17.葉隠分兵
意識を取り戻したおれは、無意識にベッドから跳ね起きた。
「早いでござるな」
ベッドの横で椅子に腰かけていたランゾウが持っていたのは、おれが羽織っていた黒い外套だ。それを受け取ってから、おれは周囲を見回した。窓のない、見覚えのある空間。村長邸の地下だった。
焼けるような全身の痛みを堪えながら、おれはベッドから出た。呼びかけてみるがアッシュからの返事はない。だが意識のようなものは感じるし、半液状化も問題なく作用する。単純に眠りに就いているだけだろう。
「何分経った?」
「四半刻ほど。いやはや、数分で起きなかったときは、回復に数日はかかるやもと覚悟したでござるよ」
「ガレたちは?」
「連れていかれました……」
どこからともなく出現したライアに、おれは笑いかけた。
「おはよう。なんで泣きそうな表情してるんだ?」
唇を噛み締め、顔を歪めた彼女に、おれは肩をすくめてみせた。
「ライアはなにも悪くない。それに、ガレもパラも無事だよ」
「パラ殿は、魔物であるがゆえに攫われたという話でよいのでござろうか?」
「ああ。さすがに察しがいいな。それとも誰かに聞いたか?」
「察しがいいというならばバネッダ殿のほうにござる。ライア殿はガレ殿としかいっておらぬのに」
話しながら装備を準備していたおれは、その言葉に頷いた。
「やっぱり最初から視えていたんだな?」
「視えぬふりをし続けたほうが?」
疑問系で返してきたランゾウにおれは首を振り、先ほどまで暗い表情を湛えていたライアは目を丸くしていた。
「えっ、えっと……?」
「こっちからもいい返したほうがいいか? 察しがいいというのなら、それはそっちのほうだったよ」
彼のいい方からして、おそらく彼はおれたちへの配慮として気づかない、視えていないふりをしていたのだろう。状況を推測して、おれたちがライアの存在を秘匿していると考えたのかもしれない。
「先に教えておくでござるが、どうやら彼女たちもまた、ライア殿を視認できるようになっているようでござる。挨拶をしておくといいかもしれぬな」
「うう、さっきから普通に名前までバレて……」
バツの悪そうな顔でランゾウに頭を下げているライアの横で、おれはナイフを抜き、刃を確認してから改めて鞘に収めた。準備完了だ。
しかしランゾウたちの会話で、おれはもう一つ、確認しておくべきことがあることを思い出した。
「ネイは上か?」
カーネルの件について確認を取ったあと、ランゾウとライアを置いておれは一階へと上がった。黒く重いカーテンをさらに目張りしていたネイの後ろ姿に、おれは声をかける。
「無事でしたのね。良かった……」
「本当はもうちょっと寝ていたかったのですが、待たせている相手がいるもので」
ランゾウがカーネルから受け取ったという白色の結束バンド。おれにそれの存在を忘れるなということか。ガレも、もしかしたらパラも、完全に抵抗できない人質なのだろう。
「無事で戻ってきてください」
「もちろん。こちらとしても聞きたいことがあるので」
机の上に置かれた水筒を何度か軽く叩く。いま眠っているおれのなかのスライムと、ネイを守る謎のスライム。一つ仮説はあるのだが、それはアッシュが起きたあとでも遅くはあるまい。
強引にアッシュを叩き起こして話してもいいかもしれないという考えを、おれは振り払った。これが最後などとは思っていない。おれはカーネルに勝ち、ここへまた戻ってくる。
そのために一つ頼みがあるとネイに切り出したところで、背後から声がかかった。
「バネッダさん」
「だから、なんで誰も彼も泣きそうな顔をしてるんだ」
しかもライアはともかくとして、声の主はテリアンだ。彼女が自分自身を責める理由は、ライア以上に思いつかない。
「状況はおれたちに傾いてる。おれがカーネルに勝って、二人とも連れ戻して、万々歳。わかるか?」
テリアンは首を横に振った。
「カーネルはおれを連れ戻すのが最優先だ。ガレもパラも重要だが、あくまで標的はおれ。そしてカーネルは賭けを嫌がって日和った。いまこの状況がなによりの証拠だ」
「賭け……それはいったい?」
「吸血鬼の副作用で、おれは太陽に焼かれる体になった。そのおれが危険を省みずに外に出てきたとなれば、可能性は大きく分けて二つだ。つまり太陽への策があるか、ないか。カーネルは考えるだろう。あるならばいい。おれを拘束して、ついでに珍しい魔物も手に入れて帰るだけだ。問題はなかった場合」
「バネッダさんが命懸けでカーネルと戦う決意をしている場合」
「そういうこと。もう一度いうがカーネルの目的はおれ、いや、おれに宿ったとあいつが信じる異能だ。おれが消滅した場合、その異能まで消えてしまう可能性は否定できない。もともとおれの死体から拾うはずだっただろうからおれがただ死ぬなら問題はなかっただろうが、いまのおれは吸血鬼だ。太陽の下で肉体ごと消滅した場合は……どうだろうな」
「賭けか、なるほどね」
ようやく納得した様子でテリアンが頷いた。
「カーネルの勝利条件は、できる限りバネッダさんを生きたまま連れ戻すこと。なのにバネッダさんが勝手に死にたがっているような選択肢を取ったから、仕方なくガレたちを攫って一度撤退したということなのね」
「状況から推測しただけだがな。カーネルが自分の絶対的優位を信じているからこその結果でもある。だけどあいつは、手の内を少し晒しすぎた」
ちょうど上へときたランゾウが、腕を組んでおれを見ていた。
「拙者たちはここに残るよう指示されたために加勢はできぬが……」
そういいながら、彼は小さな葉っぱを一枚顔の前で振ってみせた。
「あの分身の術についての助言を一つ」
「やっぱり知ってるんだな」
「あれはおそらく、拙者の国のチャガーマという魔物の異能にござる。土や木、鉱石を用いて精巧な複製を作り出す魔物で、たびたびそやつらに化かされたという報告が上がっているでござるな。もっとも、アレは少しばかり本物に近すぎる」
「もとの魔物がいるとはいえ、おれたちへの導入は解析と強化のあとだ。もとよりも強力な異能になっていることも多い」
「ふむ。しかし弱点までは克服できなかったようでござるな」
「弱点?」
「うむ」
一度わかれば簡単な見分け方でござる。ランゾウは持っていた葉を頭の上に乗せ、口端を曲げてみせた。
※
いつも目の前にある光の谷を登るのは実は久しぶりのことで、動物や魔物の濃厚な気配のなかを進む行為の愚かさをおれは再認識していた。しかしたとえ愚かであっても進むしかない。自分自身への絶対的な自信を忘れず、愚者ではなく強者の如く歩まなければならない。
光の谷自体は初めてではないのになぜおれは怯えているのだろうか。吸血鬼の身であるゆえの時間制限を恐れているのではない。考えてみればおれがこの光の谷へと足を踏み入れたとき、おれは不死の存在だった。そしてそうではなくなったあとは傍らにアッシュやライアやガレという頼れる魔物がいたし、ガイデルシュタインという強大な敵と対峙していたからだ。
ただ、幸運なことにこの山登りは一人きりではなかった。おれが気絶したのちにカーネルはガレとパラを担ぎ、この光の谷で目覚めたおれを待つと宣言した。ランゾウ、ネイ、テリアンは村から動くことを許されなかったが、おれを案内するための一人のみをその例外とした。アッシュのことではない。
「俺が破傷風で死んだらお前のせいだからな、ベニー」
正午を過ぎて少しばかり。光の谷、森のなかの獣道。恨めしげな顔で振り返るキャスパーに、おれはため息を吐いた。陽光をなるべく浴びないようにふたたび外套やターバンを装備したおれとは逆に、彼はきわめて軽装だった。
「二つある。悪いのはカーネル、そしておれはバネッダだ」
「知るかよクソ。おえ、あれだけ洗ってこそぎ落としたってのにまだクソの臭いが体中からしやがるぜ」
「真面目な話をすると……」
悪臭に顔をしかめながらおれがいう。
「たしかにまずい気がする。お前、何時間肥溜めでおれたちの監視をしてたんだ?」
「日中はほとんどずっとだ。爆破されるよりはマシかと思ってたが、こう体中に痒みや痛みがあるとどっちもどっちだな」
「それなのにおれを案内してくれているのか」
「お前の村に医療施設があればそこからテコでも動かないがな。だがそうじゃない。なら、借りを作っておいたほうがまだ俺の生存確率は上がりそうだ」
「借り?」
「お前をきちんと案内するというカーネルへの借り。もっとでかいのはお前自身への借りだよ。見てたぜ、あの魔物の傷が治るのをな」
「なんの話だ」
「気づいてるんだろ? あの小さい少女の魔物の傷がいつの間にか治ってて、カーネルの野郎に不意打ちをかましてた。ありゃ根性だとかそういうもんじゃねぇ。受けた傷が自然に塞がってた」
たしかに、おれは気づいていた。それに、負傷したガレがふたたび動けるようになっていた、という現象はこれが初めての話ではないのだ。ガイデルシュタインとの戦いで致命傷を負ったはずのガレがなにごともなかったかのように目を覚ました先の戦い。
「じゃあおれがその傷や悪臭を治療できるという希望があるから、素直におれをこうやって案内しているってわけだ」
「もう一つあるぜ。なんならお前がカーネルをぶっ飛ばしてくれるのを俺は密かに期待してる。カーネルが素直に俺を病院に連れていってくれるとは思えん」
キャスパーがそういい、おれたちは笑い合った。
「なんにせよ、俺たちには時間がないって共通点があるな。バネッダ、お前は日の上がっているなかじゃ長くは動けない」
「そしてキャスパー・バディゴウは早くその破傷風をなんとかしなきゃ死ぬ」
「キャスパーでいい」
そういって笑ったキャスパーの手を、おれは不意に取った。軽く触っただけなのに悲鳴とともに体を捻る彼に、おれは我がことのように顔を歪めた。
「そよ風が吹くだけで痛いんだ。勘弁してくれ」
「吸血鬼の異能無しにおれの異能がもしそういう力を持ってるのなら、これで少しは楽になるはずなんだがな」
「こりゃ、痛い治療になりそうだな」
荒い息と脂汗の滲む顔で口端を曲げたキャスパーが、顎で先を示した。
「もう少し登ると開けている場所がある。カーネルの拠点だ。俺に案内をさせたってことは、そこにいるんだろうよ」
おれは頷き、ナイフを抜いた。止めていた歩を進め、森を抜ける。曇天だが、先ほどまでの森とは違い、陽光を遮る木々や葉がない。キャスパーよりはマシだろうと自分にいい聞かせながら、おれは周囲を警戒した。
森の先の丘陵地帯。たしかにここなら木々の隙間から下の村が少しばかり見える。近くに肥溜めは確認できないから、キャスパーが監視していたのはさらにもう少し登ったところだろう。ここは村こそ見え辛いが、逆に村からは意識しないと絶対にわからない空間だ。それほど遠くはないから、たしかにガレの五感が正常ならすぐに発見できていたかもしれない。
アッシュ、おれを鼓舞してくれ。
返事のない彼女におれは小さく声をかけてから、改めて顔を上げた。
長身、サイドを刈り上げたオールバックの金髪、両手に持つ木製のトンファー。
目の前に一人で立つカーネルが、眉を上げた。
「ずいぶん早かったな。驚いた」
「いきなり本物のお出ましってわけだ」
おれがいうと、カーネルはわざとらしく首を傾げた。
「わかるのか?」
「頭の上に葉っぱを載せてるのが偽物。だろ? 葉っぱを固定するためにフードを被ってたわけだ」
「髪に結びつけるっていう手もあるんだけどな。俺よりも低い身長で頭上が見えるか?」
おれがカーネルの異能を知っていることを前提としたようなものいいだった。おれの心を読んだようにカーネルが笑う。
「どうせランゾウから聞いたんだろう? 俺が大好きなゲッコウ出身の人間に会えるなんて、長旅もしてみるもんだな。出会ったタイミングが相当悪かったが……」
「運命ってやつだろ」
「お前らしくない言葉だな。まぁいいや。こいつはな、葉隠分兵だ。俺の名前はそこには記してないが、異能自体はデータベースにちゃんとある」
「自分から教えるってことは、おれを無事に返す気はないってわけだな?」
「まさか。ちゃんと返すとも。勇者のもとへ」
おれを囲うように現れた、三人の誘拐未遂犯たち。同時にカーネルの背後から、ガレとパラを羽交い締めにした中腰の二人が現れた。二人は乱暴に縄で巻かれ、目と口に布をあてがわれているが、彼女たちの様子を見る限り聴覚は奪われていないらしい。カーネルがおれを指し、口を開いた。
「今度は抵抗するなよ。お前が万が一にでも助かる可能性があるとするなら、そいつは勇者計画の研究のなかにある。いいか、ベニー。いかに俺が非情な人間でもな、かつての仲間がただ死ぬのを良しとしているわけがないだろう」
「そうだ。おれは死にたくない。誰も殺したくないし、誰も死なせたくない」
「立派だな。だからこそお前は勇者の一員になれた。なのにお前はその可能性を、この魔物たちのために無駄にするのか」
「そうだ」
カーネルが目を伏せ、小さく頭を振った。それから彼はゆっくりと深呼吸して、残念そうに大きくため息を吐いていった。
「じゃあこの二匹を殺してお前の憂いを断つ」
「なるほど」
悲鳴が上がる。ガレのものでも、パラのものでもない。彼女たちを捕らえていた男たちだ。それだけではない。巻かれていた縄が解かれ、布が切り払われている。
「約束を破ったな。お前は自ら犠牲を増やした!」
「それはどうかな?」
自身に迫る刃をトンファーで防いだカーネルが、その刃の正体に目を見開いた。カーネルは曖昧な約束を好まなかった。彼はランゾウ、ネイ、テリアン、そしてライアを名指しし、村から出ることを禁じていた。もしそれが破られた場合、たとえ同胞であっても容赦はしないと。
しかし彼女は違う。ネイから借りた彼女の仲間が、伏兵として奇襲を仕掛けた。
「いけ、シャヒィン!」
「なんだこのスライムは!」
おれの呼びかけに応え、肉体を槍のように変形させたスライムが、動揺するカーネルを貫いた。




