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32.惑星ノアの行く末


宇宙船は最低限三機のベクターコイルが生きていれば、三次元空間を移動できることになります。

大質量の直近である大気圏内ではそうもいきませんから、宇宙空間だからこその利点といえるかもしれません。


 セレーネに、ラーグリフの残骸と思しきものは見当たらなかった。


 プロミオンも然り。

 それもそのはず、ラーグリフはその船体外装を満遍なく傷つけ、失い、或いは焦げつかせた無残な姿のまま、ウーガダールへと近づく様を発見された。そのシルエットを特徴づける左右両翼の大半を削がれた姿を晒し、いつまでも通信は確立しないままであった。


 当然ながら、それらの報告は真っ先にローレンスへと伝えられた。乗組員の生存は確認できない、のみならず確実にラーグリフである事もまだ確認できてはいなかった。

「指示系統を喪失し、それにより作動するオートパイロットでこのウーガダールへ向かっている。それ以上はまだ分からん」


 報告を受けてローレンスが言う、これは単なる事実でしかない。

 現時点で言えることは、ラーグリフはその高速度でもってセレーネの躯体を一瞬のうちに貫通した可能性が高い。衝突時の爆発そのものの影響はあまり受けなかったのではないか、という未確認情報だけだ。


 観測された大きな爆発は、恐らく衝突直前のもので、ラーグリフは爆炎の膨張後に突入したのではないか。頑強な船体が原形をとどめてはいるものの、次第に近づく、まるで難破船の如き航行艦橋は透過窓部分が全て吹き飛び、その内部まで激しく破壊されているのが見て取れた。


 光学映像を観測する限りでは、損傷著しい幽霊船と見紛うばかりである。


「わたくしが行って確かめます。兄様に許可を頂く必要がありますか?」

 ラーグリフに乗船を許された者はかなり限られており、その中でメルファリアは特権管理者としての権限を保持している。確認のために乗り込むにあたっての適任者ではある。

「しかしな……」


 どんなリスクが潜んでいるとも限らない。また、残酷な現実を確認させる羽目になることを憂い、ローレンスは首を縦に振ることを躊躇った。

「我が騎士の安否です。わたくしが直視出来なくてどうしましょう」

「む。それは、そうだが」


 §


 結局、アストレイアがメルファリアを乗せてラーグリフに接舷し、比較的損傷の少ない後部甲板の連絡艇用格納庫から船内へと入る事となった。その船体の惨憺たる様を間近にして、アストレイアのロナルド・デニス船長も言葉がない。

「あの白銀の船が、なんともはや……」


 直接プロミオンにアプローチは出来ないので、メルファリアは慣れない空間作業服を着込み、音声ナビに従いながら傷ついたラーグリフの中を移動して、どうにかプロミオンまでたどり着いたが、レオンの出迎えはなかった。


 プロミオン自体は、ラーグリフ側の接続ポイントや固定ハンガーの損傷によって動けないままとなっていたが、これは激突による衝撃が大きかったことを示すものでもある。


 メルファリアはプロミオン内に入るや乱暴に空間作業服を脱ぎ捨て、確かな足取りで薄暗りの部屋へと赴いた。自身のデジタルクローン構築のために訪れたことのある、カプセルベッドの並ぶメディカルルームだ。


 そこでは、衝撃の為かベッドの一つが薄く扉を開けてあり、そこからは柔らかな光が漏れていた。メルファリアは、踏みしめるように一歩ずつ光源に近づき、まばたきを忘れて覗き込んだ。

「それしかないと思っていました。でも、確信を持てずにいました。……ずっと、心配でした」


 カプセルベッドの中には、レオンが横たわっている。

 そして、アバター酔いの真っ最中の彼は、立ち上がるどころか、まともに喋ることもできずにいた。


「あ……う……」

 まだまだウーガダールに収容されるまでには時間的な余裕があったはずだ、とレオンは内心で相当に焦った。何故ここにメルファリアがいるのか。それなのに俺は全裸であうあう言ってるのか。

 なんてタイミングの悪さだ。


 そんな彼の焦燥など意に介さず、メルファリアは虚ろな顔のままカプセルベッドに横たわるレオンに躊躇わず歩み寄り、顔を近づけて微笑んだ。小さな水滴が幾つかレオンの頬に滴り落ちたが、レオンの感覚はまだ回復途上だ。耳から入る音は漸くはっきりしてきたが、視界はまだ霞み、皮膚感覚もおぼつかない。


「レオン、お疲れ様でした。わたくしから、ささやかですが、今日のファーストキスを貴方に」


 §


 ラーグリフの航行艦橋でパイロットシートに座ったのは、レオン本人の情報から精密に模した儀体だった。レオンはプロミオン内からリンクした儀体を操り、セレーネを視認してラーグリフの操舵桿を握った。


 儀体とのシンクロ率を可能な限り上げたせいで痛覚も鋭くあったが、セレーネへの突入による航行艦橋の破壊はほんの一瞬の出来事で、レオン本人の感覚では苦痛を感じる間もなかった。


 それでも、シンクロ率を上げ切った状態での死亡体験は精神深層へのダメージが大きく、人によっては深刻な後遺症を負うこともある。激しい精神的な衝撃は脳内シナプスの不如意な連携や断裂に関わり、PTSDなどを発症させる要因の一つになる。よってレオンはカプセルベッドに横たわったまま、できるだけ長い時間をメンタルケアに充ててきた。


 そしてそれは、隣のコパイロット席で一緒に儀体を失ったアリスにも同じことが言える。

 アリスは生身の肉体を持たないヒトシミュレータだが、だからこそ、唯一の儀体とのシンクロ率は完全に百パーセントだ。その儀体を失う衝撃がシミュレータ内のアリスの精神構造に及ぼす影響は、もしかしたらレオンよりも大きいかもしれない。


 ウーガダールへの接近に合わせてレオンは目覚めることになったが、アリスのメンタルケアは依然として続いている。だから今、特権管理者であるレオンやメルファリアとやり取りをしているのはMAYAであり、その音声は中性的で至極穏やかな語り口で、レオンはなんとなく物足りなさを感じたりもした。

 それでも、アリスの復帰を急かす様なまねは絶対にすまいと決めて、それをメルファリアにもお願いした。



 戦いの幕は引かれ、アリスは眠ったままで満身創痍のラーグリフはアルラト星系へと向かう。その際には、やはり大きく破損したセレーネも、アパラジータを抱えたまま一緒にアルラト星系へと回航された。

 これは単に最寄りの星系だからでもあるが、なるべく衆目に晒したくないという判断も働いた。アルラト星系内にあれば、ランツフォートの独力でいかようにでも隠蔽できる。


 アリス不在のラーグリフは何とか独力でレオンを乗せたままアルラト星系に向かったわけだが、メルファリアもまた、レオンを補佐するという名目でそのままプロミオン内に居残った。

「レオンには休んで頂いて、当面はわたくしがラーグリフを指図します」


 ローレンスはメルファリアの意向を無言のまま首肯し、ロナルド・デニス船長とミッカ・サロネン航海士はレオンをよろしく、と付け加えた。リサは気が気ではなかったが、メルファリアの意思となれば無碍にするわけにもいかず、並航するアストレイアの中にあって、しばらくの間は一人で懊悩することになった。


 §


 応急処置を続けながらもラーグリフはアルラト星系にたどり着き、ようやっとガラノスに入渠して点検を行うと、修理にはそれなりに長い期間と莫大な費用が掛かることが明らかとなった。基本構造に問題が無いのは幸いだったが、セレーネを突き抜けたことで外装は大きく破損しており、兵装の大部分は要交換と判断された。


 内に納まるプロミオンはほとんど無傷で、ラーグリフの後部専用格納庫をこじ開けて復帰したが、アルラト星系の防衛体制に、そしてMAYAという存在のために、やはりラーグリフは欠くことのできない存在だ。


 そんな状況を知ってか、ノルンからはラーグリフの修理を引き受ける旨の申し出があった。ただそれだけにとどまらず、セレーネとその内包するフェイザーシステムに関しても、修復のうえでランツフォート側に引き渡すと申し出た。


 ノルンと共にあるアパラジータは、フェイザーシステムから分離されなければならない。事後処理の一環ともなるが、強大な戦闘力でもあるので、今後の扱いについては慎重にならざるを得ない。


 ランツフォート宇宙軍最高統帥部でもあるウーガダールはデルフィに近い所期の位置に凱旋するが、ローレンスはアーク・ネビュラスと共にアルラト星系に赴き、しばらくの間は留まることになった。


 そしてアリスはというと、メンタルケアにノルンの協力を得て回復を進め、アパラジータの中からひょっこり姿を現した。アリスを形作るテクノロジーはノルンからもたらされた物であるから、それも自然な成り行きである。


 これまで敢えて身に着けていた旧世代のUN制服ではなくて、現行の制服に着替えたのは単に被服調達の都合であろう。意外に晴れやかな表情でレオンに再会したしたアリスは、改めて自己紹介をした。

「クレイオ博士から正式に名前を頂きました。今後は、アリシア・ラトウィッジ・ランツフォートと名乗ります」



本邦初公開 アリスのフルネーム。

正式にとは?


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