07 偽装婚約のはじまり
「メリットしかないって……」
「実は俺、どうしても結婚したい相手がいるんだよね」
いきなりのド直球宣言に、私は目を見開いた。
だって、これまでノクスの口からそんな話題なんて出たことないんだもの。
突然びっくりするじゃないの。
「……そ、そうなのね」
「ああ。でも俺だって、一応シグリッド伯爵家の跡取りだからさ。留学から帰ってきた途端、いい加減婚約者を決めろって親がうるさいんだよ」
「だったら、その方と婚約したらいいんじゃないの?」
「それができたら、苦労しないよ」
ピシャリと言われて、これは何かしら事情があるのだなと思った。
ノクスは多くを語らないし、あまりあれこれ聞いてくれるな、という雰囲気を醸し出しているから深く突っ込むことはできないけど。
もしかしたら、公にはできない相手なのかもしれない。
身分違いの恋とか?
あ、留学中に出会った人……?
よくはわからないけど、すんなり結婚できる相手ではないのだろう。
「だからさ、そういう親のプレッシャーとかこれからくるだろう縁談話とかをうまく回避するためにも、偽装婚約はうってつけなんだよ。とりあえずでも婚約が決まれば、外野は一旦大人しくなるだろ?」
「その間に、本来のお相手の方と結婚できるよう算段をつけるつもりなの?」
「……まあ、そうだな」
ノクスは何やら浮かない顔をしつつも、抑揚のない声で答える。
本当に好きな相手がいて、でも現状結ばれることは叶わない。ノクスも必死なんだろうなと思ったら、ここは幼馴染として何がなんでも協力してあげたい気持ちになってきた。
「そういうことなら、ノクスの提案を受けさせてもらうわ」
「いいのか!?」
「ノクスには本当に感謝しかないんだもの。それくらい、お安い御用よ」
さっきのノクスの言葉をそのまま返して笑ったら、ノクスは一瞬虚を突かれたような顔をした。
でもすぐに妙な咳払いをして、もったいぶったように居住まいを正す。
「じゃあ、ここからは細かい段取りの打合せをしたいんだけど」
「いいわよ」
「まず、この婚約が偽装だということをまわりには絶対に知られたくないんだ。いずれ婚約を解消するつもりでいることがバレたら、いろいろと面倒だからさ」
「そうね。私のほうはともかく、そのせいでノクスが本来のお相手と結婚できなくなったら意味がないものね」
私がそう言うと、ノクスは「……うん、まあ……」なんて曖昧につぶやく。
「と、とにかく、これが偽装婚約だとバレないようにするためには、表向き本当の婚約者同士みたいに振る舞う必要があると思う。仲睦まじいふりをする、とかさ」
「……そうよね」
「というわけで、俺はこれから昔みたいに『ヴィア』って呼ぶことにするから。いいよな?」
半ば当然とでもいうような口調のノクスに、私は驚いた。
確かに幼い頃、私は特に親しい人たちに『ヴィア』と呼ばれていた。でも、その呼び方を一方的にやめたのは、ノクスのほうである。
気づいたら『ロサヴィア』と呼ばれるようになっていて、なんだかやけに距離を感じるな、なんて思っていたんだもの。
今思い返してみれば、あれはユストゥス殿下との婚約が決まった直後だったような……。
「じゃあ、これからすぐに婚約の手続きを進めるから」
そう言って立ち上がったノクスにつられて、私も慌てて立ち上がる。
「お父様なら執務室にいると思うから、呼んでくるけど? 婚約の話をする必要があるでしょう?」
「いや、侯爵にはもう話してあるから。大丈夫だよ」
「え?」
……い、いつのまに……!?
それから、私たちの婚約が成立するまでは本当にあっという間だった。
ノクスは事前に根回しでもしていたのか、うちの両親もノクスの両親であるシグリッド伯爵夫妻もすぐに私たちの婚約を承諾し、心から喜んでくれた。
本当に、抜け目がないというか用意周到というか、なんというか。
お父様なんか、殿下との婚約解消の立役者となったノクスが新たな婚約者に名乗りを上げた時点で即了承してくれたし、シグリッドのおじ様やおば様も跡取り息子がようやく婚約を決めたことに加えて、相手が私だということに心底安堵してくれたらしい。
ただ、お互いの両親に嘘をつき、だましていることを考えると、私の胸はどうしてもちくりと痛んだ。
ノクスのほうは意外にあっけらかんとしていて、おいおい、と思ったけど。
そうして、婚約が決まった翌日。
学園に向かおうとすると、ノクスが侯爵邸まで迎えに来てくれたものだからまたしても驚いた。
「……ど、どうしたの!?」
「婚約したんだから、当たり前だろ?」
事もなげに言うけど、殿下は一度だって迎えにきたことなんかないわよ……?
「殿下と俺は、違うから。というか、殿下がおかしいんだと思うけど」
「……何も言っていないじゃない」
「だって、『殿下は迎えにきたことないのに』って顔に書いてある」
可笑しそうに笑うノクスに、返す言葉がない。
でも、気取らないやり取りは幼い頃を思い出させて、なんだか妙にうれしい。
そして楽しい。
いつのまにか嫌われていたことにずっと落ち込んでいたけれど、たとえ偽装でも嫌いな相手に婚約を申し込むなんてしないだろうし、そもそもこんなに優しく接してくれるはずがない。
だったら、嫌われたと思っていたのは私の勘違いだったのかも。なんだ、そうか。勘違いか。
思わず笑みがこぼれた瞬間、馬車が学園の正門の前で止まった。
当たり前のようにエスコートしてくれるノクスの手を取って馬車から降りると、いきなり「ロサヴィア様!!」という悲痛な声が聞こえてくる。
嫌な予感がして振り返ると、案の定、予想通りの人物が小走りで駆け寄ってきた。
「ロサヴィア様!! ユストたちは、どうして学園に来ないのですかっ!?」
聖女ルチアははあはあと荒い呼吸を整えながら、私たちの前に立ちはだかる。
「数日前から、みんな突然登校しなくなって……! おまけに、私のお世話係は別の生徒が代わりに担当することになったと知らされたのです! いったいどういうことなのですか!?」
鬼気迫る勢いにちょっと、いやだいぶドン引きである。怖いんですけど。
ていうか、なぜ私に聞くのだ。
「殿下の婚約者であるロサヴィア様なら、理由を知っているはずですよね!? 教えてください!!」
周囲を憚ることなく言い募るルチアに、私とノクスは顔を見合わせた。
どうやら、ルチアは何も知らされていないらしい。
確かに、ユストゥス殿下のしたことは国庫横領罪を問われる可能性があり、おいそれと公にできることではない。
ただ、やったことがやったことだし、さすがにお咎めなしというわけにもいかず、殿下と二人の側近は自室での謹慎処分を受けている。
まあ、公式発表としては、『体調不良で当分の間欠席』ということになっているのだけど。
あざとさ全開で目を潤ませるルチアに、私は淡々と告げた。
「……ユストゥス殿下と側近の方々の欠席は、体調不良によるものとしか私も聞いておりませんが」
「そんなわけありません! みんな、前の日は全然元気だったのに!」
「だとしても、私は王室の公式発表しか存じ上げません。そもそも私と殿下の婚約は、とっくに解消されておりますし」
「……え!?……」
完全に初耳だったらしく、ルチアは信じられない、という顔をする。
でも一瞬、どこか勝ち誇ったような表情に見えたのは、私だけだろうか。
なおも何か言いたげなルチアをその場に残したまま、私はさっさと歩き出す。
「ねえ、ノクス」
「どうした?」
「私とあなたは、ある意味共犯よね?」
私の言葉に、ノクスは一瞬目を見張った。
そして、なぜか楽しそうにニヤリと笑う。
「そうだな」
「じゃあ、ちょっとだけ協力してほしいことがあるんだけど」




