2-2 牢獄
「……なるほど?記憶が混濁しているのかしら?」
白衣を着た女性は眉をひそめている。
随分と流暢な日本語だ。明らかに日本人の顔つきではないが、日本で長く過ごしているのだろうか?
そもそもその発想が間違っている気がしてならないが、情報が少なすぎる。
ほんの少しの手掛かりにすら頭を働かせていないと、叫びだしてしまいそうな心持だ。
10代後半とも20代後半とも読み取れない、ただうっすらと化粧されているだけにも拘らずその美貌は良くわかる。
理知的な声音が心地よい、金髪碧眼の女性は顎に手を当てながらこちらの様子をうかがっている。
「えぇ、いくつかご確認させてただきたいと思います。今日は何年の何日でしょうか?もう年は明けてしまいましたか?」
「聖都歴2411年の6月13日ね。年が明けたのは半年以上前の話だわ」
「……せいとれき?ですか?」
「えぇ。この国の年号ね。あなたはこの国の生まれなのだからご存じでしょう?」
「西暦のことですかね?2011年ではなく?」
聞きなじみがあるようでない言葉だ。それに6月……?たしかに寒さは感じないが、ここは室内だ。
「いえ、聖都歴2411年ね。ここは聖都ウェルンガル。資料によるとあなたの生まれ育ったのはこのウェルンガルのはずれの街のはずよ。記憶にないかしら?」
うぇるんがる……
噛み砕くように声に出す。
当然聞き覚えは全くない。
いったい何が起こっているのかさっぱり理解ができない。
おかしい。
俺は34歳未婚無職で、ついさっき隣人に刺殺された、もはや何者でもないどころか生者ですらないはずだ。
大体なんなのだ、その横文字は。このきれいな女性も到底日本人には見えない。
さっきの男といい、この女性といい、知り合いの外国人などいないから余計に混乱する。
日本は東京、その外れの大山という街ですれ違うのはフィリピンパブやマッサージ店で働く外国人ばかりだ。そういう店に行かないから尚更対応しかねる。
どっきりにしては手が込んでいるし、無職の俺に仕掛ける意味はない。
なんだろうか、本当に嫌な予感がする。
なんだかこんな状況によく似た小説が出版されていなかっただろうか……一大ムーブメントにもなったような……
いや、流石にそれはないだろう、あれはファンタジーで少なくとも俺の生きてきた34年でこんなことが起こった事実はないし、もちろん経験もない。
大体。ああいった物語は剣と魔法の物語だ。
対人の腹芸に疲れ果てた中年にできることなど少ない。
「えぇ、そうウェルンガル。あなたはゲン・リュート、21歳男性。何故あなたがこの部屋にいるかについては覚えているかしら?」
「い、いえ、それも、まったく……」
ゲン・リュート?21歳?
状況をうまく呑み込めない中、名前も知らない別嬪さんは大きく息をついた。
「そう。あなたはちょっとした事故に巻き込まれて、左わき腹を大きく損傷したの。ここは医務室。私は医者。あなたを治療したというわけね」
左わき腹!?
思わず左わき腹に手を添わす。
ツナギは新しいもののようでそこに破れなどはなく、ガーゼなどが当たっている感覚も、痛みも何もない。
「えっと、手当の跡が無いようなのですが……?」
「勿論。私の治療だもの。ヒールとグリーズを両方かけたから傷跡も残っていないでしょうし、血液も十分な量まで戻っているわ。痛みはないはずよ」
ヒール?グリーズ?知らない単語が乱れ飛ぶ中、彼女は当然だと言わんばかりに少し胸を張った。
これは……いよいよ、そういうことなのではなかろうか。
恐る恐る核心に繋がる疑問を口にした。
「……魔法、的なあれでしょうか?」
「そりゃそうね」
女医は何を当たり前のことを、といったトーンであっさりと認めた。
思わずぐったりとベッドの上で起こしていた体を崩す。
「ど、どうしたの?大丈夫?」
「あーー、大丈…夫、大丈夫です」
少し慌てた様子の女医に掌をひらひらと振り、何でもないと伝える。
大丈夫では全くない。
そんな非科学的なことがあっていいものか、とも思うし、しかしながら、凶刃に倒れて死に絶えたと思った命が何の因果かこうして続いていくのなら幸運なのかもしれないとも思う。
じっと掌を見る。
少し色黒の長い指。以前の自分の指は短く太くグローブのようだった。
明らかに以前の自分の体とは違う。
(やり直させてもらえるということなのかな)
夢なのかもしれない。壮大な幻想なのかもしれない。
それでも、胸が躍らないと言えば嘘になる。
やり直させてもらえるのならば、誠心誠意、自分の人生をやり直したい。
まずは情報だ。
さっきのスキンヘッドの男のこと、この体の人物がどういう人生を送ってきたのかをしっかりと知る必要がある。
この女医さんは何かを探っているような風がある。少しでも情報を聞き出しておきたいところだ。
「もう一つ、いいですか?」
「なにかしら?」
「正直に申し上げて、色々と記憶が混濁しています。ここはその聖都のどのような場所になるのでしょうか?あと、先ほどの男性は……その、どなたになるのでしょうか?」
女医は大きくため息をついた。
「そうね、さっきの方は、同僚?みたいなものかしらね」
「同僚ですか…」
「そう。あなたの記憶の混濁がどの程度なのかはあとで調べるとしても、ここがどこかというのは中々面白い質問ね」
女医は丸椅子に座りなおすと、口の端を吊り上げながら薄っすらと笑みを浮かべた。
「ここはウェルンガル牢獄。聖都ウェルンガルで裁かれた罪人が集まる刑務所よ。あなたは3カ月前にここに収監された詐欺の常習犯」
(おいおい……)
夢にしてはリアルすぎるし、冗談にしては悪質なように思う。
「あなたの刑期は10年。つまり、あと9年と9カ月はここで暮らすことになるわね」
(勘弁してくれよ……)
「時間はたっぷりあるわ。記憶の混濁も、ゆっくりと直していくことね」
世界はそんなに甘くないみたいだ。




