09.標的
「よーし。ならその不敗記録、俺が破って見せようじゃないか」
「望むところ。拙者、負けるつもりはないでござるよ?」
カーネルとランゾウの声に、ガレとパラの囃し立てる声。なにごとかと側にいたテリアンに問うてみると、よくわからないことで意気投合し、腕相撲を始めたのだとか。
戦場は手頃な大きさの木箱の上。まったく説明が説明になっておらず、おれはライアに助けを求めた。
「バネさん、お箸ってご存知ですか?」
助けを求めた矢先にこの質問である。おれはライアをじとりと睨んだ。
「バカにしてるな?」
「違います。いえ、ぼくはさっき初めて見まして」
「そうなのか?」
ピースした二本指をぱちぱちと動かし、箸の動きを示してみせる。
「そうそう。、それですそれです。さっきカーネルさんがそれを懐から取り出しましてね?」
「なんの話だ」
「腕相撲の経緯を聞きたいんじゃないんですか?」
箸と男二人の腕相撲がどうつながるというのか。おれは小さくため息を吐いた。
「続きをどうぞ」
「はい。で、カーネルさんのお箸を見たランゾウさんが興奮しだしまして」
「待て待て待て。箸で?」
「はい」
「箸だぞ?」
「はい」
向き合うおれとライアの間で無数のぱちぱちが飛びかった。
「なんだ、カニの真似か?」
その様子にさすがに気づいたカーネルが一瞬力を緩めたのを、ランゾウは見逃さなかったらしい。
凄まじい音を立ててカーネルの手甲が叩きつけられ、ランゾウが自ら歓声を上げた。一瞬間遅れてガレとパラの声が続き、その次にポカンと口を開けたカーネルの苦笑が漏れた。
「おい、いまのはナシだろ」
自分の右手とランゾウを交互に見てカーネルがいう。
「不意打ちとはいえ勝ちは勝ちでござる」
「いったな? 次は油断しない。さぁこい」
「せいぜい注視しておくでござるよ。この世界には誘惑が多い」
ふたたび睨み合う二人に話しかけるのも面倒になり、おれは体をほぐすために外へと出た。月明かりを背におれは歩きながら体を伸ばしていく。
「なんでもカーネルさんのお箸のブランドが、ランゾウさんの国のものなんだとか」
おれの後ろをふわふわとついてきたライアがいった。
「それで意気投合した」
「そうです」
「意気投合して、腕相撲?」
「そうです」
「どっちにしろよくわからなかったな」
話を切り上げたところに、ちょうど声がかかった。なぜか裏の倉庫の陰に立つテリアンが、おれを手招きしている。
状況は読めないが、とりあえずそちらへと向かってみる。妙に落ち着きがなく、余裕のなさがどうにも彼女らしくない。
「どうした?」
可能な限りまで近づいてから、小さな声で問う。視線の定まらない彼女が、倉庫の裏側までおれの手を引いた。
「あんたのせいだからね」
冗談のような台詞を真剣な声音でいきなり囁かれた。おれは倉庫の壁にもたれかかり、なにかを思い出すように顔を上げる。あくまで思い出すように、であって心当たりなどまるでない。視線の先にはこれまた心当たりのないライアが困惑の表情とともに浮いているだけである。
「覚えがありすぎてな」
「気が利かない答えね」
そういうテリアンの様子を見て、おれはふと一つの仮説を立ててみた。
「誰に狙われてるんだ?」
「さぁ?」
適切な返答とはほど遠い気がする。おれはライアに目配せした。ガレを呼んできてほしいという、単純なアイコンタクトだ。
「巻き込もうとしているようだから助けるけどな、せめて情報をくれないか?」
「巻き込もうなんて思ってない。ただ、お別れの言葉をいいたかっただけ」
「おれにか?」
「そうよ」
「彼女にだろ?」
ライアが連れてきたガレを顎で示したおれに、テリアンははじめハッとし、ふるふると頭を振った。
「なんで連れてきちゃったの?」
「周囲の索敵ならガレが適任だ」
テリアンと対照的に堂々とこちら側へと駆けてきてくれたガレに簡単な事情を説明し、村の周囲にある気配を探ってもらうことにする。テリアンからの追加情報がないため、索敵は人間、動物、魔物を問わずにおこなうように頼んでみた。
頼んでみたのだが。
申し訳なさそうに眉を下げるガレに、おれとライアは顔を見合わせた。
「どうしたんですか?」
「えっと……わからない」
「なにかあったのか?」
「……おはながきかない」
ライアの声はテリアンには届かないため、質問はおれが引き継いだ。少しばかりの逡巡のあとに放たれたお鼻が利かないという言葉に、おれは腕を組んで唸った。
「雨のせいか?」
「ううん。それよりすこしまえから」
「具合でも……いや、元気だよな」
テリアンがガレの前に屈み込んだ。この場にいるライアもテリアンも初耳だったらしく、流れはガレの身を案じるものへとシフトした。ガレはテリアンのいくつかの質問をすべて否定した。肉体的、精神的な疲労は特になく、これまでこのような状況に陥ったこともない。しかし他の気配を感じることができないのは事実であり、彼女自身、その解決策を見出だせずにいるようだった。
「ごめんなさい」
それらの会話の締めにガレがいった唐突な謝罪の言葉を、慌ててテリアンが打ち消した。
「大丈夫。ガレはなにも悪くない。ちゃんといってくれてありがとうね」
「ああ。おかげで一つ思い当たる節があることに気づいたよ」
おれの言葉に、テリアンが声を上げた。
「本当に?」
「それを確認する前に一つだけ訊いていいか?」
立ち上がったテリアンとまっすぐに目を合わせる。
「テリアンを狙う相手と関係があるのはカーネルか?」
彼女は真剣な顔で、ゆっくりと首を横に振った。返答はそれで充分だ。おれ自身の問題ではなさそうだが、知らぬ仲でもない。
「ライア。カーネルをここに連れてきてくれ」
ひとまずはわかっている問題から片づけていこう。おれは大きく上半身を伸ばし、逸らし、大きく深呼吸した。
※
「いやぁ、そいつは俺のせいだな。本当にすまないことをした」
物陰に誘導されたカーネルは不審そうな目をおれに向けていたが、おれが状況を説明するとすぐにすべてを察し、ガレに謝罪の言葉をかけた。
ガレと、彼女と手をつないだテリアンが、同じような呆けた顔を見せた。ライアもアッシュも当然理解できていないらしく、おれに説明を求めた。
「カーネルの能力のせいだ」
「悪かったな、お嬢さん」
深く頭を下げ終えたカーネルは、右腕を自分の顔の高さまで上げた。手のひらは上に。そう掲げられた右手に、小さく青白い光が浮かび上がった。ガレとテリアンがおおと驚嘆する。
「こいつが良からぬ悪さの主。この嗅煙妖精は光を反射して煌めく破片でな。空中にこうやって振り撒くと……」
カーネルが手を何度か振ると、青白い粒が砂のように広がり、風に乗って周囲へと拡散した。
はじめにそれに気づいたらしいのは、やはりガレだった。顔を真ん中に寄せるようにしわくちゃにし、鼻を両手で覆う。テリアンとライアはそれよりもだいぶ軽い反応で、眉間にシワを寄せる程度だ。
おれも久しぶりに嗅いだ気がする。不快ではないが鼻孔に濃く深く沈殿する謎の臭い。自分の体臭が増幅して嗅覚を支配している感覚という表現は少し遠いだろうか。微弱の刺激臭であるにもかかわらず、それによって妨げられる感覚の領域は極めて大きい。その違和感をガレは嫌がっているのかもしれないし、単純に鋭い感覚を持つがゆえにおれたち以上の不快感を覚えている可能性もある。
漂う煙を払うようにカーネルが手を動かすと、その光が宙へと溶けた。
「名前を出していいのか」
おれの問いに、カーネルは口端を曲げた。
「別にいいだろ。この子たちは変に外で吹聴するようなタイプじゃない。それは顔を見ればすぐにわかる」
「なまえ?」
ガレが首を傾げた。そこまで説明するべきなのか否か。しかしおれが考えるよりも前に、カーネルは笑いながら口を開いた。
「ああ。俺たちが使う能力ってのは、すべて国の研究のもとに成り立っているものだからな。すべての能力には名称があるし、名称と効果は紐づけされているし、習得者も使用者も記録されている」
「勇者御一行の能力……?」
先ほどよりもさらに首を傾げたガレに代わって、テリアンが呟いた。
「はは、やっぱり誤魔化しきれてなかったか。まぁそれはいいや。要するに、能力名が割れると効果も調べることができるし、使用者の素性もバレる。そいつは良くないことだろう?」
「でも、勇者御一行って魔物と戦うんですよね? 魔物は人間の記録なんて見れないのでは?」
テリアンに代わってライアの質問。カーネルはおれを一度見てから、小さく鼻息を漏らした。
「……まぁ、それはいろいろあるのさ。それに、魔物にだってバレないほうがいい理由はある」
(ねぇ、バネさん。そういう能力って、普通はどうやって手に入れるものなの?)
これまでの話を黙って聞いていたアッシュが問うてきて、おれは唸った。むしろこれまで話題に出なかったほうが不思議だった。古代の呪いや吸血鬼の咬傷というイレギュラーばかり話していたせいで、カーネルのような『普通の勇者御一行』に目が向かなかったのだろう。
カーネルはガレたち三人のうちの誰かが質問すれば、それに答えてしまうだろう。
正直にいって、いまはまだ話すタイミングではないと思っているのだが。
幸いカーネルが次に話したのは、まったく別の話題だった。というよりも、それが本題だった。
「この破片で気配を察知できずに困ってたって話だったな。んで、察知したかったのはこの村の周囲で見張ってる人間たちか?」
テリアンの顔色が変わった。
「やっぱりいるのね……」
「ああ。しかしほんの数時間前からだな。襲撃しようって雰囲気じゃない。緩い監視……観察か? 特にこちらをどうこうしようってのは感じないが」
そこで言葉を切ったカーネルは、口を結んでうつむくテリアンの視界に入るように手を振った。心ここにあらずという様子だった彼女がハッと我に返った。
「あー、はじめまして。俺はカーネル。カーネル・グランジェットだ」
「え、え?」
カーネルの言葉に、テリアンはその意図を掴めていないようだった。
「いやなに、そういえばまだちゃんと話していなかったなと思って。偶然出会って、偶然目的地が同じ。ただそれだけで一緒にここまできたはいいが、俺たちは互いに互いを知らなさすぎる」
「ナンパの文句に聞こえるぞ」
おれの言葉に、カーネルは驚いたように笑った。同じ感想を抱いたらしいテリアンに、おれは彼の言葉を変換する。
「要するに、カーネルにとっては素性がわからないのはどっちも同じってことだよ。テリアンを狙ってる人間のほうがおれたちにとっては味方の可能性もある。だろ?」
「そういうことだ。まぁ、こうやってベニーと親しい時点で、心から疑っちゃいない。一応だよ、一応」
笑みを浮かべ、軽い口調で話してはいるが、カーネルの考えはまっとうなものだ。テリアンはガレを見て、おれを見て、それから一呼吸を置いてから、カーネルに視線を戻した。
テリアンの口から語られたのは、おれやライアやガレにとっては既知の情報だった。しかし改めてその話題が語られたことで、おれたちは監視者の正体に至ることができたのだった。
つまり、テリアンの雇い主であるラブロスという男が抱える、多額の借金についての話だ。もっといえば、その借金を回収しようと動いている追っ手の話である。
「そいつはなんとも解決し難い話が出てきたな……」
顔を歪めたカーネルの感想はもっともすぎるものだった。
「なるほど、おれのせいね」
「間違っちゃいないでしょ? ガレの件……いえ、ガレは悪くないのよ? でも街から出なければこうやって見つかることはなかった」
「でもそれなら、なんで監視してるだけなんですか?」
ライアが問い、ガレが同意の首肯を見せた。テリアンに訊けというジェスチャーなのだが、それについてはおれが代わりに答えられる気がする。
「おれやカーネルやランゾウがいるから遠くから様子を見てる、って感じか? 街で監視していたならパラについても知ってる可能性もあるし、傍から見れば不気味な集団かもな」
「なんだ、いきなり説明口調で」
下手だったらしい。カーネルが口端を曲げていったが、よく考えれば彼にはライアの声が聞こえているのだからわかっているだろう。おれは強く咳払いを挟んでから、テリアンに向き直った。
「結局どうするんだ?」
「払えるアテはないけど、おとなしく出ていくわよ。ガレに迷惑はかけられないし」
ガレの頭を撫でながら、テリアンはため息を吐いた。
「大丈夫か?」
「それは行ってみなきゃわからない。とはいってもあっちは野蛮人じゃない。先進的な金貸し屋。おおかたラブロスの居場所を聞きたいってだけでしょ」
そういうや否や、テリアンは物陰からずんずんと村の外れに向かって歩き出してしまった。おれはガレの手を一応引いておく。
ガレは利口な少女だ。ここでテリアンを追う理由がないことをわかっている。だから手を引いたのは、ガレを止めたかったからではない。ただ自分の心のもやもやから目を逸らしたかっただけだ。
なにごとにも助けられるものと助けられないものがある。手出しできる領域と手出しできない領域がある。それだけだ。
「おい、こっちにきたぞ。早く済ませろ!」
そう考えながら俯いていたおれは、ゆえに耳に届いたその囁き声を一瞬咀嚼できなかった。村奥の陰からテリアンを監視していたらしい借金回収者たちの言葉としては、少し不自然なものだったからだ。
(どうしたの?)
ガレの手を引いたまま、おれはテリアンのほうへゆっくりと歩き出した。五感までは完全に共有できていないアッシュが驚いたように声を上げ、嗅煙妖精の影響が残っているらしいガレも困惑した様子だ。
夜の闇の向こうに視える、数人の人影。目を凝らして見てみれば、彼らの輪のなかにいるのは、トラッパーフードが目立つ中性的な少女。肩に担がれた彼女は気を失っているのか、まったく動く気配がない。
パラだ。彼女が見知らぬ者たちに担がれているのだ。
「あの男は強そうだからナシだ。さっさとこいつを持って街にずらかろうぜ!」
漏れ聞こえた会話は、状況を理解させるに充分な情報量だった。
「ガレ、あいつらを倒すぞ」
「え? わかった!」
彼女の逡巡は一瞬だった。テリアンが追っ手だと勘違いしていた者たちに向かって、一気に距離を詰めたガレが飛びかかり先攻する。




