退助は答えない。ただ前へ進む。

 施設の奥に進むほど、“人の気配”が薄くなる。代わりに増えるのは、静かな機械音。まるでここが研究施設でも避難施設でもなく、何かを“調整する場所”であるかのように。

 そして、3人は最深部へと辿り着く。音もなく扉が開く、まるで、そこへ入る事を促されているかの様に。

 そこにいたのは、太一だった。白い照明の下。整えられた空間で、病衣を着せられ、検査台に拘束された状態で、意識を失っている。 退助の足が止まる。

「太一っ!」

退助は検査台に駆け寄り、太一を揺さぶり起こす。やがて太一はゆっくりと。目を開ける。

 だが、その目の奥には、以前の光が感じられない、揺らぎもない。ただ、整いすぎた静けさだけがある。

「たい…すけ?」

名前は呼ばれた。だが、その響きには何も揺れがない。湊が息を呑む。

「……間に合った、のか?」

航は言葉を失っている。

 そのとき、施設全体に警報が鳴り響く。隔壁が閉じ始める。急がなければ逃走ルートが封鎖される。退助が即座に動き、太一の拘束を解き、腕を掴む。

「来い!」

抵抗はない。むしろ自然に、そこに従うように動く。まるで“それが最初から決められていた行動”であるかのように。

 湊が叫ぶ。

「急いで!」

 湊が出口制御を突破する。退助は太一を引きながら走り、航は銃を構え、後方を警戒しながら進む。その途中で、何度か防衛システムが起動するが、退助たちは、辛くもそれを突破していく。

 海風を感じた瞬間、施設の奥から、爆発音が響き始める。退助たちは地下施設の外へと、何とか転がり出る。

 その瞬間、地響きと轟音を伴いながら、地下施設への入り口が崩落した。

息を切らしながら、湊が振り返る。

「……出られた。」

航も膝に手をつく。

「本当にギリギリでしたね……。」

 退助は太一の腕を離す。太一はその場に立ったまま、周囲を見ている。違和感はない。恐怖もない。ただ静かに、環境を観測している。

 退助が低く言う。

「……太一。」

 その呼びかけに、太一は顔を向ける。そこには“知っているはずの目”がある。だが、その奥にあるものは、まだ誰にも読めない。

 湊は無意識に一歩下がる。航は息を呑む。退助だけが、その視線を外さない。そしてその瞬間だけは確かだった。太一は、確かに「ここに戻ってきた」。

だがそれが、救出なのか——それとも、始まりなのかは、まだ誰にも分からなかった。


4.


 保安部のブリーフィングルームは、以前と変わらぬ無機質な明るさに満ちていた。天井の照明は均一で、影をほとんど落とさない。 その空間に、四人は立っている。太一。退助。湊。航。そして、正面に高槻。

「無事の帰還、何よりです。」

高槻の声は穏やかだった。天梯上層で倒れていた人物とは思えないほど、整った立ち姿。

 湊が軽く息を吐く。

「現場は、かなり荒れてました。源生圏の施設も爆破されています。」

航が続ける。

「防衛システムも異常でしたね。完全に人為的な制御でした。」

 退助は言葉少なに補足する。

「太一は取り返した。敵の妨害も排除した。」

その一言に、場の空気がわずかに締まる。高槻は頷いた。

「そうですか……それは大きな成果です。」

視線が太一へ向く。

「ご無事で何よりです、八木先輩。」

 その呼びかけは自然だった。あまりにも自然すぎて、誰も違和感を抱かない。太一は静かに目を上げる。

「心配かけたな。」

短い返答。そこに以前の温度はほとんどない。だが、それは疲労や混乱の範囲として処理される。湊は小さく眉を寄せるが、それ以上は言わない。

 報告は淡々と進んでいった。

孤島施設への侵入

防衛システムの突破

太一の救出

撤収経路の確保

すべてが“成功事例”として整理されていく。高槻は終始それを聞きながら、時折うなずくだけだった。

 やがて、報告が終わる。静寂が一瞬だけ落ちる。高槻は穏やかに言った。

「今回の件は、源生圏の過激な干渉によるものと見て間違いないでしょう。」

 その言葉に、誰も異を唱えない。むしろ、それが最も自然な結論だった。航が言う。

「やっぱり、あっちが本命だったんですね?」

湊も頷く。

「天梯の件は、陽動だったと……」

 退助は黙ったまま、その言葉を聞いている。だが、その視線は一瞬だけ高槻に向いた。

ほんのわずかな違和感。しかし、それは言語化されないまま消える。

 高槻は続ける。

「しばらくは休養を取ってください。今回の件は、我々の想定を超えた負荷でした」

その言葉は、労いとして完結していた。

 退助は短く答える。

「了解した。」

太一も同じように、静かに頷く。

「すまなかったな。」

その反応は、誰の目にも“正常”に見えた。

 会議が終わり、四人はそれぞれの出口へ向かう。湊と航が先に部屋を出る。少し遅れて退助が続く。

 最後に残った太一は、一瞬だけ高槻と目を合わせる。そこに会話はない。ただ、確認だけがある。高槻は微かに頷く。太一はそれを見て、何も言わずに背を向けた。

 廊下に出ると、湊が息を吐いた。

「ひとまず、終わった……って感じですね。」

航も肩を落とす。

「ほんと、無茶でしたよ今回。」

 退助はその会話を聞きながら歩いている。太一は少し離れた位置を、同じ速度で歩いている。その歩調は、乱れていない。狂いもない。ただ、以前と同じ“太一”の歩き方ではなかった。退助はそれに気づかない。まだ。

 保安部の廊下は静かだった。何も起きていないように見えるその空間で、確かに何かだけが、少しずつ“正しい形”へ整えられていく。そして誰も、それを疑っていなかった。


5.


 病院は、宇宙開発機構の管理下にある施設だった。清潔で、無機質で、そして「安全であるはずの場所」。

 太一は、そこで検査を受けていた。白い診察室。静かな機器音。淡々と進む問診とスキャン。付き添ってきた退助は、待合室に控えている。

 結果はすぐに出た。

「異常なしですね。」

担当医は端末を見ながら、穏やかに言った。

「身体機能、認知機能ともに問題ありません。むしろ標準より安定しています。」

 退助が眉を上げる。

「先生、それ本当か?」

医師は軽く笑う。

「検査データ上は、そうなっています。」

その言葉に、退助は小さく息を吐いた。

「じゃあ、問題は……なし、か。」

退助は、医師の言葉の「軽さ」にわずかな違和感を覚えていた。だが、決定的な証拠は何もない。

 太一は静かに、隣に座って居る。表情は変わらない。ただ、結果を「理解した形」で受け取っているだけだった。

 その夜。二人は久々に、自宅へと帰ってきた。二人で決めた部屋の、整えられたシンプルでモダンなインテリア。その夜は最低限に抑えられた間接照明。整えられた寝具。

 退助と太一は、久しぶりに同じベッドで横になることになった。外は静かだった。赤道直下の人工島、造られた大地を包む、深い静寂の中、二人は一糸纏わぬ姿で褥へと横たわる。

 退助は、太一の息遣いと体温を隣に感じつつ、天井を見ながらふと口を開く。

「……変な感じだな。」

太一は横で視線だけを退助に向ける。

「そうか?」

退助は少し間を置いてから答える。

「せっかく、お前が帰ってきたのに。」

その言葉に、太一は一瞬だけ黙る。そして、短く言った。

「済まんかったな、心配かけた。もう大丈夫だ。」

 それは、昼間と同じ返答だった。だが退助は、その“同じ言葉”の中に微細な差異を感じる。音の揺れではない。感情の揺れでもない。もっと曖昧な、記憶の距離。

 太一の視線は天井に向いている。そこに、何かを探している様子はない。ただ、整理された情報を再生しているだけのようだった。

(退助)

その名前は、確かに「意味」を持っている。知識として。記録として。関係性として。だが、それ以上ではない。

 太一の中に残っているのは、断片だった。消し去られたかつての自分が、誰かを強く思っていたという痕跡。それだけが、消えずに残っている。

 しかし…その「愛していた感情そのもの」は、もうどこにもない。太一はゆっくりと息を吐く。そして、寝返りを打ち、両腕で退助の身体を抱きしめつつ、少しだけ演じるように言葉を選ぶ。

「……お前は、心配性だな。」

太一に抱かれ、全身にその身体の温もりと、一部分の固さを感じながら、退助はその部分を優しく握り、愛撫する。そして厚い胸板に顔を埋めつつ、呟く。

「昔からだろ。」

 その返しと、自身に与えられた刺激に、太一は一瞬だけ黙る。そして、退助と唇を重ね、自分も固くなった退助の部分を握り返し、そこへ顔を埋め、暫くの間彼を悦ばせた後、その男臭く強面だが、どこか可愛さ感じさせる顔を見つめ、わずかに口角を動かす。

 それは笑いに見える形だった。だが、そこには熱がない。作られた「それらしい反応」。

退助はその微細な違和感を、まだ確信にはできない。ただ、どこかが噛み合っていない。

 部屋の明かりが落とされる。静寂の中、二人は互いの身体を(まさぐ)り、激しく求め合う。やがて交互に果てた後、退助は、太一の腕の中で目を閉じるが、漠然とした不安を拭い去る事は出来ず、その眠りは浅い。

 自分の身体を抱いているはずの太一の気配が、どこか遠い。身体は重ねているのに、同じ場所にいないような感覚。退助はその距離を埋めようとするかの様に、眠る太一に唇を重ねる。

 そしてふと、退助は思う。

(……戻ってきたはずなのに)

 その言葉の続きを、自分でも言語化できないまま。夜は静かに更けていった。


6.


 数日の休養を経て、四人は再び保安部の現場へ戻っていた。天梯事件も孤島での作戦も、公式には「源生圏の干渉事案」として処理され、組織はすでに次の業務へと動き始めている。

 その流れの中で、高槻から新たな指示が下った。

「八木先輩は当面、私と同行でお願いします。」

ブリーフィングルームで、その言葉はごく自然に告げられた。

湊が眉をひそめる。

「それ、理由は?」

高槻は穏やかに答える。

「今回の件で、現場判断と情報処理の適応に優れた結果が出ています。追加検証が必要です。」

航は小さく肩をすくめた。

「研究対象ってことですか?」

高槻は否定もしない。ただ微笑むだけだった。退助はそのやり取りを黙って見ていた。

太一は、隣に立ったまま何も言わない。ただ静かに、その指示を受け入れている。

「なら仕方ないな、了解だ。」

短い返答。そこに抵抗はない。

 その日から、流れは変わり始めた。任務の割り振りは徐々に分断される。退助、湊、航には現場調査と外部対応が命じられ、太一は高槻と、内部案件の為に同行する事となった。

 最初は偶然に見えた。だが、それが続く。一度、二度、三度。保安部の廊下で、退助は遠くに太一の姿を見ることがあった。高槻と並んで歩いている。何かを話しているように見えるが、声は届かない。

 太一の表情は変わらない。以前のような揺れも、冗談も、わずかな癖もない。ただ「仕事をしている人間」としての輪郭だけがある。

 湊が報告書を見ながら言う。

「最近、太一さんの稼働時間、明らかに偏ってますね。」

航も端末を見ている。

「高槻部長との同行、増えてるよな?」

退助はその言葉にすぐには反応しなかった。だが、頭のどこかでずっと引っかかっている。説明できない「空白」。

 ある日。任務帰りの通路で、退助は偶然、太一とすれ違った。高槻はいない。一瞬だけ、二人の視線が交わる。

「……太一。」

退助が太一を呼び止める。太一は足を止める。二人の間にわずかな隙間が生まれる。そして、短く太一は返す。その眼差しは優しい。

「どうした?」

 その言い方は、間違っていない。ただ、どこか「距離」がある。退助は、何故か言葉を選ぶ。

「最近、忙しいな。」

太一は小さく頷く。

「そりゃそうだが仕事だ、仕方が無いだろう?」

それだけ。それ以上は続かない。退助はそこで何かを言おうとして、やめる。

 その夜、一人になった退助は、ふと天井を見上げる。

(変わってない……はずだ)

そう思う。理屈では、問題はない。太一は生還している。任務もこなしている。記録上も異常はない。なのに。どこかが噛み合わない。

 退助は小さく息を吐く。

「……良い歳して、嫉妬でもあるまいし。」

そう口に出して、自分を納得させる。高槻との同行が増えているだけ。任務の最適化。そういうことにしておけばいい。合理的な説明は、いくらでもある。

 だがその「納得」の上に、さらに薄い違和感が一枚積み重なる。太一の目。太一の間。太一の沈黙。そして何より…。

 かつてそこに確かにあったはずの「何か」が、どこにも見つからないこと。退助はそれに気づかないふりをしたまま、目を閉じる。

 夜は静かだった。静かすぎるほどに。


7.


 太一と高槻が並んで保安部の奥へ入っていく姿は、誰にとっても「通常業務の延長」にしか見えなかった。会議室でもなく、現場でもない。制御された静かな区画。外界から切り離された、思考のためだけの空間。

 そこで行われているやり取りは、表向きには“再評価”と“分析”だった。天梯事件の再検証。源生圏の構造推定。施設防衛網の弱点整理。どれも正規の調査範囲に収まる。

 だが、その中身は少しずつ別の方向へと傾いていく。高槻が端末に映像を映し出す。天梯の構造図。軌道エレベーター全体のエネルギーフロー。地上から上層までの負荷分散。

「ここが、全体の中枢です。」

太一は画面を見つめる。その視線は迷わない。

「負荷が集中している。」

「はい。」

高槻は短く答える。

 そこから先の会話は、驚くほど自然だった。まるで長年の共同作業の延長のように。外側では、退助たちがまだ「源生圏の残党」を追っている。だがその裏側で、別の作業が進んでいた。それは調査ではない。対処でもない。もっと静かなものだった。構造の再定義。高槻が言う。

「このまま運用を続ければ、天梯は必ず臨界点に到達します。」

太一はわずかに目を細める。

「制御不能になる前に切り離すか。」

高槻は頷く。

「あるいは、制御系そのものを再構成するかです。」

一瞬の沈黙。

太一は端末上のデータを見ながら言う。

「再構成の方が合理的だな。」

その言葉に、迷いはない。

 誰もいない部屋で、二人の思考は静かに一致していく。感情ではなく、判断として。記憶ではなく、機能として。

 かつての太一なら、そこに何かしらの揺れがあったはずだった。しかし今は違う。そこにあるのは“正解に近い選択”だけだ。

 数日後。保安部のシステムには、小さな更新が積み重ねられていく。天梯の監視アルゴリズム。エネルギー制御の優先順位。緊急時の遮断条件。どれも単体では問題にならない変更。

 しかし、それらはすべて同じ方向を向いていた。一点の収束。退助はまだそれに気づかない。湊も、航も。

 誰も、それを“異常”として認識していない。むしろ合理的な改善として処理されている。そしてその中心にいる二人は、淡々と作業を続ける。

 太一は、かつての自分が残した記憶の断片を、正しく配置し直すように思考を進める高槻は、それを補助するように最適解を提示する。会話は少ない。だが迷いもない。

 外ではまだ、誰も気づいていない。天梯に対する本当の危機は、外部からの攻撃ではない。それはすでに、内部で「設計」され始めている。そしてその設計者たちは、最も信頼されている二人だった。

 その夜の保安部は、妙に静かだった。外では天梯の定期メンテナンスが続いているはずなのに、内部の空気だけが切り離されたように落ち着いている。 忙しさの隙間を縫うようにして、退助と太一は久しぶりに同じ部屋に戻った。まだ、新築の匂いが残るコンドミニアムの、シンプルなインテリアに最低限の照明。整えられた一つのベッド。

 言葉は少なかった。

「最近、ずっとすれ違いだな。」

退助がそう言うと、太一は一拍遅れて頷く。

「仕事が多かったからな。」

それだけ。

 以前なら、そこにもう少し余白があった。冗談か、皮肉か、あるいはほんの少しの感情の揺れ。今はない。ただ“正しい返答”だけが返ってくる。

 しばらくして、部屋の明かりが落とされた。静寂が濃くなる。退助は横になりながら、隣の気配を感じていた。太一も同じように横になっている。 呼吸は安定している。動きも無駄がない。だが、その“整いすぎた静けさ”が、逆に退助の神経をざわつかせる。

(何かが違う)

理由は説明できない。

ただ、積み重なった小さな違和感が、今夜だけ妙に輪郭を持ち始めていた。

「……太一。」

暗闇の中で、太一の背中を抱きながら、退助は呼びかける。少しの間があって、太一は寝姿勢を変え退助に向き合い、がっしりと鍛え上げられた体躯を抱きしめ、退助の頭を撫でながら、口づけの後に言う。

「何だ、眠れないのか?」

退助は続ける。

「昔さ。」

太一はすぐには応えない。ほんのわずか遅れて、ようやく「うん」と返す。

その“間”が、退助の胸に引っかかる。

「お前、俺に言ったことあっただろ?」

退助は太一の顔に、頬を寄せたまま続ける。

「何でもない日が、一番いいって。」

 静寂。太一はしばらく黙る。そして答える。

「そうだったな。」

それだけ。

 その瞬間、退助の中で何かが確定に近づく。言葉の内容ではない。記憶の共有そのものは成立している。だが、その「重さ」が一致していない。

 かつての太一なら、その一言にもう少し温度があったはずだ。退助はゆっくりと息を吐く。

「……お前さ。」

言いかけて、やめる。何を言えばいいのか分からない。

 太一は退助を抱いたまま動かない。ただ静かに横たわっている。その姿は確かに「太一」だ。顔も、声も、身体も、記憶も一致している。

 それでも退助には、どこかが噛み合っていない。

(俺が変わったのか?)

そう考えて、すぐに打ち消す。違う。そうじゃない。

 その夜、退助は初めて気づきかけていた。目の前の存在が「戻ってきた太一」ではなく、「太一として成立するように整えられた何か」である可能性に。だが、その結論に踏み込む前に、思考はそこで止められる。


 理由は単純だった。あまりにも自然すぎるからだ。


 そしてその同じ夜。遠く離れた天梯の制御系では、静かに最終フェーズの準備が完了しつつあった。誰にも知られないまま。誰にも疑われないまま。決行前夜。世界はまだ、何も気づいていない顔をしていた。


8.


 翌朝の保安部は、いつも通り動いていた。昨日と同じ廊下。同じ端末の起動音。同じように積み上がる業務ログ。

 その中で、太一は高槻と並んで歩いていた。それはもう「偶然」ではなかった。誰の目にも、明確な“日常”として定着しつつある。

「では八木先輩、上層へ。」

高槻の声に、太一は短く頷く。

「おう、了解。」

そのやり取りは自然だった。自然すぎるほどに。湊がそれを遠目に見ながら小さく呟く。

「また上か……。」

航も端末を見ている。

「最近ずっとですよね。」

退助は、その言葉を聞きながら視線を上げた。

 高槻と太一は、天梯管理区画へ向かっている。通常業務のルートとは違う。しかし正式な権限ログは通っている。「問題はない」ことになっている。

 それが逆に引っかかった。退助は短く言う。

「行くぞ。」

湊が顔を上げる。

「え?」

「二人を追う。」

航が慌てる。

「いや、理由は……。」

退助はもう歩き出していた。

「そんなモノは後で考える!」

 その背中には、説明より先に動く癖があった。三人は距離を取りながら追跡を開始した。高槻と太一は気づいていない。いや、気づいていても構わない動きだった。まるで最初から“見られること”を前提にしたような歩調。

 湊が小声で言う。

「これ、普通の移動じゃないですね……。」

航も頷く。

「上層へのアクセス権が、やけにスムーズすぎる。」

退助は前だけを見ている。

「……あいつら、どこまで行く気だ。」

 天梯の内部は、上層に近づくほど静かになる。音が減り、気配が薄くなる。そして、制御系の光だけが淡く流れている。高槻は一度も振り返らない。太一も同じだ。

 ただ、決められた経路を進むように歩いている。その様子を見ながら、退助の中にまた別の感覚が浮かぶ。

(やっぱりおかしい)

だが、同時に別の声もある。

(仕事だ。任務だ。問題ない)

その二つがぶつかる。上層アクセスゲートが見え始めた頃。退助は一瞬だけ足を止めた湊が小さく問う。

「どうしました?」

 退助は答えない。ただ、前方を見ている。高槻と太一は、そのままゲートへ向かう。まるで迷いがない。

 退助は小さく息を吐いた。

「……俺の思い違いであってくれ。」

それは誰に向けた言葉でもなかった。祈りに近い、独り言だった。だがその願いとは裏腹に、足は止まらない。

「行くぞ。」

短く言って、再び追う。

 天梯上層へのゲートが開く瞬間、空気が変わる。そこから先は、通常の保安部の領域ではない。制御と構造の“核心”に近い場所。そしてその先で…

 すべての準備は、すでに整えられつつあった。誰にも知られないまま。天梯上層区画の空気は、張りつめていた。静かすぎる。機械の駆動音すら、遠い。

 中央制御端末の前に、太一は迷いなく立つ。ケーブルを引き出し、躊躇なくポートへ接続する。認証ランプが、淡く点灯した。

 高槻はその背後に立ち、通路と出入口を見渡している。その目は冷静で、感情がない。

「接続完了。」

太一の声は、いつも通りの調子だった。だが、いつもと違うのは…その速さ。操作の手順が、異様なほど迷いなく進んでいく。

 少し遅れて到着した退助たちは、物陰からその様子を見ていた。航が息を呑む。

「……何してるんだ、あれ?」

湊の目が、端末表示を捉えた瞬間、血の気が引く。画面に流れているのは、通常の管理UIではない。深層制御プロトコル。

 しかも、冗長安全系を一つずつ外していく手順。湊の声が震えた。

「まずい……。」

退助が低く問う。

「何がだ?」

湊は、はっきりと言った。

「あれ、天梯のテンション制御を外してるんじゃないか?」

一瞬、意味が繋がらない。

 だが次の言葉で、空気が凍る。

「最終コマンドが通ったら、ケーブルが共振を起こす!」

航が目を見開く。

「それって……?」

「天梯が崩壊する…。」

 退助の思考が止まる。そして、次の瞬間には身体が動いていた。

「行くぞ!」

航も同時に飛び出す。高槻が、気配で振り向いた。

「来たか。」

それだけを呟き、退助たちを迎え撃つ構えを取る。

 退助は一直線に太一へ向かう。だが、その前に高槻が立ち塞がった。鋭い踏み込み。だが退助の突進を、高槻は正確に受け止める。

 航は横から回り込み、太一へ向かう。だが太一は振り向かない。操作を続けたまま、片手で航の腕を払い、体勢を崩す。その動きに、一切の無駄がない。まるで「排除すべき障害」を処理するだけの動き。

 退助は高槻を押しのけ、叫ぶ。

「太一!やめろ!!」

その声に、太一の指が一瞬だけ止まる。ほんの一瞬。だが、すぐに再び動き出す。画面には、最終承認のカウントが表示されている。

 その隙に、航が体当たりする。太一の身体が端末から離れる。退助も高槻を床に叩きつけ、そのまま押さえ込む。

 二人がかりで、太一を床へ。それでも太一は抵抗を続ける。無言のまま、異様な力で。

「押さえろ!!」

湊は、すでに別の補助端末へ走っていた。指が震えながら、必死にコマンドを追う。

「キャンセル……違う、強制復帰……!」

画面に赤い警告が並ぶ。

 残り数秒。湊は叫ぶようにキーを叩いた。

「戻れ……!」

認証が通り、上書きコマンドが走る。警告表示が一斉に消えた。代わりに、緑の表示が灯る。

 安全系復帰。テンション安定。共振予測、消失。その瞬間、太一の抵抗が止まった。高槻も、動きを止める。静寂が戻る。荒い呼吸音だけが残る。

 退助は、押さえつけたまま、太一の顔を見る。そこにあるのは、見慣れた顔。だが、見たことのない目。何も映していない、空白の視線。

 退助の喉が、ひりつく。

「……お前、自分が何してたか、分かってるのか?」

太一は、ゆっくり瞬きをした。そして、静かに言う。

「任務を、遂行していただけだ。」

 その言葉に、湊と航の背筋が凍る。退助だけが、何も言えずにいた。床に押さえ込んだまま、三人はしばらく動けなかった。息が荒い。鼓動がうるさい。止めた。確かに、止めたはずだった。

 その、3人がほんの僅かな緩みをみせた時。天井の警告灯が、無音で明滅する。次の瞬間、金属音を裂いて、警備ドローンが突進してきた。

「うわっ——!」

横合いからの衝撃に、航が吹き飛ばされる。退助もバランスを崩し、太一から手が離れる。湊は端末の前から弾かれ、床を転がった。体勢を立て直す前に、複数のドローンが周囲を囲む。スタンパルスが放たれ、筋肉が強制的に痙攣する。動けない。

 そこへ、硬い足音が響き、ゆっくりと近づいてくる、複数の人影。天梯の警備主任と、その部下たちだった。

 表情に焦りはない。まるで予定通りの出来事のように、淡々としている。三人は床に伏組み伏せられてしまう。退助は歯を食いしばり、顔を上げた。

「……何のつもりだ!」

 警備主任は、軽く首を傾げる。

「ようやく、お見せできる段階になった、というだけですよ」

「見せる、何をだ!」

「それは、ボクから説明してあげるよ。」

 この場にはまるで場違いな、あどけない声が響く、それと同時に、警備主任とその部下は通路の端に寄り、通り道を開ける。まるで、砂浜に打ち寄せた波が引いていくかの様に、滑らかに、整然と。

 その通路の中央に、一人の影が立っている。大人では無い、まだ幼さの印象を宿した、小さな人影。その人影が、退助たち三人に向かって歩きだす。距離が縮まるにつれ、露わになる輪郭。それは紛れも無い、少年の姿だった。

 少年は退助たちの間近まで近づくと、その歩みを止めた。均整の取れた体型に整った顔立ち。一見、少女かと見紛うばかりの、可憐な美少年だが、そこに浮かぶ表情は、ひどく冷静で冷酷な印象をその場で見る者に与える、そしてその視線は、床に這う退助たち三人を冷たく見下す。

 やがてその視線は、太一と高槻へと向く。二人は、少年に対して最敬礼の姿勢を取り、静かに立っている。逃げる様子も、混乱もない。それはただ、主人からの命令を待つ下僕の佇まいだった。

 その異様な光景に、退助は戦慄を覚えながらも、叫ばずにはいられなかった。

「おい、太一!これは一体!!」

その、退助の悲痛ともとれる叫びにも、太一は一切の反応を示さずに、少年に対して、目を瞑り、頭を垂れた姿勢を崩す事は無い。

 少年は、退助たちに一瞥もしないまま、太一に歩み寄り言葉をかける。その表情はこれまでとはうって変わった慈愛に満ちたものではあったが、それはまるで、愛玩動物に向けられる感情を連想させた。

「太一くん、ケガは無かった?あれほどムリはしちゃいけないって、言ったじゃないか。」

 少年に対して、頭を垂れ続ける太一の頬を、彼は優しく撫でながら語りかける。太一は、不動のまま、その行為を受け入れるかのように、沈黙を保っている。

「この度は、申し訳ございませんでした、御影様。」

ようやく口を開いた太一から発せられたのは、御影と呼ばれた少年に対する、陳謝だった。それを目の当たりにした退助は、呆然と呟くしかなかった。

「た…いち…お前……どうした?」

その退助の衝撃を意にも介さず、御影の視線は高槻へと向けられる。

「高槻くんも、ケガは無い?だいじょうぶだった?」

「はい、御影様には多大なご心配をお掛けいたしました。面目次第も御座いません。」

「二人が無事なら、それでいいんだよ。」

 御影が、優しい笑みを浮かべつつ、そのような言葉を太一と高槻にかけた後、退助たち三人に向けて、冷ややかな視線を落としつつ、冷淡な口調で語り始める。

「二人には、ある処置をしてあるんだよ。」

退助の目が見開かれる。

「処置……?」

「洗脳して人格を書き換えてあるんだ。」

言葉が、理解を拒む。だが御影は、お構いなしに話し続ける。

「しかも、これは一度やっただけじゃダメで、定期的に人格の再固定をやらなきゃ、精神が壊れて死んじゃう仕組みになってる。」

湊と航が声を荒げる。

「そんな……。」

「酷すぎる!」

二人の抗議も意に介さないまま、御影は淡々と告げる。

「つぎの再固定が終われば、もう太一くんが、元にもどる事はできなくなっちゃうね。」

「高槻くんなんか、もう完全にボクのお人形さんになっちゃってるから。」

 退助の呼吸が止まる。視線だけが、太一を探す。太一は、こちらを見ていない。

御影は、わずかに微笑んだ、それは、人の心を凍らせるかのような、冷たい微笑みだった。

「二人がキミたちのところに戻ってくることは、もう無いよ。」

「ボクの人形でありつづけない限り、太一くんは壊れて死んじゃうんだから。」

そして、最後の言葉を置く。

「この二人の頭脳は、ボクが源生圏で大切に使わせてもらうことにするよ。」

 拘束された三人の前を、太一と高槻たちがが歩いていく。一度も振り返らず。足音が遠ざかる。そして扉が閉まり、彼らは去った。

 天梯の広い上層階に残されたのは、まだ床に組み伏せられたまま動けない三人と、退助の、押し殺す事など到底かなわない慟哭だけだった。


9.


 通路に響いていた足音が、完全に遠ざかった瞬間。気力を振り絞った退助は、全身の力で拘束をねじ切ろうとした。

「離せ!!」

 拘束が軋む。湊と航も同時に身体を捻る。警備主任たちは一瞬たじろぐが、すぐに抑え込もうと飛びかかる。

 そのわずかな隙だった。湊が、肘で警備員の喉を打ち抜いた。航が足払いをかける。退助は腕の拘束を外し、そのまま相手を壁に叩きつけ、気を失わせる。

 三人は、ほとんど言葉を交わさず、同時に走り出した。

「上層シャフトだ!」

湊の声に、退助は頷く。

 太一と高槻は、あのエレベーターを使う。御影も、そこへ向かうはずだ。長い通路を駆ける。警報が鳴り始める。赤い灯が回る。

 だが、止まれない。退助の頭の中は、もう一つのことしかなかった。

(太一を、取り戻す)

角を曲がった瞬間、銃声が響いた。

 壁に火花が散る。

「伏せろ!」

航が退助の背を押し倒す。弾丸が頭上を掠める。警備部隊が回廊の先に展開していた。

 退助は歯を食いしばる。

「突破する!」

三人は柱を盾に、間を詰める。湊が応射する。航が横へ回り込む。退助は真正面から走った。銃声が重なる。

 その時だった。退助の視界の端で、閃光が瞬いた。次の瞬間、強い衝撃が身体を襲う。

だが、痛みはなかった。

 代わりに、胸元に、温かい重みが崩れ落ちてきた。

「……航?」

航が、退助に覆いかぶさるように倒れていた。彼の背中から、ゆっくりと赤い色が滲み出している。

「ば、か……なんで……。」

退助は航の身体を抱き起こす。航の視線は、すでに焦点を失いかけていた。それでも、口元にかすかな笑みを浮かべる。

「退助…さん……無茶、しすぎ……っすよ……。」

「喋るな!湊、止血だ!早く!」

 湊が駆け寄る。だが、その手が止まる。見ただけで分かってしまった。致命傷だった。航は、震える手で退助の服を掴む。

「俺……あなたの背中、守るって……決めてたから……。」

「やめろ……もう喋るな……。」

退助の声が、かすれる。

航は、かすかに笑った。

「太一…さん……必ず助けて…あげて、くださいよ……。」

その言葉を最後に、手の力が抜けた。静寂が落ちる。警備の足音も、銃声も、遠くなっていた。

 退助は、航を抱いたまま、動けなかった。湊が、ゆっくりと立ち上がる。その目は、もう涙も浮かべていない。ただ、はっきりとした、激しい、怒りだけが宿っていた。

「退助さん!!」

その呼びかけに、退助は顔を上げる。

「…行きましょう。」

 退助は、航の身体をそっと床に横たえる。その額に触れ、目を閉じさせる。そして、立ち上がった。もう、言葉はなかった。

 二人は再び走り出す。

だがその時、天梯の奥から、地鳴りのような低い振動が伝わってきた。床が震える。照明が揺れる。

 湊が振り返る。

「……まさか?」

遠くで、轟音が響いた。


10.


 振動は、次第に“揺れ”ではなく、連続した衝撃へと変わっていった。足元から伝わるそれは、建物が悲鳴を上げているような感覚だった。

 天井のパネルが外れ、火花が散る。通路の照明が、明滅を繰り返す。湊が、歯を食いしばる。

「構造体がやられてる……内部からだ……!」

退助は、ただ前を見た。

「御影……!」

その名を、吐き捨てるように。

 遠く、上層シャフトの方向から、爆音が連続して響く。重力さえ揺らぐような衝撃。天梯そのものが、軋み、捻れ、崩れ始めている。

 それは事故でも、戦闘の余波でもない。「意図された、破壊」。

湊の顔から血の気が引く。

「俺たちに……太一さんたちを追わせてる間に……。」

退助の拳が、強く握られる。

「陽動か……!」

 御影は、最初からこれを狙っていた。太一と高槻を使い、退助たちの目を引きつけ、その裏で、天梯の中枢へ直接手を入れていた。

 足元が大きく傾く。壁に身体を打ち付けられながら、二人は必死に姿勢を保つ。警報は、もはや意味を成さないほど鳴り響いていた。

「退助さん!脱出ポッドへ!」

 だが、退助は動かない。視線の先。煙の向こう。崩落する回廊のさらに奥に、見慣れた人影が見えた気がした。スーツ越しにでもわかる、がっしりとして均整の取れた姿が、小さな少年の後ろに従う。

「……太一。」

思わず、声が漏れる。

 だが次の瞬間、床が崩れた。二人の足元が抜け落ちる。湊が咄嗟に退助の腕を掴む。金属の梁に身体を打ちつけながら、辛うじて落下を免れる。

 下は、奈落のような闇だった。轟音と共に、巨大な構造材が落ちていく。退助は、歯を食いしばりながら、這い上がる。

「くそっ……くそっ……!」

届かない。もう、届かない。

 その現実が、胸を締め付ける。湊が、強く退助の肩を掴んだ。

「退助さん!!ここで死んだら、航に顔向けできません!」

その言葉が、退助の意識を引き戻す。航の、最後の笑顔が脳裏をよぎる。「太一さん、必ず助けてあげてくださいよ」。

 退助は、目を閉じ、深く息を吸った。そして、立ち上がる。

「……行くぞ。」

声は、低く、震えていなかった。二人は、崩壊する通路を駆け、脱出ポッドへと向かう。

背後で、ついに決定的な轟音が響いた。それは、天を貫いていた塔が、折れる音だった。

世界中に届くであろう、終焉の音。

 天梯は、崩れ落ちた。


11.


 救出部隊が天梯崩落現場に到達したのは、すべてが終わった後だった。崩れ去る天梯から、命からがら逃げ出した二人は担架を拒んで自力で立とうとしたが、足元が覚束ない。長時間の激闘とスタンの痺れが、まだ体に残っている。

「太一はさんは……?」

最初に口にしたのは湊だった。

 退助は答えない。分かっているからだ。ここには、もう何も残っていない。太一も、高槻も…そして…航も。まるで最初から誰も居なかったかのように、瓦礫の山に埋もれていた。

 湊は唇を噛みしめる。

「……連れて行かれた。」

退助は、ただ立っていた。視線がどこにも合っていない。救出隊の隊員が状況を説明しているが、言葉は耳を素通りしていく。

 太一は、自分の意思で去ったわけではない。裏切ったわけではない。それだけは、はっきりしている。それが、ほんの僅かな救いだった。だが…だからこそ、どうしようもなかった。

 奪われた。力づくでもなく、説得でもなく、もっと悪質なやり方で。退助の中から、何かがすっぽり抜け落ちている。

 怒りも、焦りも、今は湧いてこない。ただ、空洞だけがある。湊がそっと声をかける。

「退助さん……。」

反応がない。航が、困ったように視線を向ける。

 退助は、ようやく口を開いた。

「……太一は。」

 それだけ言って、言葉が続かない。喉が詰まる。拳が震える。けれど、涙は出ない。感情が、まだ追いついていない。

 その姿は、まるで魂を置いてきてしまった人間のようだった。抜け殻のように、ただそこに立っているだけだった。

 保安部のオフィスは、妙に静かだった。人はいる。端末も動いている。だが、この一角だけ、音が遠い。

 退助は自分の席に腰を下ろしたまま、正面を見ていた。視線の先にあるのは、太一のデスク。椅子は半歩引かれたまま。端末の電源は落ち、マグカップがそのまま置かれている。

 さっきまで、そこに居たはずなのに。手を伸ばせば届きそうなのに。もう、いない。

湊は少し離れた場所から、その背中を見ていた。

 声をかけるタイミングを探しているうちに、時間だけが過ぎていく。それでも、沈黙を破ったのは、やはり湊だった。

「このまま何もしないで諦めるなんて、あなたらしく無い!」

退助の肩が、わずかに揺れる。

湊は一歩踏み出す。

「行きましょう。太一さんを、取り戻しに!」

「このままじゃ、航も浮かばれない!太一さんには及ばないかもしれないけど、俺は、あなたの隣に立ちたい!!」

 その言葉は、まっすぐだった。退助は、しばらく動かなかった。湊の言葉が、空気の中に溶けずに、そのまま残っている。

 やがて、ゆっくりと、呼吸が戻る音がした。胸の奥で、止まっていた何かが、ぎこちなく動き出す。退助の視線が、初めて焦点を結ぶ。太一の空席ではなく、その向こう…湊を見る。

「……隣に、立つ?」

まだ声は掠れていた。

 湊は、まっすぐに頷く。

「はい。」

退助は、しばらくその顔を見つめていた。迷いも、恐れも、逃げもない目だった。太一と同じ目だ、と、ふと思う。自分よりも先に、前を見ている目。

 退助は、ゆっくりと立ち上がった。椅子が、わずかな音を立てて後ろに下がる。その動作だけで、周囲の空気が変わった。

「わるかったな……そうだな、やられっぱなしで、終われるかよ。」

低く、押し殺した声。そして、拳を握る。震えは、もう無い。

「太一は、奪われただけだ。まだ、終わってない。」

湊の胸の奥が、強く鳴る。

 退助は、太一のデスクに歩み寄り、そこに置かれたマグカップを手に取る。指先で、縁をなぞる。

「待ってろよ、太一。」

それは、誰に聞かせるでもない、独り言だった。だが、確かな意思がこもっていた。マグカップを、元の位置に戻す。まるで、すぐに主が戻ってくると信じているかのように。

 退助は振り返る。

「湊。」

「はい。」

「付き合え。地獄の底まででも。」

湊は、力強く頷いた。

「望むところです!」

 その瞬間、二人の間に、新しい何かが生まれていた。太一との間にあったものとは、違う。けれど、確かに強い、別の形の結びつき。失くしたからこそ、出来た繋がり。

 退助は、保安部の端末へと歩き出す。

「源生圏……御影……御前……。」

低く呟きながら。

「全部、洗い出すぞ」

背中は、もう抜け殻ではなかった。

 戦う男の背中だった。


12.


 原生圏本部は、音がなかった。床も壁も天井も、素材の継ぎ目すら見えない白で統一され、距離感と奥行きの感覚を奪う構造になっている。足音だけが、やけに鮮明に響く。その長い通路を、御影は歩いていた。半歩後ろを、太一が無言で従う。

 原生圏本部での彼に、衣服を纏う事は認められていない。だがそれを恥と認識する心は、もう彼の内には無い。ただ、命じられた通り裸の姿で、命じられた通りの距離を保って歩いている。

 やがて通路は途切れ、巨大な白い空間へと開けた。正面奥に、段差が一つ。その上に、椅子が一脚据えられている。

 そこに、「御前」は座っていた。年齢も性別も判然としない。顔立ちの印象が、視界に留まらない。不思議な違和感だけが、見る者の記憶に残る。

 御影は、その場で膝をついた。太一も丸裸に剥かれたままの姿で、同じ動作を、同じ角度で、寸分違わず再現する。

 額が床に触れる。

「御前様。この度の作戦、完遂いたしました。」

静かな声が、白い空間に溶ける。

 しばしの沈黙の後、やがて御前は口を開いた。

「よくやった、御影。」

声は穏やかだった。だが、感情が読み取れない。

「天梯の崩落は、予測以上の効果をもたらした。播種計画も、宇宙開発機構も、当分は混乱から立ち直れまい。」

御影は顔を上げない。

「恐れながら、御前様に献上したきものがございます。」

その言葉で、御前の視線が、初めて太一に向けられる。

 太一は動かない。視線も伏せたままで、御影は続ける。

「この男、八木太一。洗脳処置と人格書換えにより、完全に制御下に置いております。極めて高い知性と適応力を持ち、原生圏にとって有益な働きを為すものと存じます。どうか、御前様の御許に。」

白い空間に、静寂が落ちる。

 やがて、御前が、わずかに首を傾げた。

「御影。」

「は。」

「それは、お前の物だ。」

御影の呼吸が、一瞬だけ止まる。

「……御前様?」

「今作戦における、最大の“収穫物”だ。お前が扱え。お前の側に置け。」

 ゆっくりとした声だが、拒否も異論も許さない響き。

「褒美として、八木太一をお前に与える。」

御影は、額を床に擦り付けるように、深く頭を下げた。

「身に余る光栄にございます。」

その声音には、明確な喜びが滲んでいる。

 御前は、太一を見下ろす。

「顔を上げよ。」

太一は、即座に従う。御前と視線が合う。その瞳には、何も映っていない。ただ、命令を待つ静かな光だけがある。

 御前は、わずかに笑った。

「なるほど。これは確かに、美しい。」

しばし見つめた後、興味を失ったように視線を外す。

「下がって良い。再固定を怠るな。壊してしまっては意味がない。」

「御意に。」

御影は立ち上がり、太一を伴って、その場を辞した。

 白い通路を戻りながら、御影は何度も太一を見上げる。

「太一くん。」

「はい、御影様。」

「よかったね。これで、正式にボクのものだよ。」

太一は、微かに微笑んだ。

「光栄に存じます。」

その言葉に、御影は満足そうに笑う。

 やがて二人は、処置室へと入る。室内には、既に再固定装置が準備されている。温水で満たされた透明な水槽と、その事前の処置を施す為の検査台に、全身を覆うラテックス状のウエットスーツと、全頭マスク。

太一は、生まれたままの姿で、自らその検査台に横たわる。命じられていないのに。もう、手順を理解している。

 御影は、その横に立つ。太一の身体に覆い被さる様に左手で、太一の右の頬に触れつつ右手の指を、太一の右手の指と絡める。そして、太一の唇に、自らの唇を重ねてから言う。

「少しだけ、また深く眠るよ。起きたら、もっとボクのこと、好きになってる。」

「はい。」

 太一は、自身を固く反り返らせながら返事をする。恐怖も、不安も、そこには無い。

ただ、従順な信頼だけがある。

 腕からラインが取られ、鎮静剤が投与される事で、太一はまた、眠りに落ちる。彼の意識は安堵の中で、再び闇の中へと沈んでいく。御影は、その様子を、満足そうに見つめていた。

 まるで、大切な宝物が、傷つかないように手入れされていくのを見守る子供のように。


13.


 天梯崩壊からは、既に三日が過ぎていた。

 原生圏本部の一室。壁一面に並ぶ観測スクリーンには、混乱の続く各地の映像が、無音のまま流れている。その前に立つのは、御影ではない。

 四天王の一人、冬馬と呼ばれる少年だった。。

「想像以上だね。」

淡々とした声。感嘆でも、驚きでもない。ただ事実を確認する口調。

 背後の自動扉が静かに開き、御影が入ってくる。

「見てるの?」

冬馬は振り返らない。

「保安局の動きね。特に、中島退助くん。」

御影の足が、わずかに止まる。

「……へぇ。」

 冬馬は画面の一つを指先で拡大する。そこには、瓦礫の前に立ち尽くす退助の姿が映っている。焦点の合わない目。魂の抜けた横顔。

「このおじさん、面白そうだね。」

御影は、ゆっくりと近づき、同じ画面を見る。

「面白い?」

「壊れない。」

冬馬は短く言った。

「普通なら、もう動けなくなってるはずだよ。でも彼は違う。今は抜け殻だけど、きっとすぐに戻るよ。しかも、前より厄介な形でね。」

御影は小さく笑う。

「退助くんは、しつこいよ。ボク、ああいうおじさん嫌い。」

「俺は好きだよ。」

即答だった。

 御影が視線を向ける。冬馬は、ようやく振り返る。その目には、興味の光が宿っている。

「少し、近くで見てみたい。」

御影の口元が、愉快そうに歪む。

「彼も壊すの?」

「いや。」

冬馬は首を振る。

「触れてみたいだけだ。」

その言い方に、御影はわずかに眉をひそめる。

「退助くんは、キミが思ってるより面倒だよ。」

「だからだよ。」

短い沈黙の後に、やがて御影は肩をすくめた。

「好きにすればいいよ。でも、太一くんの邪魔はしないでね。」

冬馬は視線を外し、再びスクリーンを見る。

「心配しなくても。俺は、太一くんには興味ないよ。」

そして、ぽつりと付け加える。

「俺が欲しいのは、中島退助くんのほうだ。」

御影は、それを聞いて、くすりと笑った。

「四天王って、ほんと変わり者ばっかりだね。」

「それを君が言うかな?」

画面の中で、退助がゆっくりと顔を上げる。

その目に、微かな光が戻り始めていることに、二人は気づいていた。

冬馬は静かに呟く。

「さて……迎えに行ってくるよ。」

原生圏の静かな部屋で、次の物語が、音もなく動き始めていた。


はい、こん○○は、中の人です。


勢いだけで始めてしまった今回のお話ですが、なんとか序章を形にできたかな?と、思っております。

そんなに日を置かずに投稿出来たのは、なんかもう、奇跡に近い感じがしております。

この先…読んでくださる方がどの位いらっしゃるかは分かりませんが、まぁ、自分も楽しみながら

続けて行ければ良いかなと。


では、またそのうち。


あ…今回はお色気少なめでしたね、ごめんなさい。

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