そして年の瀬
投稿日 H28.1/10
「ボクは誰の物でも無いよ…」
紅梨はそう呟いた。それをどう捉えたかは判らない。「チェッ…そうかよ」と言った後、夏彦は廻した腕に僅かな力を込めて「誰かのモンになるよりマシだ」と続けた。
(……ああ、温かいな)
腕の中で紅梨は背中から伝わる温もりを感じていた。あれ程恐れていた男性が怖くない。むしろ心地好い気さえする。
夏彦くんが尊大な態度をとるのは鬼堂家の男衆が居て、新たな闇の首領として振る舞い、纏め上げねばならない時だ。男衆から見れば夏彦くんはただの子供であり、なめられればいつ掌を反されるかも判らない、そんな薄氷の上に立っているからだ。
夢乃ちゃんと違い、突然座らされた玉座はきっと氷のように冷たく、座り心地が悪いに違いない。
それ故に一時の安らぎをボクに求めたのだ。
堪えきれない大きな闇(力)に震えていたのはボクじゃなくて夏彦くんだったんだ。
「紅梨…、鬼堂は神名代の敵でも俺はお前の味方だからな」
「………うん」
紅梨は胸の下で組まれた手にそっと自分の手を添えたのだった。
「………ところで、夏彦くん」
「何だよ?」
「さっきからお尻に何か固いのが当たってるんだけど…」
「……悪ィ。お前の髪の匂い嗅いでたらこうなった。なぁ、シテも良いか?」
「い…良い訳無いだろーーーッ!もうボクは赤ちゃん出来るんだよ!?……じゃなくて、ボクは男だってば!放せ、馬鹿ーッ!やっぱり君は敵だーーーーーッ!!!!」
拒まれば成し遂げたくなるのが男の性で、夏彦もちょっと意地になっていたかもしれない。
「こ…こら、何処触って……ボタンを外すんじゃない!ズラそうとするなァッ!」
「おやおや、激しい事で…」
「あらあら、若いってイイわね〜」
階上から響く軋みに頬を赤らめるメイドのお姉さん達。
そして漸くお約束は果たされる。
「いい加減にしろオオオォォォーーーーーーッ!」
バチーーーンッ!
櫻坂夢乃が鬼堂別邸を訪れたのは翌朝の9時の事だった。
堅牢な鉄の門扉前で館の主たる夏彦に取り次ぎを求め、二階の個室へと案内されたのだった。
「昨夜の内に来るかとも思ったが流石は櫻坂の次期御当主様といったところか…」
「夕べはお愉しみでしたね……と言うべきかしら?」
「そう見えるのか?」
「……いいえ」
ベッドで背を向けて身体を丸めながら眠る紅梨を見た瞬間僅かに焦りはしたものの、傍らのソファーに腰掛ける夏彦の左頬にクッキリと赤い手形を見てとれた為、大事には至らなかったのだと判断出来た。
「紅梨の奴、凄え寝相悪くてさ。何度も殴られたり蹴られたりでそれ処じゃ無ぇよ。お陰で寝不足だぜ…」
「……本当に?」
「いや、実は一応、迫ってはみたが見事フラれた……」
「……でしょうね」
ハン…と鼻を鳴らした後、掛け布団を捲り、紅梨を起こそうとする。
「いつまで寝てるの、紅梨ちゃん。帰るわよ」
「…っちょ、男の朝には都合ってものが……」
勢い良く掛け布団を捲ったものの、丁度寝返り打った紅梨のYシャツの一部が盛り上がっているのを夢乃は凝視してしまう。
「あちゃ〜」
「き…キ…キャアアアァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!」
館内全てに轟き亘るかの絶叫に流石の紅梨も目を覚ます。
「えっ…何?……何で夢乃ちゃんが……?っていうか、此処は?何でボクはこんな格好で……」
改めて状況を確認すると…、
明らかにサイズが合わないメンズのYシャツを着て、ボタンが幾つか外れており、片方の肩が露出している。
下はショーツのみでボクはベッドの中にいる。
傍らには夏彦くんが椅子に座っていて気まずそうな顔で頬を掻いている。
・・・・完全に事後じゃないかッ!
「ち…違うの!これはそういうのじゃなくて…」
パニクっている紅梨にはまともに言葉が出てこない。ただ手を振り回してオロオロするだけだ。
「ともかく落ち着け。それと隠せ…」
そうだ!ボタンが…とYシャツを胸元でたくし上げるように纏めて隠す。
「そっちじゃないだろ。……馬鹿」
ハァ…、と溜め息を吐いて呆れたように目元を掌で隠した夏彦が天井を見上げる。
(……そっちじゃない?)いつもと違うのは将来性を秘めるであろうチッパイ……エッ?いつも……。
《good morning!,Dady》
おそるおそる視線を下に向けるとお子様な“お子様”がショーツを持ち上げて元気良く朝のご挨拶をしていた。
「にゃ……にゃ…ニャアアアァァァァァァァァァーーーッ!?」
「コ…コホン、失礼。私としたことが少々取り乱しました」
想定外の邂逅をしてしまった夢乃はまだ幾分頬に赤みを残しているものの、冷静さを取り戻していた。
「最悪の事態に陥った訳でもありませんし、今回の事は不問としましょう。ただし、次回は敵対行動と見做して相応の対応をとらざるをえないと思ってください」
不問とは紅梨を拉致同然に連れ去った事か、はたまた櫻坂に無断で神名代に接触した事か。
「フン、本来なら俺が借りたのだから鬼堂から神名代に返すのが筋だと思うが、今回は特別に櫻坂が送料負担するって解釈で納得してやるよ」
互いに上から目線で尊大な言い様だが、それぞれ家の次代を背負う者として引く訳にはいかない。
夢乃は夏彦を暗に犯罪者と罵っているし、夏彦は夢乃にまるで我が物と扱うなと叱責している。
ちなみに当の紅梨はメイド達に連れられ、別室にてお着替えの最中である。綺麗に洗濯され畳まれた私服を受け取った紅梨は着替えくらい自分一人で出来ると固辞したが、メイドの「坊っちゃまがかようなシャッターチャンスを逃すとお思いですか?」との囁きに納得する他無かった。
昨日の私服からメイド服への一瞬の早業を考えれば雑作も無いだろう。この二人が互いの主張しあう時間があるのはメイド達が紅梨のヘアメイクだけで無く、スキンケアまで施しているからだ。
紅梨は昨日、録音スタジオを飛び出し、繁華街で人目から追われるように駆け抜け、その後帰宅するなりこの別邸に連れて来られたのだ。一度シャワーを浴びているとはいえ、夏彦と小競り合いをした後、寝入ってしまっての起き抜けではメイドで無くとも捨て置けないだろう。
「お待たせしました」
「「オオッ!!」」
白銀の髪はその輝きを、白い肌は艶やかさを増している。流石は女性のプロフェッショナルというべきか、加齢によるお肌の衰え対策法はバッチリのようだ。
「誉めて…良いのか?」
「ある程度見馴れてるとはいえ、ちょっと悔しいわね…」
人形…?いや、妖精…天使…もはや女神か……。いやいや女神にしては少々(かなり)サイズが物足りない。などと検証していた夏彦をその部位を隠すように腕を組んで睨め付ける。
「……何か言いたい事でも?」
「いや、将来が楽しみだな……と」
「将来?将来ってどういう意味!?今は全然駄目って事なのッ!?」
《散々あんな事しておいて!》という副音声が込められているがそれを公には出来ないだろう。
「ところで、此方としましては早々に用事を済ませたいのですが…」
用事とは勿論、紅梨を連れて帰る事である。拉致同然に連れ去った事は不問とする換わりに今回は手を引けという事だ。
「フン。俺としては物足りねぇが、愉しかったから、まぁいいや」
「そう。ではご機嫌よう」
「じ…じゃあね、夏彦くん」
「ああ、またな」
夢乃と紅梨が無事車に乗り込んだのを確認し終えると夏彦の顔から無邪気な笑みが消え去る。
「……何の用だ?」
宮廷でいうならウェイティングルームにあたる部屋から一人の厳めしい顔をした壮年の男が現れる。
「お気付きだったとは、やはり先代の血を引かれるだけは有りますな“若”」
「若……ね。俺もお前らに認められたら“親父”と呼ばれるのかね」
「そこは“頭”でも“首領”でも御随に…」
この男は黒川といい、先代…つまり夏彦の祖父の腹心であり、今は夏彦の後見人である。
「ああ、そうそう。その用事なんですがね…」
メイドの二人を一瞥すると夏彦の耳許で小さくこう告げる。
「……親が飛びました」
改めて夏彦と黒川に視線を送られた事で自分達に関係あるのだと察して身を固くする。
「……ヒィッ!?」
ゆっくりと近付いてきた夏彦の笑顔に何かを感じたのだろう。メイド達は蒼白な面持ちで震えながら互いを抱き締めるかのようにして座り込んでしまった。
「良かったな、今の俺は機嫌がイイ。だからお前達に選ばせてやろう。自分達だけが助かる為にお前達を見棄てて逃げ出した奴等の身代わりに泡風呂に沈むか、人間としての尊厳を棄てて俺の玩具になるか…。沈みたいならウチの奴等が懇切丁寧に“実技”指導してやるぜ」
夏彦の住む別邸で働くメイドは鬼堂家に雇われている訳では無い。
鬼堂家は主に不動産業や飲食・遊興娯楽といった風俗業、人材派遣業、建築解体業などを主な生業としており、所謂その筋の業界を取り仕切っている。中でも金融業での躍進は目覚ましい。
つまりメイド達は大きめの企業や良家の者達から借金の抵当の一つとして引き渡されている人質なのだ。
親の借金返済の為に別邸で労働に従事している彼女達だ。その容姿だけで無く、心根も良くて真面目で勤勉な者ばかりだ。
では同じ抵当であっても親の金と地位を利用して遊び呆けているような愚者はどうか……?当然、有無を言わさず叩き落としてある。いつまでもつか…など夏彦の知った事では無い。別に生きていなくても“稼がせる”方法など幾らでもあるのだ。
「………あ……あの」
暫し逡巡した後、震える身体で唾を飲み込むとゆっくりと口を開いた。
―――半年後…。険しい山の奥深くの林道沿いの崖下と寂れた小さな漁港だった寒村のある近くの断崖からそれぞれ事故車両が発見される事となる。それぞれ車内には家族と思われる数名の遺体があり、身許を調べたところ多額の借金があり、警察は事故と無理心中の両方で調査する方針とのニュースが流れるだろう。
―――つまりはそういう事だ。
事故から暫くして彼女達の口座に多額の生命保険が振り込まれる事となるがどう使われるかなど関係ない。
ただその先も彼女達は別邸に居る、それが事実だ。
―――さて、そんな未来の話はさて置き…、鬼堂家別邸から去り行く車内。傍らで震えている紅梨を訝しい眼で見る夢乃はこれからの事を考えていた。
今の紅梨はルージュ=ペァとしての活動は絶望に近い。幸いにして明日は30日、紅梨の実家である神籬神社では初詣への準備に追われるだろう。
そうとは知らないクラスメイト達から初詣のお誘いがあったが、紅梨は多忙に付き、無理である事は伝えておいた。非常に残念がっていたが、落胆する必要も無いのだ。
社務所では巫女頭であるしのぶ女史が最後の調整に追われている。御守りや絵馬、破魔矢などが入った山積みの段ボール箱が所狭しと置かれており、バイトの巫女達に指示を出して効率良く並べている。
夢乃は現当主であるきららに取り次いで貰い、紅梨を引き渡すと説明する事もなく帰路に就いた。紅梨の母親であるきららが然したる動揺もなく、ただ「送ってくれて有り難うね」と笑っていたからだ。
「疲れてるみたいね。今日はゆっくり休みなさい、明日からは大変だからね〜」
それはもう一人の自分では無く、神名代紅梨本人として……であるのは間違いない。
――本当に大変な事になった。
31日の大晦日の夜。篝火の焚かれた境内から続く石段の下の参道に建ち並ぶ露店の屋台には煌々と点された灯りとカラフルな暖簾。
流石に一帯の鎮守である神籬神社には年越し詣の参拝者がズラリと列んでいる。そしてその列は年が明けても途切れる事は無く……。
「「「「よう御詣り」」」」
社務所前の販売所では御守りや絵馬、破魔矢などを買い求める参者達への対応に追われている。
「うわぁ…相変わらず凄い人出だねぇ」
えらく空いてしまった




