2-1 麻布
妙に暖かい。
体中をぬるま湯に漬けているような感覚。
心地いい、というか、何かがぬるま湯に触れている皮膚という皮膚から流れ込んできているような感覚が酷くくすぐったい。
『---か!!-----すか!!!-------ですか!!!』
何かに呼ばれているような気もするが、とにかく今は体中がむず痒い。
おかしい。
ついさっきまで、俺はあの隣室の冴えない男に刃物を突き立てられていたはずだ。
趣味で良く読書はしていたが、刺された感想をむず痒いと表現するのは決まってファンタジーの強キャラと相場が決まっている。
実際、ついさっきまでテンプレートといえるような熱い異物感で俺の体はいっぱいだった。
左わき腹を刺されたはずだ。
それだけじゃない。
沢山貫かれたはずだ。
冷静に絶望を受け入れてしまうほどに無慈悲な感覚が全身を覆っていたはずだ。
左わき腹に熱を感じる。
しかし不思議と痛みはない。
『--ーですか!!-----ください!!!--夫ですか!!』
もっと言えば、あのピンクのキャミソールを来たヤンキー女はこんな耳触りのいい声をしていただろうか。
切迫感が違う、というか、込められている感情が違うというか、そもそもの出来が違うというか。
あぁ、いけない。少し言葉のチョイスが攻撃的だ。
けど、まぁ、少しは大目に見てほしい。なにせこっちは何度も刺されたんだ。少しくらいは許されるだろ?
『ーー夫ですか!!大丈夫ですか!!!目を開けてください!!!』
目?
目を開ければいいのか?
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「よかったなぁ、ゲン。まったくどうなっちまうかと思ったぜ」
私の目の前でにこやかに声をかけているのは、スキンヘッドが特徴的なガタイのいい強面で40過ぎの男だ。
筋骨隆々とうい言葉が似あうだろう。
麻を灰色に染めた半そでのツナギは腕回りも含めて余裕がない。明らかに筋肉に服が圧迫されている。
本当に安心しているのかどうかは表情が見えないから分からないが、話しかける先に向けた声音は心から安心しているように聴こえる。
顔にに使わず、非常にやさしい声音だ。
「しっかし、あいつ無茶しやがる。何考えていやがるのか、さっぱりだ」
男は乱暴に右こぶしを左の手のひらに叩きつけた。乾いた音が響き、私の眼は自然と男の左の二の腕の部分の刺繍を追っていた。
(7221。なるほどガタイが良いわけだわ)
勿論声には出さない。
ここでは私のような立場の者がその数字を呼び上げるのはトラブルの素だと知っている。
「おいおい、ゲン、大丈夫か?思いつめたような顔をして、まだどっかいてぇのか?」
「いや、大丈夫ですよ。そんなことはないので、ありがとうございます」
「あ、ありがとうございますだぁ!?おい、先生さんよぉ!」
素っ頓狂な声を上げ、男はこちらを見上げる。
「こいつに変なことしてねぇよな!?それともまだ何かおかしなことがあるのかぃ!?」
「いえ、ただ、結構深い傷でしたからね。少し精神的に混乱しているのかもしれませんよ」
「おぉ?そういうもんなのかぃ?」
なるべく丁寧に答えると、男は不思議そうな顔をして腕を組んだ。
「えぇ。稀にあるんですよ。少し時間がかかるケースがありますからもう少しここで仮眠をとったほうがいいでしょうね」
「そうかいそうかい。結構深くやられていたもんなぁ。なるほどねぇ。しかし、ゲン、よかったなぁ、今日はこんな質のいいベッドでもう少し寝ていられるんだ。せっかくだからゆっくりして戻って来いよ!」
そういうと男は立ち上がった。
「先生、じゃあ頼んますよ」
「えぇ、お任せください」
笑顔で答えると、静かに目礼して男は扉に向かって声をかけた。
「おい!看守のにぃさん、面会終わったから頼むわ!」
扉が開かれ、男は看守に連れられ部屋を出ていった。さすが7番台。手錠も足枷もない。
部屋には私と、ゲンと呼ばれた男だけが残された。
「ゲンさん、大丈夫ですか?まだ意識が混濁している感じがありますか?」
「えぇっと、いえ、そうですね……」
ゲンと呼ばれた男は自分の両掌を握ったり開いたり、この部屋の調度品を見渡したりしながら言葉を濁した。
歳は20代前半くらいだろうか。先ほどの男のように筋骨隆々というわけではないが、良く鍛えられた絞られた体格をしている。
180cm70kg程度だろうか。少し赤みを帯びた黒髪で、長く伸びた後ろ髪は後ろで若草色の紐で結ばれている。
絶世の美青年というほどではないが、比較的整った顔立ちをしている。切れ長の瞳も相まって、涼しげな好青年といった感じだ。
今、彼の茶色がかった黒い瞳には困惑が浮かび、絶え間なく部屋の調度品、私の衣服、顔、自分の衣服と視線を彷徨わせている。
そっとゲンの左肩の刺繍に目をやる。
(4369。4番台か……これは注意しないと駄目ね)
ゲンの着ている服も先ほどのスキンヘッドの大男と同じものだ。これは当然、ここにいる職員以外の人間はみな同じ服を支給されている。
違うのはその刺繍のみだ。
頭の数字が彼らの特色を知る一番手っ取り早い方法だ。先ほどの男は7。ゲンは4。
職業柄私にとっては先ほどの男よりも、ゲンのような4番台の人間の方が注意が必要だ。
目の前にある間違いのない情報だけでしっかりと判断をするべきで、情に流され妙な温情をかける必要はない。
それこそ私の一番大切なことを狂わせる可能性があるからだ。
「えぇっと。……その……すいません」
「えぇ。何かしら?なんでもどうぞ?」
何かを言葉にしようとしているゲンに先を促す。
彼とてここに居続ける事は出来ないのだ。
私も早々に判断すべきだし、どのような言葉が出てくるかはどうあれ、会話をしないことには始まらない。
寧ろ内容はどうあれ、頑なに会話を拒むタイプよりはやりやすいと言えるだろう。
「……」
ゲンは意を決したかのように、スゥッ、と息を吸った
さぁ、何が出る?どんな言葉が出てくるの?
私だって経験こそ浅いけれど、プロフェッショナル。しっかりと対応して見せるわ。
「すいません……ここはどこで、私は誰なんでしょか」




