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俺はムスケル、不幸を纏う漢  作者: 黒みゆき


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37.帝国進行(12)

 俺は、一瞬、ほんの一瞬だったがワイバーンの巨大な背中から視線を切ってしまった。

 時間にしたら、一秒の何分の一だったはずだ。

 だが、その一瞬の油断が俺に跳ね返って来た。

 上空を舞っているワイバーンを見た瞬間、きっと動きが止まったのだろう、視界の外から急接近してくるワイバーンの尻尾に気が付くのが一瞬遅れてしまった。

 ハッと思った時には遅かった。全身に強烈な痛みを受けた俺は宙を舞っていた。

 そして、地面に落下すると瓦礫の上をゴロゴロと転がり何かに激突して停止したのだった。

 全身の痛みに意識が遠のきそうだったが、意を決して目を開けると、俺がぶつかったのは壁だった。

 それも俺が目指して居た、食堂の対面の壁だった。

 あろう事かワイバーンの向こう側に見えていたあの壁に到達してしまったのだった。俺だけが誰よりも早く。

 振り返ると、みんなはまだワイバーンの向こう側にいた。

 チャンスだ!

 俺はワイバーンを気にしつつ、壁に開いている扉の残骸に向かってダッシュした・・・はずだったが、どうも全身がバラバラになりそうな痛みで、まるで散歩している老人程度の速度しか出ていなかった。

 なんとか扉の残骸に辿り着いた俺は、壁に全身を擦り付けるようにして、よろよろと進んで行った。

 後方では相変わらずワイバーンが暴れている音と振動が響いているが、俺にはかまっている余裕はなかった。とにかく前に進まないと、それだけの思いで必至だった。


 永遠とも思える長い時間廊下をずるずると進んで行った。

 幸いな事に、この廊下はまだ被害を受けておらず、綺麗なままだったので、歩くのは比較的楽だった。

 事前に、道案内から見せられた宮殿内の地図を必死に思い出しながら石像が置かれて居るとされている御不浄所を探した。

 自慢じゃねーが、俺の記憶力はたいしたもんで、一瞬見ればだいたいは覚えられるのだ。ただ、忘れる速度も半端なく早いってのが欠点でな。


 俺は誰もいない廊下をいったいどれだけ歩い・・・いや、性格には壁にもたれたままずりずりと進んだのだがな。

 後ろを振り向く気力もなく、ただひたすら前進をした。

 まだ誰もワイバーン食堂を抜けられていないのか、後方には人の気配はなかった。遠くワイバーンの暴れる音と振動が伝わってくるだけだった。


 なんで、俺はこんな思いをしているんだろうなぁ。山を駆け回っていたり憲兵達と追いかけっこしていたあの頃がなつかしいぜ。

 昔を懐かしむなんて俺も年を取ったって事か。やだやだ。


 壁に激突した時の痛みはだいぶ治まってきたみたいで、やっと壁から身体を離すことができた。

「ふー。いったい状況はどうなってるんだ?」

 振り返ってみるが、誰も追って来ない。俺だけでやるしかねーか。

 意を決した俺は、前に向き直って前進を再開した。


 やがて前方に比較的小さな扉が見えて来た。

 比較的小さなと言ったって、普通の感覚だとかなり巨大な大きさなのだが、ここに居ると感覚がバグってしまい小さいって感じてしまうようだ。

 かすかに香草の臭いがするって事は、ここが目的の御不浄所ってことか?

 扉を開けると、そこは全面大理石の小部・・・いや、大部屋だった。壁際には手を洗う所が二十か所ほど造られていて、中央には噴水までありやがる。

「ここで間違いねーようだな。それで石像はどこにあるんだ?見た所、ここにはねーようだが?」

 キョロキョロと周囲を見回していると、表の廊下から走って来る足音が聞こえて来た。

 あいつら、やっと追い付いて来やがったか?

 俺は何も考えずに迎えに出ようと扉の方に歩き出した。


 バンッ!!

 扉を開けて飛び込んで来たのは、ハンスでもなければポーリンでもなかった。

 切羽詰まった顔で股間を押さえた近衛兵の若い仕官が飛び込んで来たのだった。

 俺とその仕官はぶつからんばかりの至近距離でご対面と相成った訳で、お互いに状況が呑み込めず立ち止まってしまった。

 だが、切羽詰まっている分だけ、向こうの方が早く行動に出た。

「おっと、失礼。急いでいるので」

 そう言うと、俺の脇をすり抜けて奥の部屋に入って行こうとした。きっと緊急事態だったのだろう、俺の服装にまで気が回らなかったようだ。

「ちょっと待てや」

 俺は、脇をすり抜けていこうとしたその近衛兵の若者の肩をがしっと捕まえた。

 ギョッとした近衛兵は振り返った時、やっと俺がここに居るべき人間ではないと気が付いたようだった。

「き 貴様はっ!」

 緊急事態でここに飛び込んで来たって事は、漏れる寸前なのだろう。俺はゆっくりとそいつを壁に押し付けた。ゆっくりとだ。

「やあ、兵隊さん。慌ててどうなすったかね?ww」

「うううう・・・」

 俺はその若い兵士の口を右手で塞ぎ、左手で壁に押し付けたまま優しく、そう優しく質問をした。

「ちょーっと道に迷ってしまってねぇ、教えて貰いたい事があるんだよお。いいかなぁ?」

「むぐぐぐぐ・・・」

「えっ?何を言っているのかわからないなぁ・・・って、そうかあ、俺が口を押さえちゃってるからしゃべれないかぁ、失敬、失敬」

「むぐぐぐぐ・・・」

「大人しく答えてくれるなら、口の手を放してもいいのだが、どうするね?」

 若い兵士は恐怖で涙目のまま、うんうんと頷いた。

「良い子だ。ここに運ばれて来た石像を探しているんだがねぇ、小生意気な少女像なんだが、知ってるよね?」

 知ってるよね の 「ね」の所で押し付けている手に、ぐっと力をいれた。

 だが、それが良くなかった。

 びちゃびちゃびちゃと水の音に、反射的に足元を見ると、こいつ漏らしやがった。

 床に水たまりが広がりつつあった。

 ちっ、なんだ根性がねーなーと奴の顔に視線を戻すと、白目を剥いて失神してやがるぜ。

「こんなんで、警備なんて出来るのかよ」

 俺は、反射的に奴を抑えて居た手を離し、後ろに飛び退いた。

「あぶねー、こいつのしょんべんが足につくところだったぜ」


 再び、室内を見回して確認すると、ここには出入り口の他に奥に向かう二つの扉があった。恐らくあの奥で用を足すのだろう。

 俺は右側の扉に歩み寄り勢いよく開いた。

 開いたまま、俺は固まってしまった。そこには俺の理解を越える状況が広がっていたからだ。


 そこは、ジャングル?そうだよな、これはジャングルだ。ジャングルを模した部屋が俺を出迎えてくれたのだ。

 部屋一面に、天井まで届く木が生えており、その太い幹には見た事も無い蔦みたいなものが絡みついて居る。

 そして、そこかしこに鮮やかな赤やらオレンジやら黄色の花が咲き乱れている。おまけに、綺麗な蝶も飛んでいやがる。

「なんだ、ここは・・・」


 唖然としていると、再び後方で足音が聞こえて来た。

 俺は反射的に扉の中に飛び込み、生えている木の陰に身を潜めた。


「おっ、なんだこいつ、足でも滑らせて失神しやがったのか?情けない奴だ。おっと、やばいやばい、俺も漏れそうだ、こんな奴に構っていられん」

 ああ、あいつ、見付かったか。そんでもって、こっちに入ってくるな。

 俺は腰を浮かして、入って来る奴に備えた。


 ばーん!

 大きな音をたてて扉は開き、先程より年のいった兵士が飛び込んで来た。

 木の陰に潜んで居る俺には気付かず、そいつは俺の目の前を走って行く。股間を押さえながら。


 俺は奴の背後に勢いよく飛び出して、奴の両肩をむんずと掴んだ。

「ひっ!」

 奴は恐怖の為か振り向くことも出来ずに、そのまま固まってしまった。

 俺は落ち着いた声で話し掛けた。

「お急ぎの所すまんなぁ。ちょっと聞きたい事があるんだがなぁ」

 一応質問の形式を取ってはいるが、一切の異論は認めない圧はかけている。

「あ・・・う・・・」

「ここに運び込まれた少女像を探している。知っているな」

 奴も状況は理解出来たのだろう。素直に頷いた。

「どこにある?」

 その兵士は、答える代わりに右手で前方を指差した。

「この先にあるんだな?」

 今度は、少し強めに聞いた。

 やはり奴は恐怖で喋れないのだろう、うんうんと頷いた。

 やっとご対面か。

「ごくろう。もういいぞ」

 地面に優しく置いてやったのだが、そいつはふらふらと数歩歩いたと思うと、そのまま崩れ落ちて失神してしまった。当然腰の辺りには水溜まりが出来つつあった。

 だが、そんなのに構っている暇はなかった。

 俺はジャングルの中を駆け抜けて再び扉の前に立った。


「こいつか・・・」


 扉の横には、台に乗せられた石像があった。子憎たらしい顔がよーく再現されている石像だった。ま、本人なんだから、再現出来ているのは当然だわな。


 さあて、こいつを運び出すんか。重そうだなぁ。

 俺は石像に手をかけ、そっと持ち上げようとした。だが、石像はピクリともしなかった。

「こいつ、しばらく見ねー間にデブになりやがったか?」

 俺は再び、今度は両手をこいつの両脚に回し、力を込めてみた。

 流石に今度は持ち上がった。台座ごと。

「こいつは、俺ひとりじゃあしんどいぞ。みんなを連れて来るか」

 俺は踵を返して今来た道を戻って行った。


 しょんべんを垂れ流したまま失神している兵士を横目にジャングルを抜け、趣味の悪い大理石の部屋を抜けて廊下に出た。

 食堂の方を見ると、こちらに向かって駆けて来る人影があった。

「やっと来やがったか」

 どうやら全員抜けて来れたみたいで、一安心しているとハンスが怒鳴って来た。

「シャルロッテ嬢は見付かったのか?」

 ちぇっ、俺の心配じゃなくあいつの心配かいっ。

「ああ、この奥に居るぞ」

 面白くなさそうに答えると、直ぐに返事が返って来た。

「見つけたのだったら、なぜ連れてこない。そこで何をやっているのだ」

 なんで、俺叱られてるんだ?なんか変な事しているのか?

「時間がありません。すぐにお嬢の所に案内してください!」

 アウラの切羽詰まった声に、俺は反論を諦め道案内をする事にした。

「こっちだ」

 身を翻して、再び大理石の部屋に戻って行った。

「ひっ!」

 入ってすぐの壁際に失禁して気絶した兵士がそのままにしてあったのを思い出した。

 アウラはその様子を見て叫び声を上げそうになっていたが、それでも気丈に後を付いて来ている。

 ジャングルの部屋に入るとポーリンが叫んだ。

「なんやあ、これは?なんでなん、なんでこないな所にジャングルがあるんや?」

 まあ、その気持ちはわかる。俺も唖然としたからな。

「ほれ、そこだ。そこに石像がある」

 俺は奥の壁際にある石像を指差した。


「あ、お嬢!こんな姿になってしまって」

 アウラの目からは涙が溢れ出ていた。

 ポーリン達も目を潤ませて石像を見上げて居る。

「見つけたのだったら、なんでさっさと運び出さないのだ」

 ハンスだけは普段通りに文句を言って来る。

「しょーがねーだろう。こいつ、重すぎるんだよ!それよりも、アウラ。どうやって元に戻すんだ?戻し方聞いて来てるんだろ?」

「元にもどすって・・・乾燥ワカメとちがうんだから・・・」メイがぼそっと突っ込んで来る。


「大丈夫です。ちゃんとアナ様から聞いて来ています。このお札をお嬢の額に・・・きゃあああああぁぁぁっ!」


 アウラが話し始めたとたん、激しい振動と耳をつんざく轟音、そして天井がいっせいに崩れてきた。

 俺達は反射的にジャングルの部屋から飛び出して、床に転がりつつ何が起こったのかと目を凝らした。

 前方には今までジャングルだった部屋が天井から降って来た瓦礫で埋まっていた。

 そして、天井は無くなってしまい、そこには青空と・・・何かを探しているような素振りのワイバーンが顔を覗かしていた。

「またこいつかっ!なんで、毎度毎度追っかけて来やがるんだ?」

「貴様が呼んでいるのではないのか?」

「なにおうっ!!」

「今は仲間割れしとる場合とちゃうやろ?姐さんの安否が最優先や」

 ポーリンの言う通りだった。

「あいつ、割れたりしとらんだろうな」

 思わず漏らした独り言にポーリンが噛みついて来た。

「そないな縁起でもない事いわんといてや!姐さんに限ってそないな事あるわけあらへん!」


「す すまん」

 俺はそれしか言えなかった。


 あまり目立った動きをしてワイバーンに目を付けられてもいかんので、俺達はじっと舞い上がった埃が収まるのを待った。


 やがて、舞っていた埃が落ち着いて来て、真っ白だった視界がぼんやりと見えて来た。

 あいつは大丈夫なのか?と前方に神経を集中させているとアウラが叫んだ。

「あ、あそこ、台に乗っていたんでお嬢は瓦礫に埋まらないで済んだみたいよ。瓦礫の直撃はまぬがれたみたい」

 俺には良く見えんのだが、あいつらには見えるって事か。

「どの道、あのワイバーンは排除しないと駄目だ。わた いや俺とムスケルであいつをここから引き離して倒す。アウラ殿はシャルロッテ嬢の方を宜しく頼む」

 黒光りする大剣を握りしめて、ハンスの奴がそう言った時だった。

 メイが叫んだ。

「あいつ、姐さん狙ってるよ!ああ、間に合わないっ!」

 みんながメイの指差す方を見た瞬間、視界に飛び込んできたのは、シャルロッテの石像に向かってその鋭いくちばしを突き立てようとしているワイバーンの姿だった。

 やばっ、間に合わねー。


「だめーーーーっ!!!」

 悲鳴にも似た叫び声があたりに響き渡った。

 ワイバーンのくちばしは、今まさにシャルロッテの頭部を捉えようとしていた。


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