06.思い出はいつも美化されて
わたくしとバネッダさまの出会いは、ペイセヴの街のとある揉めごとの最中でしたわ。
ペイセヴの街はご存知? デリン群島の端、鉱山と温泉が有名で、わたくしの家は温泉を利用した観光と宿泊業で財を為しましたの。祖父の代まで営んでいた貿易船の事業も順調で、わたくしも家のため、自分のために日夜勉学に励み、見聞を広げておりますわ。もっとも家のことは優秀な兄たちが受け持ってくれていますし、さらなる発展を望むお祖父さまの命で、わたくしは長く群島の外を見て回っていたのですけれど。
パンズ共和国での長期滞在を終えてペイセヴへと戻ってきたわたくしは、久方ぶりの休暇を謳歌していましたわ。しかし厄介ごとはこちらの事情など鑑みずにやってくるもの。
端的にいうと、わたくしは人質に取られましたの。
のちに聞き出したところ、ミズ家の事業発展を快く思わない者たちによる犯行だと明らかになりましたわ。しかし思い当たる節は家、わたくし個人、またことの大小を問わずいくらでもありましたので、はじめバネッダさまが現れた際にも、まだこのお方がわたくしの味方かどうかは判別できませんでした。
場所はペイセヴ西の港口、彼らが逃走用に奪っていた小型客船。はじめにバネッダさまに気づいたのは、レントン桟橋上で交渉を続けていたわたくしの父でしたわ。
「おれの船でなにをしている。レディを公然の場で縛る不届き者どもめ」
ああ、忘れもいたしません。マストに縄で拘束されていたわたくしの隣に突然現れたバネッダさまのあの一言を。怒りと正義感に震え、眼光鋭きあなたさまの顔を!
おや、どうなされましたの? いいえ、たしかにそう仰られましたわ。たしかに客室から出てきたバネッダさまの口から。ええ。わたくしにはわかっております。
「出港に時間がかかっていると思い出てきてみれば……悪いが急ぐ身でね。一度だけ警告を挟んでやる。いますぐネイを解放して船を降りろ」
「なにィッ! 部外者め! 出ていくのはお前のほうだ!」
ガキィン! 船上でぶつかる刃物、散る火花。驚くことに、犯人の一人が振り下ろした剣を、バネッダさまは抜いたナイフ一本で軽やかに止めてしまいましたの!
え? その時点ではわたくしの名前を知らなかった? いいえ、父やあの敵たちはわたくしの名前を連呼しておりました。そしてもちろんあなたさまも。それにわたくしはかつて――いいえ、この話はここでするべきものではありませんわね。
ゴホン!
停泊しているとはいえ、戦場は波の上の甲板。決して安定しているとはいえないその足元のなか、バネッダさまは十数人を相手に一歩も引かぬ大立ち回り! 翻す外套で視界を遮り、肘打ち、膝打ち、遠くの相手が油断していると見るや一瞬間のうちに接近し、船から投げ落とす。書物、いや、神話で見たような鬼神を、わたくしはそこに見出しましたわ。
何度目かの瞬きのあと――いえ、このわたくし、当然ながらあなたさまから片時も目を外してはいませんでしたわ! いまのは言葉のあやということで、聞き流してくださいまし。そして気づけば船上に立っていたのはバネッダさまただ一人! 縄を丁寧に切ると、それはもう慈愛に満ちた笑みを向けてわたくしの無事を喜んでくださいましたの。
「大丈夫かい、ネイ」
「ええ、必ず助けにきてくれると信じておりました」
ああ、なんと勇ましく、それなのに穏やかな方なのでしょう。激戦のあとなど微塵も感じさせず、バネッダさまはまるで風のように優しくわたくしの頬を撫で、そして去っていってしまいました。
わたくしはその場でできなかったお礼を直接述べるために、そしていま一度あなたさまのお顔を見るためにこうして一人、長い旅を続けてきましたの。いくつかの運命的な出会いによって、こうしてわたくしはまたあなたさまと出会うことができました。この巡り合わせを、わたくしは奇跡と名づけましょう。
※
「いや、そのバネッダさまってのは誰だよ」
「なにをおっしゃいますの? あなたさま以外にバネッダさまは存在いたしませんわ」
「どう聞いても知らない人だが……」
おれはそういってため息を吐いた。ネイの話は大筋以外なにも合っていない上、あまりにも創作に傾きすぎているために聞いていてもなにも面白くなかっただろう。
気の毒に。そう思いながらライアに目を移すと、彼女はなぜか目を輝かせておれを見ていた。
「バネさん……バネさん、かっこいいです!」
「嘘だろ?」
「『レェイディーを襲う不届き者め。そこになおれ! このナイフのサビにしてくれる』!」
「伝言ゲームが苦手なタイプか?」
「まぁまぁ。そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ?」
どうにも話が通じる気配ではなかった。
(うんうん。好きな子の前でかっこつけたがるのって、人間も同じなのねぇ)
アッシュもアッシュで尾ひれを増やして勝手に納得しないでほしい。おれは助けを求めるようにランゾウへと目を移した。彼はポカンと目と口を開けたパラに微笑みかけたあと、咳払いをしてから口を開いた。
「いやいや、良き話でござった。なるほど。バネッダ殿はこの場所の出身ではなかったのでござるな。しかもその話によれば近くに住んでいたわけでもない様子」
察してくれたのか、ランゾウの質問はこれまでの流れ違う方向に舵を切ってくれていた。おれは安堵し、肯定した。
「いろいろと事情があって、ここに住もうかと準備をしているところだ」
「たしかにこの家は頑丈で、周囲の景観も美しい。しかし、そうであるならば……。つまりバネッダ殿は、もとの住人とはあまり関わりがなかったということでござろうか?」
「もとの……あー、村人か。そうだな。実際ほとんど関わっちゃいない。おれが来たときはもうここから出ていこうとしてたし、そのあと一悶着があったし……これは今度時間があるときにでも話すよ」
「ほほう。それは楽しみでござるな」
そうやってランゾウと話をしていたおれを止めたのは、誰に聞こえるでもないのに声をひそめたライアだった。
「バネさんバネさん」
「なんだ?」
次はどうからかうつもりだとおれは身構えたのだが。
「ネイさん、結構きつそうですよ」
「だいじょうぶ?」
おれがハッと目を移すのと、ネイの横で彼女を気遣うガレの言葉がほぼ同時。
「いいえ、心配には及びませんわ。ただ少し、体に力が入らないだけ。長旅で疲れただけですので……」
「すみません。先に休ませるべきでした」
両肘を机についていたネイの頭が不意にぐらりと動いた。肉体は半ばまどろみのなかにあるのかもしれなかったが、長旅の緊張と興奮状態からか、おれの言葉はどうにもいまだに届いてしまっているらしい。
肉体と精神をリラックスさせる必要がある。おれはガレに手伝ってもらい、ネイを抱きかかえた。目指すは一階にある使用していないベッドだ。
「バ、バネッダさま!?」
「机に伏せるだけでは、休まるものも休まりません」
「いえ、そ、そうではなく! 皆さまの前で突然お姫さま抱っこは……!」
おれの肩と首の上に担がれている状態をお姫さま抱っこと形容したのは彼女が初めてかもしれない。しかし不快に思っていないようだし良しとしよう。
ランゾウたちを先の部屋に残したまま、おれは無事に廊下を進み、ベッドの上へと彼女を降ろすことに成功した。地下に持っていこうかと考えて清掃して以来だったベッドの毛布を先回りしてメイキングしてくれたガレに感謝の言葉を述べたおれは、一つの事実に気づいた。
しかしそれを口に出す前に、ベッドに寝かせたネイがささやくように声を出した。
「ありがとうございました。あの、バネッダさま。一つだけ、お願いを訊いていただいても?」
「なんです?」
一つといわずいくらか必要なものはあるだろうとおれは思った。それは体に負担が少ない清潔な水だったり、食糧だったり、あるいはおれの想像の及ばない『女性に必要なもの』である。
ネイがおれに微笑んでいった。
「あの……よろしければわたくしにも、丁寧語を外した話しかたを……」
「おやすみなさい」
「あ、ちょっと待ってくださいまし……」
※
結局ネイはそのあとすぐに眠りに落ちたようだと、わざわざ見に行ってくれたらしいライアが伝えてくれた。その間おれといえばランゾウが用意したパラの寝袋を室内に運び込む作業をしていて、これならば痛い思いをしてまで村のなかへと運び込む必要はなかったのではと考えつつも、当の本人たちは楽しそうに準備を勧めていたため、おれはそれ以上の言及を避けた。
一日前までは実体一人で暮らしていたこの家もずいぶんと賑やかになったものだ。日中おれを外に連れ出してくれるような真似がないよう、再度伝えておくべきかもしれない。
(やっぱり寂しかった?)
「なんの話だ?」
地下で自分の寝床を整えているところに、アッシュの声が響く。
(ライアはほら、あんなだし。わたしはこんなだし。ガレは毎日ここにいるわけじゃないし?)
「静かなのが好きでなかったら、こんな場所でスローライフとかいい出さないんじゃないか?」
(でも前はみんなで旅してたんでしょ?)
「ああ。アッシュは面白い見方をするな」
その夜の会話は、そこまでだった。
※
住民が増えたはずなのに、起きると外は相変わらずの静寂に包まれていた。
居間では乱雑に敷き詰められた毛布の上で眠るネイとパラの姿を見た。ベッドが置かれた部屋をノックする。静かに部屋に入り、おれが昨夜最後に見たままに眠るネイの顔を見た。途中で起きたのかどうかはわからなかった。
外に出て、灯火を頼りに村を進む。聖水による結界の先、おれの背ほどはある岩の上に座り、空を見上げるランゾウの姿がそこにあった。
「一つ質問をしても?」
「おや、お目覚めですかな」
おれの声に気づいたランゾウが笑みを浮かべた。スキットルを差し出し、おれも岩にもたれて立ち、同じ蒸留酒を口に運ぶ。
「もともとウィランドの街で、ランゾウ殿はなにをなさっていたんですか?」
「はは、殿とはまたこそばゆい。ランゾウで構わないでござるよ。もしくはガレ殿のようにランちゃんでも……」
「そっちも殿呼びだろ。あと質問を一つ追加する。ランちゃんってなんだ」
「ガレ殿にそう呼ばれたでござるよ」
ランゾウがそういって表情を崩した。
「いやはや、お恥ずかしい限り。あの婦人がネイちゃんで、拙者がランちゃんだとか。親睦の証といわれ申しても、この歳でちゃんとは……」
おれは頬をかくランゾウから目線を斜め上へとスライドさせる。いつの間にか近くまで来ていたライアが、下手な口笛を吹いていた。
なにもいわずにじっと見つめてみる。少し間を置いて、観念したらしい彼女が口を開いた。
「いえ、たしかにガレにその呼び名を提案してみたのはぼくですけれど、そんな目で見られるほどのことではないですよね?」
「……まぁいいや。それで、質問に戻りますけど」
一つ仕切り直して、ランゾウが咳を払った。
「そうでござるな。バネッダ殿は慧眼の持ち主。ここで隠しても詮無きことか……」
独り言のようにつぶやいてランゾウが唸った。
前から気になっていたが、なぜかランゾウはおれのことを買ってくれている。悪い気はしないため、そこを突くことはしない。
やがて考えがまとまったのか、ランゾウが照れ臭そうにいった。
「修行にござる」
「修行?」
「うむ。拙者は先に申した通り、市街における生存術には疎うござる。とある事情があってウィランドの街に長く滞在することが決まった際、これを好機と考えたでござるよ。しかし、これがなかなか難しいもの」
おれが聞きたいのはそのとある事情の部分なのだが、ランゾウの頭の良さと話しぶりからして、そこは明かせない部分なのかもしれない。
強く問うのも野暮か。また別の機会があれば訊いてみようとスキットルの残りを腹に収めたおれに、今度はランゾウが問うてきた。
「ガレ殿と、ここまで長い旅路だったでござるか?」
「え?」
「いや。婦人の話をふと、思い出したでござるよ。彼女の話は少しばかり誇張がある。ガレ殿の話は出てこなかったでござるが、そのあたりの真偽はどうなのかと」
「あれ、まだ知らなかったんですか。ガレはこの近くの出身です」
「おや。しかし、そういわれればたしかに婦人と名乗り合っていた覚えが。すると、バネッダ殿は一人で旅を?」
おれが肯定すると、ランゾウは大きな素振りで驚きを表した。
「昨今の情勢のなか、無事に長き一人旅とは。ふふ、さすがはバネッダ殿。よければ今度、その術の手ほどきでも願いたいものですな」
「教えられることなんてないですよ」
「また謙遜をなさる。一人旅の事情まではお伺いいたしませぬが、兎にも角にもバネッダ殿はここでガレ殿と出会い、ともに暮らすようになったと」
「別に隠してるわけじゃないです。いろいろあって、仲間と別れただけですよ。あー、円満にね」
話をガレのほうへと持っていくこともできたが、こちらが明かすことで得られる情報があるかもしれないという考えだ。しかしランゾウは自分の話には持っていってくれなかった。
「ほう。しかしそのように話されるということは、その仲間との旅も貴重なものだったのでしょうな」
さりげなく、だ。さりげなく、おれはおれの顔をランゾウの死角へと向けた。ランゾウが見下ろしたおれの顔は、表情は、いったいどんなものだったのか。そのように、とは、どのように、なのか。
旅の思い出――勇者御一行のことを考える時間が、ほんの少しだけ増えた。
「ああ、ところでバネッダ殿。一つ、お願いがあるでござるよ」
どの程度黙ってしまったのか。おれはハッと顔を上げた。ランゾウがおれを見て口端を曲げていた。
「なんです?」
「いやその……率直にいうと、バネッダ殿には、丁寧語ではなく、タメ口で話してほしいでござるな? 拙者へのきつい口ぶり、少し気に入っているでござるよ!」
そういって豪快に笑うランゾウに、おれはピクリとも肉体的な反応を返さなかった。
「そうですか。では明日も子守りをお願いします」
「え、ちょっと」
きわめて事務的にそう伝えて、おれはその場をあとにした。




