第3話
「10歳くらいのとき、あいつはすごく荒んでた。というか、すげぇ古風だったというか。ひいじいさんくらいの時代は、リュビ族の中で、男と会ったらとりあえず殴れっていうのが当たり前だったんだ。あいつはまさにその古いリュビ族のしきたりを実践しているような少年だったよ」
無理はない、と皇子は語る。10歳にして、数回に一度は最盛期の父王にすら勝っていた。リュビ族は強さを重んじる。周囲はジェラールを止めることなく、むしろ英雄の再来だともてはやした。
「周りがそんな奴らばっかじゃ、つまんねぇだろうなって思うよ。で、あいつはふらっと出かけたまま、一年間帰らなかった。後から聞いたら、熊と素手で戦って死にかけてたところをパルレ族に助けられたって言ってた。そこで、運命の女に出会ったって」
熊って……と思わず顔を引きつらせたベルだったが、続く言葉で凍りついた。
運命の女。
普段のジェラールからは考えられないほどのロンチックな言葉だ。
ベルは顔を伏せて、泣きそうな顔を隠した。8年前どころではかったのだ。ジェラールが10歳の頃、もう15年も前に、彼らは出会っていたのだ。
それ以来、ジェラールは変わった。自分が何をすべきか考え、精力的に動いた。その助けてくれた家の娘のところへも、どんなに馬を飛ばしても二日はかかる距離を、月に一度は通った。
「最初は俺らもさ、ほほえましい話だと思ったよ。冗談でその娘のことを『リュビの嫁』って呼んでさ。ジェラールがいなくなると、あぁ、嫁に会いに行ったんだなって話してて。でもそれが6年も続いて、やばいと、これは危ないと思ったんだ」
ん?とベルはは首を傾げた。何がやばくて、危ないのだろうか。
「あいつが17歳のとき、その娘を嫁にしたいと言いだした。正気かと疑ったよ。しかも、結婚の申し出を娘の両親にもしたって言うんだ。案の定、あいつ、出禁をくらってさ。パルレ族の領土に、リュビ族の、しかも王子が勝手に侵入してはいけないって言われたらしいけど、あれは絶対、ジェラールを警戒してのことだぞ」
話の流れは、ますます雲行きがあやしくなっていく。
「気持ち悪いよな」
皇子が、同情するようにベルの頭をなでた。
「お前、まだ7歳だっただろ」
そこでなぜ自分の名前が出てくるのだろうか。
まったく意味が分かっていないベルに気付かずに、皇子は話し続けた。
「お前に会えなくなったジェラールは、一時期はやばい状態だった。まるで、今みたいに。でも、やっぱり執念だよな。パルレ族の領土に入る口実を作るために、わざわざ街道建設事業を再び持ち出して、自分がそのトップにおさまるなんて」
「え、なんのこと?わたしっ?」
「だから、お前はそれを知ったから……って、えぇっ?」
二人は顔を見合わせて、お互いに誤解していたことにやっと気が付いたのだった。
「てっきり知ってんのかと思ったけど、違うのかよ」
皇子はうずくまり、頭を抱えていた。
「あー、俺、あいつにこんなこと打ち明けないでいいって言ったのに、自分で言っちまった」
うー、とうなる皇子を視界の端に入れたまま、ベルの頭の中では、彼の言ったことがぐるぐると巡っていた。
ベルとジェラールが初めて会ったのは、15年前。ちょうど、ベルが生まれたばかりの頃だ。それから7歳までは、頻繁に会っていたことになる。その後、ジェラールはベルに求婚し、両親から会うのを禁じられた。そしてベルは12歳のときに女学院に入り、15歳で再びジェラールと会った。
それらがすべて偶然ではなかったとしたら。
「まさか」
呟いて、ベルは突然ドレスをたくしあげて駆け出した。
「あっ、おい!」
皇子が呼びとめるのも構わず、屋敷の中へ駆け込み、ジェラールの書斎の扉を開けた。
手当たり次第に引き出しを開け、書きもの机の下の引き出しに、予想した通りのものを見つけた。
「おじさまの手紙……」
それは、月に一回、手紙を交換していたあしながおじさんが使っていた便箋と封筒だった。その奥には、ベルが出した手紙が束になっている。
ベルの名前を付けたのも、家を援助したのも、両親が許したのも、ずっと見守っていてくれたのも……すべてすべて、ジェラールだったのだ。
「本当に黙ってるつもりなのか」
釈然としない表情の皇子に「いいんです」とベルは答えた。
ジェラールは、あの後屋敷に帰り、再びベルと同じ屋根の下で暮らしている。
夫婦仲は円満だ。
ベルは皇子に口止めをし、何も気づいていないふりをしている。
ジェラールの秘密を知っているということが、ベルの秘密。
「夫婦は一つくらい秘密があったほうが、うまくいくって言うじゃない?」
別名ネタばれ編です。
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