24話 ……いいな
麗が晴の部屋のドアをノックしようとした時。隣の部屋から葵が出てきた。
「何してんだ?」
「あっ、えっと……」
言い淀んでいると、晴がドアを開けて目を丸くした。
「うわっ、びっくりした。どうしたの、2人とも」
「パソコン貸してもらいたくて」
「いいけど、何で?」
「これ」
麗は手を開いてUSBメモリを見せた。
「おまえのか?」
「……お父さんの」
葵と晴はUSBメモリを凝視する。
晴は部屋の中に葵と麗を入れ、パソコンにUSBメモリを差し込んだ。すぐにウィンドウが開く。2つのフォルダがあり、1つは“大熊組”、もう1つは“麗へ”と名前がついている。
「麗ちゃん、ひとりで見る?」
晴が席を立とうするが、麗は首を振る。
「一緒に見たい」
「いいのかよ」
「……正直、ひとりで見るのはちょっと辛い」
目を伏せる麗の頭を、葵は軽く叩く。
「怖じ気づいてんじゃねえよ」
「そういうわけじゃないけど」
「仕方ねえから一緒に見てやる」
晴はくすっと笑みをこぼす。
「素直じゃないなあ」
「うるせえ。貸せ」
葵がマウスを奪い、大熊組のフォルダを開く。
だが、パスワードの入力画面が表示される。
「簡単には開けねえか」
葵はマウスから手を離し、肩をすくめる。
「麗ちゃん、思い付くパスワードない? 例えば、麗ちゃんの誕生日とか、両親の誕生日、結婚記念日、両親の名前とか」
晴に言われたことを麗は全て伝えるが、パスワードは開かない。
ビーッ、ビーッ、ビーッ。
突然アラート音が鳴り、画面が赤く点滅し始める。
晴は顔をしかめ、高速でキーボードを連打した。
「まずい。パスワードを間違えたらウイルスが発生するようになってる」
「大丈夫なの?」
キーボードを打つ手を止め、晴は深く息を吐き出した。
「ふー。セキュリティ強化してあるからなんとか防げたよ。でも、これ以上やると、データが壊れちゃうかも。プロに任せた方がいいよ」
晴はUSBメモリを外し、麗に渡す。
「ありがとう。フクロウさんにお願いしてみる」
晴の部屋を出た途端、玄関から犬の鳴き声と紗季の笑い声が聞こえてきた。
3人で玄関に行くと、フクロウが紗季に抱きつかれて戸惑っていた。
「母さん、何してんのさ。フクロウさん困ってるよ」
晴が紗季を引き剥がし、フクロウは安堵のため息を吐き出した。
「だって久しぶりだったから。大人っぽくなっちゃって」
「姐さん、相変わらずっすね」
「サクラもこんなに大きくなって。元気だった?」
サクラは尻尾を振って紗季に飛び付く。
「フク兄、仕事で来たのか?」
「姐さんが帰ってきたって聞いたから、挨拶しようと思ってさ」
「ほら、上がって。もうすぐ夕飯できあがるから食べてって」
「いやいや、鹿島一家の団らんを邪魔したくないんで、すぐ帰りますよ」
紗季が緩やかに口角を上げ、三日月型に目を細める。
「いつからそんな生意気なこと言うようになったのよ」
「あ、姐さん?」
フクロウは冷や汗を流し、サクラは尻尾を巻いてフクロウの後ろに隠れる。
紗季が更に笑みを深くする。
空気がひりつき、紗季以外の誰もが顔を強張らせる。
「あんたを拾ったのは私なんだから。あんたも鹿島家の一員に決まってるでしょ。食べてくわよね?」
「は、はいっ。喜んで」
フクロウは背筋を伸ばして、頭を下げた。
やっぱり紗季さんは最強だ。
にしても、紗季さんがフクロウさんを拾ったってどういうことなんだろう?
USBメモリのことを言い出せないまま、フクロウと一緒に夕食の席に着いた。組長は帰りが遅くなるようで紗季の隣の席は空いている。
「あの人の分まで作りすぎちゃったから、たくさん食べて」
「いただきます」
フクロウは手を合わせ、山盛りの唐揚げに手を伸ばす。
「確かあんたを連れてきた時、葵たちと同じ年だったわよね。あの時は相当荒んでて、手を焼かされたわ。懐かしい」
紗季はふふっと楽しそうに笑う。フクロウは顔を赤くする。
「フク兄がうちに来た時のこと、あんまり覚えてねえな」
「あんたたちが4歳ぐらいだったからねえ。フクは14歳だったかしら。養護施設から抜け出してうちの組員にケンカ売って、ボコボコにされてね。私がうちに連れてきてそのまま引き取ったのよ」
「いつの話してるんすか。俺もう27っすよ」
照れるフクロウを紗季は優しい眼差しで見つめる。
「いいじゃない。いくつになっても、私にとってあんたはかわいい息子よ」
「姐さん……」
フクロウは一瞬箸を止め、すぐに白米をかきこんだ。
……いいな。
麗は漏れそうになる本音を味噌汁と一緒に飲み込んだ。
“麗へ”と名前のついたフォルダが思い浮かぶ。
お父さんからのメッセージだろうか。
それとも、何か重大なまだ誰も知らない真相が隠されているのだろうか。
へその辺りから、好奇心と期待感、恐怖心が入り混じったものが、ぞわぞわと這い上がってくる。
フクロウさんなら、きっとパスワードを解析してくれるはず。
麗は期待の眼差しをフクロウに向ける。
「フクロウさん、お願いしたいことがあるんです」
「麗ちゃんがお願いって珍しいな」
制服のスカートのポケットからUSBメモリを取り出し、フクロウに見せた。
「お父さんが遺してくれたデータが入ってるんですけど、パスワードでロックされていて見れないんです」
「お父さんって……」
フクロウが紗季に目配せをすると、紗季は小さく頷いた。
「全部、知ったんだな」
「フクロウさんも、お父さんのこと知ってるんですか?」
「もちろん。……モズさんは、俺の憧れの人だったから」
「え?」
「裏社会で生きてくって決めた時、解体屋になりたくて、姐さんからモズさんを紹介してもらったんだ。モズさんはすげえ人でさ、弟子になりたかったんだけど、足を洗ったからって断られた。そん時、一回だけ麗ちゃんに会ってるんだけど、覚えてねえよな」
フクロウはどこか寂しげに笑う。思い出せそうで思い出せない。
「俺さ、モズさんの家族を助けられなかったこと悔やんでんだ。だから、麗ちゃんだけは守り抜く、麗ちゃんの願いは何でも叶えてやりたいって思ってた」
フクロウの揺るぎない眼差しに、麗の心臓がきゅっと締め付けられる。
フクロウさんまで、私を守ろうとしてくれていたなんて……。
「それ、預かってもいいか?」
麗は頷き、差し出されたフクロウの大きな掌の上に置く。
「絶対、パスワードを解析してやる」
「お願いします」
麗は頭を下げ、胸の上で祈るように両手を握り合わせた。
湿った空気がどこからか流れ込み、澪の首筋にうっすらと汗が滲む。
革張りのソファにふんぞり返る大熊を前に、澪は微笑を浮かべる。
「鹿島紗季が、戻ってきました。それと、長宮麗を監禁することはやめたようです」
「そうか。モズの娘は取り込めたんだろうな」
「長宮麗はこちらの思惑通りに動いています。鹿島組を揺さぶる駒としては十分でしょう」
「それで?」
「はい?」
「人質だけで終わらせるわけねえだろ」
大熊は鼻で笑い、瞳を針のように細める。
「ガキの遊びじゃねえんだよ。だからおまえのやり方はぬるいっつってんだ」
澪の頬がぴくりと動く。
「長宮麗をどうするおつもりですか?」
「死にたくなるほどの苦痛を与えて少しずつ壊す。泣いて、縋って、それでも誰も助けねえ。絶望のどん底に落とされた人間がどんな顔するか、おまえに分かるか?」
大熊の顔が影に覆われる。
持ち上げた口角の隙間から覗く金歯が不気味に光る。
「あれはやみつきになる」
大熊の異常な粘着質の悪意が、澪の肌にまとわりつく。背中に嫌な汗が伝う。
「必ず長宮麗を連れてこい。そうすればおまえのやり方を認めて、若頭として扱ってやる」
「……はい。お任せください」
澪は一礼して部屋を出る。
肺に溜まったべたつく空気を全て吐き出す。
「あんなのが父親だなんて」
唇を引き結び、廊下の窓から暗闇が広がる夜空を見上げる。
廊下の角から小声で話すくぐもった声が聞こえ、澪は足を止めた。
「……そんな! 金は渡したはずですよ。……は? 手術費は別? ふざけるな!」
柱の影から窺うと、大熊の右腕として長年仕えている猪俣剛が怒りに震え、スマホを握りしめている。
「猪俣さん?」
「お、お嬢!」
猪俣は焦った顔でスマホをスーツの内ポケットにしまいこんだ。
「奥様のご容態、芳しくないみたいですね」
「聞こえてましたか」
「ええ。お金が必要みたいですが、当てはあるんですか?」
「なんとかしますんで。お嬢はお気になさらないでください」
猪俣は頭を下げて澪の横を通り過ぎる。
「私が立て替えましょう」
「……冗談はやめてください」
猪俣は振り向き、奥歯を噛み締める。
澪はふんわりと柔らかい笑みを浮かべ、瞳を三日月形に細める。
「本気ですよ。私、こう見えて資金はたっぷりあるんですよ。これが証拠です」
澪名義の口座残高が表示されているスマホの画面を猪俣に見せる。
指でゼロを数える猪俣は驚愕の顔をする。一瞬、猪俣の瞳に希望の色が見える。だが、すぐ険しい表情になり、怪訝な眼差しを澪に向ける。
「俺に何を望んでいるんですか?」
「さすが猪俣さん。話が早いわ。私の描く未来にあなたが必要なんです」
「……お嬢は何をしようとしているんですか?」
「私は、皆さんが自分の意思で、自由に選択できる新しい大熊組を作りたいんです。父のように暴力と恐怖で脅すやり方はもう古い。父は自分以外の人間は駒としか思っていません。現に、猪俣さんが奥様のことで悩まれているのに、力を貸すつもりは一切ありませんよね」
「それは……」
「私は奥様の命を助けたい。手術費は条件なしでお貸しします」
「条件なし?」
「ええ。そのうえで選んでください」
猪俣の眉間にしわが寄る。猪俣の隣で、澪は囁く。
「私と一緒に新生大熊組を作るか、このまま父と一緒に地に落ちるか」
猪俣は息を呑み、目を見開く。
「知者不惑。道理をわきまえている猪俣さんなら、判断に迷うことはないと信じていますよ」
澪はふふっと微笑み、踵を返す。
猪俣はスマホを出して画面に映る妻の笑顔に目を落とす。
「……一択しかないだろ」
スマホをきつく握り締め、澪の背中を見つめる。
(まずは1人。ここから大熊組を内部から崩していく)
澪の口元が誰にも見えない場所でわずかに緩んだ。




