33.深淵のアリスとレオン
古典SFには、あたりまえのようにタバコを咥える登場人物がいました。
珈琲は残っているんじゃないかと思ってるんですけど、どうでしょうね。
「レオンは今まで通り、アリスと呼んでください」
と微笑むのを見て、レオンは何か違和感のようなものを感じて首を傾げた。
「ランツフォートを名乗るってワケね。なにか……、そうか! 髪の毛が短くなったな」
以前に、ショートカットにしてみましょうか、と言ったことはあるが、そこまで短くもない。儀体の都合か。
「気が付きました? ふふっ、まあそのうち伸びるからいいかな、って」
「伸びないだろ」
「伸びますよ」
なにやら得意げな笑顔でさらりと言い切った。
ノルンによるメンタルケアの影響だろうか。あまりそこに突っ込むのは良くない事なのかもしれない、と思ってレオンは聞き流すことにした。自分を本物の人間だと勘違いしているAIだなんて痛すぎる。あとでMAYAに相談しよう。
「レオン、私が人間だったらどうしますか?」
「(うわっ)」
間髪入れずに、どストレートな質問が来た。
「う、うん、いいいいんじゃないかな。歓迎するよ」
いかにもこの場をやり過ごすための、いい加減な返事に聞こえたろうが、まあその通りだ。
「はい、言質取りました」
そう言うとアリスは一歩近づいて、レオンの手を取って自分の左胸に押し付けた。ぎゅっ。
「お、おい」
「どうでしょう、私の熱い鼓動が伝わりますか?」
忙しない心音が、温もりと共に布越しにはっきりと手のひらに伝わって来た。
アリスは目を伏せて、レオンの手を逃すまいと余計に力を込める。
「ノルンったらひどいんですよ。同じ儀体はしばらく用意できない、肉体なら用意できる、って」
「肉体って……」
それはひどいな。いやちがう、どういうことだ?
「大きな声では言えませんけど、ノルンはこれ迄もたくさん自分のクローンを作ってきたとか。だから、私のDNAと育成情報や活動記録などのライフログから、肉体を作るのは造作もない。が、条件があると」
幾らか楽しそうではあるが、いつものアリスの声、いつもの口調だった。
レオンの右手はまだそのままだ。むしろレオンの鼓動の方が大きくなってきた。
「へ、へえ……」
「でも私の場合、オリジナルの肉体はありませんので、この体をクローンとは言いませんよね? むしろ、この身体こそがオリジナルです。アリシア・ラトウィッジ・ランツフォートです」
「な、なるほど、そうなんだ」
レオンは、いまいち要領を得ない返事を返すのが精一杯だった。
やってくれましたね、クレイオ博士。
§
クレイオ博士はノルンの領域内にしっかりと存在し、ノルンの思考を含めたありように大きな影響を及ぼした。お互いを認めあう類稀なる知性は、人類の進歩発展を願うという点でたしかに一致する。
もやは惑星ノアを狙おうなどと思わぬノルンは、クレイオ博士の橋渡しでランツフォート家と手を結び、新たな活動に乗り出す。生かされたノルンはアパラジータと共にあり、僅かな改修を施した上で、全銀河探査のミッションを遂行することになったのだ。
ラーグリフが出来なかった、我らが天の川銀河系のハビタブルゾーンをぐるりと巡る旅に出る。もしも異文明を発見することがあれば、できるだけ接触を避けて情報のみを持ち帰るようにするのだとか。
一方、ラーグリフの修理はまだしばらく掛かる見通しだが、フェイザーシステムを修復して、ラーグリフとの接続を可能にして、なんとレオンに託すと言い出した。その代わり、レオンには是非ともレベル7もしくはそれ以上のフライト実績を積んでほしいと依頼した。
人類の未来の為に、などと懇願されると、なんとも断りにくい。
そしてアリスは、そのDNAの半分がクレイオ博士のものであることから、すんなりとランツフォート家に迎え入れられた。むしろ、野放しにはしておけない、という事でもあるのだが。
「この、生身の体はとてもデリケートです。儀体の時と同じようには扱えませんから、気を付けてくださいね?」
わざとらしく、ばちっとウインクするアリス。
「誤解を招くような言い方はよせ。俺がどんな扱いをしたって言うんだまったく」
幸いに見た目も声も以前と変わらないから付き合いの感覚も変わらないな、などと思いながらレオンは何となく、人間のアリスを見つめた。
「しっかしまあ、なんだ、アリスは人間になっても、肌が凄く綺麗なのは変わらないな」
「……」
ぱちぱちと瞬いて、アリスが目を逸らした。そしてその視線がうろうろと泳いだまま、なんと頬を紅く染めた。
「お、おい。そういうリアクションは想定外だぞ」
「わ、私もです……」
二人が揃って狼狽えるので、会話が途切れて気まずい空気になりそうなところ、お互いの仕草が滑稽に思えてむしろ笑みがこぼれた。
「ふふ、ふふふふふ。どうしましょう、妙な笑いが止まりません。でもそれが、凄く嬉しいんです」
「ははっ、アリスがそんなに笑うなんてな」
生身の身体に現れる無意識の反応に戸惑いながら、アリスはそれらも含めて全てを楽しんでいるようだ。
「私は、人の手によりゼロから造られた人間です。これはもしかしたら神をも恐れぬ所業かもしれません」
「自分で言うか」
「これまでの私にとっては、この現実世界こそが異世界なんです。つまり、○から始める異世界生活、ですね」
「異世界ねえ」
「転生しました!」
と言ってアリスはその場でぴょんと飛び上がり、手を広げて着地した。
演技を完璧にこなした体操選手のように、得意満面でレオンを見返す。
「転生? ……まあいいや」
疑問を呈されたアリスは、なぜかとっても嬉しそうにもう一度微笑んだ。
§
ノルンの救いを請うたノーマ・フオンは、メルファリアに赦されて惑星ノアへの軟禁処分となった。もう一生涯惑星ノアから出ることは許されないだろうが、むしろ彼女は喜んで、惑星ノアの観光ツアーディレクターにと自ら手を挙げた。
「敵は滅するよりも、敵ではない何者かになっていただくのが最良です」
とメルファリアは言ったが、それが一番難しいことではないか、とレオンは素直に感心した。
そのノーマ・フオンが言うには、過去にはマイケル・リーのクローン製作を依頼されたことがあるらしい。リー家から、それはもう破格の金銭を提示されたそうだが、「クローン生成はUN法規に抵触します」と涼しい顔で断ったのだそうな。
よく言うぜ、とレオンは思ったが、それよりも、不可能です、と言わなかったことがすごく気になった。リー家もノーマ・フオンも、クローン生成が可能であることを前提に話をしているような。
いやいや、まさかね。
ノルンがマイケル・リーのクローン生成に必要なデータを保持している可能性に背筋が冷えたが、心配しても仕方がないのでそれ以上考えるのは止めることにした。
そしてアリスは、本人の意向により当面のあいだその業務に変更はない。レオンの執務室で、副官としての仕事に違いはないが、それでも、自分から話しかけることが増えた。
生身のアリスは、幾分かおしゃべりになった。
「いまだに人類社会の中では、それこそ数え切れないほど多くの神々が信じられています」
「なんだよ、突然に」
「神を信じるか信じないかではなく、自然のままであろうとする考え方もあります。いわゆるナチュラリストにとっては、私は絶対に許されない存在でしょう」
「自分で言うか。しかもそんな恐ろしげな」
「つまりですね、色々と面倒そうなので、この事は黙ったまま、私は生きていこうと思います。私が人間であらんとする事に加担したランツフォート家、それを容認したレオンも、共犯者です」
「まあ、そうかな」
「なんといっても共犯者ですからね、一緒に秘密を共有したまま生きていきましょうね。吊り橋効果とか、興味深い題材もありますし、これからいろいろと楽しみです」
「人生は有限だよ、かなり」
限りのないヒトシミュレータとを比較して、レオンが先輩風を吹かしてみる。
「ええ、知っていますよ。だから、こんなにときめくのですよね? 素敵です」
「有限だからこそときめく、か。まあ、そういうものなのかもな。有限だけど……、アパラジータが帰ってくるまで、生きていたいなあ」
今しがた、アパラジータによる銀河系探査ミッションが開始されたとの報告をアリスから伝えられたところだ。
「頑張れば何とかなるんじゃないですか? あ、でもヨボヨボの私達をもう一人のアリスに見られちゃいますね」
「そういえば、そっちのアリスは道中寂しいんじゃないか?」
「いいえ。そっちのアリスには、そっちのレオンが居ますから」
「え、そっちのレオンって、……まさか」
悪戯っぽい笑顔でレオンは見つめられた。
アリスもそんな表情をするんだな、と思わせた。
「実は、私の肉体を用意してくれるという魅力的な提案に、ノルンからは交換条件を提示されました」
「交換条件……、そういや、そう言ってたな」
「レオンのヒトシミュレータのデータセットを欲しいと言われまして」
「俺のデータ?」
「全部あげました。うふっ」
「おいっ!」
先ずは一言ツッコんだが、それだけでは終われない。
「交換条件になってないだろ? 俺のデータだぞ」
「私の自由に使って良いって、言ってくれたじゃないですか。それは私の宝物なのですよ」
「言った? 言ったかな、言ったのか。うーん」
そこまで好きにして良いと言った覚えはないが、アリスの記憶というより記録は確かだ。……どの道、もう手遅れだろうか。
「今頃はもう、アパラジータと共に深淵の彼方ですよ」
「やってくれたなあ」
アパラジータによる銀河系探査は、ランツフォート家においても極一部の者しか知らない、非公開のミッションだ。ノルンとクレイオ博士が主導して、完全無人で遂行される、とは聞いていた。
アパラジータと共に行くもう一人の俺は、いったいどんな関係性をアリスと築くだろうか。
「どうです? 百年後が楽しみですね?」
「ははっ、人間になってもやっぱりアリスはアリスだな」
「はい!」
今までにない、溌溂とした大きな声だ。
「それから、レオンの淹れた珈琲を飲みたいです」
「え、そう? それは、そう言われると嬉しいな。気合が入るぜ」
「私も、嬉しいです」
そこには破顔したアリスの輝くような笑みが。
そしてその笑顔にドキドキしてしまったレオンは、少し困った顔を見せないようにカウンターに赴いて、ゆっくりと珈琲豆を取り出したのだった。
人類の未来がこうだったら良いのに、という思いで書きました。
とりあえず核融合エネルギーの実用化からですかね。




