表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された気弱令嬢リリエラ・ライムブリュレは、選ばれるのをやめました 〜冷酷公爵は静かに立候補する〜  作者: 仁科異邦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/45

第二十六話 カルディア夫人からの招待


ガルディア夫人からの招待状は、帰宅の翌日に届いた。

タイミングが良すぎた。

「待っていたんでしょうか」

「そうかもしれませんよ」

マリアが静かに笑った。

招待状には、いつもの格式ばった文章はなかった。


お茶でも。——ガルディア


それだけだった。

リリエラは少し笑った。

短い手紙に、なぜか親しみを感じた。


ガルディア夫人の屋敷に着いたのは、翌日の午後だった。

通された部屋は、前回と同じ応接室だったけど——今日は窓が開いていた。

前回は閉まっていた。

その違いが、なんとなく嬉しかった。

夫人はすでに椅子に座っていた。


「来たわね」

「はい。お招きありがとうございます」

「座りなさい」

座った。

お茶が来た。

夫人がカップを持ちながら言った。


「領地から帰ったと聞いたわ」

「はい。昨日戻りました」

「どうだった」

「……よかったです。とても」

「顔を見ればわかるわ」

「そんなに出ていますか」

「出ているわよ。うん、いい顔をしている」

リリエラは少し、頬が熱くなった。

夫人がお茶を一口飲んだ。


「前に言ったわね。また昔の話をしましょうって」

「覚えています」

「今日は——話そうと思って呼んだ」

「聞かせてください」

夫人はしばらく、窓の外を見ていた。

八月の終わりの風が、カーテンを揺らしていた。

「私が十八のとき」

夫人が言った。

「好きな人がいた」


「はい」

「同じ年の、騎士の家の息子だった。家格は低かったけど——真面目な人だった。私のことを、ちゃんと見ていてくれた」

「……」

「でも、侯爵家の娘が騎士の息子と、という話にはならなかった。両親が認めなかった」

「そうでしたか」

「私も——逆らえなかった。逆らう、という考えが、そもそもなかった。女は選ばれるもの、と骨の髄まで信じていたから」

夫人の目が、少し遠くなった。


「その人は、今も元気にしているわ。別の人と結婚して、子どもが三人いる。先日、社交の場で見かけた」

「……夫人は」

「挨拶したわ。普通に。向こうも普通にしていた。それだけよ」

「後悔していますか」

夫人が、リリエラを見た。

「するわよ」

「……はい」

「五十年経っても、少しはする」

「そうですか」

「でも——後悔していることと、間違えたこととは、少し違う気もしている」

「違う?」

夫人が窓の外を見た。


「あの頃の私には、選ぶという選択肢が見えていなかった。見えていないものは、選べない。だから——間違えたというより、知らなかった、という方が近いかもしれない」

「……」

「あなたが羨ましい、と思う」

「私が」

「見えていた。怖くても、見えていた。そして——選んだ」

リリエラは夫人を見た。

七十代の、背筋の伸びた女性。

五十年、選ばれることを一生懸命やってきた人。

その人が——少し、疲れた顔をしていた。

疲れていたけど、正直な顔だった。


「夫人」

「なんでしょう」

「今からでも——選べることは、あると思います」

夫人がリリエラを見た。

「七十過ぎで?」

「年齢は関係ないと思います」

「何を選ぶというの」

「たとえば——本当のことを言う、とか」

「本当のこと」

「社交の場で、思ってもいないことを言わない、とか。嫌いなものを嫌いと言う、とか」

夫人がしばらく黙っていた。


「……小さいことね」

「小さいことからでいいと思います。私も——最初は、震えながら一言言えただけでした」

「あの夜会で」

「はい。それだけでした。でも——そこから、変わりました」

夫人は窓の外を見た。

風が吹いた。

カーテンが揺れた。


「……あなたに謝ったとき」

「はい」

「あれが——久しぶりに、本当のことを言った気がした」

「そうでしたか」

「怖かったわ。七十過ぎて、若い令嬢に謝るのが怖かった」

「怖いのに、言ってくれましたよね」

「……言ったら、楽になった」

「そうだと思います」

夫人がリリエラを見た。


「怖くても言えたのは——あなたがそういうことをする人だと知っていたから、かもしれない」

「私が?」

「大勢の前で震えながら言えた人に——私も、言えた」

リリエラは少し驚いた。

「つまり——あなたに、背中を押してもらったということよ」

「……そんな大したことは」

「大したことよ」

夫人がきっぱり言った。


「受け取りなさい」

「……ありがとうございます」

「素直でよろしい」

夫人が、ふっと笑った。

柔らかい笑いだった。

この人のこういう顔を、最初は想像できなかった、とリリエラは思った。


「もうひとつ、言おうと思っていたことがある」

「はい」

「あなたのことを、貴族の秩序を乱すと言った」

「はい」

「今は——そうは思っていない」

「……夫人」

「あなたがやっていることは、秩序を乱しているのではなくて——秩序を、作り直しているのかもしれない、と思っている」

リリエラは黙って聞いていた。


「女が選ぶことが当たり前になれば——それが新しい秩序になる。今は揺れているように見えるけど、落ち着いたら——きっと、今より自然な形になる」

「……夫人はそう思ってくださるようになったんですか」

「あなたに会って、少しずつ」

「私は何もしていないです」

「いるだけで、している」

夫人が言った。

「存在が、言葉になることがある」

リリエラは少し間を置いた。

「……ありがとうございます」

「今日は、礼を言われるためではなく——ただ話したかっただけ」

「でも、受け取ってください」

夫人が少し笑った。


「……しつこいわね」

「公爵に教わりました」

「あの子に似てきたわね、やっぱり」

「よく言われます」

「悪いことではないわ」

ふたりでお茶を飲んだ。

窓から風が入ってきた。

夏の終わりの風だった。

少し、秋の匂いがした。


帰り際に、夫人が言った。

「来月も来なさい」

「伺います」


扉を出る前に、リリエラは振り返った。

夫人が窓の外を見ていた。

背筋が伸びていた。

でも——来たときより、少し。

肩が、下りている気がした。

よかった、と思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ