母の本棚・2
母は家庭菜園をしている人だった。
家庭菜園というと穏やかな感じがするが、30坪強の土地にありとあらゆる野菜を植えた、割と本格的な畑だった。
そのおかげで我が家は野菜を買ったことがなかったのだが。
母はその畑の地図を書き、四季折々、実る野菜の観察日記をこまごまと残していた。
その数、段ボール箱にして3箱分。大学ノートが何冊あったのか、私も姉も数えていない。
観察日記には野菜のほかにも家族の観察日記も書いてあったりもした。
「あんた、こんなに心配かけてたのよ」
と姉に開いたノートを突き出されたりもしたが、今さらそんなこと言われてもという話である。
自分も親になった今は、順当に我が子のことを心配している。これでチャラにして欲しい。
母が残した段ボール4箱分の料理本と園芸本。3箱分の大学ノートの日記。
古本屋も引き取ってくれないこれらは、当たり前だがゴミになる。
娘たちもろくに目を通さなかった母の日記。
日記だから読まれなくて当たり前か。
言いたいことがあるなら生きて元気なうちに言っといた方がいいし、言わないと決めたなら日記にも残さない方がいい。捨てるとき時間と金がかかる。
すれ違った思いも伝わらなかった心も死んでしまえばだからどうなので終わってしまう。感傷に浸るのは物語の中の人だけだ。現実の人間など頼んでもないのに来る明日にいっぱいいっぱいだ。
死後に読まれることを期待して書かれた日記など「ありがたい」より「あざとい」が先行してうんざりする。
それでも戯れにぱらぱらとめくったページに目が止まったのは亡くなった母のあの世からの差し金か、それとも私のなにかしらのセンサーが働いたのか。
そこには父の友人の名前が書いてあった。
定年退職した父はたびたび再就職に失敗して不貞腐れていた。もともとたいした人間ではなかったのだ。調子の良いことを言って、毎晩飲み歩く。そんなことしかできない年寄りなど、どこの職場でも腫れもの扱いされるのは当たり前だ。転職などしたことのない、親戚に紹介された会社で可もなく不可もなくずーっと定年まで働き続けた父は結局再就職したどの職場にも馴染めず、呑んだくれて午前様の日々を送っていた。そんなときその男と出会ったらしい。
二十以上も歳の離れたその男と、飲み屋で出会って「なんか気が合った」と父は笑って話していた。
転々と職を変えていた男は、その時トラックの運転手をしていた。定年退職後とはいえ、その時職にあぶれていた父を配送助手として会社に臨時雇用を頼み、隣に乗せてあちらこちらに行っていた。
事務の仕事しかしたことの無かった父には毎日違う場所へ移動する仕事が新鮮だったらしく、とても楽し気に仕事をしていた。
力仕事でもあるし、定年退職後の再就職という枠でもなくバイトだったため時給が今までの職場より良かったらしく、そのことをしこたま鼻に掛けていた。まともに給与換算すればもともとの会社よりずいぶん安いのだが、そういう計算はよくわかってない人だった。たぶん初めて身体を使って仕事をしたことで、余計に「働いた」という実感を得たのだと思う。人によってはこれを『単純』とか『かわいい』とか表するのであろうが、家族から見ればただただ『頭が悪い人』だった。
そして父はぎっくり腰持ちの人だった。つまり長距離移動の車の中に座っておくのも困難だし、荷物の積み下ろしもままならない年寄りだったのだ。実際、「全部やって貰ってる」と笑っていた。
なのにあの男は父を笑顔で雇い入れたのだ。ずっと一緒に仕事をし、夜も遅くまで、たまには泊りで呑んでいた。
母はそれを苦虫を噛みしめたような顔で常々睨んでいた。




