25話 私はもう、迷わない
澪は生徒会室の窓を開け、曇天の空を見上げる。
手のひらを出すと、一滴の雨が落ちてくる。
「本降りにならないといいけど」
扉がぶしつけに開く音が、静かな室内に響く。
葵を先頭に麗と晴が入ってきて、澪は薄い笑みを浮かべる。
「3人とも来てくれたのね。嬉しいわ」
葵と晴が麗を隠すように足を踏み出す。
「こいつだけ行かせられるか」
「あんたのことまだ信用してないって言ったでしょ」
麗はスマホに目を落とし、澪とのトーク画面を一瞥する。
『これからのことを、2人でお話しましょう。放課後、生徒会室に来てもらえるかしら?』
画面を消して、スマホをポケットにしまう。葵と晴の間から体を滑り込ませ、澪を見据える。
「澪さんは鹿島組と一緒に、今の大熊組を潰すつもりなんですか?」
「ええ。端的に言えばそうよ。目的は麗さんと一致しているでしょう? あなたが恨むべき相手は、私の父なのだから」
観覧車の中で手を差し出す澪が脳裏をよぎる。
あの時、私は決めた。
大熊に復讐することを――。
「私は、大熊を許せない。でも、澪さんにとっては父親ですよね? 本当にいいんですか?」
澪は笑みをなくし、感情のない声が室内に浸透する。
「血の繋がりなんてどうでもいいわ。あの人のやり方は昔から気に入らなかったの」
「でも、大熊組を解体したのは私の父と鹿島組なんですよ。……恨んでないんですか?」
一瞬、静寂が訪れる。
澪が小さくふっと息を漏らし、冷たく微笑んだ。
「まさか。 その逆よ。感謝しているぐらいだわ」
「……どうして?」
「父も、父方の祖父も考え方が古臭くて、辟易していたの。傍若無人、極悪非道、任侠なんて欠片もないわ。おまけに男尊女卑、私も母も限界だった。解体されたおかげで離婚の口実ができて、大熊家から逃れられたわ。でも……」
澪は目を伏せ、睫毛を震わせる。
「母はとっくに限界を超えていて、壊れてしまったわ。鹿島組への恨みに取り憑かれた父は、あんなに見下していた私を駒にするために私を連れ戻した。あんなところ、二度と戻りたくなかったのに……」
澪の整った顔が歪む。
「そんな人間らしい顔できたんだ。その顔の方がよっぽどあんたらしいよ」
口角を上げる晴を、澪は目を丸くして見つめる。ほんのりと頬が染まる。緩みそうになる口元をさっと隠し、軽く咳払いをする。
「コホン。とにかく、私は父が再興した大熊組を潰して、新しい組織を作り上げる。そして、父に制裁を下すの。……どんな手を使ってもね」
冷淡に細めた澪の瞳が鋭い光を放つ。
「何か考えがあるんですか?」
「内側から組員の数を減らしているところよ。父の右腕を取り込んで、無理やり従わされている組員にも少しずつ声をかけているわ。私の力が及ばないところを、鹿島組にお願いしたいの」
澪は葵、晴、麗を順に見てふわりと微笑んだ。
晴が鏡写しのように、澪と同じように微笑む。
「そういうの他力本願っていうんじゃない?」
「自分にできることとできないことを心得ているのよ。でも、必ず父に報復したいの。そのためならそちらの組長にいくらでも頭を下げるつもりよ。麗さんなら、私の気持ち分かってくれるわよね?」
黒真珠のような澄んだ澪の瞳が麗を射抜く。
大熊への恨み、怒り、憎悪が黒々としたもやとなって胸の中に広がる。
大熊は私の全てを奪った元凶。
私が復讐するべき相手。
お父さんとお母さんのためにも……。
麗が拳を握りしめた時、ポケットが震動した。
スマホを取り出すと、フクロウからのメッセージが次々届く。
『パスワード解析できた。大熊組のフォルダには、モズさんが集めた、現・大熊組の情報が入ってた。裏帳簿、組員リスト、犯罪の証拠映像。こんなの俺でも集めきれない。さすがモズさんだ』
『もうひとつのフォルダには別のパスワードがかかってて、解析にはもうちょい時間がかかりそうだ。大熊組のフォルダを他のUSBメモリに移したから家に届けといた』
『麗ちゃんの背中は俺が守る。麗ちゃんの気が済むようにしたらいい』
フクロウの温かい言葉が、胸の中のもやを掻き回す。
フクロウさん、ありがとう……。
「澪さん、これで大熊を潰しましょう」
麗はフクロウのメッセージを澪に見せる。
澪はスマホごと麗の手を握りしめ、にっこり笑いかけた。
「素晴らしい情報だわ。これをうまく使う策を一緒に練りましょう」
「……はい」
麗の薄茶の瞳に強い光が宿る。
その瞳に、澪の背後で手を振るレイの影が映る。
必ず大熊に復讐する。
もう、迷わない。
レイの影はにんまりほくそえむと、霧のように姿を消した。
数日後、鹿島家の応接間に重たい空気が流れる。
恒一、紗季は硬い表情で、USBメモリが差し込まれた晴のノートパソコンを凝視する。
向かいに座る澪は背筋を伸ばして口を開く。
「この証拠を使って、父、いえ、大熊に制裁を下したいと思っています」
麗は横目で澪を見て姿勢を正す。
恒一はパソコンから顔を上げて、澪に目を向ける。
「おまえのいう制裁は何だ?」
「それは……」
澪は目を伏せる。
「大熊を抹消したいんです。私の人生からも……この世からも」
表情を無くした澪の横顔に、麗の背筋に冷たいものが走る。
澪はすぐに笑みを浮かべて小首をかしげる。
「さすがにそれは現実的じゃないですけど。大熊の全てを奪ってどん底に突き落としてやりたいとは思っています」
静まる室内で、葵が晴にこそっと耳打ちをする。
「おまえと気が合いそうだな」
「そう? でも、やるなら徹底的にやりたいよね」
ふっと不敵な笑みを浮かべる晴。葵は気味悪そうに顔をしかめる。
澪はちらりと晴に目を向け、瞳を潤ませる。
(ハルさまのそういうところ、素敵……)
澪はぼうっと晴を見つめて動かない。
「澪さん?」
麗が呼びかけると、我に返った澪は笑顔を取り繕う。
紗季は澪に視線を向け、くすりといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「おもしろい子ね。……澪さん、あなたのこと信用するわ」
「ありがとうございます」
「でも、もし裏切るようなことがあれば、制裁を受けるのはあなたよ」
花が綻ぶようなきれいな笑顔なのに、紗季の周りに冷気が漂う。
「肝に銘じておきますわ」
澪は怯まず紗季の言葉をにっこりと受け流す。
麗の横で葵が呟く。
「こわっ」
麗は思わず頷き、腕をさする。
「笑顔なのに鳥肌が……」
パンッ!
恒一が両手を合わせ、大きな音が鳴り響く。麗はびくっと肩を震わせる。
「大熊の娘」
恒一の低い声が空気をひりつかせる。
「ひとつ条件がある。大熊組を潰したら、裏社会との関わりは絶て。おまえが組を作ったら、俺は潰す」
「なぜ、ですか?」
「おまえみたいな小娘は邪魔だ。……表で成り上がれ」
澪は目を見開き、面食らった顔で固まった。
「それがいいわね。それで、澪さんには何が策があるのかしら?」
紗季に問いかけられた澪は、麗を見て口角を上げた。
「実は、今週末に麗さんを連れて来いと大熊に言われました。その命令を利用します。4人である程度策は練りました」
麗は頷き、葵は作戦の続きを伝える。
「俺たちもこいつに騙された振りをしてついていく」
紗季が不安そうに眉を下げる。
「そんな危険なことさせられないわ」
「わかっています。そこで、鹿島組のお力をお借りしたいんです」
澪が恒一を真っすぐ見据える。
「大熊組の本拠地を包囲して頂きたいんです。大熊は麗さんさえ手にい入れば油断します。その隙に大熊を捕らえてください」
恒一は腕を組む。
「証拠はどう使うつもりだ。サツに渡したら握りつぶされるぞ」
「一斉公開するって大熊を脅すんだ」
スマホを手にする晴に、全員の視線が晴へ集まる。
「ネットにアップロードして、ボタンひとつで複数の報道機関、警察、SNSへ同時送信するよう設定しておく。誰かひとりが止めても止めきれないようにね。設定はフクロウさんに頼むつもりだよ」
「大熊を追い詰めるようなこと、あなたたちだけでやらせられないわよ」
晴はスマホを振ってにやりと笑う。
「僕のはダミーだよ。セキュリティが安全な場所、例えば学校で、次郎おじさんと母さんがタイミングを見て公開してもらいたいんだ」
不安気な表情を浮かべる紗季の背中を、恒一が励ますようにさする。
「いいじゃねえか。安心しろ、紗季。こいつらの安全は俺が守る。おまえの方にはメジロをつければ安心だ」
紗季が心配そうに揺らぐ瞳で麗を見る。
「私は反対よ。麗ちゃんを危険な目に遭わせたくないわ」
「私なら大丈夫です。それに、私が行かないと意味がないですから」
「……麗ちゃんは、怖くないの?」
薄茶色の瞳の奥に、揺らがない眩しい光が宿る。
「怖くありません。覚悟を決めたので」
紗季の目尻に涙が溜まる。瞬きと同時に頬を伝って流れる。
「麻衣と啓介さんにそっくりね」
恒一は麗を見据え、短く笑う。
「……ああ。おまえは正真正銘、モズの娘だ」
麗は心臓がくすぐられたような感覚に、自然と口元が緩んだ。
「照れてんじゃねえよ」
葵は麗の頭を雑に撫で、笑みを漏らす。
「そういうんじゃないよ」
麗はぐしゃぐしゃになった髪を撫でつけ、全員を見回す。
みんなのおかげでもうすぐ大熊に復讐が果たせる。
……私はもう、ひとりじゃない。
その頃。
猪俣は静かな雨音が響く病室で、点滴に繋がれて眠る痩せ細った妻の傍らに寄り添っていた。
「朱音。手術、受けさせてやるからな。元気になって、お嬢にお礼を言わねえとな」
こけた朱音の頬をそっと撫で、病室を後にした。
廊下に出てすぐ、体格の良い黒スーツの男2人に両脇を押さえられた。腰に無機質な固いものが当たり、身動きが取れない。
「てめえら、組のやつじゃねえか。何しやがる!」
「そいつらは俺の従順な駒だ。てめえと違ってな」
角から大熊の巨体がゆらりと姿を現す。
「……組長!」
大熊は、顔を強張らせる猪俣を病室内に押し戻し、スーツの男たちが扉を閉める。
「よくも俺を裏切りやがったな」
「な、何のことですか」
しらを切る猪俣の腹に大熊が重い拳を打ち付ける。
「ぐはっ」
猪俣は腹を押さえてうずくまる。
大熊は猪俣の髪を掴んで持ち上げ、怒りを押し殺した声をぶつけた。
「こいつらが澪の悪だくみを報告してくれてよう。全部知ってんだよ」
猪俣は目つきの悪い男たちを見上げ、歯を食いしばる。
「俺よりも女が大事か。なら、こうしたらおまえは俺の駒に戻るよな」
大熊は目線で男たちに合図を送る。
男たちはベッドの脇に移動し、猪俣の妻に銃を向ける。
「や、やめろ!」
猪俣は身をよじらせ、四つん這いで朱音に手を伸ばす。
だが、大熊に蹴りを入れられ、床の上に突っ伏す。
「ぐっ! あ、朱音……」
「女が生きるか死ぬかは、てめえ次第だ。週末、澪が長宮麗を連れてくる。その時、あいつを捕らえろ」
「なっ……」
「それまではあいつの味方の振りをして、油断させておけ。反抗期のガキは締めてやらねえとなあ。そうだろう、猪俣」
猪俣は銃を朱音に向けたままの男たちに焦りを募らせる。
瞼の裏に大金を渡してくれた澪の姿が脳裏をよぎる。
『奥様の手術、成功するといいですね』
頭を振って澪の笑みを振り払う。
「すいやせんでした。組長の仰る通りに……」
大熊は猪俣に低く野太い声で囁く。
「また裏切ってみろ。そん時はてめえも、てめえの女の命もないと思え」
男たちは銃を下ろす。猪俣は安堵と焦燥の重たい息を吐き出した。
週末の朝、麗はぽたぽたと滴る雨音で目を覚ました。窓の外には大粒の雨が降りしきる。
麗は唇を引き結び、家族写真を手に取る。
やっとこの日が来た。
お父さんとお母さんの娘、”長宮麗”として大熊に復讐を果たす。
そして私は……。
麗は目を閉じ、まだ見ぬ復讐の先を瞼の裏に映す。
枕の横でスマホが震える。
フクロウからの着信だ。
「もしもし」
『朝から悪いな。もうひとつのフォルダのパスワード、解析できた』
麗は目を見開く。
『中身はオンラインで見られるようパスワードをかけて保管してある。パスワードはメッセージで送る。見るかどうかは、麗ちゃんが決めてくれ』
「ありがとうございます」
『今日は俺も鹿島組と一緒に待機しておく。……無茶するなよ』
「はい。……フクロウさん」
『なんだ?』
「今度、”モズ”のこと色々教えてください」
『おう。聞かせてやるよ』
スマホ越しにフクロウの軽い笑い声が聞こえる。
麗はスマホを置いて写真の中の両親を撫でる。
「すべてが終わってから、あのフォルダを開くよ。お父さん、お母さん、待っててね」
日が暮れるにつれて雨の勢いは増し、雷鳴が轟く。
闇に紛れ、雨具を被った鹿島組の組員たちが、大熊邸の周囲を取り囲む。
クロサギが恒一に傘を差している。その傍らでは、雨具のフードを目深に被ったフクロウが手元のスマホを凝視している。
「あいつら、来たみたいだな」
恒一が門前に目を向ける。
麗、葵、晴が澪の後ろで門を見上げている。
『義兄さん、あの子たちにつけたカメラの映像、見えてますか?』
一拍置いて、次郎の声が届く。恒一はスマホに目を落とし、短く返した。
「おう」
九南学園の理事長室では、次郎と紗季、目白がパソコンの前で大熊邸の周囲に仕掛けたカメラと、麗たちの服にとりつけた小型カメラの映像を見ている。
『メジロ、次郎と紗季のこと任せたぞ』
恒一の声に目白は頷く。
「ああ」
雨は更に激しさを増す。稲妻が走り、近くで落雷の音が鳴り響く。
恒一はインカムを口に近づける。
「——作戦開始だ」
イヤホンから組員たちの張り詰めた声が聞こえる。
「行くわよ」
振り向いた澪の視線が、稲妻が反射して煌めく麗の瞳を捉える。
「はい」
ジーンズのポケットに触れると、家族写真の角が指先に当たった。
お父さん、お母さん、見ていて。
「行くぞ」
「行こう」
葵と晴の力強い眼差しに背中を押されるようにして、大熊邸に足を踏み入れた。




