07.また出会う
雨だった。
地下まで響く雨音を、おれはまどろみのなかで二度聞いた。なにがあっても日中はおれを起こさないこと、などという言葉を皆が信じてくれているのは、思うにとても幸運なことなのだろう。
黒雲で陽が沈んだかどうかがわからず、おれはまず、ライアを呼ぶことにした。とはいえ彼女が近くにいるかはわからず、しばらくして彼女が来なければ家のなかにいるであろうほかの誰かを呼ぶ必要があるだろう。
そうやって思案していると、こちらから出向く前に、ライアがおれの前に姿を現した。言葉通りだ。彼女は突然一階と繋がっている階段の先から扉を抜けてきた。慌てていた様子が、おれを勢い余ってすり抜けたことから伝わってきた。
「あ、バネさん。夜ですよ、夜!」
「こんばんは。おはようか?」
「そんなに悠長にしてられないですよ、ほら早く!」
眉をひそめてライアに続く。状況はすぐに把握できた。
「ここにきて何度目の雨だ?」
「二度目……いえ、三度目ですかね?」
「こんなにひどいのは?」
「初めてです」
家全体を包む雨音、窓に打ちつける激しい水滴。玄関で小さな土嚢を積むガレとパラの手伝いを終えたところで、おれはまだここに住民がいることを思い出した。
「ネイは?」
「へや?」
短い質問だったが、しっかりとガレが答えてくれた。おれはそういえばと、手の汚れを払いながらいった。
「ベッド、ありがとな」
ガレはおれのいわんとすることに気づいたのか、笑顔のまま口をきゅっと閉めた。後ろ手を組んで照れくさそうに揺れる彼女に笑みを返してから、おれは一度地下へと戻った。
「知ってたんですか?」
「なんとなくな」
おれが地下に降りたのは浸水を確認するためだ。いくつか危ない箇所があったが、致命的なものはない。しかしこれは単に運がいいだけだろう。今後も雨が降り続ければ、おそらく地下は水で溢れるはずだ。事前に対策をしておくべきだろうが、雨が止むまで地下を使わないという策程度しかいまは思い浮かばなかった。
ベッドの件に話を戻そう。ガレはもともと鉄爪獣とともに山で暮らしていた少女だ。初めての出会いも小さな洞窟のなかだった。ゆえに屋根さえあればどこでも睡眠を取れるだろうと彼女の自由にさせていたのだが、たしかに人間の肉体ならば人間の快を求めるものなのかもしれない。
つまりおれの配慮は欠けていたが、彼女は無事に自分が心地よく睡眠を取ることができる寝床を見つけていたというわけだ。それがおれが一階に放置していた――おそらくはもともと村長が使っていた――ベッドだった。
そしてそうやって使っていたベッドを、彼女はネイのために快く提供してくれた、というわけだ。
「毎日ってわけじゃないですけどね」
ライアが補足する。
「着替えてベッドに寝なさいとは一応いうのですが、力尽きて居間や外の屋根下で眠ってしまうことがそれなりにありまして……」
「なるほど。そのそれなりをよく見ていたせいで把握が遅れたってわけだ」
そのベッドが置いてある部屋の前でノックすると、ネイの返事が扉越しに返ってきた。おれは開いた扉の前にいた彼女を一瞬把握し損ねた。
「おはよう。無宗教派なのか?」
「い、いきなりどういう質問なんですの?」
ネイの困惑顔に、思わずおれ自身も苦笑した。ガレと、正確にはシスターと同じ黒を基調とした修道服を着たネイが、おれの反応にさらに首を捻った。
「いや、どこぞの神ともわからないのに普通に着てるからな」
「もうちょっと段階を踏んだ会話というものがあると思いますわよ」
「あんたにはいわれたくなかったよ」
いいながら、おれはふむと腕を組んで彼女を見た。すると間を置かず、なぜか慌てた様子でネイが口を開いた。
「な、怠けているわけではありませんわよ?」
「段階を踏め」
「え? わたくし、てっきりバネッダさまが怒っているものかと……」
「だから段階を踏め。って、ああ、頭巾がないのか」
「あの、段階を踏んでいただいてもよろしいかしら?」
「なんですかこの噛み合わない会話は」
横から口を挟んできたライアを睨みながら、おれは用件を思い出す。
「この部屋に水漏れは?」
「心配には及びませんわ。ここ、よい部屋ですわね」
「大工が聞いたら喜ぶよ。それで、いまはなにを?」
「それがその、あの二人が……ガレちゃんとパラちゃんがここに待機しているようにと。わたくし、もう丸一日以上は休んで元気になったとしっかり申しましたのよ?」
説明におれは合点し口端を曲げた。部屋での待機を命じられたネイの主張が、先ほどの怠けているわけでは、につながるわけだ。
「じゃあその服も彼女たちが?」
「ええ。でももともとここまで服を運んできたのはランゾウさんだとか」
おれはネイに必要なものがあるかどうかを問うたあと、部屋をあとにした。彼女の答えは飲料用の水だったが、さて貯蔵は充分だったか。
家のどこを探しても見つからないランゾウの居場所を一息吐いていたガレたちに問う。
「そと!」
ガレの答えは簡潔で明瞭だったが、おれは眉をひそめた。
「この雨のなかか?」
「ボクは止めたんですけれど……」
パラの話では、ランゾウは雨が降り出す少し前から慌ただしく村を動き回っていたらしい。しかしいざ豪雨が始まっても彼は止まる気配なく、村のなかを腕傘一つで動き回っているという。
ライアに外の様子を見てくるよう頼んでみたが、彼女は頑なに首を縦には振らなかった。曰く、
「絶対に風邪を引きます」
だそうだ。
「透けてるだろ」
「ニオイの話、しませんでしたっけ? こんな姿でもちゃんと感じるんですよ?」
「雨もか?」
「はい、ビショビショです」
「水滴がつくのか? それなら人型に浮く水滴が見られると思うんだが」
「うっ……しかし、冷たさはちゃんと感じるんです。信じてください!」
「都合の悪い体だな」
思い込みの力なのか、単なる嘘なのかはわからなかった。それを問い詰める前に、目的の人物が帰ってきたからだ。
「いやぁ、大した雨でござった!」
水に潜ったように全身を重く濡らしたランゾウが、服の裾を絞りながら笑った。
「なにをしていたんです?」
「昨夜に並々ならぬ雨の気配を感じ取ったのでな、水気が苦手なものを避難させていた次第。昨日バネッダ殿と話したときが、ちょうどその天気読みをしていた時間だったでござるよ」
「知りませんでした」
「そんな! わかりやすい伏線だったでござろう?」
「言葉で示してください」
「あ! ツッコミなのに丁寧語になっているでござるよ!」
そのまま無視してしまってもよかったのだが、彼が抱える束が先ほどから気になっている。さて、大事に布に包まれたものはなんなのか。
「これでござるか?」
「ありがとう!」
屈んで問うランゾウと、礼を述べるガレ。その光景を見ても思いつくアテがなく、回り込んで彼女が受け取った布束の中身を見たおれは、思わずあっと声を漏らした。
シスターが教会横の花壇で育てていた花だった。
役目を果たし、解放された様子で大きく息を吐くランゾウを、おれはただ眺めていた。
※
ライアが大声でおれを起こしてきた。正確にはライアの声で一足先に起きたアッシュとの共同作業によるもので、おれは肉体の内外から響く声に頭を揺さぶられながら、いまはベッドの端で眼前に立つライアを睨んでいた。
「もう夜か?」
「あと一時間くらいで夜ですね」
「昨日の雨でさえ起こさなかったのに、なにがあった」
「来客です。それで、ほかのみんなはバネッダさんのいうとおりに地上に待機しています」
非常事態以外ではおれを起こさないこと。ランゾウたちにはそう伝えている上に、この地下への道は床板を剥がす必要があり、出入りを容易にするためにわかりやすくはなっているものの、おそらくガレ以外はここに入る術を知らないはずだ。
しかしガレが動けずともすぐに駆けつけると皆に伝えている理由は、もちろんこのライアがいるからである。
「深刻なのか?」
「もし深刻だったら事後報告です」
「ならどうして起こした」
「ガレちゃん、ここでしょ? ほらほら、床板をこうするんじゃない?」
一階部から唐突に届いた声に、おれは反射的にビクリと体を震わせた。ライアにいまの声は届いていないかもしれないが、上にいるのが誰かについては知っているはずだ。
「誰だ。なぜガレと親しい?」
「その……仲がいいからですね」
「ランゾウは?」
「ランゾウさんとパラさんは教会のほうに行っています。なんでも雨で柵や結界がかなり流されてしまったらしくて……」
地下に響く物音に、おれとライアは口をつぐんだ。一階に部は陽光が届く都合で出向くことはできない。フードを被って待ち受けることしかできないおれの目の先で、何度か床を叩く音が聞こえ、板が取り外され、下ってくる足音が耳に届いた。
「いたー! バネッダさーん! 久しぶりー!」
「誰だよ」
再会の第一声としては失礼極まりないものだとは思ったが、自分のなかにあるイメージとかけ離れすぎていればこうもなろう。
言葉遣いだけではない。肩ほどまでの金髪も当たり障りのない街娘風の格好も、そのどれも覚えがない。ただガレと親しいという事前情報と首にはめられた鉄輪だけが、彼女の風貌と名をギリギリで一致させた。
「誰だよ? んー、その反応は予想外だなぁ。もっとこう『こんな辺鄙な場所についにお客さまがっ!? しかもその正体があのテリアン!?』みたいな感じで気絶するほど驚いてくれると期待したんだけど」
貴族ラブロスの奴隷。ウィランドの街におけるガレの自称世話役。テリアンが、不満そうに口を尖らせた。
「もしかして、驚きが分散しちゃった?」
「ついに、じゃないしな。それよりちょうどよかった。いいたいことがあったんだ」
「あら、なにかな? もしかしてこの口調のこと? ほら、いまは近くにご主人さまがいないから。息抜きよ、息抜き」
「違う。ガレに余計なことを吹き込むのをやめろ」
テリアンが意地の悪い笑みを浮かべた。
「余計なことって?」
「教育上よろしくないことだ」
「正しい教育っていうのは、一人で片道一日かかる道を荷物運びさせること?」
「ぐう」
かろうじてぐうの音は出たが反論はできなかった。白旗を挙げたおれをよそに、彼女はといえばこのあなぐらをざっと見回してため息を吐いていた。
「よくわからないけど苦労してるみたいね」
「ご心配どうも。それで、ここでなにを? ご主人さまは失踪中なんだろ?」
「もちろんそれも大変だけど、それ以上に!」
「それ以上に?」
詰め寄られたが、まったく心当たりはない。目を逸らしてライアに助けを求めるが、彼女にも特に思いつく話はないようだった。
「わかってない風だからさっさというけど、急に何日もガレがこなかったら心配するに決まってるでしょう?」
「あー……そういう話か」
最後にガレがウィランドの街へと行ったのはいつのことだったか。最近はもっぱらランゾウやパラとともに山菜採集や釣りに勤しんでいるようだし、報告ではランゾウが街の様子を探るなどといって街へ行くついでに買い物をしてきてくれているのだ。
しかしたしかにテリアンも心配するか。おれは自分の非を認めてから、今度はこちらから質問を飛ばしてみる。
「ウィランドの街の出入りはいま厳しく監視されてるって話を聞いたんだが、大丈夫だったのか?」
「どっちの監視の話かな。ご主人さまの? それとも魔物の? って、街の騒動の話は知らないか」
「住んでいた魔物が市民に危害を加えたって話なら」
「あら、それは情報通」
テリアンは腕を組んでどこともなく天井を見上げた。視線の先に偶然いたライアがなぜか慌てているのが少し面白い。
「それで、それを聞いたわたしがどう思ったと思う?」
「……ガレのことと勘違いした?」
「似たような感じ。ガレがそんなことをするとは思えなかったけど、街のなかにいる魔物って点は同じでしょ? しかもそのあとにガレが買い物に来なくなったんだから、心配の一つもするって」
「そいつは悪かったな。あとで謝らせるよ」
「ガレは悪くないでしょ」
「だから、当事者たちにな」
「え?」
困惑するテリアンをよそに、おれの注意は一階部分へと向いていた。彼女との会話中に聞こえてきた声の様子が、なにやらおかしい。
具体的には、知らない人物の声が聞こえるのだ。異能の副産物で聴覚が強化されているとはいえ、はっきりとは聞こえない。しかし声の主は少なくとも女声ではなく、ランゾウでもない。そしてその何者かが、おそらく一階にいるガレと話している。
ライアを上に行かせ、おれはテリアンに向き直った。
「一人じゃないのか」
「おや、あの人かな? てっきりそのまま調査に向かうものだとばかり……いま地上に出られる?」
「陽が沈むまで待ってくれ。知り合いなのか?」
「ここまでの護衛。といっても偶然知り合った、旅の目的地が同じってだけの人なんだけど」
「待て。なぜここが目的地になる。明らかに怪しいだろ」
「生物研究とかいってたよ。それに全然怪しい人じゃない。少なくとも身分はね」
眉をひそめたおれに、上からガレの声が届いた。
「バネさーん! おきゃくさんをあんないしてもいいー?」
「だ、そうです」
戻ってきたライアが額の汗を拭う動作をわざとらしく見せてからいった。
「人間の男性です。金髪で、背が高くて……あ、あとバネさんのことをベニーって呼んでました」
つけ足されたその報告に、おれの心臓が一度高く跳ねた。冷静に思考を整理する前に、バタバタと上から降りてきた人影が二つ。
一つはガレ。もう一つは――。
長身、サイドを刈り上げた特徴的な長い金髪。長旅であるはずなのに散歩感覚のような軽装、疲弊一つ感じさせない血色豊かな顔。
「カーネル……」
おれの姿を視認した男――カーネル・グランジェットが、一瞬の間を置いて、腹の底から盛大に悲鳴を轟かせた。
「あええええ生きてるうううううううううううううううう!?」




