26話 全てを失ったあんたは、社会的に死ぬ
屋根に弾く雨音が静かな広間に響く。
大熊を中心に黒スーツ姿の男たちが緊張の面持ちで立ち並んでいる。
大熊は横に立つ猪俣へ威圧的な視線を向ける。
「わかってるな、猪俣。しくじったら女の命はねえぞ」
「……はい」
猪俣はスーツの胸元を押さえ、目を閉じる。
朱音に銃をつきつける男たちを思い出し、拳を握る。
「お父様」
廊下から澪の落ち着いた声が聞こえる。
「来たか」
大熊の口角が上がる。
襖が開き、澪、麗、葵、晴が広間に足を踏み入れる。
麗は唇を噛み締め、革張りのソファに深く座る大熊に今すぐ飛びかかりたい気持ちを堪える。
「言われた通り、長宮麗と、鹿島恒一の息子を連れてきましたわ」
澪が凛とした姿勢で大熊と向き合う。
大熊は麗の薄茶色の瞳を睨みつけ、不快感をあらわにする。
「……あいつと同じその目、気に喰わねえな」
麗は怯まず睨み返し、大熊の前に一歩近づく。すかさず葵と晴が麗の横に並び、組員たちを警戒する。
「あんたのせいで、お父さんとお母さんは……っ! 絶対に、許さない」
「人質の態度じゃねえな。おまえら、澪に何て言われて来たんだ? 俺を殺せるとでも言われたか?」
澪の眉がぴくりと動く。ちらりと猪俣に目を向けるが、猪俣は視線を合わせようとしない。他の組員の顔を見回すが、誰一人として澪を見ていない。
(何か、変ね)
澪は胸元につけたブローチ型のカメラを揺らす。
——理事長室。
パソコンの画面に映る分割された隠しカメラの映像に注視していた次郎は、澪のカメラの映像が揺れていることに気づき、顔をしかめた。
「異変の合図だ」
紗季の顔から血の気が引く。
目白は冷静にインカムに向かって呼びかける。
「突入の準備しておけ」
——大熊邸周辺。
剣呑な恒一の顔が雷鳴に照らし出される。
「クロサギ、フクロウ、行くぞ」
2人は頷き、門前に向かう。
——大熊邸広間。
葵と晴が麗を守るように背中に隠す。
「てめえを殺して終わるならとっくにやってる」
「殺したいほど憎んでるのは、僕たちじゃないけどね」
澪は大熊の目の前まで足音を立てずに移動する。
「お父様への復讐をえさにして連れてきたんです。お父様を出汁にして申し訳ないと思っていますわ」
「それが本心なら許してやる。これでおまえは若頭だ」
澪の瞳が三日月形に細まり、口元に小さな笑みが浮かぶ。
「お断りします。あなたが作った古臭い組織なんていらないわ」
室内の空気がピンと張り詰める。
大熊のこめかみに青筋が立つ。
「……なんだと?」
「組員を駒扱いして、恐怖と脅しで縛り付けるあなたのやり方じゃ、誰もついていかないわ。あなたのために命をかける人なんていない。組員はもう、あなたのものではないわ。そうでしょう?」
澪が、猪俣や周囲の組員に微笑みかける。
だが、誰もその場を動かない。
澪の表情がわずかに曇る。
「ははははっ! 甘いんだよ、おまえのやり方は!」
大熊はのけぞって高笑いをする。
晴は小声で呟く。
「作戦、ばれてたみたいだね。でも、想定内」
麗はざわつく胸を押さえ、頷く。
「甘いのはあんただよ」
晴のよく通る声が、大熊の笑いを遮る。晴はスマホを掲げ、不遜な笑みで鼻を鳴らす。
「裏帳簿、組員名簿、犯罪の記録。全部、複数の報道機関と警察に送信できるようにしてある」
「そんな証拠がどこにある。捏造でもしたか?」
飄々とした余裕のある態度を見せる大熊に向かって、麗は声を張り上げる。
「モズ……、私のお父さんが残してくれた証拠!」
麗は晴からスマホを奪う。
「ちょっと、麗ちゃん!」
焦った顔の晴に見向きもせず、麗はボタンの上に指を乗せる。
「このボタンを押せば、あんたは終わる!」
「これだからガキは。そんなもん簡単に奪える」
葵が麗の手からスマホを抜き取り、ボタンを押す。
「だろうな。これはただの合図用だ」
——理事長室。
紗季のスマホが机の上で震える。
「次郎、合図よ」
「ああ」
次郎はパソコンの画面を切り替え、送信ボタンをクリックする。
次郎、紗季、目白が同時に短く息を吐き出す。
——大熊邸周辺。
恒一のスマホが振動する。
「合図だ。突入しろ」
インカムに低く囁く。
クロサギは傘を畳み、フクロウは雨具を脱ぎ捨て、門に向かって走り出す。恒一はネクタイを緩め、大股で門を潜った。
——大熊邸広間。
澪は勝ち誇った笑みを浮かべ、踵を返す。
「これで終わりね」
大熊が声を張り上げる。
「猪俣!」
猪俣は素早い動きで澪を捕らえ、こめかみに銃をつきつける。
「澪さん!」
麗は叫んで手を伸ばす。葵と晴は顔を強張らせる。
澪は目を見開き、猪俣を見上げる。
「猪俣、さん……?」
澪の耳元で猪俣が囁く。
「すいやせん、お嬢。妻を人質にとられました」
「……奥様は無事なの?」
「はい。お嬢へのご恩は返します。隙をみて解放するので、逃げてください」
澪のこめかみに当たっていた銃がほんの少し離れる。
「あいつらも捕らえろ」
立ち上がった大熊が指示を出す。
組員たちは一斉に懐から銃を出し、麗、葵、晴へ向ける。
澪さんが人質にとられるなんて……。
麗がたじろいだその時。
廊下から怒声とうめき声が響き、 黒スーツの男と一緒に襖が弾け飛んだ。
拳を手のひらにうちつけながらフクロウがゆらりと姿を現す。
「フクロウさん!」
「間に合ったか」
麗を見て安堵する。組員たちは身構え、フクロウに銃を向ける。
「よう、大熊」
フクロウの背後から恒一が現れる。
「鹿島、恒一!」
大熊の顔に怨恨の2文字が浮かぶ。大熊が恒一に銃を向けると同時に、恒一も大熊に銃を向ける。
「お嬢、行ってください」
猪俣が囁き、澪を恒一の方へ突き飛ばす。
澪はよろめくがすぐに態勢を整える。
「猪俣、てめえ!」
大熊の怒声が澪の鼓膜を震わす。
澪は猪俣に手を伸ばす。
「お嬢!?」
驚く猪俣の隙を見て、澪は銃をもぎ取る。
「この時をずっと待っていたわ」
大熊に銃を突きつけ、澪は冷淡に微笑む。
「反抗期じゃすまされねえぞ」
大熊の顔が歪む。
「母のためにも、私の未来のためにも、あなたのようなクズは生きていてはいけないの」
「本気で実の父を殺すつもりか?」
「父親だなんて思ったこと、一度もないわ。あなたとの縁を永遠に切るために、従順な振りをしてきたの。猪俣さんが思い通りに動いてくれてよかったわ。ありがとう、猪俣さん」
可憐な笑みを向けられた猪俣は、言い知れない恐怖にからめとられる。
「これで終わらせられる」
澪は両手で銃を構え、安全装置を外す。
「だめ!」
麗は葵と晴の背中から飛び出す。葵と晴が腕を伸ばすが、麗には届かない。
「麗!」
「麗ちゃん!」
麗は両手を広げて澪の前に立ちふさがる。
「澪さん、やめて!」
「どいてちょうだい」
澪は銃を下ろさない。
「できません」
「あなただって、本当は殺したいんでしょう? 社会的制裁だけなんてぬるすぎるわ。あの人のせいで、あなたの両親は死んだのよ」
澪の鋭利な言葉が麗の胸に突き刺さる。
だが、麗の瞳は澪を真っすぐ捉えて揺らがない。
「だから、です! ここで殺してしまったら、今まで大熊がやってきたことは闇へ葬られてしまう。お父さんが集めた証拠で、法的に裁かれるべきなんです。それに……」
麗は言葉を切り、黒光りする銃口に焦点を当てる。
「澪さんまで大熊と同じになってほしくない」
澪の瞳が揺れ動く。
「……違う。私が、同じなわけがない」
「でも、殺したら同じなんです。だから、銃を下ろしてください」
麗が落ち着いた口調で訴える。銃口がほんの少し下がる。
密かに澪の背後に近づいた晴が、澪の耳元で囁く。
「こんなことしなくても、あんたの願いは叶うよ」
「……っ!」
澪の顔が真っ赤に染まり、銃から手が離れる。晴は銃を掴み、恒一の方へ放り投げる。
「モズの娘、どういうつもりだ」
麗は振り返って鋭い眼光で大熊を射抜く。
「あんたの秘密は全部流出した。全てを失ったあんたは、社会的に死ぬ」
「なっ……」
大熊の脳裏に、セピア色の記憶が蘇る。
夕陽を背に邸を去っていくモズ。
薄茶色の瞳だけが振り返って大熊を射抜く。
『大熊組は社会的に死ぬ』
モズの瞳が、麗の薄茶色の瞳と重なる。
「や、やめろ……」
大熊は震える手で銃を麗に向ける。
「大熊を捕らえろ!」
恒一の怒号が飛ぶ。クロサギ、フクロウが飛び出す。
晴は澪の腕を引いて後ろに下がらせる。
葵が麗の傍に駆け寄る。
「そんな目で、俺を見るな!」
大熊が引き金に指をかける。
撃たれる……!
麗は体が動かない。
青白い閃光が視界の端を走り抜ける。
豪雨を切り裂く雷鳴がやけに鮮明に聞こえる。
「麗!」
葵が麗に腕を伸ばし、突き飛ばす。
麗が床に倒れたと同時に、乾いた高い音が雨音を切り裂いた。




