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婚約破棄された気弱令嬢リリエラ・ライムブリュレは、選ばれるのをやめました 〜冷酷公爵は静かに立候補する〜  作者: 仁科異邦


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第二十五話 王都へ


出発の準備が整ったのは、昼過ぎだった。

荷物を積んで、マリアが馬車に乗り込んで、クロワが御者台に上がった。


リリエラは乗り込む前に、もう一度だけ屋敷を振り返った。

三泊四日だった。

短かったのに——たくさんのことがあった気がした。

一輪の花。

泥のついたドレス。

夜の川。星。白いお墓。二輪の花。

全部、この場所で起きたことだった。

「また来ます」

小さく、呟いた。

「ああ」

公爵が隣にいた。


「また来よう」

「次はいつですか」

「来月でも、来年でも——いつでも」

「来月、来たいです」

「来ればいい」

「来週でも?」

「……来てもいい」

リリエラは笑った。


「冗談です」

「冗談でなくてもいい」

「クロワ男爵に怒られます」

「怒らない。あいつは、こういうことには文句を言わない」

御者台のクロワが、小さく咳払いをした。

聞こえていたらしい。

ふたりで笑って、馬車に乗り込んだ。


馬車が動き出す。

領地の道を、ゆっくりと走り始める。

窓から外を見ると村が見えた。

子どもたちが手を振っていた。

あの女の子もいた。

リリエラは窓から手を振り返した。

思いきり振った。


子どもたちが、もっと激しく振り返してきた。

「……また来るからね」

聞こえないとわかっていたけど、言った。

村が遠ざかる。

緑が続く、丘が見えた。

昨日来た道を、逆に走っていた。


しばらくして、公爵が言った。

「今日のこと——エレナの話、辛くなかったか」

「辛くないです」

「本当に」

「本当に。会えてよかったと思っています」

「なぜそう思える」

リリエラは少し考えた。


「レオンハルトのことを——もっと知れた気がするから、だと思います」

「エレナを知ることが、私を知ることになるのか」


「あなたが大切にしてきたものを知ることが——あなたを知ることだと思っています」

公爵が黙っていた。

馬車が揺れた。

緑が、窓の外を流れていった。


「……あなたは」

公爵が、少し間を置いて言った。

「不思議な人だ」


「不思議ですか?」

「嫉妬しないのか」

「嫉妬——」

リリエラは少し考えた。

「しないわけじゃないです」

「そうか」

「エレナさんのことを話すとき、レオンハルトの目が——あの人のことを、今も大切に思っているとわかります。それを見ると、少し」


「少し」

「……少し、胸が痛くなります」

公爵が静かにリリエラを見た。


「でも」

リリエラは続けた。

「大切な人を大切なままにしていられる人が——今の私のことも、大切にしてくれている」

「……」

「それは、信頼していいことだと思っています」

「なぜ」

「大切にできる人は、大切にし続けられる人だから」

公爵はしばらく、リリエラを見ていた。

「……そういう考え方をするのか」


「帳簿で学びました」

「帳簿で?」

「ちゃんと管理できる人は——何に対してもちゃんと管理できます。大切にできる人は、何に対しても大切にできる」

公爵が、目を細めた。


「何でも数字や帳簿に結びつけるな」

「好きなので」

「そうだっただな」

少し笑った。

リリエラも笑った。


馬車が丘の上にさしかかったとき、クロワが速度を落とした。

「お嬢様、窓をご覧ください」

言われて、窓から外を見た。

丘の上から、領地が見えた。


来るときに止まった場所だった。

今日は、来るときより空が明るかった。

曇っていた朝から、午後になって雲が切れていた。

光の中に、緑が広がっていた。

畑が見えた。川が光っていた。

村の屋根が見えた。

「……」

言葉が出なかった。

来るときも綺麗だと思った。


でも今日は——人の顔が見えた。

数字の向こうにいた人たちの、顔が。

花をくれた女の子の顔。

白いお墓の前で見た公爵の顔。

夜の川で繋いだ手の温かさ。

全部、この景色の中にあった。


「レオンハルト」

「なんだ」

「この景色——ちゃんと覚えておきます」

「なぜ」

「忘れたくないので」

「写真でも撮れればいいが」

「手帳に書きます」

「絵は描けるか」

「下手ですが、描きます」

「下手でもいい」

「下手でもいいんですか」

「あなたが描いたなら、それが正解だ」

リリエラは少し、頬が熱くなった。


「……そういうことを、さらっと言わないでください」

「言いかけたら止まらない、と約束した」

「それはそうですが」

「困ったか」

「困っています」

「申し訳ない」

全然申し訳なさそうではなかった。


リリエラは窓の外に向き直った。

領地が、光の中に広がっていた。

目に焼き付けた。


帳簿の数字を覚えるときとは、違う覚え方で。

もっと、柔らかい覚え方で。

馬車がまた動き出した。


丘を下りていった。

領地が、少しずつ遠ざかっていった。

「また来ます」

今度は、ちゃんと声に出して言った。

公爵が頷いた。

「ああ」

「絶対に」

「ああ」

「来月も」

「……来月も」

「再来月も」

「……毎月来るつもりか」

「来ていいと言ったのはレオンハルトです」


「確かに言ったな」

「では来ます」

「……分かった」


今度は笑わなかった。

真剣な顔で言った。

その顔が——なんだか、笑顔より嬉しかった。


王都が見えてきたのは、夕方だった。

石畳が見えてきて、屋根が増えてきて、人の声がしてきた。

見慣れた景色だった。

でも——領地へ向かう時とは見え方が違った。


「戻ってきた、という感じですね」

「そうか」

「行くときは、どこかへ向かう感じでしたが——帰りは、ちゃんと帰ってきた感じがします」

「王都が、帰る場所に見えるか」

「はい。それと——」

リリエラは少し止まった。


「帰ってきても、また行く場所ができた感じがします」

「領地が?」

「はい。ここに帰ってきて、また向こうに行く。どっちも、自分の場所だという感じが」

公爵は何も言わなかった。

でも——目が、やわらかかった。

門をくぐった。


石畳の音が、馬車の下から聞こえてきた。

「リリエラ」

「はい」

「今回の旅——ありがとう」

「こちらこそです」

「来てくれたことへの礼だ」

「受け取ります」

「……珍しく、素直に受け取るな」

「この旅のことは、素直に受け取りたいので」

公爵が少し目を細めた。


「また来月、向こうで話そう」

「はい」

「続きは——まだたくさんある」

「当分尽きない、ということですね」

「ああ」

「最初に言ってくれましたね、そんなことを」

「覚えていたのか」

「全部、覚えています」

公爵が——今日一番、はっきりと笑った。

馬車が止まった。


ライムブリュレ家の前だった。

降りながら、リリエラは空を見た。

夕焼けが始まっていた。

王都の石畳が、オレンジに染まっていた。

綺麗だった。

領地の夜空とは、違う綺麗さだった。

でも——どっちも、好きだった。

「また明日」

公爵が言った。

「ええ、また明日」

リリエラは返した。


馬車が動き出した。

見送りながら、リリエラは手の中のものを握った。

手帳だった。

馬車に乗っている間に、ポケットに入れてしまっていた。

屋敷に入って、部屋に戻って、すぐに開いた。

旅の間に書いた言葉が、並んでいた。


最後のページを開く。


領地から、帰ってきた。 エレナさんに、会えた。 ちゃんと大切にします、と約束した。 大切にできる人は、何に対しても大切にできる。 そういう人を、選んだ。 来月また行く。 当分、続きは尽きない。 ——よかった。


書き終えて、ペンを置いた。

窓から、夕焼けが見えた。


押し花が、手帳に挟まっていた。

くたっとした、小さな野の花。

でも——ちゃんと残っていた。

色が少し薄くなっていたけど、形は残っていた。

大事なものは、残しておいた方がいい。


そう教えてくれた人の言葉が、今日また——少し重くなった。

大事なものは、残っていく。


残しながら、歩いていける。

そう思った。


ここまでお読み頂きありがとうございます。

是非評価、ブックマークよろしくお願いします。

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