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22.ノルン


生前から「ノルン」と称していたわけではないです。

ヒトの枠を脱却しようと、あえて名乗りを変えたといったところです。


 セレーネと呼ばれ、ずいぶん昔から火星の上空に存在してきた資源採掘用中間基地は、近年人々からは殆ど意識されない存在になっていたが、その中に隠れ座す電脳はさらに昔から様々に思考し、その思惑を人類域社会へと投影してきた。


 ナチュラリストムーブメントの顕在化などもその一つとして挙げられ、G7としての地球の振る舞いにも少なからぬ影響がある。ただ、その電脳は全人類の統一支配などを志向したことはなく、単にひとつの知性として、自身の思惑に沿って行動しているのみ。


 人であった時の記憶を持つその電脳は、自らを「ノルン」と称した。


 人としてのノルンは死亡して久しく、完全電脳化を果たして今存在しているノルンには、当然UN規定上の人権はもうない。そのUNと比較しても地球の法規は更に保守的であり、過去には遺伝子治療にすら厳しい規制が設けられていた時代もあった。


 人権のないノルンは、自らのDNA情報を利用してクローンを作り、自身の維持などの為に人手のかかる部分を任せているが、クローンを作成したことに対する罪も罰も、地球の法規上では適用先がない。


 違法に造られたクローンの人権がどうなるのかは悩ましいところだが、ノルンのクローンは皆短命である。それはオリジナルのノルンが免疫異常的症状を発する因子を持つが故、同一の遺伝子からなるクローンもまた、本人同様に短命なのだ。


 生み出されたクローンたちは、電脳のノルンと密に対話を重ね、電脳が自分と一体であることを深く認識して、亡くなっていく。今まで生み出されてきた多数のクローン達の、まさに思考の集合体が今のノルンと言っていい。


 自身のDNAを利用して、幾度となく試行錯誤を繰り返すことができたからこそ、人として裁かれることの無いノルンは、違法なクローンを短期間に促成する術をも確立していた。教育や経験も含めて人を作りだす、それはもはや魔法と見紛う禁断の所業とも言える。


 生来は老成せずにこの世を去る運命だったノルンは、自らを電脳化し、その上さらに思考経験を重ねる手段を用意して、かれこれもう二千年にもなる。


 そして、彼女はこの広い宇宙を自ら移動する手段を得ようと望んだ。


 ただそれでも、ノルンは深く地球に帰依する者であり、宇宙を翔ぶための翼を得たからといっても、人類発祥の青い星を眺めずにずっと離れ続けることはないのだと思う。これまでの長い年月の間に、ノルンが地球圏に対して害を為そうとしたことは一度もない。


 むしろ地球及び人類の未来を彼女なりに案じた上で、世界中の協力者たちへ託宣を下してきた。そこに我欲はなかった筈だ。


 ◆


 iフライトを終えたセレーネは、所定の宙域に至るために既に減速の段階にあった。比較的安定したルートを選定したとはいえ、実際に訪れた実績の見当たらない、観測データに乏しい宙域だ。ノルンであっても、いや、ノルンだからこそなおさら慎重にアプローチは行われる。


 セレーネの巨体は、針路前方に障害物が現れたならば、避けるのにすらそれなりの時間を要するため、障害物によっては破砕した方が合理的となる。また、重力分布や宙域付近の時空密度に偏りをみて、フェイザーを射出する際の座標の微調整なども必要だ。


 太陽系における加速時よりも十分に長い距離を取って減速を行うセレーネは、針路の微調整を行いながら、自身の近傍にiフライトアウトする物体を感知した。その物体はセレーネとほぼ同じ針路の前方へと、やはり減速しながら遠ざかっていったが、その物体がラーグリフである事はすぐに判明した。


 いや、むしろ恐らくは、これ見よがしにiフライトアウトしたものだろう。


 そしてあっという間に遠ざかり、ほどなくノイズに紛れた。状況からすれば、セレーネが向かう先を、ラーグリフが知っている可能性は高い。そして、ランツフォートの護衛官は既に始末された可能性もある。或いは搭載艇ごと焼くことが出来ていたか。


 その辺りはラーグリフに現状を報告させよう。ランツフォート家の動きについても、得られる情報があるはずだ。それから、ノーマ・フオンからの連絡も得られるかもしれないと考えたが、ラーグリフはどうやらそれらに類する通信データは運んでこなかった。


 だが、もたらされた幾つかのデータファイルの最新のタイムスタンプは、セレーネが太陽系を発ってから随分後のものだ。そこから計算されるフライトレートはレベル5に達し、確かにラーグリフが遺憾なくその性能を発揮したことを示している。故に、現時点でラーグリフに生身の人間が運用要員として搭乗している可能性は十分に小さい。


 先の戦いでアパラジータには傷を付けられたが、あのような、相討ちを狙うかの如き戦いはヒトの所業だろう。軍隊に属し空間戦闘のセオリーを弁える戦術士官の戦い方とも思えないが、ランツフォートの護衛官、レオン・ウィリアムズとは元郵便船乗組員であって、その経験とも思えない。


 いずれにせよ、例外を積み重ねての予測はあまり意味がない。


 ラーグリフには情報提供の指示を下すと共に、上位指揮権を行使して動きを止めることも選択肢としよう。このセレーネに対して何かが出来るとも思えないが、それでもなお敵対するなら破壊も止むを得まい。探査済みの情報は惜しいが、ランツフォート家から情報を引き出すか、別の探査船を用立てて再び調査しても良い。


 時間的な制約などは無いのだから。


 §


 セレーネは減速を少し早めて、連続的に針路を修正しつつラーグリフの行方を探った。情報提出指示に対するレスポンスはなく、付近に目立った光源のないこの宙域で、ラーグリフは何を画策するのか。そもそもこのセレーネに対して何ができるか。


 アパラジータに匹敵する戦闘力を持つとはいえ、単艦だけで奇跡でも願うのか。異文明からの侵攻を撃退するために作られた、このフェイザーに対して。ノルンとしては、むしろ何事かがあるのか、興味深くはある。


 ラーグリフの防御性能を確認するために、フェイザーの出力を段階的に上げての試射は有用かもしれない。それは、アパラジータの防御性能をシミュレートする為のデータを得る、又とない機会ではある。


 ラーグリフに搭載されるMAYAの知見は確認したいところだが、無謀な行動に出るようなら、そのようなAIにはさほどの価値もあるまい。ただ、惑星ノアに関わる案件の予測精度の有意な低下など、これまでの経緯もあり、注意を怠るわけにはいかない。


 セレーネは更に減速を強め、警戒態勢に移行して各兵装の動作確認を順次進めていった。



ノルンはむしろ人類の守護者たらんとしています。

だからこそ、無力ではいられない、とは知っています。


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