05 黒髪は完全に癒し
「先触れも出さずに悪いな」
突然侯爵邸にやってきたノクスは、思いの外硬い表情をしていた。
「そんなこと、気にしないで。うちとシグリッド伯爵家の仲でしょう?」
実際、幼い頃はお互いの領地を行き来するほど仲がよかったわけだし、嫌われていると思っていた幼馴染がわざわざ屋敷を訪ねてきてくれたのだ。
むしろ、うれしいに決まっている。
決して、黒髪目当てというわけではなく。
いや、それもちょっとはあるけど。
ユストゥス殿下の狂気じみた執着にテンションがだだ下がりしていた私にとって、ノクス(黒髪)の来訪は完全に癒しでしかなかった。
「でも、いきなりどうしたの?」
向かい側のソファに座ったノクスに目を向けると、相変わらず硬い表情のまま私を凝視する。
「……いや、実はこの前、ロサヴィアがユストゥス殿下と廊下で話しているところを偶然見かけてさ……」
「……ああ、そうなのね」
「……お前と殿下って、うまくいっていないのか?」
まっすぐ問われて、ちょっと面食らう。
「俺はてっきり、二人は仲睦まじく過ごしているものだと……」
ノクスの言葉に、私ははたと考え込んだ。
そして、気づく。
「……あの、ごめんなさい。私、嘘をついていたの」
恐るおそる告白すると、ノクスが目を丸くする。
「嘘?」
「殿下との婚約が決まって、うまくいっていたのは最初の数か月だけなの。それからはだんだん煙たがられるようになって、学園に入学する頃にはすっかり嫌われていたのよ」
言いながら、私は次第に気まずくなって、ついつい視線を逸らしてしまう。
確かに、はじめの頃はあそこまで嫌われてはいなかった。
きっかけは、王太子妃教育である。
婚約して数か月が経つと、本格的な王太子妃教育が始まった。マナーや礼儀作法はもちろん、王家の歴史や自国の貴族に関する詳細な知識、他国の文化や慣習、語学や法律、近隣諸国との外交問題など、学ぶべきことはとにかく多かった。
ただ、侯爵令嬢ロサヴィアはもともと才女である。地頭もいい。
だから、難易度高めの王太子妃教育も、さほど苦労することなくこなしていったのだ。
めきめきと頭角を現すロサヴィアに、どんどん悪感情を抱くようになっていったのはユストゥスのほうである。
古今東西、自分より出来のいい伴侶に嫉妬するというのは、よくある話だもの。
と、前世の記憶と原作漫画の内容を思い出した今となってはさもありなん、と思うのだけれど、当時の私はユストゥス殿下の仄暗い思いになど気づくわけもなく。
煙たがられるのは、邪険にされるのは、自分の努力が足りないせいだと思い込み、ますます王太子妃教育に専念したのだ。
そして、どんなに冷遇されてもユストゥス殿下を追い求め続けた。
殿下は恐らく、自分よりずば抜けて能力の高い婚約者への嫉妬や葛藤を抱えながら、冷たく突き放すことで留飲を下げていたのだと思う。
にもかかわらず、ブレることなく自分を求め続ける私の一途な想いに、だんだん依存しヤンデレ気質を拗らせていったのだろう。
そう考えると、なんだか申し訳ない、という気もする。彼があんなふうになったのは、私のせいでもあるわけだから。
ただ、何をどうやっても一方通行な殿下との関係を知られたくなかった当時の私は、人に聞かれるたびに「うまくいっている」「殿下はとてもよくしてくれる」なんて嘘をついていた。
だからノクスにも、同じように嘘をついたのだ。
学園に入学したあとは私たちの関係性があっさり露見してしまい、事実が公になるわけだけど。ノクスは入学と同時に留学してしまったから、真実を知らないままだったのだろう。
改めて事情を全部説明すると、ノクスはなぜかますます表情を強張らせた。
そして、絞り出すように「ごめん」と言って頭を下げる。
「俺、何も知らなくて……」
「そんなの、嘘をついていた私が悪いのよ。ノクスは何も――」
「いや、俺が悪かった。ほんとにごめん」
あまりにも思い詰めたような顔をするノクスに、私は何も言えなかった。ノクスが謝ることなんて一つもないのに、なんだかとても、申し訳ない。
「それにしても、どうして急に婚約解消を願い出ようと思ったんだ?」
ちょっと前のめりになったノクスは、私の顔を覗き込みながら不思議そうに尋ねた。
「嫌われても冷たくされても、ずっと殿下のことが好きだったんだろう? それなのに、なんで今になって婚約を辞退する気になったんだよ?」
ノクスに聞かれて、私は思わず言葉に詰まってしまう。
……モブのくせに、意外と核心をついてくるじゃないの。
でもノクスって、小さい頃から結構鋭いところがあったのよね。いつもは飄々としているくせに、何かあるとすぐさま気づいて「どうしたんだ?」なんて聞いてくれるような、優しい幼馴染でもあった。
そんな懐かしさや気安さに、ついつい私の警戒心も緩んでいたのだろう。
気がついたら、私は答えてしまっていた。
「……ゆ、夢を、見たの」
「夢?」
「……このままいけば、どうなるのかっていう、夢」
そうして、私はノクスに原作漫画の内容を事細かに説明し始めた。
さすがに、「この世界のことを前世のウェブ漫画で読みました」とは言えないから、全部「夢で見た」ことにして。
話し終わったとき、ノクスの顔を見るのが正直怖かった。
でもノクスは真顔で、「なるほどな……」とだけ言った。
「笑わないの?」
「笑わないよ」
「たかが夢だろうって言われても、仕方がないとは思っているのだけど……」
「そんなこと言うわけないだろ。ていうか、それって予知夢なんじゃないか?」
「……予知夢」
「神のご加護か何か知らないけど、自分のまわりでこれから何が起こるのかを予め夢で知ることができたってことだろう? おかげで目が覚めて、殿下との不毛な関係も解消しようと思えたんだからよかったじゃないか。少なくとも、俺はそう思う」
「……それは、そうかもしれないけど……」
「ただ、殿下が婚約解消を受け入れてくれないのは、ちょっと厄介だな」
そう言って、ノクスは途端に渋い顔になった。
「殿下はどうあっても、お前を手放すつもりはないんだろうな。ロサヴィアを冷遇しているくせに、実はお前の一途な想いに依存しているとか、ゆくゆくは側妃にしようと目論んで断罪するとか、俺には全然理解できないけどさ」
「そ、そうよね」
「しかも、聖女と恋仲になるんだろ?」
「もうなっているのかもしれないけど……」
「そうか……。って、いや、もうなってるのか?」
「わからないけど、その可能性はあるんじゃないかなって。常に距離も近いし」
「じゃあ、殿下と聖女の不貞が明らかになれば、お前との婚約も解消できるんじゃないか?」
「それは、まあ――」
「だったら、俺に任せろ」
そう言ったノクスが、ユストゥス殿下と聖女ルチアの不貞行為の証拠を携えて現れたのは、なんと十日後のことだった。




