いなりの変化
「い、いなりくん・・・?」
何かの冗談、では済まされなさそうだ。
刃は当たっていないはずなのに、首筋がひんやり冷たい。
身体中から嫌な汗が吹き出してくる。
「ね、どこまで知ってんの?」
「ど、どこまでって・・・?」
ずいっと顔を近づけてくる。
その目は、狂気だった。
「勘づいてんでしょ?俺の正体。」
「な、なんのことか・・・」
そう言って誤魔化そうとした時、目の前に刃の先があった。
いつの間に!?
瞬き・・・いや、瞬きより早いスピードでいなりくんは剣を壁から抜き、私に近づけたんだ!
そのことを理解しようとした間、いなりくんは私にずっと言ってきた。
「嘘つかないで。解ってる。」
と。
「いなりくん、一旦その剣、退けてくれない・・・?」
「無理。動いたら刺す。」
つっと、声にならない声が出た。
嘘、・・・・と信じたかったけど、今の状態のいなりくんだったら・・・本当だ。
先輩だったらどうにかしてくれる・・・かな?
と思った。
けど、呼ぶ方法がわからない。
もし下手に動いたら、あの“幽霊ばなれ“したスピードで喉元を一突きだ。
ごくん、と唾を飲み込む。
胸が苦しい。
いなりくんはなんで・・・?
その理由は、考える必要がなかった。
前兆があった。
あの、頭をぶつけたからだ!
「本当に、言うの?」
「お前に任せる。考えろ、桜。」
この、突きつけられている剣と同じくらい鋭い声。
「っ・・・。」
それから、私は知っていることを洗いざらい話した。
四葉日和のこと。殺されたこと。海の中で、時雨くんと会ったこと。そして・・・
幸のこと。
全てを話した。
その間、いなりくんは何も喋らなかった。
ただただ、圧迫感のある目で私のことをじっと見つめていた。
「・・・そっか。」
私が全てを話し合えたあと。
呆れたような、悔しがっているような、腑抜けたような声でいなりくんは返事をした。
『腑抜けている』と言っても、全然鋭い。
その声だけで、皮膚が切り裂かれそうなほどだ。
いなりくんは、剣を持った手を下ろした。
「あ、逃げちゃダメだからね。」
そんなことを言われた。
一刻も早く、この部屋から抜け出したかった。
けど、今のいなりくんからだったら逃げられない!
「・・・はい。」
渋々従うしかなかった。
先輩、今どこで何をしているんだろう・・・。
「ね、桜。」
その途端、ベッドの上に突き飛ばされた。
「な、っ・・・!」
ベッドの枠に頭をぶつけそうだったけど、すんでのところで当たらずに済んだ。
・・・当たっていたら、私もこんなふうに豹変しちゃうのかな?
ふと不安になる。
今、いなりくんの本当の自我はどこで何をしているんだろう。
起き上がる気力がない。
死の恐怖すら感じとれた。
そんないなりくんも、ベッドの上に寝っ転がる。
小さな体がベッドに沈む。
その傍には、剣。
手から剣は離れているのに・・・逃げられる、とは思えない。
今起きていることに、脳がやっと追いついてきた。
パニック脱出・・・いや、まだパニックかもだけど。
「ねえ、いなりくんはなんでそんな風に・・・?」
「・・・最初っからこうだよ?」
耳を疑った。
けど、嘘を言っているようには聞こえなかった。
・・・このまま自我が戻らなかったら?
そんな考えが頭に浮かんだ。
自然と、涙が出てくる。
なんで、こんなふうに・・・!
「ね、桜。」
「何・・・?」
掠れた声しか出せなくなった。
お願い、元に戻って・・・・!
「どうして俺がこんなことするかわかる?」
いなりくんが上半身を起こしていることに、たった今気がついた。
そして、その右手には・・・剣!
その瞬間、嫌な気配がした。
私は、その気配に反応して凄まじい勢いで飛び上がり、ベッドから飛び降りた。
案の定、私がいた場所は切られていた。
真っ二つに切られたベッド。
骨組みがよく見える。
・・・・って言ってる場合じゃない!
切った!?切ったよね!?
今度は目を疑うハメになった。
嫌な気配・・・それは、剣が襲いかかってくる気配だったんだ!
「ちぇ。避けられたかあ。」
さっきまで、怒ったような表情をしていたいなりくん。
でも今は・・・不気味な笑みを浮かべている。
「避けられるようなスピードじゃなかったんだと思うんだけど。さすが、霊巫女。」
「れ、霊巫女?なんのはなし・・・!」
話している途中に、もう一撃。
ほおに僅かに刃が当たる。
生ぬるい液体が、顎まで伝ってきた。
不思議と、痛みは感じない。
いや・・・痛みを感じる暇もないんだ!
痛いといえば痛い。
でも、目の前のことに目を向ければ痛くない!!
「ね、桜。なんで俺がこんなことをするかというと・・・。」
先ほどの涙は引っ込んでいた。
流していると、前が見えなくて命が危険。
脳がそう判断したんだと・・・思う!
「桜に、死んでもらいたいんだよ。」
あっけなくそう言われた。
予想はしていたけど・・・衝撃!
「なんでっだよっ!今まで、たくさん、たくさんいろんなとこ、行ったでしょ!」
そう呼びかけるけど、いなりくんは攻撃の手を止めない。
目が黄金に光っている。
遊びじゃない・・・いなりくんは、本気だ!
「ね!心くんの心臓、一緒に探したし、学園祭手伝ったじゃん!」
今度は、刀で腕をかすめられた。
直感的に感じた。
今のを避けてなかったら・・・。
頭の中に、腕のない自分の姿が浮かぶ。
「ウルフさんと、海の中!彷徨ったじゃん!」
今度は足。
靴下の中から肌色と真紅の血が出てくる。
白い靴下が、赤色に染まっていく。
徐々に、部屋の中がボロボロになっていく。
切り傷が増え、物が落ちていく。
「色々、あったじゃん・・・!」
いなりくんは次々と攻撃を繰り出す。
だんだんと、避けれなくなってきた。
ざすっ
「っっ・・・・・・・・・!」
腕に一つ、大きな傷を入れられた。
血が吹き出す。
急な失血に、一瞬目の前が歪む。
咄嗟に傷口を押さえ、意識をはっきりとさせる。
「いつまで動いていられるの?俺は幽霊。桜は人間。」
攻撃を出さず、煽るような口調だった。
・・・知ってるよ!!そんなの!
「そろそろ、決着をつけようか?」
「・・・忘れないよ!私は!」
その瞬間、剣を振り上げるいなりくんの手が止まった。
・・・チャンス!
逃げるチャンスじゃない。
“戻す“チャンスだ。
いなりくんの頭の中で。
頭の中で、何かが起きている・・・!
「いなりくんと出会った日!びっくりしたよ!本当に守護霊なんているんだなって!」
徐々に剣を持つ手が下がっていく。
「それから、影倒して、笑い合って、時々ピンチで!」
腕がズキズキと痛い。
もしも。
もしも、家に帰れたらなんて言おう、この傷。
「これ、本当かな?って思うこともあった!けど本当だった!最高に楽しかった!」
「・・・聞いてない。」
目の前が真っ黒に染まった。
『聞いていない』・・・!?
そんなっ!
ピンチはチャンスってよくいうけど・・・。
・・・チャンスはピンチでもある!
下ろして止まったはずの手がゆっくりと上がっていく。
今までよりも、大きくだ。
その瞬間、私は異常な気配を読み取った。
この、前にいる人は紛れもないいなりくん。
そう思ったのは、“いなりくんの気配“がしていたからだ!
けど・・・今は、違う。
なんだかこう、真っ黒な、闇みたいな・・・。
その瞬間、全てを悟った。
・・・影だ!
なぜだかわからないけど、今、いなりくんは影に心を蝕まれている!
夢だったら、いいのに・・・!
マネキンだったら、傷は治る。
家に帰れる。
犯人がわからなくても、心配はなし。
けど・・・うるるさんにも、ウルフさんにも、時雨くんにも、先輩の裏の顔も、
・・・いなりくんも知らずに生きていくことになる!
「さ、本当の本当に決着だ。」
その姿はまるで、いなりくんではなく・・怪物だ。
影ですらなくなっていっている・・・!
そんな変貌した いなりくんを、私は痛む腕を押さえながらただただ眺めるしかできなかった。
「何が決着だって?」
その瞬間、聞き慣れた、安心を感じる声がしてきた。
一瞬、驚いた顔をしたいなりくんは急いで、剣を構え直した。
しかし、“来客“の方が早かった。
ドアが破られる。
「先輩!」
ドアの先には、険しい表情をした先輩がいた。
喜んだのも束の間、いなりくんは先輩に切りかかっていった。
「なんでこんなことをっ狐っ!」
先輩はいなりくんの剣を杖で受け止める。
いなりくんのその勢いに、先輩のコートがなびく。
「それは・・・!」




